師範大学
屋根に意匠を凝らした小型の塔が立ち並ぶ、優美な古城が師範大学の学舎でした。
左右に多角柱の塔が張り出した正門玄関を抜け、受付で来訪を告げると、やたらと体格の良い男性によって、私達は直ちに学長室へと案内されました。
どこの馬の骨ともつかぬ自称探偵を、こうも迅速に対応するということは、切羽詰まった難題が控えていることを予感せずにはいられません。
琴座亭で仕入れた噂もあります。
今度こそしっかりご主人を監督せねば。私も気合いが入るというものです。
学長室は重厚な調度品に囲まれた立派なお部屋でした。
窓の前に大きな両袖机があって、如何にもといった内装です。
勧められたソファに腰を下ろし、お茶を給仕した案内人が退室したのを確認してから、私はご主人に尋ねました。
「ご主人、真珠様との先約があるのに、別の仕事を受けるおつもりですか?」
「話を聞いてから決めるさ」
気楽に言って、ご主人はお茶を啜っていますが、相手は王立大学の学長です。
地位と権力を盾に、断れないような状況に追い込まれる危険を考慮していないのでしょうか。と、ここで窘めても、今さらな勘は否めません。
私は余計な文句が出ないよう、出されたお茶を黙って口にしました。
程なく奥の扉が開き、背の高い老紳士が入ってきました。
スーツを隙なく着こなして、身なりは完璧です。
彼がクオン学長のようですが、その姿を一目見るなり「ほう?」とご主人が興味深そうに漏らしたのを、私は聞き逃しませんでした。
ソファから立ち上がり、型通りの挨拶を済ませて着席すると、口を開こうとするクオン学長を遮って、いきなりご主人が話し出しました。
「大蛇退治を依頼された御仁から、もう一度依頼を受けようとは思ってもみなかったな」
不遜な口調もさることながら、その内容に驚いた私は、思わずご主人を見ました。
「この方が依頼人だったのですか?」
「そうだ」
やけに偉そうに肯定するご主人に、机に付いたクオン学長は苦い顔で吐息しまいた。
「あの時、現場は混乱していて、貴方の姿を見失ってしまったのだよ」
渋い物言いは言い訳にしか聞こえませんが、直接現場を見たわけではありませんので、判断はご主人に委ねます。
「成程。では改めて、どのようなご依頼か?」
ご主人はクオン学長の弁明をあっさり流すと、口元に不敵な笑みを履き、目を光らせ話を促します。
好奇心丸出しの軽薄な顔にしか見えませんが、ご主人は探偵業はこのスタイルで貫くおつもりのようです。
クオン学長は年季の入ったしかめっ面で話し始めました。
「当大学が、大蛇騒動に関わっていたという噂が街で広がっている」
「存じておりますよ」
「とんだ流言だ」
頷くご主人に、紳士の態度を崩さぬ程度に語気を強めたクオン学長は「だが」と、不服そうに続けました。
「学内で不可解な事故が起きたのは事実だ」
「ほう、それはどのような事件で?」
「三ヶ月前の事だ。敷地内の研究棟で、学生達が何らかの科学実験に失敗した。小規模な爆発と共に研究棟内に毒が撒き散らされ、屋内にいた殆どの学生が死亡するという痛ましい結果に終わった」
苦渋に満ちた表情のクオン学長に対して、ご主人はあくまで聞き手に徹しています。
「それは大変な事故だ。お悔やみ申し上げる。しかし、学生達がどのような実験を行っていたのか、把握されていなかったような口振りですな。彼らの担当教員はどうされたのです?」
「優秀な学生達だったが、目上の者をやり込めるきらいがあった。担任は彼らに愛想を尽かし、半ば放置状態だったと報告を受けている」
担任が仕事を投げ出したのを良いことに、危険な実験を独断で行い、派手に失敗したというわけですね。
監督不行き届きが最悪の形で露呈した事件のようです。
「被害が別棟の研究棟内に留まったのは不幸中の幸いだった。研究棟も窓ガラスが数枚吹き飛んだ程度で建物自体に損壊はない。毒も屋内に沈殿したのか、外部に漏れた様子はなかった。他の学生や教員に被害は出ていない」
「それだけ大事ですと、大学とはいえ、公安職も動かざる終えなかったでしょう」
「届け出は済ませている。だが、どのような科学薬品が使われたのか定かではない。警察の立ち会いの下、調査は学内の教員で構成した調査員が行うことになったが、屋内に立ちこめた黒煙と悪臭のために、現場の調査は危険と判断し、研究棟はしばらく封鎖することにしたのだ」
言葉通り、臭い物に蓋をして、ほとぼりが冷めるのを待った訳ですか。
隠蔽工作をさも正当であるかのように話すクオン学長に、私は段々白けてきました。
顔に出ないよう、表情を取り繕うのも一苦労です。
「成程。ですが三ヶ月も前に起きた事件と今回の大蛇騒動と絡めるには、少々無理があるように思えますな。これだけ時が経てば、さすがに再調査もお済みでしょうし」
ご主人は語調を変えずに穏やかに言いましたが、皮肉が混ざっているのは明白です。
「一週間前、再調査を行うために研究棟の封鎖を解いた。だが、中には入れなかった」
眉根を寄せる学長に、ご主人もまた顔をひそめました。
「入れないとは、一体どういう意味でしょうか?」
「言葉通りだ。戸や窓が固く閉ざされ、びくともしない。 割れた窓に外から打ち付けた板すら剥がすことが出来なかった。中から施錠されたというような生やさしい物ではない。内側から粘土か何かで接着されたような状態だ」
「爆発時に、屋内に飛散した何らかの科学物質が、時間経過で凝固したという可能性は?」
「実験が行われた一階だけならそう考えただろう。だが直接被害を受けていないはずの二階や屋上も閉ざされている」
不可解な話ですが、分かったこともありました。ご主人も合点がいったよに笑みを深め、顎に指を掛けます。
「ははあ、つまり私に閉ざされた研究棟の内部を調べよと、そう仰りたいのですな」
「いや、中に入る方法が分かれば、後は我々で対処したい」
クオン学長は素早くそう言うと、沈痛な面持ちで白状しました。
「内部の状態を外部の人間におおっぴらにしたくないのだ。実際、中で何が行われたのか、我々は全く把握していない。監視の目が行き届かなかったのはこちらの落ち度だが、出来れば内々で処理したいのだよ」
言い辛そうにしているのは、事件を有耶無耶に片付けようとすることへの背徳感からくるものでしょうが、ご主人は陽気な笑顔でのほほんと、容赦なく言いました。
「虫のいい話ですな」
歯に衣せぬ率直な批判に、しかしクオン学長は腹を立てたりはしませんでした。
クオン学長は小さく吐息すると、
「……未だ行方知れずの学生がいる」
膝の上で組んだ手に力を込め、続けます。
「リーダー格の学生だ。爆発音を聞きつけた教員らが現場に駆けつけた時、彼は昏倒した仲間を引きずって外に連れ出していた。そうして全員を避難させた後、研究棟の内部へ、命より大事な物を取りに行くと言って戻ってしまったのだ。
現場は混乱を極めていた。医務室へ運んだ学生達が次々に息絶えていくのに動転して、誰も彼の行方に気が回らなかった。
警察が駆けつけた段になって、ようやく彼の姿が見えないことに気付き、屋内へ捜索に向かおうとしたが、先に話したとおり、研究棟内は既に黒煙に満たされ危険な状態だった。
その時点で爆発からかなりの時間が経過しており、警察も彼が生存している可能性は極めて低いこと、二次被害を出す恐れがあるとの見解を示し、捜索を打ち切ったのだ」
長く話しすぎたのか、いったんお茶で喉を潤したクオン学長は、カップを皿に戻し、再び吐息しました。
顔に疲労の影を差し、事の核心を告げます。
「その彼が、大蛇騒動の犯人だと囁かれているのだ……」
封鎖された研究棟は、毒こともあり、一週間前までは誰も近づかず敬遠されていたそうです。
何人もの学生が亡くなった大きな事件も、当事者でない限り、日々の営みに押し流され、あっという間に風化してしまうもの。
そんな頃合いを見計らって再調査は行われたそうですが、中に入れないという異常事態を前に、調査員らが四苦八苦している最中、それが起きたとクオン学長は話しました。
「数名の調査員が、窓から覗き見た研究棟内部に、巨大な生物が見えたと騒ぎ出したのだ」
クオン学長の声には不愉快そうな響きがありました。
「目撃した者達は、鋭い鱗を持った爬虫類だったと証言したが、私や他の者が中を覗いても内部にそのような生物は見当たらなかった。ただの見間違いだろうとその時は捨て置いたが、興味本位で見物に集まっていた学生達の耳にこの話が届いてしまったようだ。
どうあっても入る事が出来ぬため、その日は調査を諦め、後日改めようということで合意したのだが、その直後、街に大蛇が現れ、当大学の学生の仕業ではないかと囁かれるようになってしまった。結局大蛇は幻だったらしいが、疑惑が晴れるどころか、事件の首謀者ではないかと疑われてしまっている」
不本意極まりないと結ぶクオン学長。どうやら街の噂は、驚くべき速さで大学に到達したようです。
ご主人は少し考えて尋ねました。
「学生達が何を研究していたのか、本当にご存じないのか?」
「提出された書類には、可視光線の観測とあった」
電磁波、光の研究のようですが、観測だけでは研究分野を特定することは出来ません。よくもまあ、そんないい加減な書類を受理したものです。
「全く学生達のみで実験していたと仰るが、爆発を起こすような危険な薬品を用いるなら、別途使用許可が必要になりましょう。担任が彼らの教導を放棄したと言っても、別の教員は許さないはずだ」
「学内にも政治はある」
ご主人のもっともな指摘を、切って捨てるようなクオン学長の物言いです。
束の間、ご主人は口を閉ざし、ふっと諦めたように笑い、
「……成程。踏み込まぬ方が利口のようだ」
あっさりこの話題を切り上げました。一瞬、ご主人の目がカミソリのような光を放ちましたが、クオン学長は気付かない振りをなさいました。
「とにかくその研究棟を開ければ良いのだな? よろしい、引き受けましょう」
依頼を承諾したご主人に、クオン学長はほっとしたように表情を緩め、しかし即座に引き締めました。
「急かすようだが、すぐにでも調査を始めて貰いたい。
――ここ最近、街では至る所で大蛇の姿が目撃されているが、それらは全て行方不明の学生の仕業で、研究棟に入る事が出来ないのは、今も中で大蛇を作り続けているからだと、まことしやかに広まっている。
中にはキラを使って学生自身が大蛇に変身したと言い出す者まで現れる始末だ。バカバカしいにも程があるが、ここまで広まった以上、ただの噂と捨て置く訳にはいかないのだよ」