01
病死した父母が、遺骨になって戻って来たことを思い出す。
死に至った原因である感染症の為、葬儀が出来なかったのだ。
あれからもう一年。
一周忌を終えてもまだ、両親が死んだのだという実感がない。
「……おい。おい、清水。何を考えてる? ほら、見回りの時間だぞ」
俺は職場にいることを思い出した。
「秋山さん。すみません。すぐに行ってきます」
「おう、そうしてくれ。戻ってきたら、ちょっと話があるから」
なんだろう、と思いつつも、俺は聞き返さずに建物の見回りに出た。
建物に監視カメラはついているが、死角もあるし、人が歩いて回った方が、防犯という意味では予防効果がある。俺はいつものルートを、指差し確認しながら回り、警備室に戻って来た。
秋山さんは、俺が戻ってきても、話を切り出さなかった。
俺は、忘れないうちにと思って自分から切り出した。
「秋山さん。なにか話があるのでは……」
ソファーでそっくり返るようにして監視カメラ映像を見ていた秋山さんは、びっくりしたように体を起こした。
「そうだった。清水。話の前に、お前は両親ともお亡くなりになったんだな」
つい先日の日曜日、法事を済ませたところだった。
俺は返事をするとともにうなずいた。
「そうそれでな。お前もここの勤務長い訳じゃないか」
「?」
「そろそろ、責任ある立場になって、後進の育成をしなければならない。そうだろう」
「別に偉くなりたくは……」
「ここでの勤務も長い。少し気分を変えるという意味も含めてな」
「……」
秋山さんが何を言いたいのか察しがついた。
実は、少しだけこの事を予想していたのだ。
務めている警備会社では、原発の警備業務も請け負っている。だが、原発の警備は誰もやりたがらない。両親や配偶者、子供がいる人の異動がはばかられる。独身で、親もいない俺は、会社側としては真っ先に原発警備へ配置したい人材だった。
確かに、もう結婚とかを考える歳でもない。成長期を過ぎて、老化していくだけの体にとって、即死しない程度の被曝がなんの問題になるのか。
両親が死んで、一年。
死ぬ間際は、ボケた母と、目と耳が不自由になった父の面倒を見るのに必死で、仕事どころではなかった。それが突然、感染症に罹ると、あっという間に亡くなってしまった。
親の面倒を見なくて良くなったこの一年は、反動なのか家に帰っても何もやる気が起きなかった。
気分を変える為にも、新しい職場は渡りに船だと言えた。
「移動先だと主任だぞ。そもそも原発だから手当も付くし、主任で残業代も高くなる。本当に給料面では文句ないはずだ」
「ええ」
「受けてくれるのか」
すこし考えた方がいいのか、という思いが頭をよぎる。
しかし、もう両親もいないこの場所にしがみつく意味はない。
家があるわけでも、友がいる訳でもないこの土地に。
「受けます」
「良かった。書類は届いているんだ。講習は、現地近くの会議室で行うから。すぐにでも現地に行ってくれ。出来るだけ早い方がいい」
「そんな、急な話なんですか」
「欠員が出ているらしくてな。すまないが」
渡された書類に目を通し、署名して印を押した。
原発近くの施設に住むことになるらしい。自分で物件を探してもいいが、原発自体が郊外にある為、施設に入居するのがほとんどだそうだ。
俺はそれらの作業を行いながら、今度の勤務地のことを想像した。
秋山さんの言う事だと、この職場には明日から来なくて良いらしい。
そして異動の為の引っ越しの為、一週間、休暇が与えられた。
休暇が終わると、研修を受けたのち、原発勤務が始まる。
休暇の二日目、会社が手配した引っ越し業者に荷物を預けると、俺は一人で施設のある市へ旅立った。
荷物が届くまでは施設で寝れないので、俺は今日、市の中心街にホテルをとっていた。
人生の中で初めての雪国での生活が始まる。
初めのうちは観光地を巡ったこともあり、物珍しくて楽しかったが、午後には街のいたるところが雪で覆われていて飽きてきた。ただ一つ良かったことは、どこに行っても人が少なく、喋ることが少ないことだった。
俺は夕方早々にはホテルに戻り、ホテルで食事をとった。
部屋に入り、ベッドに横になると、慣れない土地で突かれていたのだろうか、すぐに眠りについてしまった。
夢。
見てもすぐ忘れてしまう。
そこで見た夢もそんな感じだった。
俺が見る夢は大抵の夢は色がなく、暗かった。
この時の夢も同じように色がなかった。目の前に色のない『闇』が湛えられた大きな窪地のようなものが見えた。窪地の中というか奥、底の方は何も見えない。霧が掛かっているのか、光が吸い込まれているのか、真っ暗で何も見えない。
俺はその深淵に立って、その奥底を見つめるだけで不安が募ってくる。
加えて、どこかから声が聞こえてきた。
それは知らない言語で語られているようだった。知らない抑揚。知らないリズムで発せられる音は、意味がわからなかった。だが、何かが感じられる。これは名状しがたい何かを畏れている。
『畏れ』
恐怖だけではなく、何か圧倒的な立場の違いを敬うような、そんな雰囲気を声から感じとった。敬う、というのは正しくないかもしれない。
その感覚は、いつか見た震災の映像と似ていた。恐怖とともにある、あの圧倒的な無力感。
金持ちも、貧乏人も、良い人も、悪い人も、何の理由も、前触れもなくすべてを飲み込んでしまう。
眼下に広がるただの闇に、俺はそんなことを感じていた。
俺は、この奥に足を踏み入れなければならない。
そんな運命のようなものも感じていた。
「……」
聞きなれないアラームがなって、俺は飛び起きた。
ホテルのベッドについている時計のアラーム音だった。
止め方が分からず、しばらくの間、ベッドについているスイッチやボタンをよく見て、止めた。
「ふう」
初めて訪れた土地の、初めて寝た部屋。
新しい職場、新しい仕事。
これから始まることばかりがある心の不安が、今の夢に現れたのだろう。俺はそう思った。
鏡を見て、あまりにひどい寝ぐせだったので、シャワーを浴びた。
勤務地に行くにはまだ時間が余っていたので、部屋の中でテレビをつけた。知らない土地の、知らない放送チャンネルから流れてくる、知らないコマーシャルが流れる。知らないコマーシャルが終わると、この土地のニュースが始まった。
『子牙沖を航行中だった外国籍の商船が行方不明になりました。現在、海上保安庁が捜索にあたっています』
画面の下に海上保安庁からの映像と文字が入って、ヘリから撮影した海上の映像が流れる。
俺は『子牙沖』と聞いて、これからの勤務地の事を思い出していた。たしか、俺がこれから働く原子力発電所は『子牙原発』ではなかったか。
少し興味を持ってテレビのニュースを見始めた。
『最後の連絡があった当時、海上は荒れていて、雷も発生していたとのことで、何らかの事故が発生したと見て調査を進めています』
同型の船という映像が流れる。
かなり大きな商船で、この大きさの船の位置が分からないとか、相当なことだと思った。
『子牙沖は、ここの所海難事故が多く発生しています。付近の航行については十分注意するようお願いします』
さすがに船の事故と陸上の施設の安全性は関係ないだろう。俺はそう思ったが、すぐに、先の震災を思い出してしまった。
あの時は予想を超えたことが起こって、陸上の施設の電源が失われたのだ。そしてメルトダウンという最悪の結果に繋がっている。
いや、震災後の再点検で、電源喪失という事態にならないよう、対策をした上で再稼働している。問題ないはずだ。
そんなことを考え、また夢の事を思い出した。
そうか。ただ初めてだから、新しい職場だから不安なのではなく、根本的に『原子力発電所』に対しての不安があるのかもしれない。こんな事は考えても無駄だ。俺は何度も思った。何故なら原子力発電所の安全性は、俺が考えてても、御すことが出来るレベルではないからだ。
しかし、それでも、今更ながらこの仕事を受けたことを後悔していた。