ナザロの戦いの後で
ナイフが突き刺さったセサーカの服の袖を切り裂き、その布で肩の近くをぎゅうっと縛る。
かなり深く刺さっていたので止血が必要だった。
幸い毒などは塗られていない。
そもそも普段から毒を仕込んだ刃物など持っていたら、所持している方が危険だ。
逃げる時間稼ぎの為に咄嗟に投げたのだから、いちいち毒など塗っている暇などなかっただろう。
「つ、う……」
セサーカの眦から涙が零れた。
「……」
なんと声を掛けようか、変に優しくするのも甘いと思ったし、そう思うと突き放すような言い方になってしまいそうで。
ルゥナが黙っている間に、片足を引き千切られた冒険者を引き摺ってきたアヴィと、残りの兵士を片付けたミアデが駆け付けてきた。
「だ、大丈夫? セサーカ」
「うん……ったぁ、うん……」
痛みで顔が歪む。
体に刃物が刺されば誰だって痛い。痛覚のせいで涙が出てしまうのは仕方がない。
心配するミアデに強がってみせようとするセサーカに、とりあえずルゥナは離れた。
「お、お前ら……」
「が、ふっ……」
片足を千切られた痛みで痙攣している冒険者と、凍り付いた睾丸を潰されて蹲っているもう一人。
どちらもまだ息がある。
「すみません、アヴィ。結局手を……」
「ルゥナ」
呻く冒険者のことなどどうでもいい。
アヴィの力を借りないようなことを言っておいて、結局足りなかった。自分の力が。
「……あとで、おしおき」
「は……い?」
思わぬ言葉に、何を言われたのか意味がわからない。
お仕置き、と言われたのか。
(それは……うまくできなかった、から?)
だとすれば不思議な話ではないが、アヴィにそんなことを言われるとは思わなかった。
もちろん、彼女がそうするというのであれば、ルゥナに異論はない。
むしろ自分の不手際だったと反省しているところなので、何か罰してもらった方が気が楽だ。
「これ、どうする?」
話は後だとでも言うように、アヴィがそれらを一瞥して言う。
「落とし穴の中にも……」
まだ息のある二人の冒険者の処理と、最初に落とし穴に落とした二人もいるはずだ。
「あ、落とし穴にいた人間ならあたしが」
そちらはミアデが処理していたらしい。
深い落とし穴だが、後で処理する為に近くの屋根にロープを準備していたが。
「片方は足が折れてたのと、もう一人は腹押さえて唸ってたから、やっちゃったけど……」
それをしていたから、セサーカよりも戻るのが遅くなっていたのだろう。
「ええ、それで構いません。ミアデ」
まずかったかと不安げに声が小さくなっていったミアデに、肯定の言葉を掛ける。
「となると、この二人は……」
止めは、セサーカがいいだろうか。殺せばその力を得られる。
力のある冒険者だ。わずかに得られる無色のエネルギーも、元が強い方が当然に多い。
「こんな、影陋族なんぞ、に……」
この期に及んで尚もそんな口が叩けるのは、根性があるというのか。
(性根から腐っているということでしょうか)
清廊族に対する蔑称。
人間が、清廊族を人間の従属種として定めた名前。
既に死を覚悟したから毒を吐くことはやめないのか。睾丸を砕かれ、腰が立たなくなった状態で。
「セサ……」
「違うわ、ルゥナ」
アヴィが落ちていたショートソードを拾って、ルゥナに渡す。
間違っていると。
「貴女がやって」
その刃と共に軽く口づけももらえたので、素直に頷くしか出来なかった。
※ ※ ※
殺すまでに話を聞く為、つい多くの切り傷を作ってしまった。
足の指の間に、肘に、耳に、目の下に。
多少の人間の動向を知ることは出来たが、聞くに堪えない罵詈雑言も多かったので、口も裂いた。
ルゥナがそれを処理して振り返ると、そこには妙な光景が。
「う、うぁ……っ、アヴィ、さまぁ……」
「……ん、動かないで」
桃色の舌が肌をなぞる。
セサーカの二の腕にアヴィが舌を這わせていた。
「……」
「くぅ、ん……っ!?」
「……」
切なそうに声を上げるセサーカに、冷たい視線を向けるルゥナと、目を丸くして頬を赤らめているミアデ。
やっているアヴィ当人に表情はない。
「ん……」
当然のように、母猫が子猫の毛づくろいをするように、セサーカの傷を舐めている。
(……治癒、ですね)
治癒の魔法を使える者は少ない。
ルゥナは使えないし、セサーカはどうなのかわからない。そういえばまだ試していない。
アヴィは、その特異な体質で、接触すれば治癒することができるのだろう。今まで見たことがなかったけれど。
見ている間にセサーカの傷口は塞がっていって、後には息を荒くしたセサーカが残るだけだった。
「……人間は、南のレカンの町が襲われる可能性を危惧しているようです」
「そう」
治癒が済んだところで話を変えるようにルゥナが言うと、アヴィはいつものように何も関心がないような声音で短く答えた。
「そう。レカンに……」
関心が、ないわけでもないようだ。
アヴィはあまり人間社会に詳しくなかった。魔物に育てられていたのだから当然だと思っていたが。
(何か、関りがあった?)
聞いていいのかわからず、その言葉は記憶の中にだけ留めておく。
「差し当たり危険はないかと思います。この人間どもの装備は使える物は回収しておきましょう」
「ええ」
「今日は……もう一日、ここで休息します」
「そうね」
怪我のせいかそうでないのか、汗をじっとりと額に浮かせたセサーカを見てルゥナが言うと、アヴィもそれに頷いた。
死んだ冒険者が他にも回復薬などを持っているかもしれない。
使える物は使う。ルゥナは故郷でもずっとそう教わってきた。
そもそも人間どもに奪われたものを取り戻す為に使わせてもらうのは当然の権利だろう。
「水浴び、しましょう」
風に乗った砂ぼこりが気になったのか。
集落には井戸があったので、アヴィの言葉に従い皆で水浴びをした。
誰の目を気にすることもなく、また気温も清廊族にとってはそれほど気になるほどでもない。
血の臭いや砂ぼこりを洗い流していると夕方になったので、そのまま村で一晩を過ごした。
※ ※ ※
「あ、っくぅ……」
「……動かない」
ルゥナはアヴィにお仕置きを受けていた。
(お仕置き……というか、これでは……)
アヴィの舌がルゥナの足をなぞる。
その感触に、痛みと共につい別の感情も湧き上がってしまうのは仕方がない。
(……セサーカのことを嫉妬してたのが馬鹿みたい)
「ぅっくぁっ! ……アヴィ、あの……」
「……なに?」
「あの……セサーカの時より、乱暴……な気が、します……」
脛に残っていた傷をアヴィに治癒されていたのだが、その舌使いがセサーカの時より強いような気がするのだ。
傷口を舐めるというより、抉るように。
「それは……お仕置きだから」
「……」
それなら、仕方がないけれど。
少し考える時間があったのはなぜなのだろう。
少し涙目でアヴィを見つめる。
「……ルゥナ」
アヴィの顔が、ルゥナの足から、脚へ、下腹へ、胸に、顔の前まで上がってくる。
いつもの通り感情をあまり感じさせない表情だが、どうやら怒っているようだと感じた。
目が、いつもより少し鋭い。
「なぜお仕置きか、わかっていない」
「……はい」
失敗したからとか、そういうことではない。
自分の手を煩わせたから、ということでもないのだろう。
アヴィがどこに怒っているのか見当がつかない。
「もう……」
嘆息するアヴィの瞳が少し緩んだ。
「私だけ、何もするなって言った」
「……はい」
本当に危険だと思うまで手を出さないでほしいと。
アヴィの力なら大抵の敵は片付いてしまう。
それに慣れてしまって頼り切ってしまうのでは、ルゥナにとっても、セサーカとミアデにしても本当の戦いの経験にはならない。
それに、なんだか。
アヴィを利用しているようだ。彼女の類まれな力を、奴隷のように。
悪いことをしている気がして、そう言った。アヴィの力を頼らずに戦うのだと。
「見ているだけなのは、つらいの」
切なそうな囁きと共に、ぎゅっと抱きしめられた。
「もう、見ているだけなのは……何も出来ないのは嫌なの」
母を失った時のように、何も出来ないのは嫌だと。
失いたくない。
ルゥナがアヴィにそう思うように、アヴィもそう思ってくれるのだろうか。
「もう誰も、なくしたくない。奪われたくない」
ルゥナだけのことでもないのか。
自分が味方とした誰かが失われるのが怖いと。
「……」
その体を抱き返す。ルゥナと同じくらい華奢な体つきの彼女を。
背中に手を回して、その温もりを掴まえる。
「ごめんなさい、アヴィ」
「だめよ」
「次からは、アヴィの役割も一緒に作戦を考えますから」
「……本当よ」
本当です、と言って彼女の髪にキスをする。
「ん、本当よ」
ルゥナの首筋にアヴィの声が響く。
くすぐったさが心地よい。
(……これでは、お仕置きじゃないです)
ご褒美だった。
※ ※ ※