第51話 団長の説教
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第二幕初めは人間側勢力の話が続きます。
後に大きく物語に関わることになるます。
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「聞いているのか?」
低い、地獄の底から響くような声。
これが多分、冥府で人の罪を裁くとか言われる冥王の声なんだろう。
そんな声で聞かれたら、自分なら震えて愛想笑いしか出来ないと思う。。
ツァリセは、自分が大物ではないと自覚がある。
別に大物になりたいとも思わない。
出来れば穏便に、適度に満たされて適度に静かな日々を過ごせたらいい。
なぜ軍人などになってしまったのかと言えば、親からの半ば強制的な進路指導であり、特にそれに逆らう気持ちもなかったからなのだが。
大物といえば、身近に知っている人がいる。
なぜ身近にいるのか。いると気苦労が増えるだけなのに。
ツァリセが英雄の副官などという立場にあることを、親はたいそう喜んでいるのだが。
(滅茶苦茶ストレスだから)
これなら下っ端の兵卒をやっている方がいいとさえ思う。
「……聞いているのか?」
再度、地獄が唸る。
違った。エトセン騎士団長ボルド・ガドランが問いかけた。
椅子の背もたれにふんぞり返って耳をほじっている部下に。
「閣下……」
後ろからスーリリャが小声でささやきかける。
本来ならこの場にいることも許されないだろうし、騎士団長であるボルドの前で言葉を発するなど許されないだろうが。
「あー、聞いてるって」
もっと許されない感じの人がいるので、許されてしまっている。
エトセン騎士団長ボルド・ガドランは、勇者と呼ばれるに足る力を有している。
戦闘力もさることながら、指揮能力、管理能力、判断力と。
立派な騎士団長だ。
ツァリセも出来ることならこんな上司に……
(いやいや、それも疲れるよね)
清すぎる上司も大変だと思うので。
ルラバダール王国の上位貴族は、多くが強い力を有している。
戦う力を。
そもそも家を興すきっかけが武勲を立ててということが多い。
当然武勲を立てるのは強い人間であり、家に力があればその子にも英才教育が出来る。
逆に言えば、力がなければ立場を失いかねない。
だから魔物の養殖場で力を蓄えさせたり、戦闘技術の教育や供をつけての実地訓練などもさせて、その力を維持する。
それでも、やはり個人の資質として、勇者の力まで届かない者も少なくない。
直ちに廃嫡ということもそうそうないが、全くないわけでもないのだとか。
それでも一般人とは比べることも出来ないほど強いし、また安全にそういう力を得るまで育つことになる。
一般の者が冒険者を目指すのは、そこに夢があるからだ。
冒険者となり、勇者英雄と呼ばれる力を身に着ければ、その先の道が。
その力で国に貢献すれば、位は低くとも上流階級に入れるかもしれない。支配する側と言ってもいい。
歴史ある貴族の家との縁が出来ることもある。
強い血筋を求める貴族も少なくはないのだから。
夢破れて死ぬ者も多い。
ロッザロンド大陸はカナンラダ大陸に比べてはっきりとした国境線が引かれた土地ではあるが、戦火は絶えない。
民族的な対立や、宗教的な問題。
同じ女神レセナを崇めていても、同じだからこそ違いが許せないのだとか。
食料や資源を巡る争い。
利害の不一致も当然存在する。
暴力的な手段で解決した方がいいと誰かが判断すれば、そこには簡単に火がついてしまうものだ。
ルラバダール王国はそういった戦いに多くの勝利を収めて、ロッザロンド大陸最大の国家になっている。
その貴族階級は当然、戦いに秀でた者が多い。
国王もまた、英雄王と呼ばれるほどの人物。
これがコクスウェル連合などになると、商い上手の支配階級もいたりするのだが。
ボルド・ガドランはルラバダール王国貴族の三男だと聞いている。
家を継ぐことはなく、このカナンラダのエトセン騎士団に来たのは二十年以上前のこと。
その実力と人柄を認められて、エトセンを治める領主から騎士団長に任じられた。
ビムベルクの例もあるが、カナンラダは特に実力主義の傾向が強い。
エトセンの領主本人さえ下手な上位の冒険者より強かったりする。
「俺だって別に好きでやったわけじゃねえ」
「話を聞いていなかったな」
ビムベルクの返答に、ボルドは微動だにしない。
飾り気のない執務室の椅子にびしりと真っ直ぐに座ったまま、口元を必要なだけ動かして喋るだけだ。
誰かが彼を評して銅像のようだと言ったことがある。
「魔物を退治したことを責めていない」
「んー、あー」
「貴様に手傷を負わせたほどの影陋族を逃がしたことを、なぜ今まで黙っていた」
怒られている最中だと思うのだ。
ボルドの表情は鋼のように硬いままだが、怒っている。
「言ってもどうしようもねえと思って、なぁ」
「……」
なぁ、と話を向けられたのは?
(え、なんで僕?)
ボルドの視線がツァリセに刺さった。
「そう思うか?」
「え、あ……」
なぜ団長はツァリセに聞くのだろうか。
ビムベルクが副官に同意を求めたからなのだけれど、おかしい。話の流れがおかしい。
「あ……はっ、英雄ビムベルクが手傷を負ったなどと聞けば、いらぬ動揺を招くこともあるかと。倒した千年級の魔物によるものとして、後の判断を団長に仰ぐ所存でした!」
言い訳を考えた。
それらしい答えを用意して、背筋を伸ばして返答する。
「そういうわけ、だな」
(何を偉そうに……)
ぐぎぎと歯軋りしそうになるのを堪えて、上司と口裏を合わせる。
上司の方は何もしていないような気がするが。
「それで、その報告が青の治癒士から上がってくるまで私に届かなかったのは、理由があるのか?」
いやあバレないかなと思っていたので、とか。
もちろん、そんなことを言える雰囲気ではない。
※ ※ ※
ビムベルクが負傷して戻ってきた。
というのは、割と大ニュースとして伝わってしまう。
英雄であり、個人としてはエトセン騎士団で最強の戦力であるビムベルクが、軽くない手傷を負って帰ってくるなど。
過去に西側で、アトレ・ケノス共和国やイスフィロセの部隊と戦闘になった時以来のこと。
カナンラダ西側沿岸部を本拠とするイスフィロセの勢力。
この大陸の最初の入植者であり、国家の規模は小さいものの、新しい技術や変わったことを始める印象の強い国だ。
イスフィロセに所属する英雄、女傑コロンバ。
戦場と見れば最前線に立ち、無数の鋲を打った棍棒で敵を殴り倒していく女戦士。
絶妙な加減で敵が即死しない程度で打ち据えて、死ぬまで苦しむ声を聞くのが好きなのだとか。変態だ。
イスフィロセが治める大陸西南サキルクの港から南東に進むと、長細い湾のように海が入り込んでいる場所がある。
その湾内にネードラハという港を構えるのが、アトレ・ケノス共和国。
ルラバダール王国から見たら、ロッザロンドで長年争う仇敵になる。戦いは数百年前からになるのではないだろうか。
アトレ・ケノスには竜騎兵がいる。飛竜を操る戦士で、相当に厄介な相手だ。
それとは別に、やはり英雄級の戦士がいる。
伝説と言ってもいい。
かつて一万のルラバダール王国兵士を一人で撃退したのだとか、そんな逸話がある英雄。
豪傑ムストーグ・キュスタ。
齢50も半ばを過ぎた人物で、普通の成人男性から頭一つ大きいほどの巨漢。
戦場で見れば一目でそれとわかるし、声もでかい。
豪胆な気性なことと、性豪というか性欲の強い男で、気に入った女を見つけるとその夫を殺してでも連れ帰ってしまうのだとか。
さすがにそれは噂話なのだが、そう言われるほど彼のいるヘズの町では恐れられているらしい。
ルラバダール王国と敵対的な関係にあるアトレ・ケノス共和国。
その共和国が、北西部の影陋族と戦う際に、隣接するイスフィロセの勢力と鉢合わせることがある。
現時点ではどこの勢力下でもない土地で、この二つが潰し合いをすることも少なくない。
今から7年前に、まだツァリセがビムベルクの副官ではなかった頃に、エトセン騎士団も参戦した。二国の争いの場に。
どちらもルラバダールにとっては敵対勢力。後ろからアトレ・ケノスの勢力を叩こうと。
その頃からビムベルクはエトセン騎士団、赤の一番隊長であり、当時ボルド・ガドランは副団長だった。
結果は失敗。
飛竜騎士モッドザクスの急襲を受けた上に、正面から女傑コロンバと豪傑ムストーグが率いる二つの勢力を相手にすることになった。
その負け戦でビムベルクが負傷したことがあったのだと。
それ以来、ビムベルクが大怪我を負ったことなどなかった。
「魔物との戦闘とは別に、刃物による傷が腹部にあったと。私はチャナタから聞くまで報告を受けていないが」
「……」
「理由があるのなら聞こう」
良い上司だ。
頭ごなしに叱りつけるのではなく、部下の話を聞く姿勢がある。
(……いや、絶対にわかってて聞いてるんだよね。これ)
やな上司だ。
ツァリセに逃げ道がないことを知っていて、言いたいことがあるなら喋れとか。
そもそも聞く相手はツァリセではなくて元凶の方なのではないか。
人の気も知らずに、その本人は欠伸などしているが。
「知らぬかもしれないが」
黙り込むツァリセを見かねたのか、ボルドが口を開いた。
「ビムベルクに一太刀浴びせるというのは、私でも難しい」
「はあ」
「そんなことをして生き延びている影陋族の戦士というのは、私の見解ではかなり危険な相手だと思うのだが、君の意見はどうかね?」
全く反論はないのに、なぜだか反対意見があるかのような岸に置かれている気がする。
なぜですか? 自分はそちら側の人間ですよ。
ツァリセの立っている場所は、ボルドからは遠く見えているらしい。
「危険な相手だと思えば、私なら報告を怠らないと思うのだが。君の意見はどうかね?」
もう一度、同じ言葉で意見を求められる。
「その……仰る通りです」
「ならば、なぜ報告がなかったのか」
結局、そこに戻ってくる。
逃げ口上など役に立たない。この場にいるはずのビムベルクやスーリリャと同じくらいにツァリセの助けにならない。
いや、スーリリャは仕方がないとして。
「……忘れていました」
もうどうにでもなれと、ツァリセの吐き出した言葉に、ぴくりとボルドの眉の筋肉が動きを見せた。
忘れていたというのも嘘だ。報告を怠っていただけで。
「脅威がトゴールト側に去った為、失念しておりました」
「そのトゴールトだが」
ボルドの声に苛立ちが混じる。
素直に言ったのに、まだ続くのか。
「町を魔物に襲われたという報告と、翔翼馬の部隊が壊滅したという話と。パシレオス将軍がクーデターを画策したという話も舞い込んでいる」
ツァリセもこの数日でそんな噂を聞いていた。
クーデターなど有り得るのだろうか。
確かに本国から遠く離れたこのカナンラダ大陸で、軍事力を握る者が考えることはあるかもしれない。
だが、そこに勝算がなければ実行しないだろう。
ただ領主だのを殺せば済むという話ではない。
本国に向けて正当な理由を明示して自分の立場を確実に出来るだとか、他国の後ろ盾を得て独立するだとか。
あるいは、完全に自治を維持できる力を保有しているか。
他国の後ろ盾という話であれば、このエトセン、レカンを治めるルラバダール王国側に根回しがあったのではないかと思うのだが。
どうも、そうではない。
だとすれば完全に軍部の暴走。
勝算のないクーデターなど自殺と変わらないと思うのだが、有り得るのだろうか。
辻褄の合わない近況報告と、エトセン最大戦力ビムベルクの負傷。
責任者としては頭が痛いだろう。少しツァリセに意地悪を言ってしまう気持ちもわからなくはない。
だけど、出来れば別の人間にしてほしいものだ。八つ当たりというのは。
「仮にそのトゴールトの騒動にも影陋族が関わっているとしたら、私はビムベルクの影陋族への肩入れを疑うこともしなければならない」
「は?」
「はっ」
疑問の声を上げたツァリセと、鼻で否定するビムベルク。
態度が悪すぎる。
ボルドの目の端にスーリリャが映り、彼女がびくっと姿勢を正した。
「パシレオスが影陋族と通じてクーデターを画策した。その影陋族と接触したビムベルクがどういう経緯かそれらと結託し、それらの存在を隠蔽しようとした」
「はあ……」
ツァリセの口から洩れた息も、微妙に先ほどのビムベルクの態度と近い方向に向かっている。
そんなわけがあるか、と。
自慢ではないがツァリセの上司は、結託とか隠蔽だとかそういう言葉を知っているとは思えない。
気に入った、楽しい。気に入らん、不愉快だ。
こういう行動指針なので。まあその中で影陋族を気に入ったということはあるかもしれないが。
「私も、それほどビムベルクが考えなしだと思っているわけではない」
「いやそれは……」
違いますよ、と言いたいけれど。
「とにかく、事態が異常すぎて状況がわからん。些細なことでも今までにないことなら報告を怠るな。ツァリセ」
「は……い」
結局、怒られるのはツァリセだった。
恨めしい気持ちで、前の椅子でふんぞり返っているビムベルクを睨むが、頭を掻きながら終わった終わったという雰囲気で反省の色はない。
「だんちょー」
だーんという音を立てて、ドアを開けると同時に踏み込んでくる人がいた。
足音は聞こえていたのか、やはりボルドは微動だにしない。
ドアの近くにいたスーリリャは、びくぅっと身を震わせたが。
「なぁんだ、まぁだツァリセいじめてたのか」
「入る前にはノックをしろと言っている」
トントン、と。遠慮がちにドアが叩かれた。
先ほど開けられたドアが跳ね返ってきたところを、そっと叩くもう一人。
「入ってよい」
「失礼しま、す」
それでいいのかと聞きたいが、団長の許可を得て二人目も部屋に入りドアを閉めた。
ツァリセとスーリリャは隅に移動して場所を譲った。
二人の女性。ツァリセより若く見えるが、ツァリセと同世代。30を過ぎているはずだが25歳だと言われたらそう見えなくもない。
顔立ちは似ている。というか瓜二つ。
豪快にドアを開け放って飛び込んできた女性は、ツァリセの青い顔を見てにかぁっと笑う。
入り口の外で、遅まきながらにそっとノックをした女性は、ツァリセを見て薄っすらと笑う。
どちらも青を基調とした服装だった。
「おー、例の呪枷な。今日の晩飯までには出来るってさ」
「呪枷の件です、が。本日夕刻までには仕上げると、呪術師ナドニメが申して……おりました」
同じ内容の報告をするのだが、まるで印象が違う。
ボルドはそれを咎めるでもなく、わかったと短く答えた。
「まぁた怒られてんのか、ビムベルク。ばっかだなー」
「るっせぇ、ちげえよ」
違わないのだけれど。
怒られていたのはツァリセだったから、ビムベルクの言い分も間違いではないのかもしれない。
馴れ馴れしくビムベルクをからかうのは、チューザ。
エトセン騎士団、青の右長と呼ばれる魔法使い。
「ふ、ふふ……ツァリセ君、死相……」
うっすらと笑みを浮かべるのが、チャナタ。
青の左長と言われる魔法使い。
双子の女魔法使い。
二人揃っていれば、ビムベルクでも勝てないと聞いたことがある。
彼女らもルラバダールの貴族出身だった。若く見えても力はあるし、リーダーという立場にも据えやすい。
冒険者出身で赤の筆頭隊長になっているビムベルクの方が珍しい。
「話はそれだけか?」
「は、い……すぐに報告を、と。おっしゃっていた、ので」
「あの勇者君、そろそろ煌銀製の鎖引き千切りそうなんだぜ。腕が千切れるのとどっちが先か賭けに……あー、なんでもない」
とりあえず口を塞ぐチューザに、ボルドも聞かなかったことにしたらしい。
「わかった。下がっていい」
「うーす。話終わったんならツァリセも来いよ」
「あ、はい」
助かった。
チューザとチャナタに続いて部屋を出るツァリセとスーリリャと。
「待て、ビムベルク」
呼び止められた。上司だけ、その上司に。
「あぁ? 説教ならもう……」
「違うぞ」
じゃあ何の話があるのかとビムベルクが顔を向けると、ボルドの口元に笑みが浮かんでいた。
笑顔だ。鉄面皮に。
「説教は、これからだ」
では、そういうことでと。
固まるビムベルクの姿を、ぱたむと閉じるドアの向こうに置いてきた。
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