第77話 詫びるべき欺瞞
針の筵とは、こういうものか。
自業自得だ。仕方がない。
追ってきたエシュメノに頼んで、全員を連れてきてもらった。
紡紗廟の一室で、ルゥナを囲む仲間たち。
その中心に一つ置かれた椅子に座り、皆の足元だけしか見ていられない。
合わせる顔がない。
今までどんな顔で、どんな気持ちで彼女らに接してきたのか。
どう言い繕っても意味がない。
「……ごめんなさい」
ただ、謝罪の言葉しか。
「……」
返されるのは沈黙だけ。
落ち着きなく足が左右に向くのは、エシュメノの足だ。
彼女だけ、状況がわかっていない。
何をルゥナが謝っているのか。
なぜ、こんな雰囲気になってしまっているのか。
「……ウチがなんか言うんは違うのぅ」
重く息を吐いて、ウヤルカが壁際に離れた。
ウヤルカは南部の事情に関わりがないのだから、このことに口を挟むべきではない。
「……何が、ですか?」
唸るように、何かを堪えて震える声でミアデが言う。
誰よりも一番、ルゥナが申し訳なく思う相手。
「私は……貴女の苦しみを、わかっていない……」
「……」
「知ったような顔で、知ったような口を聞いて……卑怯な裏切りだと思われても仕方がないと」
膝を床に着き、頭を下げる。
「隠していたつもりはありませんでした。ですが、言い訳です」
「なんで……なんでルゥナが謝る? ルゥナが悪いことをしたのか?」
エシュメノには理解できないかもしれない。
ルゥナはずっと、彼女らの傍で傷ついた仮面を被っていた。
私も貴女達と同じだと。
気持ちはわかる。
傷ついた心はわかると。
そんな顔で、ミアデを、セサーカを。
ミアデがかつて、人間に与する女に……スーリリャという清廊族に向けて言った。
『わかるって言うなら同じ目に遭ってから言いなよ。豚のような男に、汚物みたいな連中に、毎日犯されて嬲られて、それに逆らえない生活をしてからさ』
あの時、ルゥナは口を閉ざした。
言い返せなかったスーリリャと同じように、ルゥナもまた心を閉ざした。
今思えば、あの時にミアデたちに話していたら良かったのに。
襤褸を着せられ、傷だらけの素足で歩かされていた奴隷の時期。
汚い床に投げられた食べ物を、這いつくばって食うように命じられた。
ルゥナとて、尊厳のない扱いをされたことは事実だ。
けれど、ミアデが言ったような性的な暴行はされていない。
たまたま、ルゥナを捕えたシフィークが、清廊族を性的な対象に見なかっただけのこと。
それは、不幸の中でも幸いなことだったのだと思う。
考えれば身震いするほどの汚辱。
それを知らない。知識としては知っていても、経験してはいない。
ミアデ達はそんな過去を背負っていて、ルゥナはそれをわかったような顔で付き合ってきた。
裏切り者だと思われて当然だ。
アヴィにも、きっと……
「……言えなかったんです」
言い訳を並べる。
「私だけが、人間に奴隷とされながら凌辱されなかった。それをどう……」
どう言えばいいのか、わからなかった。
「言わなければ、知られることもないと……そう思っていたのも、本当です」
知られるはずがない。そんなこと。
卑怯な自分の行いを詫びる。
「本当に、ごめんなさい。私の言葉を信じられなくても仕方がないと思っています」
深く、頭を下げる。
もう仲間などと思ってもらえないかもしれない。
全て自分の積み重ねて来た嘘の結果なのだから仕方がない。
だけど。
ルゥナにとっては、ここまで苦労を共にしてきた大切な仲間だ。
「アヴィ……私は、嘘つきです」
「……」
「ですが、役に立ちます。貴女の役に立ちますから、どうか……」
捨てないで。
「なんで……」
重苦しい雰囲気の中、エシュメノが戸惑う。
「エシュメノ、私がずっと嘘を吐いてきたからです。知らないことを、知ったように」
「だ、だからって……」
「ソーシャが死んだ悲しみは私も同じです」
「っ!」
「……そんなことを言われたら、どうですか?」
同じはずがない。
引き裂かれるようなエシュメノの痛みと同じだなどと、傲慢なこと。
「そんな嘘を、ずっと……」
わかるはずがないことを、偽って。
「嘘つきで、裏切り者。皆に恨まれても仕方がない卑怯者なんです」
「……」
「……違う」
黙り込んだエシュメノに代わって、ミアデが口を開いた。
そうだ。このことでルゥナを責めるのなら、一番にミアデに資格がある。
最初に騙して、この道に引き摺り込んだ少女に。
「……違うじゃんか!」
拳を震わせて、ルゥナに詰め寄った。
「っ!」
襟を掴まれ、立ち上がらされる。
合わせられなかった顔を、無理やり正面に。
「違うじゃん! ルゥナ様さ、違うでしょ!」
「ミアデ……」
「なんで謝ってるって? もう一度言ってみなよ!」
涙を浮かべた目で強く睨み、どこにも逃がさないように問い詰める。
よかった。
これならもう、逃げ道もない。
「私は……貴女達の本当の苦しみを知らないくせに、騙して戦わせてきました。素知らぬ顔で」
「違う! あたしが戦ったのはあたしの為だよ! あたしは自分で選んだんだよ!」
「それでも、私は貴女の心の傷を利用しました。私も同じだと、同じ傷を持たぬくせにそんな風に」
「ルゥナ様の馬鹿!」
罵声。
「ルゥナ様の……本当に、馬鹿!」
ぴしゃりと、頬を打たれた。
「っ……」
「違うじゃんか! 違うのに、なんでわかんないの!」
涙を零して。
「あたしたち、仲間じゃん……仲間じゃ、なかった、の」
「ミアデ……?」
もう一度、頬を打たれる。
「誰が、仲間に……あんなつらいこと、させたいって言うの……」
大粒の涙が、ぽろぽろと零れる。
「仲間に……ルゥナ様が、あんなひどい目に……あんな思いをさせたいなんて、どうしてあたしがそんなこと思うんだよ!」
三度、優しく頬を打たれた。
そのまま、ミアデの顔が胸元に埋まる。
「……よかった、って。そう思ってる……どうして、そうだってわかってくれないの。あたし……」
「ミア……デ……」
「ルゥナ様の、大ばか!」
元々、話し上手な子ではない。
感情が昂って余計に、単純な言葉だけをぶつけてくれる。
言うだけ言うと、ルゥナの襟から手を放してセサーカに抱き着いた。
「う、うぁぁぁぁっ」
そのまま、セサーカの胸で泣き出す。
ルゥナの愚かさを責めるように響く泣き声。
セサーカは優しくそのミアデの背中を撫でながら、ルゥナを睨んだ。
「ミアデの言うことが、わかりますか?」
「……」
「みんな、同じ気持ちです。わからないのなら本当に失望しますが」
責めるような瞳なのは、ミアデを泣かせたからか。
大泣きするミアデを包みながら、大きく息を吐くセサーカ。
「自分は純潔を守っているなど。あの状況で言っていたら、ただの嫌味です」
「……」
「言わなかった、言えなかった気持ちはわかるつもりです」
当たり前のことだと、呆れるように。
「ルゥナ様は、私たちがそれほど聞き分けのない、見境のない愚か者だとお思いでしたか?」
「そんなことは……」
そうではないが、感情的には騙されたと感じて当然だと思ったから。
「では、ルゥナ様も凌辱されればよかったなどと考えるような、そんなさもしい心根の女だと?」
「……」
また、間違えたのだと思い知る。
セサーカの言葉に、恥じ入る。
視野が狭いのだ、自分は。
自分が嘘を重ねてきたこと、そればかりに気持ちが囚われて。
嘘つきだと、皆の怒りを買って責められる、そんなことしか考えなかった。
結局、自分のことしか見えていない。
彼女たちがどう受け止めてくれるのかを考えもせずに、謝罪を押し付けようとした。
「あんな思いは、ですね。誰にもさせたくないんですよ」
添えるように、それまで黙って聞いていたネネランが囁く。
「清廊族の誰にも……そこには、ルゥナ様もいるんですから」
「ネネラン……」
見えていない。
近くにいた仲間たちの目でさえ見ていなかった。
「ルゥナ」
アヴィの声が、いつもよりも柔らかい。
「ちゃんと考えて、もう一度。皆に謝りなさい」
姉のように、諭す。
ちゃんと考えて。
自分の何が間違いで、仲間に対してどう接するべきだったのか。
間違えてばかりだ。
けれど、間違いを正して。
こうして、やり直す機会をくれる。
「……すみませんでした。私は、本当に……大ばかです」
ミアデの言う通りだ。
しゃくり上げながら、泣き腫らした目でルゥナを見るミアデに頷く。
「……隠してきて、言えなくて。ごめんなさい」
「……」
「こんな形で知られると思わなかった。私は、幸いにして人間に性的な凌辱はされていません」
事実を、事実として伝える。
謝るべきことは、隠してきたことではあっても、同じ傷を持っていないことではない。
「今まで、知ったような顔で言ってきたことは申し訳ないと思います」
そんな振りをしてきた偽りを、詫びる。
「仲間なのに、皆の優しさを考えていなかった……私は本当に、私のことばかりで」
なぜ、彼女らが怒るなどと考えたのだろうか。
「……私が一番、仲間を信じていなかった。私が、私を信じられないように」
これまでの欺瞞は詫びるべきことだった。
だが、処女であることを詫びる必要はなかった。
仲間たちは、ルゥナの気持ちを察してくれるだけの度量がある。
ルゥナが汚されなかったことを、幸いだと喜んでくれる優しさも。
「ほんに、ルゥナは阿呆やなぁ」
黙って壁際で聞いていたウヤルカに言われるが、実際にその通りだ。
「まあなんやね、せっかくやしウチがもろうてもええよ。ルゥナの処女なぁ」
「それは、遠慮しますが」
ウヤルカなりの気遣い、なのではないか。
下らない言葉で、こんな空気を消してしまおうと。
こんな空気を作ってしまったのも、ルゥナの下らない思い悩みの結果だけど。
「ああ、ルゥナは交尾したことがないんだ」
エシュメノが、ようやく理解したように大きな声を上げて皆の視線を集めた。
「こ、交尾って……エシュメノ様」
ネネランが肩を震わせる。
涙目だったミアデも、エシュメノの言葉に噴き出した。
言葉にしてしまえばそんなこと。
「エシュメノも交尾したことない。処女だってトワが教えてくれた」
「……」
あの子は、エシュメノに何を教えたのだろうか。
「え、エシュメノ様……」
ネネランの頬が紅潮して、息が少し荒くなる。
「ニーレが言ってたんだ。エシュメノが処女でよかったって」
「え、っと……ニーレが?」
意外な名前に、聞き返すセサーカの表情が混乱する。
固い印象のニーレが、エシュメノにそんなことを言うだろうか。
「うん、人間に酷い目に遭わされなくてよかったって」
そういう意味合いでなら納得できる。
嫉妬や逆恨みなどしない。
大切な仲間が、つらい過去など背負わなくてよかったというだけのこと。
当たり前の気持ちで、真っ直ぐに。
結局、ここにいないニーレたちも、聞けば同じなのだろう。
ルゥナが純潔を守っていたとして、それを嫉視したりするようなことはなく。
ただ、良かったと。
「ミアデ……ごめんなさい、本当に。私が間違っていました」
「……うん」
「馬鹿な私ですが、これからも助けてくれますか?」
「うん」
ミアデと頷き合って、それからアヴィを見る。
「アヴィ……」
「……」
見つめると、アヴィは少し困ったように目線を泳がせた。
最近、どこか様子がおかしい。
落ち着かない。
改めて思い返してみると、アヴィの感情の波に落ち着きがない。
妙に冷たかったり、優しかったり。不意に激しかったり。
一番大切なはずのアヴィのことさえ、ちゃんと見られていなかった。
何か理由があるのかもしれない。
「後で、話をさせて下さい」
「……わかったわ」
ルゥナはもっと見なければならない。
仲間たちのことを。
アヴィのことを。
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