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戦禍の大地に咲く百華  作者: 大洲やっとこ
第二部 苦くて甘くて痛くて甘い
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第54話 心地よい寝台



 ノエミと名乗った女密偵は、特に逆らう様子はなかった。


「その……てっきり、御存じの上でお話をされているのかと思いました」


 イリアに組み伏せられても動じず、勘違いだったと話すのだが。


「……あの、私……女の方は初めてなので、どうしたらいいか教えて下さい」


 頬を赤らめて熱い吐息を漏らすのは、イリアが体をまさぐっているからだ。

 服の中に手を這わせて、起伏のある胸の隙間や脇を。

 スカートから手を入れて内股と臀部に手を回して、見つけた。


「小刀、ね」

「必要な場合もあるものですから」

「これでマルセナを?」

「そんなつもりは毛頭ありません。隷従の呪術もありますし、そうでなくとも」

「はっ」


 もちろん呪術で隷属させているのだからマルセナに害意などなかっただろうが、その言葉がイリアの癇に障る。

 さっきまでのクロエのことで気分が悪いのに、ここでまたマルセナに取り入ろうとする女の言葉など反吐が出る。



「イリアさん、手荒なことをすべきではありません」

「……」


 その言葉が間違っているとは思わないが、口を挟んだクロエを横目で睨んだ。

 苛立っているのは誰のせいだと。


「そういうのは後にしましょう、イリア」

「……わかった。だけど、マルセナに妙なことをしたら殺す」


 マルセナに言われて、ノエミを解放した。

 立ち上がりつつ乱れた服を直して、改めてマルセナの前に膝を着く。



「マステスの軍部に所属する密偵のノエミと申します。今はマルセナ様にお仕えしたいと思っております」

「どうしてそう思われるのかしら?」

「その方が楽しそうだから、です」


 悪びれもせずにそう言って、マルセナに手を伸ばした。

 マルセナが手を差し出すと、その手を取って額に当てる。


「私の母は罪人でした」

「そう」

「私は、生かされる代わりに、マステスの密偵になりました。幼い頃からそのように教育を受けて、上の言うなりに」


 マルセナの手を取り、まるで罪を告解するように言葉を吐く。


「呪枷がなくとも、私は奴隷でした。生きる意味など考えたこともなかった」

「……」

「マルセナ様もイリア様もお美しい。自分の意思で誰かに従うのなら、美しい方にお仕えしたいと思うのはおかしいでしょうか?」


 イリアも名前を出されて、少し居心地が悪い。



「お姿もですが、なんと言ったらいいのか……その、こんなことをしてしまう自由さと、それを可能にするお力に。憧れました」

「そう……」

「男どもの言いなりになって、男の勝手に振り回されてきた自分を変えたいと。偽らざる気持ちです」

「なぜ今までわたくしに言わなかったのでしょう?」

「機会がなかったことと、その……」


 顔を斜め下に向けて、言葉が途絶えた。

 言いにくいことがあるということだ。


「隠さず、本心を話しなさい」

「私も、マルセナ様とイリア様の間に混ぜていただきたくて、恥ずかしくて……」


 この女も、マルセナの体目当てか。

 クロエといい、どいつもこいつも。



「仕事とはいえ幾多の男と枕を並べてきた私が、そんなことを言えるはずもないと。密偵であることはいずれお話しするつもりでしたが、あの……」

「わかります、ノエミ」


 俯いて小声になっていくノエミに、寄り添ってその肩を抱くクロエ。


「マルセナ様にお仕えしたいという気持ちも。下らぬ男に身を任せてきた過去への負い目も。私にはわかりますから」

「クロエ様……」


 見つめ合う二人に、マルセナの眼差しがどこか優しい。



 イリアにも、その気持ちはわかる。

 下らぬ男に身を委ねたという苦い記憶や、マルセナに尽くしたいという強い気持ち。

 共感してしまえば、拒絶しにくい。


「事情はわかりましたわ、ノエミ」


 使える手駒に成り得る女で、その動機も理解できた。

 どちらにしても隷従の呪術で逆らえるわけでもないのだが。


「そのマステスの使者とやらをどうするのがいいか。知恵を貸していただけるかしら」

「お役に立てるのなら、喜んで」



 イリアは思う。

 誰もが、マルセナを知れば臣従したいと感じて当然だと。

 だがその度に、イリアだけが傍にいた時よりもマルセナが離れてしまうことが寂しい。


 あの山小屋でずっと二人だけで過ごせればよかった。

 立派な寝台も柔らかなクッションもなかったが、あの時間は至福だった。


「イリアも、ここの葡萄酒はお好きでしょう?」

「……私が好きなのはマルセナだけ」

「本当にイリアったら、もう」


 過去を欲しがっても仕方がない。

 今は、こんな風に笑うマルセナを見られるのだから、その幸せを甘受しよう。




 いくつかのシナリオと、詳細は調査中という話をまとめて、クロエとノエミは出て行った。

 マルセナ達が表に出る必要はない。


「……」


 久しぶりに、二人きりになれた気がする。

 クロエたちの話がどうなるのかわからないが、それほど早く戻ることはないだろう。


「っ!」


 思い切って、マルセナに襲い掛かった。

 危害を加えようというのではない。その意思であれば制約はかからないのだと知っている。

 抱きしめ、寝台に押し倒す。



「……怒らないの?」


 まるで抵抗する素振りを見せないマルセナに、恐る恐る聞いてみた。


「あら、怒られたかったのですか?」


 からかうように訊ねられ、目を伏せる。

 マルセナの目から逃れるように、顔をマルセナの胸に擦りつけた。

 イリアよりも柔らかい。


「違うけど……」


 寝台に倒したマルセナの体に顔を押し当てて、深く呼吸する。

 微かな甘い匂い。

 それはマルセナがいつも寝ている寝台にも染みついているけれど、直接鼻孔をくすぐる甘さはまた別だ。


「我慢できない頃かと思っていましたから」

「……ごめんなさい」


 二人だけの時だと甘い。クロエがいなければ。

 そう見切ってのことだったのだが、やはり罪悪感はある。

 マルセナの気持ちを無視して、強引にその体を貪ろうなどと。


「別に謝らなくても構いませんわ。イリア」


 首筋に頬を当てて息を吸い込むと、くすぐったそうに笑う。

 機嫌は悪くない。


「貴女はわたくしの特別、でしょう」

「マルセナは私の特別なの。一番なの。一番に愛してほしい」


 クロエのせいで溜まっていた鬱憤を含めて、身勝手な我侭を囁いた。



 小柄な体を抱きしめる。

 わずかに軋む音を立てる寝台と、外から聞こえる虫の声。


「わたくしなりに、愛しているつもりですけど」

「……うん」

「ここは居心地が良いですし、この寝台は広くて一緒に寝るのも不自由ないでしょう」

「……クロエも、いるから」

「狭いですか?」


 そうではない。

 三人でいても不自由ないくらいの広さはあるけれど。

 口を尖らせて非難めいた目を向けたイリアに、マルセナがくすくすと笑った。


「イリアのそういう顔、わたくし好きですの」

「……」


 好きと言われれば、少し頬が緩んでしまう。

 マルセナが好きなら仕方がない。



「野宿や、町の粗末な寝台だと、イリアったらわたくしを庇うでしょう」


 当たり前だ。

 ごつごつした石や出っ張った木でマルセナの体に痛みが残ったりしたら許せない。


「イリアの体はわたくしの物。で、よろしかったかしら?」

「うん、そうだよ。全部マルセナの物」


 よろしいも何も、そう言ってもらえたら嬉しさでたまらない。


「わたくしのイリアの体に、起きたら痣が残っているのは、あまり好きではありませんわ」


 イリアの為だった。


 マルセナがこの屋敷で暮らすことに執着を見せているのは、イリアの為だ。

 冒険者として体を鍛えていても、寝ている間ずっとどこかの血流が悪くなっていれば、いくらか痕が残る。

 それを厭って、この上等な寝台での生活を続けたいと。

 意外なこだわりだったが、それもマルセナらしいか。



「マルセナ……私、あの……」

「なにかしら?」

「……キスしても、いい?」


 嬉しさが込み上げてきて、せがむ。

 口づけの許可を求めると、マルセナは小さく首を振った。


「唇以外なら、お好きに」


 どうして唇は許してもらえないのか。


「……唇は?」

「全部ダメがよろしいかしら?」


 慌てて首を振って、許可を得た全てを、イリアの好きなようにする。

 マルセナは、許可したことについては拒絶することなく、クロエたちが戻ってくるまでイリアは甘い時間を得ることができた。



  ※   ※   ※ 



 バニルはコクスウェル上流階級出身の軍官だ。

 軍務と政務の両方に携わる貴族は少なくない。


 特に開拓地カナンラダでは、政治的なことを理解している人間が多くないので、大抵は両方を求められる。


 コクスウェル連合の一都市に本家はあるが、それこそ政治的な理由もあり新大陸へと派遣された。



 バニルは普段は港町マステスの領主の補佐を務めている。

 税務官は別にいるので、やっていることは治安維持や港湾周辺の海の魔物の駆除の指揮といったことが多く、軍官であるという意識が強い。


 マステスの北に位置するトゴールトの町。

 共にコクスウェル連合がカナンラダ大陸での主要拠点とする町であり、トゴールトは食料供給の要でもある。


 そのトゴールトで暴動なのか反乱なのか、理解不能な事態が起きたと報告があれば、マステスの領主が何もしないわけにはいかなかった。

 マステスの領主は、コクスウェル連合が定めるところの、このカナンラダでの総督になるのだから。


 政争なのか反逆なのか、噂や報告を聞く限りでは全く意味がわからなかった。

 不測の事態も考慮して、荒事にも対応できるだろうとバニルが使者として遣わされたのは妥当な選択だと言えよう。

 勇者には及ばぬものの、準勇者と呼ばれる程の力がある。


 パシレオス将軍が死んだというのなら、それだけの何かがあるのだろう。




「……どこまでが本当なのやら」


 トゴールトの領主ピュロケスは、目に見えてやつれていた。

 演技とは思えない様子で。

 信頼していた軍官に裏切られ、町に大きな被害が出て、子供も失った。

 そういう事態の後であれば、あんな顔にもなるだろう。


 パシレオス将軍の子飼いは全滅。

 町の戦力も、天翔騎士の一部などを除いて大きな被害を受けたのだと。

 町の中で一番被害が大きかったのが、高級商店の区画と冒険者ギルド。

 というのが、なぜなのか。


 町の中心街であるそこで大きな爆炎魔法が乱発され、そこに目が向いた所で城門での魔物の襲撃。

 西門に現れたのは赤い粘液状の魔物だったと言うが、その正体は不明。

 南門は、黒い煤というか影というか、誰もその形状を把握できておらず、やはり正体不明。

 天翔騎士のクロエや居合わせた冒険者の活躍によりそれらは解決したと。


 それから一日半後に、パシレオスの部隊による襲撃。

 全ての仕掛けがパシレオスだったとして、なぜタイミングがずれたのかと聞けば、天翔騎士サフゼン率いる天翔勇士団が抗戦していたからだと。


 戦力的な内容や詰めの甘さが納得しきれないが、結果はこうなっている。

 それとは別に動機もわからないが、それらは調査中らしい。


 隣接しているルラバタール王国の英雄ビムベルクとその副官が近くに来ていたという話もあり、裏で通じていたのかもしれない。

 ピュロケスから受ける報告とは別に、そのビムベルク達の話はマステスでも確認されていた。


 何の理由か、他国の軍幹部がレカンの町から東進したのだと。

 英雄ビムベルクと、奇手の(・・・)ツァリセ。聞けば油断していい相手ではない。


 コクスウェル連合ではかなりの立場であったパシレオスに、それ以上の魅力ある提案があったのかもしれない。

 トゴールト地方を確保することが出来たら、ルラバタール王国にとっては大きな戦果だ。

 話の辻褄は、合わないようで、合うようで。



「どこまでが本当なのやら」


 パシレオスの反逆とは別のシナリオで、ピュロケスが色気を出して独立自治でも考えたのかという疑いもあったのだが。


 町に潜ませていた密偵も何も掴んでいない。噂話と似たような報告ばかり。

 屋敷にいた密偵の生き残りに裏を取ってみても、ピュロケスの話とちょうど噛み合ってしまう。


「……落ち着かん話だ」


 世の中には、確かに俄かには信じられないようなことも起こるとバニルは知っていた。

 想像を超えた事態というのはあるし、このカナンラダに関してはまだ歴史が浅い土地なので余計に起こり得る。


 だがそんな時でも、渦中にあっては、矛盾と感じられる話が出てくるものだ。

 やはりそんな突飛なことはないのではないか、と思わせるような安心材料というか、否定的な話というか。


 今回、それがあまり見当たらない。

 異常な事態で、異様な話なのに、入ってくる報告はなぜかそれらを肯定的に感じさせるような話ばかり。

 それならそれが事実なのかと言ってしまえばいいのだが、それがどうにも落ち着かない。


 話が、作られているような。



「……考えすぎだな」


 バニルも疲れているのかもしれない。


 町の被害の状況も確認した。

 兵舎はもちろん、魔物を使役する獣使隊の施設も確認した。

 ここしばらくほとんど使われていない。臭いでわかる。


 トゴールトの戦力は明らかに激減している。

 偽装という可能性も考えたが、やはり町からの情報提供を確認して、実際にそれらの戦力が先の戦闘で壊滅したのは事実のようだ。


 仮にピュロケスが裏で反逆を企てていたとしても、この戦力の低下は一年やそこらで回復できるものではない。

 万一見落としがあったとしても、ただちにマステスが困った事態になることはないだろう。


 逆だ。

 今度はトゴールトの防衛戦力が低すぎる。


 ルラバダール王国が宣戦布告と共にトゴールトを占領などとされたら、マステスの町が飢えることになってしまう。

 異常な事態で、使者という名前の内部監査に入ったバニルではあるが、本来トゴールトは味方陣営の領地なのだ。



「……俺が考えてもどうにもならないか」


 これらの情報をマステスの総督を含めた上層部に上げて、判断するのはそちらに任せるしかない。

 総督権限で、ピュロケスからトゴールト領主の座を剥奪、拘束となるかもしれない。

 それまでにはもう一度や二度は査察や事情聴取があるだろうが。



 夏だ。


 トゴールトから出て進む街道の周囲には、青々とした麦やら唐土(もろこし)やらの穀物畑が広がっているのが見える。

 この周辺だけではなく、沿岸部の人々の食料にもなる実り。


 これらの収穫がされる頃になっても、ようやくトゴールトは壊れた建物の修繕が終わる程度だろう。

 戦力の回復も、体制の立て直しをするにも時間が足りない。



 結論を急ぐことはない。

 バニルは日差しを浴びて育つ麦畑の光景を目に収めて、自分の心を波立たせる焦燥感を忘れることにした。



  ※   ※   ※ 

当初、査察官の名前ヤルミル。

他の主要キャラとかなり似ていたので『バニル』に変更しています。

後で一話だけ出てきます。

ヤルミル=バニルです。修正しきれていなかったらすみません。

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