手紙
昼食後。
「警察署へ行こう。回収されたキラを見たい」
という、ご主人の要望を叶えるべく、外出することになりました。
「門前払いされるだけだと思います」
「何、この名探偵の依頼とあれば、警察も無下にはせぬよ」
何を根拠に仰るのか、やたらと自信満々に笑うご主人に、私は溜息をつくばかりです。
移動は徒歩になりました。
事件現場まで馬車を出したいところですが、道々噂を集めたいとの仰せです。
と言うわけで、クルミちゃんと陸号さんはお留守番。
厩にて、両名へお出かけの報告がてらキビちゃんの様子を窺いますが、どこかへ遊びに行ってしまったらしく、馬車の座席には空になったお皿だけが残っていました。
ベルさんと一緒に日向ぼっこをしているのか、宿屋のご子息、トミー君(五歳)に遊んで貰っているのか定かではありませんが、キビちゃんの自由気ままはいつもの事です。
ご主人が飛ばしたスズメも無事でした。
食堂に戻ると、カウンターでご主人が女将さんに宿泊の手続きを依頼していました。
終わるまで、離れた場所で待機です。
と、視線がご主人の足元に移動します。
そこには俵状の固形物が山と入ったのバケツが置かれていました。
察するに、ご主人が呼び止めたために、女将さんが持ち運んでいたのを、一時的にそこへ置いたのだと思われますが、白炭に似た固形物は、石炭加工品、晶炭です。
石炭よりも遙かにエネルギー効率に優れるこの燃料は、鉄道や船舶といった輸送から、工場、ご家庭まで、ごく一般的に使用されています。
家でも使っていますし、特に珍しい物ではありませんが、今日はやけに目に付きます。
「どうした? 溜息なんぞ吐いて」
手続きを終えたご主人に言われて、私は思わず自分の頬を手で挟みました。
うっかり顔に出てしまったようです。
気持ちを切り替えるべく、ふっと一息、
「いえ、特には」
澄まし顔でお返事です。
時刻は正午三分。
その頃になると、街は大蛇騒動などすっかり忘れて、学術都市にふさわしい、秩序だった顔を見せていました。
装飾的な建物が建ち並ぶ大通りは石畳で舗装され、脇には古本や絵画の露天並んでいます。
焼き菓子や軽食を商う店や、街の名所が描かれた絵葉書を売る店もあり、どこからか陽気な音楽が聞こえてなかなかお洒落です。
勿論、キラの露店もございます。
ネックレスや指輪といったアクセサリー類から、魔方陣のような模様が描かれたお札に、水晶や陶器の置物といった定番アイテムが勢揃いしていますが、見える位置に仕込まれたチップは、ざっと見全て偽物です。
それでも他の露店よりも客足は多いのですから、キラ人気の根強さを思い知らされます。
ふと、蝋燭と灯火器が並ぶ店前で、私の視線が止まりました。
ランプやカンテラ、手燭等がずらりと並ぶ手前には、これまた様々な種類の蝋燭が仕切り箱に入れられています。
蜜蝋や松脂の蝋燭と一緒に、灯心のない、不透明な俵状のガラスが並んでいるのが目に入りました。
形状は先程の晶炭と似ていますが、
「これは……」
「――ガラスキャンドルだよ」
足を止め見入っていると、テントの奥で椅子に座っていた中折れ帽の店番が口を開きました。
帽子のつばに目元は隠されていますが、若い男性です。
こういったお店はちょっと怖いお兄さん達が取り仕切っていると聞きますが、例に漏れず、アウトロー的な雰囲気を醸し出された方でした。
低く気怠そうに、でもよく通る声で、
「泥炭から作られた燃える宝石、晶炭。その開発者にして、この街が生んだ天才、アッシュローズ博士の最高傑作さ」
商いの口上にしては口調は平坦、俯いた顔も上げません。
冷やかし目的の観光客と思われているようです。
「それは知っているが、晶炭はともかく、ガラスキャンドルは博士が経営する工場でしか生産出来ないと聞いている。手作り出来るようになったのかね?」
私につられて立ち止まったご主人も、珍しそうに商品を見下ろしています。
「手作りっていうなら、そいつは偽物だ。安心しなよ、こいつは工場直送の型落ち品、本物さ。見た目は劣るが明るさに変わりはない。一つどうだい、安くしとくぜ」
相変わらず熱のない接客ですが、ご主人はその気になったようです。
顎に手を掛け、曇りガラスのような一つをしげしげとのぞき込み、
「透明の物も美しいが、これはこれで味があるな……」
その視線が横に移動、年季の入った木製の燭台に、ご主人の目がぱっと輝きます。
「おおっ、これは良い品だっ」
「――お邪魔しました」
声を弾ませるご主人を私は横から思いっきり押し、店の前から遠ざけました。
「買い物は仕事を終えてからにしてください」
「ははっ、すまん」
誠意の欠片もない謝罪をしながらご主人は、面白がるような横目でこちらを見下ろしてきました。
「それで、お前さんはいつまで膨れてるんだ?」
「膨れてなどおりません」
私は前を見たまま素っ気なく答えました。
「斜め上からの俯瞰による錯視でございましょう」
言ってから、何だか拗ねた子供のようだと気付きましたが、言葉は取り消せません。
「分かった分かった。これからはもう少し慎重に行動する」
苦笑するご主人も、何だか駄々っ子をあやしているような口振りで、これじゃあ、私の方が悪いみたいじゃないですか。
私は怒りを吐き出すように、盛大に嘆息しました。
「今のお言葉、確かに記録しました。ゆめゆめ違えることなきよう、ご留意ください」
「承知した」
面白がるような口調のご主人を、私は疑り深い目で盗み見しました。
子供のように笑う姿を見る限り、この約束は明日にでも反故にされそうですが、この話題は一旦、脇に置くことにします。
「――それでご主人。先程から何やら尾行されているようですが」
顎を引き、私は視線だけ背後を探ろうと試みます。
「なあに、新聞記者の類いだろう。急に人気が出てきたな。良い傾向だ」
「ふざけている場合ではございません」
私はさっさと視覚レンズのパノラマモードを起動しました。
私の眼前に、婉曲した半透明の風景が蒔絵のように展開、景画がぐるりと半周、背後の景色が前にきます。
学術都市だけあって、学生や学校関係者と思われる身なりの良い紳士淑女の姿が目立ちますが、商店勤めや労働者風の姿なども散見しています。
本屋の前でたむろする学生達、荷物を積んだ手車を押すつなぎ姿の労働者、買い物籠を下げたエプロン姿のご婦人と視線を移動させ、私はある人物を注視しました。
男性――青年と呼ぶには些か若い気がします。
身なりはあまりよくありません。
倹しい衣服には補修の跡が目立ちます。
ついでに顔色も表情も芳しくありません。
田舎から出てきた苦学生といったところでしょうか。
学生は、物言いたげな暗い眼差しを、私達の背にじっと向けています。
私達をつけているのは彼で間違いないようです。
「見つけました。対処しますか?」
小遣い稼ぎに旅行者の懐を狙っているようには見えませんが、人は見かけでは判断出来ません。
私の提案に、ご主人は前を見たまま顎に手を掛けると、ふむと考え、
「どうも奴さん、私に依頼したいことがあるようだな。が、金がなくて声を掛けるのを躊躇っている、と見た」
映像は、私の人工網膜に直接投影されたものですので、視認出来るのは私だけ、ご主人であっても共有することは出来ません。
にもかかわらず、ご主人は振り向きもせずに背後の追跡者の様子をピタリと言い当ててみせました。
毎度のことながら、自分の周囲を正確に把握するご主人の能力には下を巻くばかりです。
後頭部にカメラでも仕込んでいるのでしょうか?
「随分深刻そうですが、如何いたしましょう?」
一旦映像を切り、対処を求めると「放っておけ」ご主人はあっさり言いました。
「こちらから声を掛ける必要はない。本当に差し迫った問題を抱えてくるなら自分から動くだろうさ。――それに」
前触れなく、ご主人は足を止めました。
半歩遅れて、私も従います。
ご主人は片頬に笑みを浮かべ、
「まずはこちらの相手が先だろう」
「そのようです」
主従連動した動きで顔を横に向けると、布の帽子を被った中年男性が私達に向かってやって来るところでした。
追跡者は二人。
そのもう一人である労働者風の中年男性は、同時に自分を振り返った私達に不意を突かれ、面食らった顔をしていましたが、すぐに気を取り直すと、
「よう、探偵さん。あんた宛の手紙を預かってるんだ」
封書を一通、差し出したのでした。