07
録画にあの人物が映っているならともかく、録画が残っていないということは俺の『錯乱した精神』がみせる幻影だったと考えるしかないだろう。毎晩の夢のせいで、白昼夢をみるようになってしまったのか。
「!」
チャイムがなった。
そしてすぐ音声が響く。
『強い地震が来ます。三、二、一』
「清水さん、こっちきて」
俺は鹿島に言われるままに移動した。すこし屋根がある場所だ。落下物を避ける為だろう。
「来ないです…… か?」
鹿島が様子を見ていると、床下が液体になったかのように揺れ出した。ここに居てはいけない。大きな震災の記憶がよみがえる。だが、揺れがなかなか治まらない。
建物が軋む音が聞こえてくる。一番激しい揺れが過ぎると、次第に揺れが小さくなってくる。
揺れでは生きていたが、海沿いの地震の問題は津波があるかどうかだ。俺は怖かった。
ようやく揺れが治まると、鹿島は警備室へ電話をした。鹿島が言う事には、警備室でテレビやネットの情報を収集しているが、まだわかっていないようだ。
高台。津波が来るなら、高台に上らないと、こんな立派な建物だとしても波に破壊されてしまう。内心すごく焦っていたが、鹿島が冷静にしているせいで、それを口にできなかった。
扉の向反対側から声がしているのに気づいた。
保管庫内で作業している外国人が、大騒ぎしている。
「なんだ、何かあったのか?」
鹿島は改築作業をしている方を見て、言う。
「やばいな。連中は地震に慣れてないから」
「……改修作業している外国人の事?」
「ええ。この地域自体そんなに地震があるわけではないんですが、外国はここよりもずっと地震が少ないらしくて、ちょっとの揺れですごく怖がるらしいんです」
奇声が聞こえてくるのと同時に、トタンのような薄い金属板を叩くような音が聞こえてくる。
改修工事を行っている方へ戻らなければならないのに、連中が混乱していたら巻き込まれてしまう。
鹿島が扉を開けようとするが、開かない。
「今の地震で、枠が歪んだのかもしれませんね。あっちを回りましょう」
そんな簡単に歪んでしまうようなもので原発を守れるのだろうか。俺は思ったが口にしなかった。
鹿島は冷静に保管庫の図面を指差し、さらに奥を進んで、俺たちは保管庫を出た。
保管庫の外をグルっと回って、最初に入った入口付近に戻ってきた。保管庫の入り口もさっきの内部の扉と同じように開かなくなっていた。外国作業員が騒いでいたのは、扉が開かなかったせいかもしれない。建築作業者が出入り口をこじ開けると、中で作業していた作業員が堰を切ったように勢いよく飛び出してきた。
警備室から鹿島に連絡が入り、津波の心配はないという事を聞いた。俺は少し落ち着くことが出来た。
日本語で話している建築作業者の声が聞こえてくる。どうやら外の足場で作業していた者が、足を踏み外したらしく、担架を持ってこいとのことだった。
それを聞いて鹿島は、建築事務所の男に声を掛けてから、状況を把握すると、管理棟の警備室へ電話して救急車を手配した。
「救急車はここまで入れませんから、清水さん車を回してきてもらえませんか? 私は、作業者の誘導をします」
俺はうなずくと、俺は急いで発電棟のエリアを抜け、管理棟で車両の鍵を手にすると、車を発電棟へ移動した。
幸い、担架に乗せられたのは一名で、軽傷のようだった。
車で正門まで運ぶと、救急車をまった。
地震で混乱しているから、救急車が遅れているのだろう。そう思っていた。救急車が来て、救急隊員と話をしたが、地震は大して揺れなかったということだった。だから街側では救急車が呼ばれなかった。単に原発が遠くて、時間がかかったそうだ。
そうか。地震の規模は小さかったのだ、俺はさらに安心した。
救急車が去っていくと、俺は車を回して駐車場に置き、管理棟へと戻った。
管理棟の警備室に入ると、中山が言った。
「すごい揺れでしたね。大丈夫でしたか?」
「ああ」
管理棟の中も、揺れがすごく、机の上の物などがズレたり、棚に入れていた書類が落ちたりしたそうだった。揺れの感じは救急隊員が感じたものとこの原発で感じたものが極端に違うようだった。
俺は自席に戻って、ノートPCを開くと地震の大きさを調べた。
震源地は子牙沖と書いてあったが、地図上にプロットされた丸印は、まさにここ、原発を示していた。震度は6。周囲の港町や市街地は2となっている。こんなに揺れが異なることがあるのだろうか。
俺は警備室長に聞いた。
「この原発だけやけに震度が大きいですが、この付近の深度を決めるのは?」
「この管理棟に地震計があると聞いている」
それなら6であってもおかしくない。
「ああ、伝えておくが、電力会社からの情報で、発電設備は全く問題ない。一応、運転は停止していて、これから点検をするということだ」
俺は警備室にあったテレビをつけたが、局地的な地震ということでテロップすらもう出ていない状態だった。
モニタには発電棟に人が入る状況が映し出されていた。
防護服を着た作業員が、炉の点検を進めている。
しばらくすると、鹿島が戻って来た。
「なんか気持ち悪いことやってますよ。見ます?」
「帰ってくるなりなんだ」
「監視カメラには映っていないから、見といた方がいいかも」
俺は警備室長に一言断ってから、鹿島の後について再び発電棟へ向かった。
発電棟のある区画に近づくにしたがって、鹿島が見せたいというものの一部が聞こえてきた。
「これか?」
「そうです。連中、改装の仕事を止めて、ずっとやっているみたいです」
区画のフェンス越しに外国人集団が、跪き、何か拝むように両手を上げ、そして、前に降ろして頭を床につけるほど下げる様子が見えた。
跪いている人々は、花のように円を描いていて、中心に一人男が立っていた。
腕を上げ下げするのは、バラバラではなく同心円状に順序を守っている。マスゲームのようだ。
「ずっとやってるのか」
「ええ」
「真ん中の男は、牧師と呼ぶのか、導師か何かか?」
鹿島は首を横に振る。
「わかりませんよ。中心にいるだけで何も言いませんし。まあしゃべっても意味は分かりませんが」
俺はフェンス沿いに移動して、もう少し近寄ってみることにした。
「また警報がなりますよ。すこし離れてください」
「ああ、わかった」
俺は中心にいる男の役割が知りたかった。
何か嫌な予感がする。
中心にいる男をじっと観察する。
髪は短く、小さく巻いていて頭の形に添う様に覆っている。肌は茶色より、黒に近い。表情から、何か苦しそうにしているように見える。背は高くなく、回りの連中と比較すると、太っていた。
その他、分かりやすい特徴として、左右の頬に、傷があった。
右の頬の傷は、バツの描くように二つの傷が交わっていた。
左の頬の傷は、一つだけだった。
手を上げ、頭を下げながら手も地面につけるように下げる。その繰り返しをしながら、うなるような声で奇妙な言葉を繰り返し唱えている。だんだんその繰り返しが早くなってくると、真ん中に立っていた男が、眠るように目を閉じた。
初めのうちはフラフラと本当に眠ったのかと思っていると、固まったように動きが止まる。一番円の外側にいた男が、立ち上がり、真っすぐその男に近づいていく。うなり声の繰り返しが、激しく、大きな声になる。
「あっ!」
真ん中にいた男へ近づいていく男は、原発内に持って入ってはいけないはずの、刃物を持っている。
「鹿島、警備室に連絡して、あいつら刃物を持って入っている!」
「わかりました。急いで発電棟の警備を向かわせます」
「頼む」
俺は警報が出るのを覚悟して、フェンスに近づき、叫んだ。
「止めろ、やめろ!」
こっちの言語が通じするか分からない。だが、声を出して邪魔することは出来るだろう。俺はフェンスを叩きながら、音を立て、声を張り上げた。
「やめろ!」
中心に立っていた男のところへ行くと、ナイフを左頬にあて、躊躇なく引いた。
頬を切られても男は眼も開けず、眉一つ動かない。
血があふれ出してくる。
刃物を持った男はその頬を手で撫で、手に血を付けた。両手を血で染めると、男の足元に跪いて、血の付いた両手を上に振り上げ、そして、頭を下げると同時に地面につけた。
鹿島の連絡が入って、発電棟の警備員が駆け付け、男から刃物を取り上げる。
「やばい」
当たり前だが、警備員より改修作業者の人数が圧倒的に多い。この状態で作業者に抵抗されたら警備員の方が危ない。
「逃げろ!」
俺の声には気付かない。
儀式をしていた作業者たちが全員立ち上がる。
警備員の姿が囲まれて見えなくなる。
「逃げろ、何されるかわからないぞ」
「大丈夫みたいですよ」
後ろから鹿島がやって来て、そう言った。
「そんな」
「ほら、建築事務所の人が来てる」
「?」
「通訳が一人いるんですよ。今話をしてるみたいですね」
何を言われたのか分からないが、作業者たちはバラバラに散らばり、各々の作業場所へ戻っていく。
中心に立っていて、頬を傷つけられた男はまだ目を閉じたまま立っている。刃物を持っていた男は、警備の者に手を引かれ、連れていかれる。
頬を傷つけられた男は、突然力が抜けたように倒れると、もう一人の警備員が担架を用意させた。
「清水さん。また救急車がいるみたいです」
「ああ」
返事をすると俺はまた車を発電棟へ回し、倒れた男を乗せると、正門へ移動した。
俺は後部座席で眠っている男の顔を見ていた。
頬には止血用にガーゼが貼られている。
右頬にも同じような傷がある。もし、この原発内でさっきのような儀式をして付いたものだとしたら、鹿島が何か知っているだろう。ということは、この傷は原発内では初めて付いた傷ということになる。そもそも、原発内には金属探知機を通るから、刃物の持ち込みが出来ないはずだから、頬を傷つける儀式が出来るわけない。
「クスルー」
寝ているはずの男の口から、そう言葉が発せられた。
そもそも彼らの外国語が理解できないから、言葉なのかどうかすら分からない。ただ口から息が漏れただけの音かもしれない。俺には『クスルー』と聞こえたに過ぎない。もっと正確に記すなら『クスルー』ではなく『クトゥルフ』と言う仮名を当てる方が適切だろうか。
俺は何かを思い出しかけていた。
その時車の窓ガラスを叩く音がした。
正門を警備している井上が立っていた。俺はすぐに窓を開けた。
「清水さん。救急車が来ました」
「ありがとう」
俺は状況を説明し、怪我をした改修作業者を引き渡した。
車を戻し、管理棟に歩いている時には日が暮れていた。
今日あった報告書をまとめていると、いつの間にか施設に戻るためのバスの時刻を過ぎていた。
こうなった場合はタクシーを呼ぶか、歩いて帰る以外にない。歩いたら二時間弱はあるので、タクシーを呼ぶことにした。タクシーが原発正門に着くまでニ十分ぐらいと言われたので、仕事の片づけをしてから正門近くにある待合室で待っていた。
待合室で、俺は考えていた。
『クトゥルフ』。
そう『クトゥルフの呼び声』というタイトルだった。確か、外国の小説家の書いたホラーで、邦訳したものを読んだことがあった。しかし内容はほとんど覚えていなかった。文章は固くて、非常に読みづらかった記憶だけが残っていた。
俺は自分のスマフォでその内容を確認した。
粘土板や押収された石像。
それが『クトゥルフ』だ。そして、木を失っていた男が言っていたのも『クトゥルフ』だった。
これは偶然だろうか。
俺を驚かそうと意識がある状態でワザと言ったのだろうか。俺が『クトゥルフの呼び声』を読んでいなかったら何の効果もない。だいたい、『クトゥルフ』という単語を、本屋で目にしたことはあっても、他人が発した言葉として耳にしたことがない。同じ国の人間同士でそんな調子なのだから、意識を失った状態の外国人の口からきくというのは、偶然としては出来すぎている。
かといって、俺の読書歴が燃料保管庫の改修作業者に知られている訳もない。俺自身、その本のことをついさっきまで忘れていたのだから。
とすると、何かの意思が働いた必然だと考えるしかない。
「清水さん。タクシーが来ましたよ」
正門の警備をしている井上が、待合室に呼びにきたところで思考が中断した。
俺はタクシーで施設に戻る間、ずっと子牙沖を見つめていた。
空想小説と思われていたものが実は現実のことを書いていたのだとしたら。架空の事件のでっち上げ、空想小説に過ぎないと思っていたストーリーの重要な部分が真実だとしたら。
俺はゾッとした。
「お客さん!」
俺は何を言われているのか、すぐに分からなかった。
「お客さん、着きましたよ」
「ああ、ありがとう」
俺は支払いを済ませると施設に入った。
管理人が立っていて、夕飯のことを聞かれた。ぎりぎり今の時間なら作ってくれるということで、俺は夕飯を頼んだ。
そのまま食堂に入り、食事を受け取り一人食堂で夕食を取っていると、管理人がやってきて食堂のテレビをつけた。
どうやら、管理人はプロ野球の結果が知りたかったようで、チャネルをニュース番組に切り替えた。
ニュース番組ではまだプロスポーツの結果の時間帯ではなく、全国のニュースをやっていた。俺は今日の地震のことをやるかと思ってその番組を見つめていたが、出てくるニュースの項目にそれらしいものはなかった。
「管理人さん。今日の地震のことってニュースにならなかったんですか?」
「地元のニュースでやってたかな。久しぶりでびっくりしたけど、そんなに揺れなかったろ」
この施設側ではほとんど揺れを観測していないのだろう。俺は言った。
「原発付近は震度6あったんですよ。立っているのが怖くなるくらい揺れました」
「そんなことニュースじゃ、一言も言って無かったな。中心付近が震度3で周辺にすこし2のところがあるくらいで」
そんな馬鹿な。地震の直後、ネットなどでの情報収集した限りでは子牙原発に設置した震度計で6を記録したはずだ。
「ここはいくつだったんですか?」
「2だったな」
いまここで管理人と言い争ってもどうしようもない。俺は部屋に戻ったらもう一度調べてみることにした。
食事を終えて片付けると俺は急いで部屋に戻った。
施設のネットを使わず、直接スマフォからモバイル通信を使って調べる。まずは公の機関が発表した情報を見る。今日だけでも全国でたくさんの地震が発生している。ひとつ前、ひとつ前と発生した地震を手繰っていくと、昼にあった子牙沖を中心とする地震が表示された。
「……ない」
震度六。それが掛かれていれば、それで納得して終わりだった。昼見たのと同じだからだ。何故今みると震度が3になっているのか。俺は余震を見ている可能性を考えて、表示を前後にずらしていくが、子牙沖を中心とした地震はそれ一つだった。
俺の見間違えなのだろうか。
……というか体感した地震から考えても、震度3というレベルではない。3は屋内に居る人全員が気付く、という程度で、6弱は立っているのが困難なものだ。俺は実際、地面が液体になったような錯覚を覚えたのだから、3程度の揺れではないのは明らかだ。
ネットの情報が書き換えられているのか。誰かがスクショでも取っていれば証拠になるのだが。俺はそう考えて、掲示板やSNSに何か残っていないか調べ始めた。
さまざま考えを巡らせて調べたが、何も見つからない。
仰向けになって検索を続けている内、俺は頭がぼんやりし始めた。
スマフォを自分の顔に落として気が付き、時刻を確認すると、深夜を過ぎていた。
公の機関を含め、震度の記録を隠したのだとしたら、何が考えられるだろう。
俺はそんな漠然とした不安を抱えたまま、寝床についた。