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戦禍の大地に咲く百華  作者: 大洲やっとこ
第一部 傷に芽吹く火種
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第6話 牧場主と上客と……



 牧場と、人間は呼ぶ。


 カナンラダ大陸を侵略した人間にとって、土地資源などとは別にその欲望の対象になったもの。人間が影陋族と呼ぶ、大陸の先住民である清廊族。

 清廊族を生育し、また売る為の施設。


 元々数が少ないことと、特に意味のない殺戮などもしてしまった為、さらに清廊族の数は減った。


 人間のような容姿で、長寿の生き物。

 愛玩用に作られたのかというような造形のその生き物を、滅ぼしてしまったら損だと考えた人間がいた。


 それゆえの牧場。



 清廊族は長寿である反動か繁殖力が高くない。

 そんな彼らに、人間は解決策を用意している。


 隷従の呪枷。

 呪いを刻まれた清廊族は、牧場を管理する人間の命ずるまま、繁殖行為を強制される。

 その姿さえ、人間にとってはある程度の娯楽になるらしく、見世物としても金を産んでいた。



 生まれた子供は、また奴隷として出荷されるまで牧場で暮らす。

 食事の量は少なくなかった。品質や味は全く考慮されないが、食事を与えなければ成長が促せない。


 人間どもは言うのだ。良い餌を与えているのだから早く大きくなれ。次の子供を産め、と。

 生まれた子供は、まだ幼いうちから出荷されるものもあったし、もう少し大きくなってからという場合もあった。


 清廊族の特徴である黒髪赤目以外の外見が顕著に出たものは、品種改良などと言われてそのまま牧場に残っていることもある。

 その色合いを遺伝させる為に。



 成長の遅い清廊族を、出産から出荷最低の年齢にまでするには二十年ほどかかる。

 だから、清廊族の奴隷は非常に高価だった。

 その多くは旧大陸……ロッザロンドという人間の大陸の富豪が購入するのだと。


 そうした牧場の経営が成り立つだけの利益が出ているのは間違いないのだろう。

 そこで生まれ育つ清廊族にとっては何も関係がないし、何が間違っているのか考えることさえできなかった。


 だがそれは決して、恨みを抱かないという意味ではない。

 昏く深い底の辺りに溜まり、より濃く純粋な色に澄んでいくのを、日の光の下で笑う人間が目にするのは、それらが溢れる時のことだろう。




「もちろんご用意いたしますとも。ルラバダール王国中興の英雄、その末裔たるラドバーグ侯爵閣下のご要望とあれば」


 大げさな身振りでそう言って軽く頭を下げて見せる50代の男。

 大きく出た腹のせいで、頭を下げようにも閊えて下げきれなかった。


 応対するやはり同年代の、だがこちらはすらりとした体格の男は、その言葉を受けてこちらは優美な会釈を返す。


「さすがはカナンラダ有数の……いえ、最高の商い人と名高いゼッテス殿。我が主も喜びましょう」


 互いに美辞麗句を並べ終えると、挨拶は終わりだというようにゼッテスが客人を先導して屋敷の一室へと案内した。



 案内される場所はいつもと同じ応接室。

 同じ屋敷なのだから、毎回応接室が違うということもない。


 ここを訪れるのは四度目になる彼は、ゼッテスの話に頷きながら応接室の豪奢な椅子に座った。


 遠慮をすることはない。

 屋敷の主人はゼッテスだが、彼の主は商い人より遥かに高い位であり、またそれに近く仕える彼も相応の血筋の出自だった。



「遠路はるばるロッザロンドから足を運んでいただいて恐縮ですな。キフータス様」

「主の命とあらば、冥府の戦場であろうと赴くのが臣下の役目。お気遣いには及びません」


 遠い。

 大陸を跨いだ船旅は、決して楽ではない。

 片道で一月以上の船旅になるし、天候が荒れれば危険も伴う。

 それでも主の――ラドバーグ侯爵の命であれば、キフータスに選択権はない。


(侯爵の傍にいつもいるというのも気疲れするだけだ)


 旅の疲れとどちらがいいかと言われれば、多少の遠路など厭うことはなかった。むしろ遠路である方が良い。

 勤め人としてごく普通の感情を抱くキフータス。それとは別の理由もあるが。


「しかしですなぁ」


 でっぶりと肥えた腹を無意識の様子で叩きながら、ゼッテスが首を振った。

 脂肪が多く、首も満足に回っているようでもないが。


「五匹目とは……私が父から家を継いで10年と少しになりますが、さすがに驚きますぞ」

「お恥ずかしい話、ひとつ壊してしまいまして」


 嘆息と共に、小さく頭を下げた。


「せっかく譲っていただいたゼッテス殿には申し訳ありませんが」


 ふうむと頷くゼッテスに、形ばかりでも謝意を述べる。


 所有権はこちらにあるにせよ、調達するにも手間のかかる商品だ。

 商い人の労力を無下にするようでは良い取引は行えない。お互いにリスペクトが必要だとキフータスは思っている。

 その姿勢でいるから、主の期待に応える成果を持ち帰ってきた。



「いやいや、そのようなお気遣いは無用ですぞ。キフータス様」


 当然のことながらゼッテスもキフータスに頭を下げないでくれと返す。

 それから少し思案するような顔をして、


「ふぅむ……壊れたというのは、あのオスの方でしたか」

「……なぜ、そうお思いに?」


 顔に出ただろうか、とキフータスは訝しんだ。

 取引の上で表情を浮かべるのは必要な時だけにしているのだが、言い当てられたので。



「いやなに、これは商売人の勘というやつですかな。成体のオスを購入される方はそれほど多くはありませんので」


 成体のオスでなければ、あとは幼体か老体か。まあ老体を高額で購入する者もおるまい。

 労働力と見るだけなら成体のオスが最も適しているが、非常に高額なそれをただの労働力として購入するのは割に合わない。

 買った幼体が、年月を経て成体となり、それを手放すというのなら有り得る話だが。



「となると今回も、ご要望は……」


 失ったオスの代わりか、と当たりをつけるゼッテスに、キフータスはつい苦笑を漏らした。

 そう考えるのが普通だろう。


「いえ、今回は」


 持ってきた鍵付きの箱を、ソファの間のテーブルに置く。

 かなり大きい。重さは幼児ほどだった。

 鍵がついているとはいえ用心の為に手放すわけにもいかず、旅路の間もずっと持っていたので、既に重さには慣れていたが。


「ほ、おぉ」


 開示された中身に、ゼッテスがその喉の脂肪を震わせる。


「二匹……オスとメスをそれぞれ、という主の希望でして」

「な、なるほど……失礼、五匹目どころか六匹目でしたか」


 予想していなかったのか、やや脂汗が浮いている。

 普通の庶民なら一生飲まず食わずで働いても買えないような商品を、二匹まとめて。

 船代やらも考えればそれ以上の出費のはずだが。


「わ、は、ははっ、さすがはラドバーグ侯爵閣下ですな」

「急な話でこれに応えていただける方となれば、私はゼッテス殿以外は存じませんので」


 調達に時間がかかる商品だ。

 ロッザロンドの富豪や貴族からの予約順番待ちという話も珍しくない。


 過去に一度、キフータスではない別のものがカナンラダに渡ったこともあったが、中々購入できずに一年以上奔走したのだと。

 帰って来た者を叱責する主人を宥めはしたが、待たされて苛立つ主の傍にいたキフータスの心労も大きかった。


 やはり信頼できるのはキフータスだけだと、主の言葉を喜んでいいのかどうか。



「そこまで仰られてはこのゼッテス、出来ぬとは言えんではないですか」

「カナンラダ広しといえど、高い品質でこれを用意いただける方はゼッテス殿だけでありましょう。御謙遜をされなくとも」


「なんのなんの。確かに、何でも良いというわけではありません。まして侯爵閣下にお届けするとなれば猶更」



 明らかに相場より高い金額を用意されて、ゼッテスの鼻息が強くなっていた。

 過去の取引の上で信頼があるから、それだけの評価をされている。

 それは事実であり、長く商売をやってきたゼッテスでも、そういう姿勢を示されるのは悪い気分ではない。


 むしろ、薄汚い商売人というような陰口を叩かれることも少なくないゼッテスだからこそ、信頼を示されることには心が奮わされた。


「ラドバーク侯爵閣下……いえ、キフータス様からのお言葉とあらば、きっとご満足いただける物をご用意いたしましょう」

「そう言っていただけると、私も主に叱られずに済みます。安心しました」



 取引は成立。まだ商品を見ていないが、成立と見ていいだろう。

 ふっと、ある程度の年を重ねた男二人の視線が緩む。

 商いというのは、これもまた戦いのやり取りのようなものだ。



  ※   ※   ※ 



「おっと、話し込んでしまってなんの持て成しもしておりませんでした」

「お気遣いなく」


 ゼッテスが何事かドアの傍に立っていた使用人に申し付けると、彼女は扉を開けて出て行った。


「あれも、そうですね」


 使用人ではなく、奴隷。

 ゼッテスの商いの中で、数は多くはないが、金額的にはかなりの部分を占める商品。


「あれは野良から買ったもので売り物にはならんのです。冒険者ギルドから流れてくるのですが、最近では野良もすっかり少なくなりまして」


 だから必要となる。牧場、養殖場が。



 ロッザロンド大陸とカナンラダ大陸では風土が違う。

 未知の病いなどを保有していたらという懸念から、先住民の奴隷を忌避する考えがロッザロンドにはあった。

 既に百五十年が経過して、あまり問題になっていないことを考えれば無用な心配だっただろうが。


 それでも不安が拭えるわけではない。ロッザロンドでしか暮らしたことがない人間にとっては特に。

 だから、野良の……牧場で生育した奴隷ではないものは、商品としてロッザロンド大陸に出荷することはなかった。


 この牧場で生まれ育ちました、というブランドも箔になり、商売に於いて信頼は金になる。

 ゼッテスは強欲な男ではあったが、信頼を失うことの損害の方が大きいという計算も出来る商売人だった。



「繁殖は――」


 キフータスの眉は動かない。

 動かさなかったから、ゼッテスは確信した。

 この話は間違いではないと。


「どうもあれら影陋族の繁殖は、このカナンラダでなければうまくいかぬようでして」


 聞きたい話だったのだろうと。


 オスとメスの番で買っていくのだから知られるのも承知の上だったと思いながらの話題だった。


「そういうものですか」


 表情を崩さないキフータスだが、それでは本音は隠せない。


 本当に興味がないのなら、振られた話に対して、少しは興味があるような顔をした方がいい。とゼッテスは思う。

 別に隠したいわけでもないのかもしれないが。


「風土というのか、魔神の呪いなのかもしれませんが、ロッザロンドで繁殖に成功したとは聞きませんな」

「なるほど、確かに」


 オスとメスを揃えれば、わざわざカナンラダまで買いにくる必要もない。

 ロッザロンドで繁殖させて、それを売れば今度は自分たちの利益になる。


 そんな思惑があるのかもしれないが、それではゼッテスのような商売人が困るのだから。



「どうでしょうか、ゼッテス殿」


 キフータスが、世間話のような顔で続けた。

 ちょっとした提案だけれども、という何気ない様子を装って。


「ゼッテス殿が、ロッザロンドでそれを……影陋族の繁殖、生育の事業を試みてみるなどというのは」


 今までにない事業を興す。

 それが成功した場合の利益は、いったいどれほどのものなのか。


「ほう……」

「ラドバーグ侯爵も、その話なら協力を惜しまないでしょう。私からも後押ししますが」



 地盤がないゼッテスの為に、ルラバダール王国の重鎮が後ろ盾になると。

 そんな条件を提示してみせて、ゼッテスの反応を窺うキフータス。

 本気で言っているのか、戯れなのか。


 話に乗ってくるのならそう対応するだろうし、そうでなくてもいいという態度だった。そう取り繕っているだけだろうが。



「それは面白そうな話ですな」


 無下にはしない。


「ですが、先ほども申し上げた通り、どうもロッザロンドでは繁殖が難しいようですからな。キフータス様のお気持ちはありがたく」


「いえ、考えの足りぬことを申しました。無礼に感じられたらお許しください」

「とんでもない……おお、遅かったな」



 話を流したところで、膳が運ばれてきた。

 運んできたのは、先ほど出て行った奴隷ではなく。



「これは……」



 キフータスに表情が浮かぶ。意図せず、驚愕の表情が。


「……」


 その顔を見たゼッテスの表情は満足げに。

 驚くのも無理はない。



「これも……失礼、影陋族なのですか?」

「ええ、そうです。驚かれたでしょう」

「……はい」


 どう答えたものか少し迷った様子のキフータスだったが、別に誤魔化す必要はないと考えて首肯する。

 驚いた。

 思わず声を上げてしまうほど。



「銀糸とは……瞳の色も違うのですね」

「親もこれに近い容姿でしてね。影陋族の中でも珍しいそうで」


 一般的な影陋族の容姿は、陶磁器のような白い肌に黒い髪、赤い瞳。


 それとはまるで異なる、銀色のさらりとした髪に薄いグレーの瞳の少女。

 肌の色は、色素そのものが薄いようで、まさに雪のような細く美しい首筋に見惚れる。


「……?」


 首が見えている。


「これは……呪枷をせずに?」


 傷一つない首筋を見て、再び声を震わせた。

 繁殖可能な大きさにまで育った影陋族は、購入先で呪枷を刻まれるか、それとも牧場で呪枷をつけて飼われるかのどちらかというのが通例だった。

 キフータスはそう聞いている。



「私が成人するより前に、生まれた頃からこれの世話をしておりましてな」

「……」

「さすがにそれだけの時をかければ、主人と己の立場はわかるようで……愛馬のようなものですか」


 その腹では馬には乗れまいに、と思うキフータスだったが口には出さない。

 他人を罵るような言葉を口にするような教育は受けていないし、そもそもゼッテスの言葉が右から左へ抜けていた。


 そんなことはどうでもいいと思えるほど、美しい。

 こうしてみれば、呪枷というものが無粋だとも思う。


「呪枷なしで……ですか」

「さすがにお客様には提供できませんが、これは牧場主である私の楽しみとでも申しましょうか」


 呪枷がなければ、逆らう可能性もある。

 自ら命を絶つこともあるだろう。高額な買い物に対して、それはあまりにリスクが高い。


 ゼッテスの言う通り、こうした経営主だから出来る道楽と言える。これは侯爵だろうが王だろうが簡単に手に入らない。



「トワでございます」


 鈴が、鳴った。

 雪のように白い喉から、鈴のように響く声に、何を言われたのかわからない。


 遅れて、名乗られたのだと知る。



「は……はは」


 思わず笑い声を漏らしてしまうなど、キフータスにとっては何年ぶりのことだろうか。

 主の冗談や機嫌を取り持つための笑い声ではなく、自分の制御を外れた笑い声など。


 抑えようかとも思ったが、諦めてそのまま流した。

 さすがは商売人。人の心の間隙を突いてくる。


「ゼッテス殿もお人が悪い」

「はてさて」

「素晴らしい牧場主でいらっしゃることを、このキフータスが疑っていたとでもお思いですか? 改めて確信させていただきましたが」



 影陋族の奴隷が、たとえ呪枷を施されていないとはいえ、自ら自己紹介するなど有り得ない。

 仕込まれている。


 よく飼い馴らされ、どのように振舞うべきかを知っている。

 客人に――おそらくゼッテスにとってある程度以上の客人に対して、さらに知らぬ世界があるのだぞと見せるための隠し玉。


 そうと見れば、また金を出すことを考える。そういう材料としての価値があった。


「では、キフータス様にもお気に召していただいたようですから、今回の商品はその手の容姿のものから選ばせていただきましょうか」

「そのお気持ち、主も喜びましょう」


 繁殖の実験のために二匹の奴隷を買って帰ること。

 それも目的だが、やはり珍しい見た目の商品であれば、主の覚えが悪いはずもない。


「出来れば、この……トワをいただきたいところですが」

「ははは、それはご容赦を。私もこれには愛着がありましてな」

「……そうでしょう」


 言ってみただけだ。


 もし譲ってもらえるのならいくら必要なのか。

 何なら、キフータスが個人的な資産全てを譲渡してでも手に入れたい。

 そう思う程度には、本気でもあったが。


「さて……段取りもありますし、また十日ほどはお待ちいただくことになるかと思いますが」

「お任せいたします」


 牧場は屋敷のすぐそばにあるわけでもない。

 それにゼッテスが管理する牧場は複数あった。その中から候補となるものを見繕って準備するのに時間がかかるのはいつものことだ。



「では、キフータス様には当家の離れに……いつもと変わり映えのない場所で退屈かもしれませんが」


 滞在中の宿泊もゼッテスが面倒を見てくれる。

 上得意客なのだから当然だとも言えるが、それはキフータスにとって有難い。


「とんでもない」


 今度は作った微笑で応じたが、その裏側など当然わかっているのだろう。


「いつも通り、おもてなしはさせていただきますので。どうぞ我が家だと思ってお寛ぎください」


 おもてなし。

 主から離れ、こんな僻地まで来ても、苦労を厭わない理由になっている。


「お言葉に甘えさせていただきます」


 ロッザロンドにいたら、こんな時間に甘える機会はないのだから。



  ※   ※   ※ 

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