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来訪者

コンコンコン。

控えめに戸を叩く音がしたのは、午後九時十七分の事でした。

私の体内時計は原子式ですので間違いはございません。

このような夜更けの来訪など、礼を欠く事甚だしゅうございますが、家内を取り仕切るようご主人より仰せつかっている以上は、対応せざる終えません。

番をしていた台所用ストーブから顔を上げると、私は戸に目を向けました。

飾り気のない質素な板戸には、幾何学模様が描かれた細長い紙が張られています。

魔除けと称したご主人の呪い札、その筆跡が、妖しい赤に輝いていました。

「ご主人、何やら良からぬお客様がおいでになったようです」

私の問いかけに主人は、筆を動かしながら言いました。

「無視しろ。この辺りに生息する下級魔が侵入を図ろうとしているだけだ。魔除けが効いている間は入ってこれまいて」

部屋の隅に設置された板敷きの上がりの上で、草編みのクッションに折り目正しく正座をし、文机に向かうご主人は、書き物に集中して心ここに在らずと言った様子です。

「かしこまりました」

会話はそれで終了しましたが、私はそのままご主人の観察を続けました。

燭台やランプといった火を用いた照明はございませんが、代わりに淡く発光する生成りの紙風船が天井の梁にくっついており、室内は昼間同様、明るく見通しが効きます。

ご主人の側には行商箪笥が前扉を開けた状態で置かれています。

時折筆を止めては、びっしり並んだ小さな引き出しから鉱物や乾燥した植物の束などを取り出し、ためつすがめつしながら書き物を続けています。

取り出した小物は引き出しに戻さず、そのまま側に置いてしまわれますので、主人の周りには雑多な小物が出しっぱなしになっていますが、上がりは主人の領分と定められており、口惜しい事に、どんなに散らかっていても、片付けることは許されません。

私は視線をストーブに戻しました。

丁度お湯が沸いたようで、勢いよく蒸気が上がったヤカンの蓋を、吹きこぼれないように取ります。

室内を清潔に保つようにとご主人より下された命の矛盾を、こうも目の当たりにしては心がざわついて仕方がございません。

よって私はいつも通り、見ない振りをしてやり過ごすことにしたのです。

解術師という、よく分からない職業を自称するご主人にお仕えする以上、折りに付け目に付く理不尽に逐一反応していては身が持ちません。

と言っても、ご主人の行動の全てを黙認しているわけではございません。

出しっぱなしの道具などは、こっそりと片付けておいたりもします。

先程、戸締まりに外へ出た際にも、玄関先に置き去りにされていた農具を所定の位置に戻しておきました。

私は優秀な侍従なのです。

パチン、と得意気に胸を張る私に賛同するように、ストーブ内の火がはぜ、再び室内に静寂がおりました。

トントントン。

再び戸を叩く音がします。

その音に今度こそご主人は机から顔を上げました。

筆を置き、右肩を大きく回すと、興味深そうに戸を見ます。

着流しに羽織を肩にかけたご主人は、腕を組みながら、

「随分としつこいじゃないか。ふん、妙だな。魔除けがある内は、戸は勿論、外壁に触れることすら出来ぬはずだが」

「普通に、人間のお客様なのではないでしょうか?」

「夜分遅くに訪ねてくるような無粋な輩に、心当たりはない」

「借金取りの類いやも知れません」

「その手の財産は持ち合わせていない。札が反応している。人ならざるモノであるのは間違いない」

ご主人はにやりと笑います。

「どのような魔性かは知らぬが、これは相当な手練れとみえる。我が城に夜襲とは、さては知らぬうちに、解術師としての名声が妖魔共の間に轟いたか」

「……城でございますか」

よせばいいのについ突っ込みを入れてしまうのは、ご主人曰く、私の魂に染みついた習性だそうです。

私の言葉にご主人はふふんと鼻を鳴らしました。

「そうとも、またとない堅牢な城塞よ」

得意気に反り返るご主人を暫し眺め、私は室内を見回しました。

およそ二十畳、そうご主人によって目測されたダイニングキッチンは、実に見晴らしの良い空間になっています。

家具と言えば、ストーブを含めた台所周りの一式の他、板敷きの上りに文机が一台ある程度。

ご主人の趣味である蚤の市散策時に購入した猫足の円卓セットが室内の中央部にそれらしく置かれているだけで、私が腰掛けるベンチを含めても、質素堅実な暮らしぶりを如実に語る仕様となっています。

勿論褒めております、

古建築の付属屋として長年放置されていたこの建物の、初期の荒廃振りを思い出せば、ここまで住居らしく整えることが出来たことに驚嘆すら覚えます。

何しろ、引っ越し当時のこの家ときたら、入り口の取っ手を掴んだ途端に戸が外れ、一歩踏み入れば床は抜け、天井を仰げば、梁の向こうに青空と流れる雲を鑑賞することが出来たのですから。

この家を紹介して下さった大家さんも、我が主の経済力をせせら笑いながら嫌味半ばに勧めたのを、まさか即日入居するとは思ってもみなかったようでした。

豪快に即決したご主人に、大家さん、さすがに良心の呵責を覚えたのか、修繕用の建材を融通してくれたほどでした。

「さてさて来客だ。それも曰く付きの今宵にだ」

私の回想など知らぬ様子で、ご主人は機嫌良く手を揉んでいます。

面白くてたまらないと言ったご様子です。

「今宵に曰くなどございましたか? 暦の上では大安吉日の良日となっておりますが」

私の疑問に、ご主人は呆れ気味に言いました。

「昼間の出来事をもう忘れたのか? それとも記憶容量の限界か?」

「忘れてはおりません。それにご主人の小言を含めた不要な記憶は随時消去しておりますので、演算に滞りもございません」

「ふむ、記憶は消しても嫌味の言い方を学んだというなら重畳だ。昼間の依頼の事だ」

嫌味を言ったつもりはありませんし、ご主人もさっさっと話を進めるので、ここは素直に従います。

「依頼料を踏み倒された、大蛇退治のお仕事ですね」

「そうだ」

ご主人は不愉快そうに顔を歪めました。

「見たこともないような大蛇が、昼夜問わずに現れ街を荒らす。銃弾も刃物も弾かれ火も効かぬ、人も襲われどうにもならんと、まあ、途方に暮れる住民の為に一肌脱いだものを、いざ襲い来る大蛇を追い返してみせると、やれ、とどめを刺せぬのにいらぬ刺激を与えてくれるなと、まあ、手のひら返しも甚だしい。いくらでも払うと言ったのは、全くどの口だ」

よそ者だと思って足元を見られたわ、と一人憤慨するご主人に、私はごく冷静に、

「蚤の市で聞きつけた噂に興味を示し、野次馬の如く件の街へと赴き、探偵だと嘯いて首を突っ込んだのですから、妥当に扱われただけと存じます」

「仕方があるまい。解術師と名乗れば、異端者として吊し上げられるやもしれぬでな」

「王立大学を擁する学術都市で、そのような時代錯誤な対応が取られるとは思えません。せいぜい気の毒に思って、療養所を紹介してくれたかもしれません」

きっと、人里離れた湖畔に佇む瀟洒な建物に違いありません。特別仕様で、窓という窓には鉄格子がはまり、鋼鉄製の扉には頑丈な錠前が下がっていそうですが。

「順当に学者と名乗ればよろしかったのでは?」

「インパクトに欠ける」

ふん、とご主人は不機嫌にそっぽを向きました。

「インパクトも何も、昨今の探偵ブームにあやかる残念な自称探偵は巷に溢れかえっております」

「全くその通り。最初からやり方を間違えたのは認める。それで大蛇だ。俺の投げつけた薬が見事に効いて、川へと逃げよった」

「皆、報復を恐れておいででした」

「当然だ。仕返しに来るだろう。古今東西、蛇は執念深いと相場が決まっている。そこに罠を張るのが常套手段だというのに、連中ときたら泡食って俺を追い出しよった」

「違約金を請求されずに済んだのは幸いでした」

「恐怖とはああも人を短絡的にする。それとも切羽詰まってさもしい本性が暴かれたのか。興味深くはある」

感慨深く主人は顎に手を掛けます。

私はしばらく考えて、

「ご主人、それはつまり、来客の正体はその大蛇ということでしょうか」

「だろうな」

あっさり言って、ご主人は「うーん」と唸りました。

「このような事態を想定して屋外の魔除けを強化しておいたのだが、どうにも効いた様子がない。お前さん、さっき外へ出ただろう? なんぞおかしな事はかったかい?」

「いいえ。玄関先に放置されていた農具を片付けただけでございます」

「成程、それだ。鎌を外してしまったか」

ご主人は目を閉じ天井を仰ぎました。

「蛇は刃物を嫌う。故に鎌を要に術を仕掛けたが、その要が抜き取られては作用せぬのも道理よな」

「――ご主人」

私が口を開くと同時に、ダンッ、ダンッ、ダンッと激しく戸が叩かれました。先程までとは違い、戸を打ち破る勢いです。

やれやれと、ご主人は肩をすくめました。

「さて、来てしまったのは仕方ない。客としてもてなすか。お前さん、アニスよ。応対を頼む」

そう言ってご主人は大儀そうに立ち上がりました。頭をかきながら、

「身なりを整えんとな。流石にこのままでは無礼だろう。それに」

ふっと、不敵な笑みを浮かべ、

「当代一の名探偵、シキビとは私のことよ、と華々しく名乗ったのだ。己の言葉を偽るわけにはいかん」

「…………ご主人」

「何、心配せずとも良い。戸を叩く程度の良識はあるようだ。厩の方も騒いでいない。開けた途端、丸呑みなどはされまいて」

「いえ、そうではなく、無断で鎌を動かしてしまった事に、その、お咎めは……?」

「まあ、言ってなかったしな」ご主人は軽く笑って、

「主従の命令の行き違いなど、よくある話ではないか。気を利かせたはずが、全く見当違いに働く。ネタに詰まった噺家の小話程度に日常茶飯事よ。しかしまあ、そこまでしおらしく落ち込むなら、一つ忠告しよう。俺の小言は経験則に基づく教訓だ。大変有益であるから、今後はしっかり覚えておくように」

「かしこまりました。外付けの記憶媒体に保存し、ベンチの中に保管しておきます。毎日座っておりますので、忘れることはないでしょう」

「ふむ。枕にするのではなく、尻に敷くときたか。切り返しも堂に入ってきたものだ。

 さてさて、湯は沸いているな。茶を入れてくれ。かの大蛇殿は、文句を垂れるためだけに訪れたわけではあるまいよ。話は長くなりそうだ」

浮かれた調子でそう言うと、ご主人は着替えのために、奥の扉から自室へと入って行かれました。

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