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メディオンの空  作者: 小松郭公太
2/2

トーイとアルテ


 村を大雨が襲ってから二十年の歳月が過ぎました。

 泥をかぶった畑は元通りになり、村人総出で麦刈りが行われています。

 元の領主は、少し腰の曲がった白髪の老人となっていましたが、元気よく村人の手伝いをしています。彼は、村人たちからアルテと呼ばれていました。

 そして、ついこの間、この村の新しい領主が決まりました。その領主とは……?

 そうです。あの小さな男の子。「ご領主様もう泣かないで」と一日も早い村の復興をお願いした男の子です。

 彼は勇気ある立派な若者に成長し、誰からも信頼される領主になったのです。彼は村人たちからトーイと呼ばれていました。

ところで、メディオン国の王様はというと……、二十年前と変わらず、あの大災害を起こした張本人がずっと権力の座にいました。最悪の人災と批判されてからは、国民に無理なことを言わなくなっていましたが、あいかわらずオスト国の王様の言いなりになっていました。

 麦刈りが終わり、村の広場で収穫を祝うお祭りが行われています。笛や太鼓の音が聞こえてきました。老若男女が丸い輪になって踊っています。歌っているのは新領主トーイの恋人ニーナです。ニーナは隣の村の農家の娘で、二人はもうすぐ結婚することになっていました。ところが……。

 異変が起きたのは、お祭りから間もなくのことでした。

村はずれに住む農夫が、ベッドに横たわって息を切らしていました。農夫は、首と腋の下を腫らし、痛みと高熱に一昼夜苦しんだ末、明け方に亡くなりました。そして、彼を看病していた家族も同じような症状になり、命を落としていきました。

 その病気は、村のあちらこちらで場所を選ばず発生しました。街中の酒場、村の演劇場、教会など、人が大勢集まる所を中心に広まっていきました。村人たちは得体の知れない病気に震え上がっています。

 事態を知ったトーイは診療所の医師や村の吏員たちと今後の対応について相談しました。

「領主。これは間違いなく疫病です。このままにはしておけません。この病気の治療には薬が必要です。今すぐ村に届けてもらうよう国にお願いしてください。それから、この疫病を食い止めるためには、村の閉鎖が必要です。そのための支援も併せてお願いしてください」


 トーイは、すぐにお城へと馬を走らせ、王様にお願いしました。

「トーイ。お前の言う二つの願い、しかとうけたまわった。さっそく大臣に指示するゆえ、村のことは頼んだぞ」

 王様はこの年若い領主に頭が上がりません。なぜなら、二十年前、あの災害からの復興に貢献したのがこのトーイだったからです。トーイは、保身のために村を犠牲にしてしまったアルテを励まし、村人の気持ちを一つにして王様をも動かしたのです。

 トーイは村に帰り、王様と約束したことを看板にして村中に知らせました。本当は、村人を集めて直接説明したかったのですが、安易に人を集めることは感染の拡大につながると考えたのです。


村人の皆様へ


 村に発生した疫病について、次の対応を取ることにしました。


㈠村外への感染拡大を防ぐために疫病が終息 するまで村を閉鎖します。村人の皆様には 大変なご不便をおかけしますが、ご協力お 願い致します。


㈡村閉鎖と疫病の収束のために、次のことを 国にお願いしました。

 〇閉鎖中に必要な食料などの支援

 〇疫病の治療に必要な十分な治療薬の提供


以上 

領主より


 おおかたの村人は、トーイの対応に理解を示しました。中には看板に向かって手を合わせているお年寄りもいます。しかし、中には心配な顔で看板の前に立ち尽くす人たちもいました。

「私の息子は、遠くの村に働きにいっています。息子は帰って来られなくなるんですか?」「オイラは隣の村からここに働きにきているが、家へ帰れなくなってしまうのか?」

「私の恋人は、川向こうの村で暮らしているの。彼と会えなくなるなんて」

「山の向こうの村に年老いた母が一人でくらしているんです」

と、なんと多くの人がさまざまな事情を抱えているのでした。

 トーイは意を決して看板の前に出て叫びました。

「皆さんのご心配はよく分かります。私にも隣の村に婚約者がいますが、この疫病が終息するまでは会うことはできません。だから皆さんの気持ちは痛いほど分かります。何としてもこの疫病を克服したい、家族や友達と自由に会える日がくることを信じて戦いたい、と強く思っています。今私は決意しました。皆さん! 共に力を合わせこの難局を乗り越えていきましょう」

 領主としてのトーイの決意は何とか村人に伝わったようでした。

 その日の夕方、村の出入門は閉鎖されました。そしてそれ以後、門番が配備され、村を出入りする人も物もすべてチェックされるようになりました。

疫病の伝染は衰えることはありませんでした。感染者が出るということは、即家族の別れを意味していました。それは永遠の別れ、死なのです。死を免れるには薬による治療を受けるしかありません。村人たちは一刻も早い治療薬の到着を待ち望みました。

ところが、三日たっても治療薬は届きません。業を煮やしたトーイは居ても立ってもいられず、お城へ馬を走らせました。


「王様。薬はどうなっているのですか? 村では毎日感染者が出て人が死んでいってるんです。早く薬を届けてください」

「トーイよ。それがのう……」

王様は困ったような顔をして、ゆっくりと話します。

「それがのう、大臣が薬は出せないと言うんじゃよ」

「なんですって。王様は薬を出すと約束してくれたではありませんか?」

トーイは王様に突っかかりました。

「トーイ。すまん。ワシはあの後すぐに大臣に指示したんじゃ。だが大臣は法律で国の薬を直接村に渡すことはできないというんじゃ」

トーイは、息を整えて言いました。

「それはどういうことですか?」

「薬が欲しければ、村は郡へ申請書を提出して、郡から国へ申請しなければならないのじゃそうじゃ」

「そんなあ…… 。そんなことをやっていたら助かる命も助けられません……。王様。その大臣に会わせてください。私が直接お願いします」

王様は、トーイの言うことを聞いて、大臣を呼びました。するとカイゼル髭の大臣がすぐに現れトーイの前に立ちました。

「大臣。申請書は後で必ず提出します。今すぐ薬が欲しいのです。お願いします。薬をください」

トーイはひざまずいて大臣に頭を下げた。大臣は一つ咳払いをしてから、

「薬のやり取りは法律で決められている。ルールを破って薬を渡す訳にはいかないのだよ」

と言いました。

「なんと言うことを……。大臣。もしあなたの家族が疫病にかかって明日にも死んでしまうというとき、薬がなかったらどうしますか? 申請書を書いて薬の到着を待ちますか? 待っている間に死んでしまうんですよ」

「ううん、それは……」

大臣は答えることができなかった。

「法律を守らなければならないというのであれば……」

トーイはそこまで言って、王様の方に体を向けました。

「王様。王様は、村の閉鎖を認めてくださいました。この国には、『伝染病が起こったときは、村を閉鎖して村民を保護して治療しなければならない』という法律があります。王様はこの法律に従って村を閉鎖したんです。王様。そうですよね?」

「そうじゃとも」

「だとしたら、国として村民の治療をしなくてはならないのではありませんか?」

王様は、眉毛を上下させてから、

「なるほど、その通りじゃ」

とうなずきました。

「王様。王様からもう一度大臣に命令してください」

すると王様は、

「そういうことじゃ。大臣、よろしく頼む」

とあっさりと言いました。大臣は、煮え切らない顔をしていましたが、王様に深く頭を下げて退席していきました。


 そのころ、診療所では医師や看護人たちが休む間もなく患者の看病にあたっていました。治療薬を持たない彼らには、患者の苦痛を和らげる処置をとることしかできません。彼らは、毎日一人二人と増えていく患者を受け入れ、亡くなっていく患者を看取りました。そして死者が出ると死体運搬人がなるべく目立たないようにして墓地へ運びました。

そのような中、夜も明かりが消えることのない診療所へ一人の老人がやってきました。アルテです。

「お前さんたち、少し休んでおくれ。ワシにも何かできることがあるはずじゃ」

「領主様!」

年配の看護人が驚きの声をあげました。

「ワシはただのじいさんじゃ。アルテと呼んでくれ。腰は多少曲がっているが力仕事もできる。ワシに手伝わせてくれないか?」

「アルテ! ありがとう」

そこに居合わせた医師たちも喜びの声をあげました。アルテの「少し休んでおくれ」という言葉が、彼らに元気を与えたのです。

アルテは、看護人の指示を受けて病人の水枕を換えたり、汗を拭いてあげたり、病室の掃除をしたりしました。

 やがて、アルテの働きを知った村人たち数人が手伝いに来るようになりました。

村人が手伝うようになってから、医師や看護人は少しは休憩室のソファで眠れるようになりました。しかし、患者の数が減ったわけではありません。診療所の裏口には、いつも死体運搬人の姿がありました。


数日後、村の出入門の辺りは朝霧に包まれていました。霧の遥か向こうから馬の蹄の音が近づいてきます。薬の入った袋を背負い、トーイが帰ってきたのです。

トーイは夜通し馬を走らせていたので、もうくたくたです。でも診療所の前で出迎えてくれた何人かを目の前にすると自然と笑みがこぼれました。トーイが袋を掲げ、医師に手渡すと、周りから拍手が起こりました。

「トーイ、よくやった」

「トーイ、ありがとう」

トーイが一人一人と握手して行くと、そこにアルテがいました。

「アルテ、どうしたんだ?」

アルテは白髪頭を掻きながら、

「どうもしやしないよ。ここのお医者さんたちに少し休んでもらおうと思ってね……」

と照れ笑いをしました。トーイは、

「そうか、ありがとうアルテ」

と、今では自分よりのもずっと小さくなってしまったアルテを強く抱きしめました。


 薬が届いてから一か月が過ぎました。

 感染者の数はひところからすると減っていましたが、いまだに病原菌がどこかに潜んでいるようで、村の閉鎖は解かれていません。 そんなある日、トーイは村の吏員から報告を受けました。

「トーイ、村の食料や生活物資が底を突きそうです。国の方には再三支援をお願いしているのですが、こちらの要望が届いているのか心配です」

トーイは眉をひそめました。(一回目の支援は村の閉鎖後すぐにあったが、二回目の支援要請に対応できないとはどういうことだろう。あの王様のことだ、きっとまた大臣の言いなりになっているのではないか)トーイは、

「分かりました。私の方から確かめてみます」と言うと、さっそく王様のお城に向かいました。


「トーイ、どうした。そんなに急いで」

のんきな王様です。

「王様はご存知ですか?」

トーイは声を押し殺して静かに話しました。

「お願いしていたはずの支援物資が村に届いていないのです。今度はどの大臣ですか? 分からず屋の大臣は」

と少し皮肉を交えて言ってみましたが、王様は首を傾げて答えました。

「ん、それはおかしい。支援物資は城下でも指折りの大問屋にまとめて発注しているはずじゃ。もうあれから半月以上経っておる。早急に対処するゆえ、お主は村で待っていてくれ」

トーイは、王様のいつになく誠実な対応に驚きました。そして今回は王様の言うことを信じてみようと思いました。


その夜、トーイは、村を閉鎖して以来初めて婚約者のニーナに手紙を書きました。


 あれからいろいろなことがありましたが、今やっと手紙が書けるようになりました。

 村を閉鎖したために離れ離れになってしまった人々がたくさんいて、みんなさみしい思いをしています。私も同じです。一日も早く閉鎖を解いて君と会える日が来ることを願っています。

 病気に感染した人たちやその家族は想像を絶する悲しい体験をしています。治療薬が効いて感染はだいぶ下火にはなってきていますが、油断できません。感染者がゼロになるまで、村のみなさんと一緒にがんばります。


ニーナへ

トーイより


 伝えたいことは山ほどあるのに、いざペンを持つと何から書いていいのか浮かんできませんでした。それでも、会いたいという気持ちだけは伝えることができました。(よし。もう少しだ。閉鎖解除を目標にがんばろう) トーイはニーナに手紙を書いたことで新しい力を得たような気持ちになるのでした。


 数日後、村の出入り門に沢山の荷馬車が到着しました。荷馬車には支援物資が山積みされていました。

 物資の到着が遅れたのは、大問屋の手違いにありました。たいてい、国からの発注を受けた大問屋は品物別に専門問屋に発注して、専門問屋から直接届けられることになっていますが、今回は大問屋と専門問屋との間にもう一つ問屋が入ったようなのです。(商売を上手く回し、商人のふところを豊かすることで、何だかの見返りを得ようとする役人がいるのだろうか?)ふとそんなことがトーイの頭をよぎりましたが、今のトーイにはそんなことにかまっている暇はありません。

食料や生活物資が行き渡ると、村人の暮らしも安定し、少しずつ明るさを取り戻していきました。


 村の感染者数は日ごとに減ってきており、診療所は一時期の緊迫した状況からは脱したようです。それでも、アルテは、毎日診療所の中を巡って患者の世話をしています。そして、いつものように病室の掃除をし終わってバケツの水を捨てようと外に出たとき、アルテは自分の身体がふらついていると感じました。アルテは静かに休憩室に行ってソファに横になりました。

「どうしたんだ、アルテ」

そばを通りかかった医師が問いかけると、アルテは、

「ちょっと、ふらふらするんだよ」

と答えました。アルテはしばらく目をつぶってじっとしていましたが、やがて寒気がして体が震えてきました。

「アルテ」

医師が額に手をやるとひどい熱です。医師は、すぐに疫病の感染を疑い、投薬しました。

「薬が効いてくれるといいんだけど」

医師は、疫病の症状が出ないことを望んで病室を後にしました。

アルテはしばらくの間静かに眠っていましたが、急な吐き気で目を覚ましました。医師が駆けつけてみると、アルテの首と腋の下が腫れているのが分かりました。疫病の症状が出てしまったのです。

 その後アルテは熱と痛みにうなされ続けましたが、知らせを受けたトーイが駆けつけるころには、かすかな呼吸だけが病室に聞こえるようになっていました。

「トーイ。君のお陰で私の人生は意義あるものになったよ。ありがとう」

アルテは、トーイにそう告げると静かに呼吸を終了しました。


 アルテが亡くなってから数ヶ月が過ぎました。その後疫病は、長い時間をかけて少しず人々の前から姿を消していきました。多くの人の命を奪って疫病は村からいなくなったのです。村人たちは、いまだ悲しみの中にいます。

 そんなある日、トーイは、村の閉鎖を解いてもらうために王様に会いに行きました。

「アルテが亡くなったってなあ」

王様はトーイの手を取って涙を流しました。

「トーイよ。ワシももう年じゃ。これまでこの小さな国を守るために、両隣の大きな国と外交をしてきたが、結局、疫病という難敵のために大切な友達を亡くしてしまった。トーイよ。空しいのう……」

王様は、もはやこの国を支配してきた権力者の顔をなくしていました。

 村の閉鎖を解く命令を出してもらいましたが、村は疫病のためにすっかり体力をなくしてしまっています。村をもう一度元気にすることがこれからのトーイの仕事です。

 トーイを乗せた馬が村に向かって駆けていきました。行く手には、青く晴れ渡った空がどこまでも続いています。トーイは唇を固く結んで空を見上げました。   


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