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私の住む世界

作者: クンカクンカ機構

 熱狂に包まれる、小ぢんまりとしたライブハウス。私のことを好きな人のために、私の好きなことをできる場所。私を育ててくれた、第二の故郷。私は、来る人は拒まず去る人を追わない、そんな気楽で奔放なあの場所が大好きだった。 


 戻りたかった。私の望むあの場所は、きっと受け入れてくれたはずなのに。今はしょっちゅう、そんなことを考えている。


 


 「ゆ・め・にゃ・ん! L・O・V・E! ずーっとずっとぉ!愛してるぅ!」


 私のライブの最後のコールは、いつもこれ。1度、試しに盛り上がるコールの入った曲をラストに持ってきたら、思ってた以上に盛り上がっちゃって。味を占めて繰り返していたらライブハウスの看板にまで成り上がっちゃった。


 私の表現したい気持ちを代弁してくれるようなこの歌。特にラスさび前の『私のことは、ほおっておいて』というところは前後の流れも含めて最も歌っていて気合の入るところだ。というか、特に気合が入っている、と最前列のどうやって生きているかわからないおじさんに言われた。


 「次のライブは、ちょっとあいちゃうけど3か月後ぐらいだえ!」


 予想外の語尾に、ほんのりと会場が湧いた。今なら何でもできる気がする。軽く舌を出してごまかし笑いをしながら、少し声を大きく調整しながら台本を思い出す。


 「次は特典会だから、知り合いも誘ってぜったいきてねー! あ、ちゃんと諭吉握りしめてきといてね… チェキもあるからね! ほんとだかんね!絶対だかんね!」


 会場はまさにオーバーヒート。ステージを煌々と照らす照明器具に足をかけながら、空を飛ぶような気持ちで十万ボルトの音波を飛ばしたところで、私の出番は終わった。




 ライブ後、ライブハウスの運営をしている兄に話を聞くと、いつも私を誉めてくれる。今回のライブチケットの売り上げはいくらだったとか、俺はお前に生かされてるとかなんとか。生かされてる云々で言えば、私はもっと生かされているだろうに。そもそも兄の経営手腕はなかなかのもので、夜こそライブハウスという形をとっているが日中は基本毎日隠れ家的なカフェとして店は回っている。あまり近所にないタイプのカフェらしく、常連さんは近くにあるビルの会社員らしい。ライブハウスの法にも時々足を運んでくれるそうだ。つくづく兄のコミュ力には感服だ。


 今日の兄は特にご機嫌で、ほかの運営仲間、アイドル達との打ち上げでは酒を飲む手が止まらないようだった。豪快に、大きく口をあけて笑う兄を遠くから見ながら、私は近くの女の子と一緒にオレンジジュースを並べて、豪快にシャッターを切った。




 順調にライブの準備は進み、いよいよ大きめのライブが始まる。客のお入りを見ている感じ、どうやら最前線のおたくたちが頑張ったようで見知らぬ顔がちらほらと見受けられた。私の心は熱く燃えている!この人たちにも、ぜったい私を好きになってもらおう。そのために、「わたし」を全面的にだすか、一般受けを狙うか。私はショウブに出ることにした。私は、私を貫いた。


 失敗した。


 すぐにそう感じた。いつもより密度の高いライブハウスに、私の声は届かなかった。今でもあの日のことは夢に見る。どうしてあんなことを口走ったのだろう? なぜ声が聞こえないのだろう? いつもはあんなに聞こえるのに。私の声も、ファンたちの声も、兄の声、衣服の擦れる音も。私の好きな、一人ぼっちの女の子の歌も。頭はまっしろのまま、体に染みついたライブ感のみでその場を何とか乗り切った。その日は、打ち上げの時間になっても私の口から愚痴がこぼれることはなかった。オレンジジュースの味がしない。写真を撮る気にもならない。その日は初めて、SNSをチェックせずに眠りについた。もう私は一人ぼっち。私のことは、ほおっておいて。そのフレーズだけはずっと、空になった頭の中で響き続けていた。




 その日から私は、人の声が聞こえなくなった。人の顔が見れなくなった。突然夜の砂浜に投げ出されたような気分だ。きっと今、走り出して手を伸ばしながらにこやかに後ろを振り返っても、きっと誰もいない。険しくそびえたコンクリートの壁が、遠くにそびえたっているだけだろう。最近はじっと立ち止まって、考え事にふける時間が多くなった。きっと、私の故郷は別の世界にあるんだ。普通の人間には立ち入ることのできない絶海で静かに、時に激しく潮に流されているのだろう。明日、あそこは定休日のはずだ。久しぶりに海に行きたいな、連れて行ってもらおう。そうしよう。


 迷いはなかった。枯れ葉のたまった壁際に挨拶を済ませた私の体は徐々に冬に染まり、足の感覚がなくなっていった。




 そして、春が来た。兄はいつもの笑顔で私に語り掛けた。その明るい表情は、まるで久しぶりに花の蜜をすったご機嫌な蝶のようだった。気候のせいか、温かい気持ちに包まれた私は持病の花粉症が再発し、ティッシュ箱を探す。兄を横目に周囲を見渡すと、あろうことか窓は開き、風向きによっては落ちてしまうような窓の瀬戸際にティッシュ箱を見つけた。兄に体を起こしてもらい、箱に手を伸ばす。陽の光は箱から私のほうに手を伸ばすように影を作っていたが、箱との距離が縮まることはなかった。


 「足が…」


 兄は黙って、二枚のティッシュを箱からもぎ取った。




 夏が来て、太陽にひかれるようにして私は病院を出た。慣れない車いすに最初こそ挫折しそうになったが、兄も認める持ち前の根性で自分一人で乗り降りができるようになった。久しぶりに通る道はわたしを歓迎しているように、ざわざわと動き出す。蝉の声がうるさい。懐かしいなぁ、と目を細めてしみじみとしていると、あることに気が付いた。


 「兄ちゃん、仕事はどうしたの」


 「やめた」


 「どうして?」


 「あきた」


 きっといろいろあったのだろう。そこに私が踏み入ってはいけないような気がして、つい黙ってしまった。そして考える余地もなく、私はもう大勢の人の前に立つことはないと察した。ふと兄の顔から視線を落とすと、カバンには今まで見たことの無いようなアニメグッズが無数に張り付いている。私はアニメが嫌いなわけではないが、少し住む世界が違う感じがする。まぁこのまま会話が終わるのも何なので、その物体について詳細を聞いてみることにした。


 そうして話を聞くうちに、私の部屋に帰り着いた。壁に光る「武道館」の文字。しばらく見つめていると、心の奥がチクっとしたような気がした。その後数日が経過しても、オレンジジュースをとなりに並べていた子たちは家を訪ねてくることはない。その事実が、改めて「お前は現実世界で生きるんだ」というメッセージを私に押し付ける。そうして現実と向き合い続ける日々は、とても窮屈で、退屈だった。


 


 兄は笑った。兄は何かを思いついた時、こんな感じでゆかいに笑う。「もう一度アイドルをしたい」という話を切り出し、最初は所属はどうするんだ、体はどうするんだ、と言っていた兄は、気が付くともういなくなっていた。兄は普段から文化の最先端を行きたいと語っている。地下アイドルのライブハウスを作ったのも、それがきっかけだ。そんな兄が笑うのは、文化威信が起こる兆候といっていいだろう。


 「由愛、Vtuberにならないか」


 私は笑う。いろいろな話を聞いた。ライブハウスをたたんだ理由。私が二年間眠っていたこと。そのあいだに兄は新しい文化と出会い、目をぎらつかせていたこと。本当に、私の兄は面白い。私が好きなものは、いつも兄によって作られていたことを、私は思い知らされた。


 こうなった時の兄の行動力は素晴らしく、二日も経過したころには配信機材一式が私の部屋に取り揃えられていた。あの頃の音を思い出しながら、私の配信者としての生活が始まった。




 配信は、以前の感覚が活かされ順調そのものだった。体に染み入ってくる情報は、でかいオタクたちの声援でも、汗臭さでもなかった。程よく流れる文字列、まれに飛んでくる水色の帯。それらすべては目で追えないほど視覚的で、でも自分が求められていることは変わってなくて、情熱的だった。最近は兄も仕事に出るようになり、以前の豪快な笑顔も戻っていた。今日は私が晩御飯の担当だ、とうっすら思っていると、兄がちょうど帰ってきたようだった。


 「――んで、その時友達が…あ、おかえりー--」


 目を疑う光景だった。コメントはゲリラ豪雨が通り過ぎたように濁流に変わり、無数の?に私は軽いパニックになった。配信には慣れてきたとはいえ、見慣れない文字列たちが急変する様子は以上といわざるを得なかった。


 何も聞こえない。何も見えない、見たくない。見たくない!


 


 「ただいま、ゆめ」

友達との共同練習で書きました。楽しかったです。

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