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03




 その夜も夢を見た。

 起きれば忘れるのがいつもの事だったが、あまりに覚えていたので、俺は起きた後、日付とともにメモに残した。

 ホテルで見た窪地の縁に立っている夢だった。

 何か霧のようなものが立ち込めている。知らない言語の声が聞こえて来る。俺の目の前を人影が過ぎていった。顔も服もよくわからない。見えないというか意識に入ってこない。その人は窪地の内側にある階段を降りていく。その階段は丸い窪地の内側の壁に沿って付けられていた。

『やめろ。危ない!』

 俺は何が起こるのか分かっているかのように、そう言っていた。

 だが、体が動かない。俺は、その人影が階段を降りるのを止められなかった。

 いくつか階段を進んだのち、人影が消えた。

 テレビの番組のように、消えた瞬間がリプレイされる。

 何かが黒い霧の中から出てきて、人影を掴み、引き摺り下ろした。

『何か』

 それが分からなかった。

 まるで暗闇を撮るためにノイズが入ったように。素早い動きが捉えきれず、ブレてしまったように。

 俺はメモを読み返していて、ふと思った。

 これは、昨日管理人が言った『海に入る』人の事だと。あの時、波から出てきた何かが人影を呑み込んだようにイメージした。それと同じだ。夢と自分のイマジネーションの内容がごっちゃに混じったに違いない。

 俺は心の中の整理ができて、夢に納得した。




 残りの休暇は特に夢は変わりなかった。

 毎日同じ夢が繰り返されるのは飽き飽きしていたが、寝不足に陥っているわけでもなく、問題は無いように思った。

 休暇が終わると、俺は一週間ほど研修に入った。

 研修所は交通の便がいい街で行われる。俺は施設にやってくるバスに乗り、街にある研修所に向かった。

 研修は俺以外にも七人受けていた。

 だが、聞いてみると彼らはいざという時に代行するために研修を受けるだけで、実際に勤務をする訳ではないとのことだった。大抵の人は代行などで原発に入ることはなく、何年かすると、その代行役はお終いとなる。また別の人が、代行が出来るようこの研修を受けるのだそうだ。

 研修は、原発施設の仕組みと使い方、それらの注意点、通報や報告の義務などの事務的な注意点もあった。

 研修の最後は、仕上げとして実際に原発に入り見学することになっていた。

 他の七人にとっては、実際に勤務することはないだろうから物見遊山と言った感じだったが、俺はこの研修の次の日から勤務しなければならない。装備をつけたり、クリーンルームを抜けたり、何かする度、これは俺の業務として明日から、毎日やることなのか、特別な場所に入る時だけにすることなのか、案内をする人に、都度都度確認してしまった。

 壁一枚越えると原子炉、という場所に入る時はテレビで見たことがある例の防護服を着た。防護服は、心理的なものなのか、非常に息苦しかった。勝手に緊張して、勝手に心拍数が上がった。

 原発の見学が終わると、原発外に待機していたバスに乗って帰る。

 俺は途中の施設で降ろしてもらい、他の七人はバスに乗ったまま研修所に帰っていった。

 いつもの研修より、帰ってくるバスの時間分だけ早く終わった俺は、荷物を置いてから海を見にいくことにした。

 施設をでる際に、管理人に声をかけられた。

「海に行くのか」

「なんで分かったんですか。その通りです」

 俺は笑って返した。

「ちょっと待て」

「?」

 管理人は、どこかに電話をかけている。

 言い争うような言葉の応酬の後、電話の相手が諦めたようだった。

「あの、行ってもいいですか?」

「ちょっと待て」

 無言のまま突っ立って待っていると、奥から若い女性がやってきた。

「遅いぞ」

「うるさいな。着替えてたの!」

「娘さんですか?」

「変なことするなよ」

「いきなりなんですか?」

「こいつが見張る」

「はぁ?」

 俺は聞き返したが、管理人も娘も何も喋らなかった。

「……」

「俺は海見に行っていいんですかね」

 管理人はうなずく。

 俺は靴を履いて施設を出ると、管理人の娘も後ろをついてきた。

 何だろう。見張ると言っていた。プライベートで散歩するだけなのに、監視付きなのだろうか。人権侵害ではないのか。

 少し早歩きしてしまえば、追っては来ないのではないだろうか。

 俺はそう思って急ぎ足で歩いた。

 少し横を見て後ろを確認すると、案の定差が開き始めた。

 その時、俺は道端の雪に足を取られて、仰向けにひっくり返ってしまった。

 ただ(ただ)歩いているだけなのに転んだのは、小学生以来ではないか。

 俺は顔から火が出るほど恥ずかしかった。

 管理人の娘が追いついてきた。

「おじさん都会の人だって父から聞きました。雪は滑るから慣れないうちは無理しない方がいいよ」

 俺は起き上がると、強打した尻を押さえながらゆっくりと坂を降った。

 防波堤の階段を上がると、消波ブロックの先に見える海を眺めた。

 後から管理人の娘が上がってきて言った。

「おじさん、話してもいい?」

「……」

「そりゃ嫌だよね。私が勝手に話すから興味があったら聞いて」

 俺は横に立った管理人の娘の顔を見た。

 海からの風に髪が後ろになびいている。防寒と感染症対策を兼ねたマスクのような襟巻きのようなもので鼻と口を覆っていた。目は真っ直ぐ海を見ていて、綺麗な茶色の瞳をしている。出ている部分でしか分からないが、整った綺麗な顔だった。父親とは似ても似つかない。

 俺は海に向き直った。すると管理人の娘は話し始めた。

「施設に入ってきた人がね。海に入って行くんだって。入ってくって、この時期に入って行ったら、つまりは死んじゃうんだよね。施設に入った人が、これまで何人も死んでるの。で、そのことをお父さんはすごく気にしている。俺の管理が悪かったんじゃないかって。何かもっと冗談でも言って楽しくしてあげられなかっただろうかって。けど、お父さんの顔と声で笑わせようとしても苦笑いにしかならないよって、言ったんだ」

 言葉が途切れたので、俺は横にいる管理人の娘を振り返った。

 娘はマフラーを少し引き下げて口元を見せた。

「自殺した人のことを調べている人が、父のところに来て話しているのを、たまたま聞いた時があって」

 俺はまた海を見た。

 視野の隅で、娘が再びマフラーを戻した。声は少しくぐもって聞こえる。

「その話だと、自殺した人って、こっちに来てから同じ夢を見てるんだって。夢で奇妙な声を聞いている。日本語じゃない、どこか外国の言葉みたいなものを繰り返し繰り返し、宗教儀式か何かのように。私、思うんだけど、その夢を見てるうち、気が狂ってしまうんじゃないかしら」

「……」

 俺は繰り返し見ている夢のことを話していいか悩んだ。そして言わないことに決めた。

 おそらく年齢的には学生だろう。俺が同じような夢を観ていると告げられたら、どうしていいか分からなくなってしまう。この()の重荷になってしまうだろう。

「原発のある場所って。特別な地域なの。特別な地域に住んでる人はちょっと変わった日本語を使う。そして仏教でも神道でもない変わった宗教を信仰してる。私中学の時に自由学習で調べたから知ってるんだ」

 特別な地域? こことは違うのだろうか。確かに少し距離はあるし町名は違っていたが、同じ地域なのだと思っていた。

「今、その地域は外国の人がいっぱい入ってきてる。原発の作業員としてね。いろんな国の色んな人種の人が、いろんな言葉を喋ってる。お互いの共通語は英語みたいなんだけど、たまに不思議な言葉を言っているのも聞いたことがあるわ。もちろん、見知らぬ国の見知らぬ言葉かもしれないけど、私はその地域の人が喋っていた宗教に関わる言葉じゃないかと思うの。私の自由研究の時は、文献しかなくて発音がよく分からないから、そうじゃないか、って予想してるだけなんだけど」

 横目に入る管理人の娘が軽く頭を下げた。

「変なこと話してごめんなさい。とにかく、あんまり海を見に来ないがいいわ。海の神様に(たた)られるから」

 祟られる? 随分と奇妙なことを言う。この海が、俺を祟る。祟るようなことをするなら別だが、見に来ただけで? それは祟るとかではなく、事故とかではないのだろうか。

 俺は考えた。

 管理人は俺を心配して、この娘を監視につけてくれた。娘は海に祟られて死ぬことはないと思っているからに違いない。もし『祟られる』なら我が子を犠牲にするだろうか。

 つまり、海の荒れ模様を判断できるとか、どういった行動が危ないとか、そういうことを良く知っているということだ。決してさっき言っていた変な宗教とか、夢の話をさせたかったからではない。

 もし夢や地域の話がしたいなら、先にそれを確かめるだろう。

 だから、もうここには来ない方がいいのかもしれない。

 波の穏やかな、砂浜もあるということだし、ワザワザここに海を見に来る必要はないだろう。

 俺は言った。

「いろいろと話をしてくれてありがとう。そろそろ帰るよ。あと、もう海には来ない」

 管理人の娘は防波堤の階段を下りて行った。

 俺はこれがここから見る最後の海だ、と思って階段のあたりで海を振り返った。

「!」

 何か、青白い光が、荒い波の奥から俺の目に飛び込んできた。

 まるで蜘蛛の複眼のように並べられた目。その奥から青白い光俺に見えた。

「どうしたんですか、早く帰りましょう。波が高くなっている気がします」

「……そうだね」

 俺は管理人の娘の方を見てから、もう一度だけ海を振り返って見た。ただ暗く波がうねるだけで、蜘蛛の複眼のようなものも、青白い光も見えなかった。

 いつの間にか、道路の街路灯がついていた。もうこんな時間なのか。そうか。俺は思った。この街灯の光が、残像として目に残っていて、俺の頭のなかで海と重ね合わせて見てしまったのだ。

 真上から覗き込むならともかく、人間の目の高さから海を見たら、波や海水が相当分厚く重なっていて散乱してしまう。だから、海の中で何かが光ったとしても、それを見ることは出来ないだろう。

「おじさん。早く降りてきて。お父さんが心配するから」

「あ、ああ」




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