2:WhoInside
人々の想いや感情、そういったものとは関係なく時は流れていく。
自らが不変の存在であったとしても、その定めからは逃れられない。
首都という称号に恥じぬよう、ただひたすらに栄華を追い求めているかのような桃京のどこか。住宅街から少し離れた郊外にその一軒家はあった。デザインや大きさもごくごく普通のもので、控えめな裏庭はひなたぼっこに最適そうな癒し空間さえかもしだしている。
しかし、しかしである。
この平凡を装った一軒家の真の姿は、強力魔法結界に囲まれ、玄関の扉は訪問者に襲い掛かり、室内は魑魅魍魎どもが徘徊し、隠された地下室には暗黒の祭壇が設置され、緊急時にはこの家自体が巨大ロボとなり破壊光線を撒き散らす……などということは全くなく、何の変哲も無いコンセプト“普通”を貫き通した二階建ての家であった。
だからといって、そこの住人まで普通なのかというと意外にそんな家のほうが秘密があったりする訳で、しかし世間一般によくある程度の秘密でもなく、“口が裂けても言えない”を実践できそうな秘密である。
とにかく、数年前から二人が変わらぬ容姿で生活していることは確かであったが、家もまばらなこの付近では取り立てて気にする者もいなかった。
そんな普通の家に住む変わった住人の片方、目に刺さりそうな長さの黒髪に黒いスーツ姿で、胸元を少し開けたシャツにだらしなく締めたネクタイをプラプラさせた瑞希が帰宅し、最初に口にした言葉はいつもの挨拶ではなくありふれた驚きの台詞であった。
「なんだコレ……」
奥のリビングに入るまでもなく、チラっとどころかかなりのパーツが見えている。独特な構図で配置された赤やピンクの布。まさかと思いつつ、近づくにつれてその物体がアレではないかという不安は消えるどころか堅実に確定へと突き進んでいた。
そしてそれは、部屋に入ったときに全貌を見せた。
そう、お姫様ベッド。
デカイ、狭い、ふりふり、場違い。様々なキーワードが瑞希の頭の中を駆け巡る。
さらに、隅っこへと押しのけられた、本来はリビングの主役であろうテーブルやソファーたち。あまりのショックにリビングの入り口でガクっと膝をつき、壁に手を当てて何とか体を支えつつ悪い幻覚を消し去ろうと目を何度もこする瑞希に気づき、ベッドの上から犯人が嬉しそうな声をかける。
「瑞希ー、いいだろう、コレ。ふかふかだよ、ふかふか」
つり目がちなアイスブルーの瞳を輝かせ、二つに結んだ金髪と黒を基調とするゴスロリ服を跳ねた反動でバサバサさせている八重乃は、楽しくて仕方ないといった表情であった。ただし、普段通りの脱力系ヴォイスだが。
彼女が着ている服はエトワール=ピリカというゴスロリ服のブランドで、あまりに気に入っている為にほぼ毎日といっていい程ここの服を愛用している。ベッドにもしっかりとエトワール=ピリカのマスコットであるクマをモチーフにした“くまたろー”のぬいぐるみが置かれており、八重乃の体越しにチラチラとその姿を覗かせていた。
「どうしてくれようか、このこわっぱめ。大体、こんなモノどうやって二階に運ぶんだ。あんまり無駄遣いするなとあれほど……」
「この素晴らしさが分からんとはまったく。見てみろ、美しい天蓋、かわいい装飾、ふかふかな寝心地、うふふっ……うふふっ……」
「牙出てるぞ、牙」
説明しているうちに幻想世界へと旅立ってしまった八重乃の緩んだ顔を、冷めた目で見つめる瑞希。と、そこでお姫様ベッドによる強烈な先制攻撃で吹き飛んでしまっていた重要なことを思い出し気を取り直して報告する。
「そんな八重乃姫にラブレターが届いてたぞ。愛しの“黒ヤギさん”からだ」
「また黒ヤギか……、最近多いな」
内ポケットから小さく十字架が描かれ、あの剣と狼の紋章が入った真っ黒な封筒を二本の指で挟んで取り出しヒラヒラとさせて見せると、楽しそうだった表情が少し曇る。
その紋章は帝国祓魔座という組織のものであり、邪悪なる闇の住人は全力をもってこれを排除するという理念を掲げている少々キテいる集団だ。
元々クロセルはこの組織の管理下で対ヴァンパイアの研究をしていたので、八重乃たちの存在は当然組織の知るところであった。もっとも、次第に彼は自らの理想や探究心を満足させるために研究を進めるようになっていったと予想されるのだが、組織側にしてみれば彼が何をしようが実際ヴァンパイアを狩るという実績を上げれればそれで良いのであり、それが現在でも彼女たちとの関係を持続させていた。あくまで外部の協力者という名目ではあったが……。
そして通達される指示は二種類。
当然のごとくどちらも闇の住人が係わることは間違いないのであったが、八重乃たちが“黒ヤギ”と呼んでいるものは既に人に害をもたらし共存を望まぬ者、これを早急に排除せよという指令であり、決まって黒い封筒であった。
もう一種類は“白ヤギ”という将来の禍根となりうる可能性のある者の調査で、最初は黒ヤギと同じ様式の白い封筒であったのだが、突然さくら色のものに変更され、現在に至る。
「ヴァンパイアを狩る、そこに私たちの存在する意味があるんだろうね。そして続けていれば、きっと何かが見えてくる」
黒いラブレターを受け取りながら、瑞希に対してなのか自分へ向けてなのかどちらとも取れるようにつぶやく八重乃。彼女はなぜ永遠という時間を与えられたのか、次第にその意味を強く求めるようになっていた。