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偽物の海底に焦がれて

作者: 奥久慈 しゃも

 幼少の頃、眼下に広がる一面の雲を私は海と認識してきた。   

 周囲を雲に囲まれた小さな孤島。

 充分な水源と食料に恵まれた我が故郷は、身体の成長につれて見聞の余白を埋めるのには随分と手狭になった。

 やがて、私は時折に覗かせる雲の切れ間。僅かな隙間から見える緑の海底への疑問は年を経て、限り無い探究心へと熟成を果たした。

(……私は、この海へと身を投げよう) 

 しかしながら、私の決意に賛同するものは誰一人いなかった。ある者は私の身を案じ、ある者は愚か者と私を罵った。周囲の大人たちは何かを知っている素振りを匂わせるが、逆に私の歯止めを壊すには十分、心は十二分に燃え上がった。

 それは、確証も無く怯える大人たちに反抗しようとした最後の童心だったのかもしれない。

 それから日を置かず、決行の時は訪れた。  

 私は海端へと身を屈め、水面へと手を伸ばす。幼少の頃から幾度も触れることの出来ないこの空虚さは今も昔も変わらない。

「結局、この先へ進むことは叶わなかった」

 私は大人達の忠告を理解する事は出来なかったが、不本意ながら海へと近づくことを制することには従った。  

「これも因果なのだろう……。思えば、先入観と言う弊害が無いのは幼い間の特権だったのかもしれない」

 私は苦く笑みを浮かべると、これが最後と振り返り様に故郷を一瞥した。

 すると、身体が若干の緊張を感じている事に気付く私は一歩を踏み出す覚悟を決める為、静かに瞼を落とす。

 恐怖や不安、興奮と期待。

 複雑に絡んだ自身の感情を、私は丁寧かつ迅速に解していく。

 そよ風が素肌を撫で続けていくにつれ、私の心も少しずつ風通しが良くなっていった気がした。

 やがて、風の淀の一切が消え去った頃、私は自身との自問自答に決着をつけた。

(私は悦に浸り過ぎてしまったようだ。だが、それぐらいが丁度良いのかもしれない……)

 数刻の暗闇に滲む夜明けの紫は、目を開いた頃には随分と赤みを濃くしていた。

 もう後戻りはしない。私の一歩は力強く、躊躇なく我が身を霞への先へと誘っていく。

 そして、視界が完全な灰色に包まれた瞬間。

「待ってください。兄様!」

 幼い声に私の後ろ髪が張った。

「見限っても良かったんだぞ?」

 視界は見えずとも、私は決して振り返りはしなかった。

「それは出来ません。例え止められないと分かっていても、僕は兄様の腕を最後まで引くと決めたのです」

 背中越しに聞こえる上擦り声に、私はどうしても可笑しさを心に留めきれなかった。


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