掃除人の夏休み
暑い。
なんでこんなクソ暑い中、学校に行かなければならないんだろう。
夏休み中の登校日という地獄のような日を終え、帰路につこうとしているところだけれどなんて言ったって暑い。夏休み中の登校日は半日だけなので太陽が空高く上がっている地獄のようなこの時間に帰らなければならない。もう少し学校に居たっていいけれど、学校にはクーラーも無いしやることも無いのであまり居たくはない。だからやっぱり帰るしかない。
嫌だなー暑いなーと思いながら校内を歩き、昇降口のあたりまで来ると見知った顔を見つけた。
「よう、何してんだ?」
「ん? ああ。なんだ、お前か」
下駄箱を前に壁に寄りかかって帰りゆく人々をただただ見つめていた明紀に話しかける。どうやら何か考え事をしていたらしく、話しかけられるまで僕には気付かなかったらしい。明紀はゆるりとした動きで壁から離れると、床に置いてあった鞄を持ち上げて下駄箱へと歩き始めた。帰りながら話そうってことだな。僕と一緒に帰ろうと思って待っていたなんて可愛いものではなさそうだ。
靴を履き替えて外に出ると強すぎる陽射しが肌を焼いた。この炎天下の中帰らなきゃいけないのか……本当に憂鬱になる。
「お前もこれ使えばいいのに」
歩き始めながら明紀は日傘を指さして言った。夏になるとこいつは日傘を常備している。日に焼けるのが嫌というよりも、単純に日陰を求めてのことのようだ。確かに直射日光が当たらなくなるだけでも随分と違うだろうけど、あまり気乗りしない。日傘を持ち歩くのが少し気恥ずかしいというのもあるが、それよりも純粋に傘を持って歩きたくない。雨の日だって傘を持つのが嫌いなぐらいだ。そもそも手に何かを持って歩くという行為が嫌いなのだ。鞄ですら持ちたくないので僕は常にリュック派である。なので明紀の言葉にも首を振って拒否しておいた。「だろうな」とシンプルな一言だけ返ってきた。
「そんで、さっきの話だけど……お前、『ひと夏の思い出みたいな王子様』って、知ってるか?」
「何を言っているんだお前は」
何の話だ。誰だよ、ひと夏の思い出みたいな王子様って。
「だよなー。俺様が知らないことをお前ごときが知ってるわけないよなー」
「ついでに人のことをディスるなよ。で? 誰なんだ、それ」
「知らね。さっき噂で聞いたんだ」
なるほど。どうやら昇降口でずっと情報収集をしていたようだ。興味と好奇心の塊である明紀にとって、まだ見ぬ情報は最高の娯楽だ。あらゆる情報網を駆使して調べて調べて調べつくしていくのがこいつの趣味である。その趣味を便利に使わせてもらっているのが僕たち掃除人なわけだけれど。
「女子が盛り上がっててな。絶世のイケメンが現れたんだと。しかも商店街に。夏休みに入って初めて目撃されて、瞬く間に噂になったからひと夏の思い出みたいな王子様って呼ばれてるらしい」
「ふーん。あんまり興味ないな」
「まあそうなんだけどよ、ほら、もしかしたら対象かもしれないだろ」
「あー、それは確かに」
法律では裁くことの出来なかった罪人たちを掃除するのが僕たち掃除人の役目だ。そして掃除対象者側には掃除人を振り切って一か月間この町で生き延びることが出来ればお咎め無しなんてボーナスみたいなルールがある。だから掃除対象者たちはこぞってこの町に越してくるので、新しく増えた人物というのは要注意なのだ。僕たちはあの手この手で生き延びようとする掃除対象者を何としてでも見つけ出さなければいけないのだから。
ただ、夏休みというこの季節。かなり微妙である。帰省する人たちが圧倒的に多いので、新しい住民かどうかも分からない。しかも最悪なことに未成年者は少年法が適用されるとか何とかで、僕たちには顔写真はおろか指名さえ公表されない。どうやって見つけ出して掃除しろというのか。
王子様と言われるぐらいなのだから多分若いのだろう。もし未成年なのだとしたら、掃除対象者の可能性だって出てくる。とはいえ。
「ぶちゃけお前は正体を探りたいだけだろ」
「まあな! ホラ、抜群の顔の良さを誇る俺様としては、同列に扱われる存在は気になっちゃうわけで? 俺様よりも綺麗な顔立ちしてんだろうなーとか」
「その自信が羨ましいよ」
本人が自覚する通り、明紀は贔屓目に見ても物凄く整った顔立ちをしている。学校にいるどんな美人よりも明紀の方が圧倒的に可愛い。多分それは先生も含めた全校生徒がそう認識している。男女ともに人気が高く、告白してくる者の数は衰えを見せない。それどころか二年になって更に増えたらしい。多分一年生の注目の的なんだろうな。
正直、僕はそんな超人気者の親友様がいるお陰で余計に顔立ちの整った人間に興味が持てない。もう隣にいるこいつで十分だ。顔が良くたって中身が良いとは限らないしな。
「つーわけで、早速商店街で情報収集するぞ」
「はぁ? 僕を巻き込むなよ。せめて一度帰ってからにしろよ」
「いいじゃん、いいじゃん。善は急げって言うだろ?」
「絶対これ善行じゃないよなぁ!」
なんてやりとりをしながらも。結局、親友様に弱い僕は付き合わざるを得ないわけで。適当に何かを買い食いして、適度に店で涼みながら僕たちは情報収集を開始したのだった。
「うーん、全然分からないな」
「だな」
一通り聞き込みを終えた僕たちは、掃除人の拠点である、かつてはビジネスマンで溢れ栄えていた今ではただの廃墟と化したビル、略して廃ビの地下で頭を抱えていた。
商店街で得た情報はこんな感じだ。
・つい最近現れるようになった。
・現れるのは夕方の少し涼しい時間帯。
・病弱そうな黒髪の少女を連れていることがある。
・茶髪という説と金髪という説がある。
・爽やかな笑顔を振りまきながらチーズケーキを購入した。
・バラの花束がよく似合っていた。
何の役に立つんだ、この情報。
茶髪説と金髪説がある意味が分からない。光の当たり方によって別の色に見えたのだろうか。チーズケーキとバラの花束は本当にどうでもいい。花束が似合うイケメンってことしか分からないしな。
「どうする? 夕方ごろ探しに行くか?」
「そうだな……まだ出現する日の法則性も掴めないし、遭遇するまで商店街に行ってみるしかねえな」
「暑いの嫌なんだけどなぁ……」
夕方とはいえまだまだ暑いのであんまり行きたくはない。今日行って今日すぐに噂のイケメンに遭遇することを祈るばかりだ。何日も続くと思うとげんなりしてしまう。
どっこいしょ、と重い腰を上げて部屋から出ようとすると、僕たちが扉を開けるよりも早く外側から扉が開けられた。
「お、丁度いいところに。どうよ、この色」
「くももどうですか? 新しい服、買ったです」
外から入ってきた二人は、僕たちの姿を見るなり新しい服と髪色の感想を求めてきた。そんな彼女たちに、僕たちは顔を見合わせる。そして二人揃って叫んだ。
「「茶髪の王子様と黒髪の少女!」」
「いやー、ウィッグが暑くて蒸れるから他の方法を模索してたんだよね。一日だけ染められる奴を何種類か見つけてさー」
「くもも、いつもの服は暑いので他の服を探してたです。それで、ためしに蒼生さんとお出かけしてたです。まさか噂になってるとは」
恐るべしです、と玖雲ちゃんは眉を下げて笑った。
ひとしきり驚いた僕たちは、今日一日の話を二人に説明した。なんてことはない、ひと夏の思い出みたいな王子様と、それと一緒にいる病弱そうな少女とはこの二人のことだったのである。
蒼生は地毛の金髪を隠すために普段黒髪のウィッグをつけて生活している。そして、初対面の相手には必ず男と間違われそうな顔立ちをしている。本人もそれを楽しんでいるのかそれらしい服を好んで着ているので、男に間違われる確率が跳ね上がっている。そして最近は、服装の選び方も変わってきた。どうやら半年前の冬、僕が蒼生のことを中学生ぐらいだと勘違いしていたのを気にしていたらしい。もう少し大人っぽく見える服装をするようになった。
玖雲ちゃんは、普段はゴスロリドレスに身を包んでいる。相手に固定観念を与えるためにそうしているらしい。ゴスロリドレスを着ているときは足の不自由な少女を演じているので常に車椅子で生活をしており、お人形感を際立たせている。かくいう僕もかなり騙されたのは良い思い出だ。実際の玖雲ちゃんはかなりアクロバットな動きを得意としており、最近では壁走りが出来るようになってきた。
そんな二人は、この夏の暑さに耐えかねて別の格好でどうにか乗り切れないか模索していたらしい。蒼生はウィッグでないもので生活できる方法を、玖雲ちゃんはアクロバットな動きを連想させないようなゴスロリではない格好を探し、実験として商店街に行っていたようだ。
「なんというか……」
「何だったんだろうな、俺様たちの半日」
事の真相を知ると、僕と明紀は顔を見合わせて力なく笑った。金髪のイケメンが出てきた段階で蒼生のことを少し疑ってみてもよかったかもしれないな。僕たちはどうにも外見に騙されすぎてしまう。
「しっかし、こうも噂になると『蜂』に変なファンが増えるのも時間の問題じゃねーの?」
「ええ……俺もなんか変装技術とか磨いてみた方がいいか?」
明紀の笑えない冗談に蒼生は露骨に嫌そうな表情を浮かべた。あり得ない話ではないから怖いんだよな。僕たちを狙った変な輩がまた現れかねない。
まあ、どんなのが来たところで返り討ちにしてやるけどな。
だって、そうでもしないと僕たちは生きていけないんだから。




