06
夢。
自分と肌の色の違う人間。
うめき声。どこからか、息が漏れている音。
リズムを取るような金属の打音が、繰り返し聞こえてくる。
知らない民族音楽のようにも聞こえる。宗教の儀式のようにも思える。
丸い窪地は黒い霧で埋められていて、何もわからない。
しかし、深淵には外国人が並び、その霧の奥底の存在に対して、ひれ伏し、畏れ、拝んでいる。
そうしたところで、どうなる訳でもないのに。
俺は何故かそう思った。震災と同じ。制御できるものではない。良い悪い、好き嫌い、思想も宗教も関係なくただ人を飲み込んだ津波と同じ。その霧の奥の存在は、人類などを超越したものだと確信していた。
まるで自分も彼らと同じように、霧の底の存在を崇め、畏れているようだった。
いや、何がいるかなんて知りもしない。
俺は深淵から底を覗き込んだ。
それに呼応するかのように青白い光が見えた。
燃料プールのそこに沈む核燃料が放つ光と同じだ。核燃料の光? それは何故青白いって思っているのか、俺は考えた。原子力発電所の臨界事故の目撃者が見たという青白い光は核反応の光なのではないか。燃料プールの底に見える光とは違う。
夢のなかで俺は混乱していた。
この底の存在を知っているような、全く知らないような感覚。何かに当てはめようとするが、すぐにその何かでは入りきらないほど大きくなってしまっている。
外国人が、深淵で立ち上がると、奥底を覗き込んだ。
『やめろ!』
俺は焦った。
のけぞれ、後ろにジャンプしろ、そこに居ては危ない。
俺は何度もそう言うが、言葉が理解できないのだろう。霧の底を覗き続けている。
すると窪地を覆っている黒い霧が波立つように浮き上がると、その外国人に近づいた。そして、一瞬、何かがその霧から伸びるのを見た。引っ張る手のような、大蛇のような、何かそういうものが外国人に伸びた。
同時に外国人の姿が見えなくなった。
波立っていた黒い霧は静まり、静かに窪地に漂っていた。
外国人は、何かによって霧の奥底に引きずり込まれた。それ以外に考えられない。
俺は走っていた。窪地に背を向けて、必死に走っていた。心拍数が上がって行く。苦しい。呼吸も困難になって来た。後ろを振り返ってもいないのに、背後の窪地から全く距離が離れていないと感じている。もっと走らなければ、もっと進まなければ。
必死に走って、走って、走っているのに、何も変わらない。
振り返ってもいないのに、窪地の黒い霧が波立つのが分かる。そしてその奥から伸びてくるものが、俺を引きずり込んでしまう。
「!」
スマフォのアラームが鳴って、目が覚める。
全身に汗をかいていて、心拍数が上がっていた。
いや、夢だと分かっていた。わかっているのに怖かった。
あれに飲まれたら目覚めない。
俺は起き上がって、水を汲み、飲んだ。
喉の渇きが潤うと、生きているという気がした。
海に何かいる。
その何かが、人の脳で受信できるように『恐怖』を送っている。
なんの裏付けも、根拠もない。漠然とした不安を言葉に替えるならそうなったという程度のこと。
誇大妄想。
そんな言葉が冷静な俺から発せられた。
同じ夢を見続けて、気でも狂いかけているとしか思えない。
いや、少しずつ現実の影響を受けて変化している。だから、根本的には同じ夢、と言うべきだろうか。同じような夢を見続けているせいで、ノイローゼのような状況になっているのかもしれない。
朝食をとって、着替え、バスに乗る。
途中の停車場から外国人がバスに乗り込んでくる。
疲れ切った、死んだような目。
管理棟の警備室に入ると、俺は定型業務をこなすと、会社のWebページから社員のカウンセリング・サービスについて確認した。原発にはなかったが、個人のパソコン端末を使って、個室からアクセスすればカウンセリングを受けることが出来るようだった。この警備室には個室になりそうなところがなかったが、電力会社側の打ち合わせ室は警備員側からも使用できるらしく、俺は一番小さな打ち合わせ室を予約し、同じ時間帯のカウンセリング・サービスを予約した。
時間になると、ノートPCを持って打ち合わせ室に移動する。指定の操作をすると、PC画面に精神科医が現れた。
医師は静かに言った。
『どうなさいました』
俺は回りを確認した後、堰を切ったように話した。
言いたいことがいっぱいあった。同じ夢を見ること。何度も何度も。自分自身の客観的な考えも加えた。仕事や原発という場所に対しての不安があって、そのせいではないかということ。
同じことを何度か繰り返して話してしまったが、医者は冷静にこちらの言うことを聞き入れた。
俺が話すことが尽きたとみると、医者が話し始めた。
『すこし気になるのですが、その夢の中の風景とか言葉や音、それらをメモに残してみてください。そして、次のカウンセリングの時にそれを持ってきてください。そのメモを取るのを、必死にやらなくていいですよ。メモを私と一緒に見れば、また違ったことがわかるかもしれません』
加えて、何か運動をするのが好きかと聞かれた。好きな運動が無ければゲームなどのような夢中になれるものがあるか、と聞かれた。寝る前にすこし体を動かす、ゲームをするなどし、少し疲れた状態から就寝するようにしてみてはと言われた。
あるいは、布団に入ってすぐ寝るのではなく、目を覚ました状態で、じっとしてから寝るなど、すこし今までとリズムを変えてみる。それで夢が治まれば、普段のストレスも軽減していくということだった。
俺なりに解釈すると、つまり同じ夢を見ている間は、同じストレス下にいる、という事だ。
精神科医の意見に納得し、俺は従うことにした。
夢をみて、覚えている内に何か書き留めてみる。
宗教的な叫び声を、書きとってみる。
寝る前に風呂ですこしストレッチをして、眠りに入りやすくしてみよう、と思った。
パソコンを操作して、カウンセリング・サービスを終えると、俺はノートPCを閉じて、打ち合わせ室を出た。
警備室に戻ると、監視カメラのモニタ前に座っていた鹿島が立ち上がった。
鹿島は男性の警備員で、今日の日中の警備担当だった。
「清水さん。すみません、すこし監視を交代してもらえませんか」
通常はモニタ前には正・副二人で監視して、順番に休憩をとるようになっていた。しかし、副担当である中山も席を外している。
俺もここに来る前は、モニタ前で監視をしたり、ビル内の巡回をしたりしていた。交代制にしていても、どうしてもこういう風に二人とも抜けてしまうような場面はあり得る。
俺は鹿島に言った。
「ああ、分かった」
「すみません。すぐ戻ります」
モニタ前に座ると、鹿島は慌てて警備室を出て行った。
原子力発電所の監視モニタ前に、俺は初めて座った。
さっきのカウンセリング・サービスの際、精神科医が言っていた言葉を思い出した。
『知らないから不安になる。知らないでいると不安が増します。積極的に今の職場や地域を知ろうとすることです。知ってくれば不安も減る。不安が減れば夢も次第に平和になります』
この地域や、原子力発電所のことを良く知らないでいると、不安が増す、というのは確かにその通りだ。だからこのモニタの前に座って、原発の状況を知ろうとしたのだ。
俺はモニタを眺めながら、それぞれが原発の中のどこの様子を映しているのか、一つ一つ図面を見て確かめた。
カメラがスイッチして、モニタの表示内容が切り替わると、いくつかのモニタが映っていなかった。何故だろうと思って、図面に記録されているメモに目を通す。
映っていないカメラは、改修工事を行っている燃料保管庫を映していたものだった。映らないモニタの番号と期間が細かくメモされている。今日は…… モニタの15番から20番までの5つは映らない予定だ。
モニタを見ながら、普通のビル管理とは違って人の移動が極端に少ないことに驚いた。ビルの管理とは違って、原発では、誰も侵入してこない、それを確認する為のものなのだ。
例外はあった。燃料保管庫を映しているカメラは、工事の最中であり見ていると、何度も人が出入りしている。工事の部材や道具類を持ったり運んだりするせいで、映っている内容を理解するのにかなり気をつかう。
気を張って見ていたせいか、気付くとかなり時間が経過していることに気付いた。
鹿島も、中山もまだ戻ってきていない。
二人に一体何があったのだろうか。このまま帰ってこないなら、もう一人、横に座る人間を配置させなければならない。
俺は臨時でモニタ前に座れそうな者のことを考えながらモニタを見ていると、モニタ側からの視線を感じた。
「!」
廊下の高い位置についているカメラを睨むように見つめる男。
カメラが故障しかけているのか、男の姿が透けているような、宙に浮いているような風に見える。加えて、カメラ越しにまるで自分が見られているような感覚が襲ってきた。
俺は、手で自らの頬を叩き、考え直した。
男の服装をよく見ることから始めた。男は作業着を着ていて、肌の色も濃いことから、燃料保管庫の作業にあたっている外国人労働者だと判断した。俺は分かった気になって、応援の者を呼ぶ為、警備室に電話をしようと携帯を手にとった。
いや、おかしい。
服装はさっきから何度も見ていた保管庫の作業をしている他の外国人と同じように見える。しかし、モニタからは違和感が伝わってくる。
何かが違う。
必死に間違い探しを始める。
冷静になれ、と自分に言い聞かせた時、違和感の元を見つけた。
番号…… 19番。
モニタの番号。カメラの番号と言い換えてもいい。
その番号は、今、改装中で映っていないはずのカメラ。
改修作業者は、カメラの取り付け業者ではないので、彼らの作業で、突然映ることはない。カメラの業者が来て再設置してから、今映らない番号のカメラ映像が復旧することになっている。
だとしたら、この映像は何だ。
何故こっちを見ている。
俺はモニタから見ている外国人を、じっと見つめ返していた。
「清水さん。すみませんでした」
俺は声で鹿島だと分かった。じっとモニタを見たまま、鹿島を手招きする。
「このカメラ。なんで映っているんだ?」
「えっ?」
鹿島が寄ってくる。映像は自動的に切り替わり、別のグループのカメラ群の映像を映し出した。
「どれですか?」
俺は手元のリモコンを使って、モニタを切り替える。
「これだよ、19番」
「……ああ、それなら取り外して、そこのPSに入れてますよ」
「違う、この映像を」
「?」
鹿島には言っていることが伝わらないようだった。
だが、モニタの映像をもう一度確認し、俺は自分の目を疑った。何かゴミでも入ったのか、と思って袖で目をこすってみるが、見えるものに違いはなかった。
「なんで映っていない!」
「だから監視メモに書いてあったと思うんですが、15番から20番までの6台のカメラはいま外していて、いい置き場がないから、さっき言った通りそこPSに突っ込んでますよ」
「さっきこの19番の画面に、映像が」
鹿島が小さくため息をついた。
「外したのは、私が立ち会っていますから。こっち来てください」
鹿島についていくと、監視盤の横の扉をおもむろに開けた。
監視盤の背後に広がっているPSに入っていく。
鹿島が整然と並んでいる段ボール箱を指差した。
「これです。開けて見せますから」
段ボールに2台ずつカメラが入って、計3箱あった。一つ一つ開けてはカメラを取り出し、カメラにペイントされた番号を俺に向かって見せた。
「15番から20番までここにあるでしょう?」
「ああ」
「だから映像が映るわけないんです。あの位置のモニタに入る、別のカメラ映像と勘違いしたのでは?」
そんな訳はない、と思いながら、万一間違えていたらとも思う。俺は鹿島に映像を見たいと言った。
「いいですよ。見てみましょう」
問題の19番の記録はない。時刻で検索しても、カメラ番号で検索してもノーシグナルだった。別のカメラの映像について、同じ時間帯にしぼって、一つ一つ再生する。自分の目と鹿島の目で確認しても、俺が言ったようなカメラを見つめるような男の映像は残っていなかった。
「……なかったですね。今すぐは無理ですが、19番カメラの設置位置を確認しに行きますか」
「出来るのか?」
「警備の仕事ですから」
鹿島が、電力会社側に連絡し燃料保管庫に入れるよう申請を出した。申請はすぐに通った。
「中山が来たら、すぐ行きましょう」
数分後、中山が休憩から戻ってくると、鹿島と俺は発電棟がある側に移動した。
燃料保管庫の目の前につき、さあ中へと思った時に、鹿島が言った。
「まだです。建築の事務所にも声掛けますんで」
鹿島が、プレハブ小屋に入ると、作業着を着た腹の大きな男に声を掛けた。男は軽く返事をした。
ようやく燃料保管庫の中に入る。
外にあるのと同じくらい、内側にも足場が組まれていた。
あちこちから聞きなれない言語が発せられて、奇妙な雰囲気だった。
建築側の人には会釈だけして、会話もせず目的の場所に真っすぐ向かった。
鹿島が図面を広げて、カメラ位置を確認した。場所はガランとして建築の作業者は誰もいなかった。
「あそこですね。ほら、取り外した跡が残ってる」
ケーブルを通す為の穴と、取り付け金具の為のネジ穴が開いている。カメラがずっとついていたことを示すように、そこの一部の壁だけ色が新しかった。
俺はカメラの位置を確認し、映像に映っていた背景を考えながら、男が立っていた場所を確認した。
「ここらへんに立っていたことになるな」
「だとすると、結構小さく映りますよ。しかも、ここは照明を外したままだ。もしカメラが付いて、動いていたとしても、相当映像は暗かったから、画像は荒れるし、色も分かりにくいと思います」
いや、作業服を着ていて、肌の色から外国人だと分かったのだ、暗視カメラ映像のような荒れて色のない映像ではない。
しかし反論が出来ない。そもそもカメラがないのだから、映像そのものがフェイクの可能性がある。何か体が透けている気もしていたし、作られた映像なのかもしれない。
「……」
「いいですか?」
フェイクの映像を流されたのなら、ここで撮影する必要はない。ネットワークに侵入しさえすればいい。鹿島も俺の考えを察したようだった。
「もし、映像が作り物であれば、ネットワークに偽映像を流したことになります。ただ、原発の構内ネットワークに侵入されていれば、電力会社側の情報部門が検知しているはずです。セキュリティに関わる事項なので、検知した際は電力会社から、すぐ連絡もらえるようになっています」
電力会社側も原発管理上、ネットに穴を開ける訳にはいかないから、厳しい管理をしているはずだ。そのセキュリティを抜けてくるのは考えにくい。とすれば……
「内部は内部で、未登録の機械がネットに接続されれば検出できるようになっています」
「完璧だな」
俺は考えるのをやめた。