5話 ガンネローズ姉妹
俺は今の島を離れることにした。海賊たちや雇われ傭兵の相手なんて御免だからな。
街の港から出る定期船に乗り込むつもりだ。
アサイラム王国は多島海で構成されている。なので定期船や連絡船が頻繁に行き来しているのだ。
とりあえず適当な島に行って、そこからさらに別の定期船に乗ってしまえば俺一人の行方を捜すのは困難になるだろう。
港には定期船に乗り込む為に多くの人や物資で溢れていた。念の為に怪しいヤツがいないかどうか確認しながら定期船に乗り込んだ。
船には護衛の憲兵団も常駐している。この船に乗っている間は海賊たちも襲って来ないだろうと考えていた。
しかし何だろう?
憲兵たちの様子に違和感を覚える。
俺のことを意識して見ないようにしているような……
そんな漠然とした不安を抱えつつ、船は出航してしまった。
俺は何だか落ち着かず、側面のデッキを歩く。潮風が心地良いし、カモメが穏やかに空を漂っている。そんな様子を見ていると、少しは落ち着きを取り戻せた。きっと、不安になりすぎているのだ。
海を眺めていると、対面から正装にシルクハットを被った美形の青年が歩いてくる。すれ違う時、彼は会釈してきた。俺も会釈を返す。
何だが、気になりつつ、なおもデッキを歩いていると、斜め前方に、備え付けられた長椅子があった。そこに長い黒髪のお嬢様風の女の子が座っている。何かの本を読んでいるらしい。
「……」
似ていると思った。
情報屋ビリーから聞かされたガンネローズ姉妹の容姿に。
俺は不自然にならないようにゆっくりとした足取りで船内へと通じる扉を開けて中に戻った。
あの紳士然とした男、あまりにも美形だった。男装の麗人かもしれない。姉のルルカに容姿に一致している。それに長椅子に座っていた女の子は妹のレミリアの特徴とぴったりじゃないか。
用心の為にも近づかない方が良いだろう。
船室内には大勢の乗客達がいる。ここでならいきなり襲ってくることもない。
とは言え、まだ胸騒ぎがする。
俺は近くの長椅子に向かった。空いている席の隣には帽子を目深に被った少年がうつむき加減に座っている。やけにブカブカな服を着ていた。
俺はその少年に一言声をかけて彼の横に腰を下ろした。
もしも外のデッキにいたのが例のガンネローズ姉妹だったとしたらどうしよう?
彼女たちはまだ俺に気づいていないのか?
「ねぇ、お兄さん?」
考え事をしていると、突然隣の少年から声を掛けられた。男の子にしては随分と可愛らしい声をしている。
「何だい?」
少年の方を見ると、彼は帽子を上げて、その下の真紅の眼で俺の方を見つめている。
「……え!?」
これは召喚士の眼だ!
その真っ赤な眼が次第に黄色味を帯びていく。
この眼はヤバい。直感的に俺は察した。
《特性召喚》瞬膜!!
俺の眼が瞬時に透明な膜で覆われる。
特性召喚とは、召喚獣の身体的特徴や能力のみを抽出して即座に顕現させる召喚方法だ。簡易召喚との違いは、この召喚は召喚士の肉体に顕現させる点にある。おかげで簡易のようにすぐ消失することはないが、肉体への負担がかかってしまうのだ。
今、俺は自らの眼にサメの瞬膜を召喚した。瞬膜は特にサメ類に発達していて、獲物を襲う際に眼を保護する役割がある。
相手の眼から発せられるヤバい何かを少しは防ぐことができたはずだ。
まぁ、でもやはり完全にではない。
俺の身体に痺れが生じている。
「うまく身体が動かせないでしょう?」
少年は小声でそう言うと、俺の背中に手を当てる。
「あれぇ? お兄さん具合悪いの? もしかして酔っちゃった?」
少年はわざと声を大きくして俺のことを気遣う仕草をする。
すると、他の場所に座っていた女性が席を立って近づいてきた。
長い銀髪が特徴的な女性だ。
「どうしたの?」
女性が心配そうな表情で尋ねてくる。
「こちらのお兄さんが船酔いして気分が悪そうなんです」
「まぁ、それは大変ね。デッキに出て風に当たればマシになるかもしれないわ。手伝うから連れていきましょう」
女性と少年は有無を言わさず俺を再びデッキへと連れ出す。
二人は人がいない後部へと俺を連れて行った。その間、体内で魔力を練り上げる。
「あんた、さっき外にいた二人のこと警戒していたよね?」
俺を放した銀髪の女性が問い詰めてくる。
何も言わないでいると、女性は納得したように頷く。
「その無言は肯定ってことだね。てことは、やっぱりあたしらに関する情報が漏れてたってわけだ」
そう言うと、彼女は長い銀髪に手を掛ける。
「もう、これもいらないっしょ」
彼女は無造作に手を払うと長い銀髪は取り払われた。
カツラだったんだ。
その下に現れたのは同じく銀髪ではあるが、肩までの長さしかなかった。
「はぁ、スッキリした! レミーも取っちゃえば?」
女性が少年に向けて言う。
少年は頷くと、帽子を取り去った。
すると、長く艷やかな黒髪が潮風にたなびく。真紅の眼は爛々と輝き、整った顔立ちには微笑を浮かんでいる。
少年ではなく、女性だったのだ、それもとびっきりの美女。年齢も俺とそう変わらないくらいに思える。
銀髪の女性が姉のルルカ。そして黒髪の方が妹のレミリア。
彼女たちが本物のガンネローズ姉妹なのだ。
「今はもう、思考も身体上手く動かせないでしょう? あなたには何の恨みもありませんが、これも依頼ですからね」
レミリアが微笑みを崩すことなく言った。先程までとは違って丁寧な口調になっている。
だが、彼女たち思い違いをしている。確かに身体に痺れはあるが、頭は正常だ。召喚術もしっかり使える。
「念には念を入れてもう少し弱ってもらいましょう」
すると彼女の袖口から数匹の蛇が飛び出してきた。俺の首筋目掛けて飛びかかってくる。
《特性召喚》鮫肌!!
「あら?」
少女は首を傾げる。蛇たちは俺の首筋に噛み付くことはできなかった。なぜなら、俺の肌は強靭な鮫肌に変化しているからだ。
とはいえ、眼と肌と同時に召喚するのは負担が大きくすぎる。
背後に気配を感じ、振り返るとルルカがいきなり殴りかかってきた。その拳を腕で受け止める。重い一撃だ。
「あら、硬いな」
ルルカの背後、船の手すりの向こうからサメが飛びかかってきた。ここまで連れて来られる間に通常召喚の準備をしていた。これには彼女たちも予想外だろう。
「おぉ!?」
突然の襲来にルルカは対応できぬままサメに喰らいつかれ、海に引きずり込まれていった。
その間に俺はレミリアと対峙する。
まずは召喚士である彼女から制圧しなければ。