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戦禍の大地に咲く百華  作者: 大洲やっとこ
第三部 沈む沼。溢れる湖
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第87話 望み絶ち



 最悪な目覚めだ。

 今まで生きてきた中で、これより悪いものはない。


 両手両足を捕える冷たい感触。身じろぎしても僅かにも弛まぬのは、当然と言えば当然か。

 普通の拘束具などで自由を奪えると思うほど敵も馬鹿ではない。おそらく煌銀製の、分厚い手枷と足枷。繋いでいる先もそれに応じた強度のもの。



「目ぇ覚めたかい?」

「……」


 最低だ。最悪で最低だ。

 目の前には、涎でも垂らしそうな勢いでこちらを見ている仇敵の顔がある。

 極上の料理を前にした飢えた獣のような、人間の雌。



「もう一匹の方も欲しかったんだけど、まあいいさ」


 ぎりと噛み締めて睨む。それしか出来ることはないけれど、それだけは出来る。

 この雌が言ったもう一匹とは、何よりも大切に思う相手。自由を奪われても、彼女に対する汚い言葉に視線だけでも抵抗を示す。


「あたしは最初っからあんたに目ぇつけてたからね。オルガーラっつったか?」

「……」


 名を呼ばれて吐き気がするなどというのも初めてのことだ。


「うっかり殺しちまったかと思ったけど、やっぱりあんたは頑丈だ。よかったよ」


 こちらとすれば、最悪だ。死んでいた方が良かった。



「コロンバ、呪枷は本当にいらないの?」

「そいつはつまらないね、グリゼルダ。生意気な女が泣いて謝るから楽しいんだからさ」

「ただの女なら別にいいのだけど、そいつは危険だわ」


 薄暗い部屋の中、拘束されたオルガーラを前に勝手なことを言い合う人間ども。

 奴らが使う奴隷の呪術道具は、今のところはつけられていない。それを幸いと思うべきかどうなのか。



 不覚を取った。

 強襲され、挟撃されて。

 南西から迫ってきたこのコロンバを中心とした連中を迎え撃ったオルガーラだったが、思わぬ攻撃を受けて崩れた。

 気が付けばこの状態。


 予想外の攻撃というのなら、南東からの敵のことも。

 溜腑峠を越えて来た人間の軍勢に焦り、判断を誤った。

 ただでさえ少ない戦力を、西と東に分けてしまう。

 オルガーラを西に、ティアッテを東の対応にしてしまったことが間違い。



(ティア……)


 無事だろうか。今の会話を聞く限りはここにティアッテは囚われていない。

 逃げ延びてくれているといいのだが。オルガーラがどうなろうと、せめて彼女だけは。


「あんたがここにいれば、もう一匹も助けに来たりしてね」

「な……」


 そうだ。もしティアッテが無事なら、きっとオルガーラを助けようとするはず。

 無謀なことでも、自分の危険を厭わずに助けに来てしまうかもしれない。

 氷乙女とは言っても、このコロンバなどのようにそれに匹敵する敵もいる中を、単独で。


 思わず声を漏らしたオルガーラに、コロンバが笑みを深くする。



「いい顔するじゃあないのさ」

「……うるさい、黙りなよ」

「いやだね。命令できる立場だと思ってんの、かいっ!」


 深々と、拳が腹に突き刺さった。


「ぶっ……ぼふ……」

「っと、こういう躾も必要だろうけど、さ。違うんだよねえ」


 抵抗できないオルガーラに振るった拳を、ぺろりと舐める。


「男だったら死ぬまで痛めつけるくらいしか使い道はないんだけど」


 女で良かったよ、と。


「するの?」

「グリゼルダも好きだろ、こういうのさ」

「嫌いではないわね」


 殴られて涎が漏れたオルガーラの口元を、グリゼルダの指が拭う。

 噛みついてやろうとしたが、頬を叩かれた。


「男なら触れたくもないのだけど」

「もう、グリゼルダに誰も触らせやしないさ。男なんざ」


 苦く吐き棄てるコロンバに頷くグリゼルダの表情は、敵なのに少しばかりの悲哀を感じさせる。



「……綺麗ね。いい毛並みだわ」


 過去のことを振り払うように、オルガーラの赤い髪を指で梳いて、馬の毛並みのような感想を漏らすグリゼルダ。


「何を……」

「負けた奴の末路なんて、どこでも大差ないだろ。若い女なら特に、さあ」


 コロンバの言い様に、わかってはいたけれど心がざわめく。


「舌を噛んでもすぐに死ねるわけじゃあない。グリゼルダは治癒魔法も結構な腕だから安心しなよ」


 最悪だ。

 憎い敵の、人間の手が、指が。芋虫のような動きでオルガーラに迫る。


「ぼ、ボクは……お前らなんかに」

「ああ、それでいい。そうやって強情にしててほしいんだよ。出来るだけ長いことね」


 それこそが楽しみなのだと。

 長く楽しむ為に頑張れと、この忌まわしい敵はそう言う。


「苦痛と、屈辱と、強制的な快楽を。寝る間もなく続けますから」


 グリゼルダの瞳に浮かぶのは、コロンバの愉悦の色とは違う。

 妄執的な、復讐心のような炎が垣間見えた。



「私たちが休む間は、影陋族の奴隷に続けさせます。こちらは呪枷をつけてありますので、残念ながら」


 本気なのか。

 本当に、寝る間もなく責め続けるつもりで準備をしているのか。

 人間というものが、陰惨な行いを考え付くことに際限がないとは聞いていたけれど。

 清廊族の奴隷だというのでは、それらを人質などにして逃げ出すことも適わない。



「女だからわかることを、いつまででも続けます。三日も持てば頑張った方だと思いますよ」


 助けて、と。

 言うわけにはいかなかった。

 敵に言うわけにはいかなかった。

 味方に、ティアッテに。求めるわけにもいかなかった。


 唇を噛み締めるオルガーラに、いつ終わるとも知れぬ凌辱の手が伸ばされようとするのを、ただ命尽きるまで耐えようと。


(ティア……来ちゃだめだ)


 自分が死ぬよりも辛いことが起きぬよう、ただそれだけが今のオルガーラの願いだった。



  ※   ※   ※ 



 臭い。


 ひどい臭いだ。酸っぱく、苦く、胸が澱むようなものが自分に染みついている。

 頬にも、胸にも、体内にも。

 糞尿よりも汚らわしく、腐肉よりも酷い臭気のものが、染みついてしまった。


 吐いた。

 吐いても、吐いても。心の中にまで染み渡ろうとするその臭気に、強く胸を掻きむしる。


 赤く爪の跡が肌に残る。自分の爪の跡の他にも、赤く腫れたり青く痣になっていたり。

 忌まわしい敵に刻まれた傷痕が。



(オルガーラ……)


 春を迎え、南西から迫っていると聞いた人間の軍勢。

 何度か戦ったことがある女戦士を先頭に湿地帯を進んでくる敵は、いつものことと言えばいつものこと。

 作秋にそれなりに数を減らしたと思ったが、また随分と短い間隔での侵攻だと思っただけだった。


 それらに対応しようと準備をしていて、不意の報告に判断を誤る。

 南東から迫る敵があると。

 溜腑峠により遮られていたはずの方角から人間が攻めてきた。

 先行するのは飛竜に騎乗した騎士だと言うが、噂でしか聞いたことがない。


 西から来る敵は、だとしたら陽動か。

 秋に戦力を減らしたはずなのだから、そちらは大軍ではない。強靭な女戦士も何度か戦ってある程度は力量がわかっている。


 そちらをオルガーラに任せて、未知の敵となる南東へとティアッテが向かったのだが。



 不覚を取った。

 飛竜の騎士の数は大したものではなかった。だが一騎ずつかなりの手練れが揃っている。

 その中に、ティアッテに匹敵するような戦士が混ざっていた。騎乗する飛竜の力も相当で、合わせればティアッテでも対処しきれないほどの。


 それでも凌いだ。相手をよく観察して分析する。冷静な戦いがティアッテの信条なのだから。


 対処しきれなかったのは、後続に現れた徒歩の戦士。

 大英雄だとか名乗る老齢の人間は、やはりティアッテに匹敵するだけの戦士であり、飛竜との戦いの中で不意を突かれた形で不覚を取った。




「……くっ」


 首に巻き付いた黒い布。それに手を掛け、激しい痛みで体が痺れる。

 何度試そうとも外すことが出来ない。呪いの首輪。

 油断のならぬ女だと、反撃の機会を窺っていたティアッテに老戦士がそれを巻き付けた。


 意識はなくならない。だが、この呪いの首輪のせいで忌々しい人間の命令に逆らうことが出来ない。

 死ぬことさえ出来なかった。


 虜囚となり、何より憎い男の欲望の捌け口とされて。

 何度も、何度も。

 孕め、と。

 何を孕めと……忌まわしい。



「……う、ぶぇ、えぇ……」


 思い出して、また吐き出す。胃液を吐いて、涙も共に溢れ出す。

 悔しい。

 口惜しい。

 どうして死ななかったのか。戦いの中で死んでいればこんな屈辱は受けなかっただろうに。

 オルガーラに合わせる顔がない。



「ティアッテ様……」


 背中を擦る少女の手に、はっと我を取り戻す。


「……大丈夫、です」

「ご無理を……」


 ついで、と。

 戦利品だと言って、ティアッテと共に囚われた清廊族の少女たち。

 オルガーラとティアッテに憧れて、共に戦いたいと望んでついてきた清廊族の少女たちだ。

 こんな形で、最悪の結末に付き合わせてしまった。


 人間の老戦士。ムストーグ・キュスタ。その副官だという中年男ロベル・バシュラール。

 それらを中心とした人間どもの慰み者として、呪いの首輪をつけられ連行されている。

 溜腑峠の少し南に、いつから出来ていたのか知らないが砦が作られていた。



「すみません、貴女達まで」

「そんな……私たちの力が足りないから、ティアッテ様が」


 倉庫のような薄汚い建物の中。

 どうやら今は軍議があるらしく、まとめてここに放り込まれた。

 放り込まれて、改めて自分の有様を自覚して、嘔吐してしまった。


 情けない。

 戦いに敗れて、敵の捕らわれとなって。呪いとはいえ敵の言いなりになってしまっている。

 その姿を、自分を慕ってくれていた仲間たちにまで見られて、本当にどこまでも情けない。



「きっと――」


 そんなティアッテを勇気づけるつもりだったのだろう。少女が言う。ティアッテが望んでもいないことを。


「オルガーラ様が助けに来て下さいますから」

「駄目よ!」


 そんなことは、望んではいけない。

 決して、来てはいけない。オルガーラなら自らの危険を顧みずに助けようとしてしまうかもしれないけれど。


 勝ち目がない。

 オルガーラがどれほど強くとも、それだけでは勝てない。オルガーラまで囚われてしまう。

 そうしたら、彼女まで……



「……私は、助けに来てほしくない。逃げてほしい……ごめんなさい」

「あ……」


 ティアッテの望みは、少女たちの望みを絶つことになる。生きる希望を。

 それでもティアッテは、オルガーラをこのような目に遭わせたくない。

 自分が死のうとも構わないが、大切な彼女にはどうか。


 見られたくない。

 こんな、汚れた自分を見られたくない。


 汚され、辱められ、ひどい臭いの染みついた自分を見られたくない。知られたくない。

 それならいっそこのまま死んでしまえた方がどれほど救われるか。

 救いなどない。救われないけれど、せめて。



「……いえ、ティアッテ様。お供します」


 ティアッテの気持ちを察したのか、寂しそうに頷いた。

 希望を持つことが苦痛になることもある。

 この状況では、諦めることの方がまだ気持ちを安らいでくれる。


 奴隷の首輪。

 話には聞いていたけれど、本当に。人間の醜悪さを煮詰めたような道具だ。

 尊厳を踏み躙り、心を砕く。


 南部の清廊族が人間に支配された気分を思い知らされた。

 変な希望を抱くよりも、出来るだけ早く死ぬことを望むばかり。

 間違っても、自分を助けようと他の仲間が同じ道を辿ることなどないよう。



(オルガーラ……)


 助けに来ないで、と。

 そう願う。心からそう願うのに。


 だのに、どうして。

 もう一度会いたいと、そう思ってしまうのは。ティアッテの弱さで、罪なのだろうか。



  ※   ※   ※ 


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