俺の料理の前で婚約破棄をするな
物心ついた時から、俺は料理人だった。
父は王都の高級レストランで料理長を務めるほどの腕前。その背中を幼い頃からずっと見ていたし、父も息子が同じ道を歩むことを望んでいた。
そして、俺には才能が受け継がれていた。父を超えていたと言ってもいい。
王の住まう城で働く宮廷料理人の長になるまで、時間はかからなかった。
単に王室の面々に料理を振る舞うだけではない。城のホールでは何かにつけて貴族が集まってパーティーが開かれる。そこで出される料理を作るのが俺の仕事だ。
ところで、料理人にとっての一番の名誉とはなんだろう。高貴な人に腕前を褒めてもらうこと? もちろん大変光栄なことだ。
けどそれ以上に、俺の料理を食べた人が笑顔になる瞬間が一番嬉しい。月並なことかもしれないけれど、父から受け継いだ考え方だ。
なのに。
「伯爵令嬢アリスアリシア・ロロンランラ! 今日この時をもって貴様との婚約を破棄することを、このジョンジョシュア・メリメリトトンは宣言する! これは神の御名に誓っての本心だ!」
「望むところよ! あんたなんかこっちから捨ててやるわ!」
揉め事が起こっていた。高そうなタキシードとドレスを着た三十代半ばくらいの男女が言い争っている。
俺の料理を前にして、パーティー会場の誰も料理に目を向けていない。
というかアリスアリシアってなんなんだ。アリスかアリシアの片方だけでいいだろ。男の方もそうだし。
金持ちにとっては、こういう名前の方が縁起がいいのか? あいつらの考えることはわからない。先祖から受け継いだ姓についてはとやかく言うつもりはないけど、変な名前だな。
料理を提供する客の情報は頭に入れている。女の方は伯爵家の娘で、男は公爵家の嫡男だ。そしてふたりは幼い頃から知り合いの許嫁。
かつて将来を誓い合った仲なのに、お互いに気に入らないところが出てきて破局に至ったらしい。
それならこの場でやらなくてもいいだろ。あんな長い口上まで言って。なんだよ神の御名って。くだらない事に神を出すな。
どうせ長々喋っても威厳なんか出ないんだから。
というか俺の料理の前でやるな。婚約破棄なら手紙で簡潔に伝えろ。
それから、ふたりとも歳を食いすぎている。
貴族ってのはあれくらいの歳だと既に結婚して子供を作ってるものだけど。そうじゃなくても、許嫁ならさっさと結婚するものだろうに、なんで今更婚約破棄なんだ。
ふたりはなおも口汚く罵倒し合っている。やめろ。俺の料理に唾を飛ばすな。
パーティーの出席者たちはみんな、遠巻きにふたりを見つめながらヒソヒソと話しをしていた。誰も料理に手をつけていなかった。俺の腕によりをかけた料理より、三十路の喧嘩の方が楽しいのか。
その会話から、ふたりのおおよその関係が伝わってきたのも事実だけどな。
どうやら男の方が、学校を卒業すると同時に長い旅に出たらしい。世界中を巡って自分探しをしたとか。
そんなことは若い時にやれ。いや、旅に出た時は若かったのが、こんな歳になるまで続けてたのか。
次期公爵としての仕事から逃げたというのが本心だろう。それにしても逃げすぎだが。
どうやら男は、その旅の中で恋をしたらしい。相手がどんな奴なのかは知らない。ここから遠い所に住んでる女なんだろう。金持ちなら、遊び呆けている三十路の男でもいいって女だ。たぶんろくなやつじゃない。
とにかく許嫁が邪魔になったから、タイミングを見て婚約破棄に踏み込んだわけだ。周りの反応を見るに、根回しも何もせずに独断でやったらしい。
これだけ聞けば、女の方は可哀想に思えてくる。長旅に出て帰ってこない婚約者を待ち続けた不幸な女。
ところが違うらしい。別のヒソヒソ話が聞こえてきた。
どうやら女の方も、婚約者が旅に出ている間随分と派手に男遊びをしていたようだ。
もちろん立場上、公然とはできない。隠そうとはしていたらしい。
けど残念ながら隠し通すだけの知能に欠けていた女は、本能の赴くままに目についた男に声をかけ続けていた。
結果として、派手に遊ぶとしか言いようがない状態になった。女の実家がなんとか隠蔽に走っていたから、大事にはなってこなかったけど。
それも、次期公爵と結婚すればなんとか落ち着くし将来は安泰だと希望があったからだ。台無しになったけどな。
噂によれば女が今執心しているのは、領内の村に住んでいる猟師だという。ワイルドな魅力がどうとか、侍女たちに話してるそうだ。
そんな、つまらない話を客のたちは熱心にしていた。料理には一切手がつけられてない。
おい、お前が興味なさそうに置いた皿の上のローストビーフは、この道三十年の大ベテランの畜産家が育て上げた牛なんだぞ。
そこのお前。喧嘩を肴に酒を飲むな。そのワインは料理に合うように選んだんだ。料理も一緒に食え。
飯を食え。美味しく食べられる雰囲気じゃないのはわかってるけど、食え。そもそも俺の料理の前で婚約破棄なんかするな。他所でやれ。
いや、本当はわかっている。金持ちのパーティーに、こんなことは付き物だと。さすがにあの男女ほどの馬鹿は珍しくても、金持ちたちは大して料理に興味はない。
俺に政治はわからない。けど社交の場が政治を話す場なのはわかっている。料理は、あくまでそこの添え物にすぎない。
権謀術数の渦巻く社交界では、この手のトラブルは起こるものだろう。それこそ、もう少し利口な種類の婚約破棄も多いはず。
その度に、用意された料理は味気ないものとなる。
仕方ないことなんだ。俺はただ、金を貰って料理を作り、それがどうなるかには興味を持たないって生き方をするべきなんだ。
できない俺は、パーティーに料理を出す料理人としては失格なんだろう。
けど俺は、食べてほしいんだ。
ふと、会場の隅で小さな女の子が震えているのを見つけた。
口汚く罵り合う男女。それを見て噂話に興じる大人たち。
子供用のドレスで着飾っただけの、せいぜい六、七歳くらいの女の子には、どうすればいいのかわからない状況。
俯きながら、早くこの時間が終わるのを待つしかできない。
そんな彼女に、同い年くらいの男の子がトコトコと歩み寄っていった。手にはお皿。乗っているのは、さっき貴族の誰かが興味なさそうに置いたローストビーフ。
「食べて。おいしいよ」
俯いて悲しそうな顔をしている彼女に、彼は優しく声をかけた。
女の子は不思議そうな顔をしながら、フォークを手にして一口食べる。
瞬間、彼女は笑顔になった。
「おいしい?」
「うん!」
「他にもおいしいもの、いっぱいあるよ。来て」
もうふたりには、馬鹿の喧嘩など目に入っていない様子だった。連れ立って、背伸びしながらテーブルの上を眺めている。背の高さから自分で料理を取るのは難しいらしく、給仕の姿を探しているようだ。
料理人自ら、手伝ってやるか。
料理人にとっての一番の名誉は、食べた人の笑顔なのだから。