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戦禍の大地に咲く百華  作者: 大洲やっとこ
第一部 傷に芽吹く火種
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第41話 大広間



 屍食鼠(しばみねずみ)

 名前はひどく忌まわしいが、食物連鎖の中では重要な生き物になる。


 死肉を始めとして他の生物の排泄物でも何でも食べて、それを土に還す役割を担っていた。

 食べるのは死肉だけではない。生きている肉でももちろん食料とする。


 屍食鼠は、一匹ずつではそれほど恐れるほどの力はない。

 大きさは膝より少し高い程度で、主な攻撃手段となる牙は口元にしかないのでリーチが短い。

 動きはすばしっこいが、捉えきれないほどの速さではなく、冷静に対応すれば駆け出しの戦士でも十分に倒せる。

 森を移動している際に、トワやニーレが倒していたのもこれの近縁種だった。


 その数が、広間の地面を埋め尽くすような大波となって押し寄せてくるのでなければ、恐れることでもなかったのだが。




「冷厳たる大地より、渡れ永劫の白霜」


 セサーカの判断は適切で、またその魔法の効果を十全に発揮していた。

 かなり広範囲に渡って、洞窟の固い地面に凍てつく冷気が走る。

 押し寄せる鼠の波が、目に見えてその速度を落とした。



「はっ!」


 ニーレの放った矢が、猛然と進む屍食鼠を二匹まとめて射抜いた。

 続けて放つ矢も、同じように屍食鼠の命を奪う。

 死んだ仲間の死骸も餌となるようで、そこに群がる波がまた一時的にでもこちらに迫るまでの時間を延ばしてくれた。



「数が多い!」


 アヴィが地面を払うように剣を振り、迫ってくる大群の前線を衝撃で吹き飛ばした。

 押し戻される鼠の群れが、またそれを飲み込む波となって寄せてくる。

 最初のセサーカの魔法がなければ、今以上の勢いで襲い掛かってきたのかと思うと恐ろしい。



「はっ!」

「やああ!」


 アヴィのいない方向からも敵が襲ってくる。

 ミアデとエシュメノが前に立ち、駆けてくる屍食鼠に対応していた。

 二人の身体能力はかなり高く、左右の拳と短槍、あるいは鋭い蹴りで魔物を屠っていく。


 ミアデの右拳が屍食鼠を撃ち抜き、足元に迫る群れを廻し蹴りでまとめて蹴り飛ばした。

 その蹴りの回転のまま、裏拳で飛びかかってきた屍食鼠を振り払った。


 エシュメノは、黒い短槍で一気に数匹を串刺しにしたかと思えば、短槍の形態変化で刺さった魔物の重みから瞬時に解放される。

 そして、右手の深紫の捻じれた短槍を伸ばし、激しく回転しながら魔物の群れに突っ込んだ。

 凶悪な旋風のようなエシュメノに、巻き込まれた魔物がずたずたに引き裂かれて散っていく。



 それでも波から溢れ零れてくる屍食鼠。


「ええいっ!」

「KUEE」


 非戦闘員に向かうそれを、ラッケルタに跨るネネランが、ラッケルタの勢いと合わせて槍を振るって屍食鼠を薙ぎ払う。

 その下のラッケルタも、太い足や尻尾で魔物を蹴り飛ばし、ついでに目の前に浮いたそれに食らいついていた。


 案外とネネランもたくましい。洞窟の中でもエシュメノに置いて行かれないように魔物退治に積極的ではあったが。

 割と狙いが正確なのは、ネネランに言わせると『裁縫作業みたい』だと。



「私だって!」

 取りこぼした魔物はユウラとトワが対処していた。


「させませんよ」


 妊婦や幼児のところには行かせない。手斧と包丁で迫ってくる魔物を切り裂く。

 地面を埋め尽くすような屍食鼠の大群に肝を冷やしたが、仲間の成長もあり何とか持ちこたえることが可能だ。



「あ、ありました! 東に登る穴が!」

「先行してください! ユウラ、貴女も!」


 この広間も危険だが、先に何かないとも限らない。

 気配察知に長けたユウラに先を任せる必要がある。

 他にも誰か支援をつけたいところだが、こちらの状況もまだ予断を許さない。



「はっ!」


 ルゥナの持つブラスヘレブが、一息で三匹の屍食鼠を突き刺し、さらに続けてもう一匹を斬る。

 切れ味が鋭い。本来ならアヴィが持った方が良いだろうと思ったが、アヴィからルゥナが使うように言われた。

 ソーシャの命を奪った武器ということでエシュメノには申し訳ないが、英雄が手にしていただけあってかなりの逸品だ。




「いけない!」


 セサーカの焦った声が右手から。

 見れば、壁と床の間にある溝のような隙間を辿って迫る数十匹の屍食鼠の集団があった。


 この勢いでは、非戦闘員の方に被害が及ぶ。

 力の弱い魔物とはいえ、幼児などにとっては大きな脅威になるし、あの数で食いつかれたら冒険者などでも危うい。



「っ!」


 ルゥナのいる場所からは遠い。右手奥側だ。

 間に合わない。せめてもう一本魔術杖があれば。


「行かせません!」


 立ちはだかったのはネネランとラッケルタだった。

 しかし、ラッケルタの動きでは素早い屍食鼠を捉えることは出来ない。騎乗するネネランとて数十匹を防げるはずがない。

 


「GOAAAA」


 風が起こった。

 先ほど冷やしたセサーカの魔法と反して、急激な温度差が発生して気流が起こる。


「ひゃあ!」

 ネネランの悲鳴。


 ラッケルタの背に乗ったネネランが、ラッケルタの口から放たれた熱波の影響を受けて顔を伏せる。



「炎の――っ!」


 火炎ではない。かなりの熱量ではあるが、高温の温風だった。

 ラッケルタの口から放たれるそれは――


(高熱の魔法……)


 一部の魔物が使う、魔物独特の魔法だ。

 熱の強さなどを見れば、マルセナがよく使う劫炎の魔法に比べたら半分の半分にも満たない。


 だが屍食鼠相手になら十分に効果があった。

 水が沸騰するよりも高い熱の風を受けて、喉を焼かれたのかその場でひっくり返ってのたうち回る。



「ラッケルタ、えらい!」


 エシュメノの声が上がった。

 熱さで顔を背けていたネネランが、エシュメノの歓喜の声に反応してやる気を出したのか、まだ息のある魔物に槍を突きさしていく。


 あちらはなんとかなった。

 まだ動いている屍食鼠の数もかなり減っている。




「ズオォォォ! ジィアァァァァ!」


 まだ解決していない。


 地響きのような声。

 これに追われて、この屍食鼠どもは狂乱していたのだ。

 おそらくこれこそが、この大広間に長居してはいけない理由。



「ニーレ! ユウラと共に先に進んでください!」


 弱い弓ではこれの対処は出来そうにない。ニーレには別の役割を指示して、広間の奥から這い寄る何かの気配に備える。

 まだ残る屍食鼠を片付けながら、その正体を見極めるべく闇の中に目を凝らした。



「……顎喪蟲(がくそうちゅう)


 大広間の奥から這いずるそれは、筒状の体に円形の口を持つ蟲の魔物。

 円形の口唇にびっしりと、短い棘のような牙が生えていて、獲物を飲み込みながら磨り潰すように咀嚼する。


「お、大きすぎ……ない?」


 ミアデの声が上擦るのもわかる。

 思い出したように、脇を通る屍食鼠にその丸い口が叩きつけられた。


(速い)


 アヴィの剣速に近い速さで、体をうねらせて数匹の屍食鼠を口に収める。

 そのまま、ぐちゃりと噛み潰しながらこちらに迫る速度も、その巨体でわかりにくいがかなりの速さだ。



 大きい。

 ルゥナの知っている顎喪蟲という魔物は、ルゥナの二倍程度までの体長だった。

 だが、ここに存在するそれは、その口の直径がルゥナの二倍くらいありそうだ。


 体長――体の長さなら、その五倍以上。

 円柱状の巨大な魔物だった。



顎喪巨蟲(がくそうきょちゅう)……とでも言うのでしょうか」


 皆が進んでいった道を確認して、思い通りにならないことについ表情が歪む。

 広い。

 思ったよりも通路が広い。

 ソーシャが通れるくらいなのだから狭くはないと思ったが、広すぎる。


(この魔物も、あの通路を通れてしまう)


 アヴィやルゥナが走れば逃げ切れるかもしれない。

 ソーシャも当然、これに追い付かれない速度で走れただろう。

 しかし、先行している清廊族の非戦闘員は違う。妊婦も赤子も幼児もいる。



「通路では対応できません。ここで……」


 倒すしかない。倒せないまでも足止めするか何か。

 その顎を見て理解した。


「岩を穿った穴は、この顎で砕いた穴です。絶対に捕まらないように」


 穴の大きさにもおおよそ合っている。


 この大広間だけでなく、反対岸にも、おそらく地中を掘り進んで移動することが出来るのだろう。

 巨大で、素早い動きが可能で、岩盤を噛み砕く顎を持った蚯蚓(ミミズ)

 その外皮も、鱗や甲殻のように硬質なものを重ね合わせたように見えた。




「ゾォォォジャアァァァ」


 見えている……のだろうか。

 視覚ではない何かで周囲を捉えている。

 それが向かうのは、エシュメノのいる方向。





「まさか……喋っているの?」


「っ!?」


 食らいつこうと襲い掛かってきたそれの口の端を、右手の籠手で打ち払いながら後ろに飛ぶエシュメノ。


 飛んだわけではなく、その重量で弾き飛ばされただけだ。

 壁まで吹き飛ばされるエシュメノを追って、今度はその壁に向かって恐ろしい口を開けて食らいつく。


 エシュメノのバランス感覚は非常に優れていた。

 反射神経もよく、吹き飛ばされた壁に足を着き、食らいつかれる前に斜めに跳んだ。

 巨大な口が大広間の壁にめり込み、その衝撃で空間を揺らす。



「はああぁっ!」


 口が壁にめり込んだ隙に、その腹に向けてミアデが渾身の突きを放った。


「っ!」

「んぎぃぃぃぃ」


 暴れた長い体がミアデを弾き飛ばし、アヴィがそれを抱きとめた。


「あっ……すみ、ません」

「いい」


 壁や床に叩きつけられたら大怪我になるところだったが、アヴィが冷静に見ていた。



「い、ったた……殻は砕いたと思うんだけど、ちょっと……」

「無理しないで、ミアデ」


 セサーカが駆け寄り、アヴィからミアデを受け取る。



「喋っているんですか?」


 先ほどのルゥナの言葉をトワが訊ねた。

 確信があったわけではない。だが、蟲の魔物の鳴き声とは何か違う感じがした。


「……ソーシャ、と……聞こえませんでしたか?」


 トワが魔物の方を窺い、少し考えて首を縦に振る。


「言われてみれば……」



 重い音を響かせながら、食らいついた周囲の岩を削り落として顎喪巨蟲が向き直る。

 どういう要領かはわからないが壁に張り付いたまま、エシュメノの方を。


「ゾォォォジャァァァ」

「なんだ……なんだ、お前っ!」


 やはりそう。追っているのはエシュメノで、エシュメノの手にあるソーシャの角だ。


 エシュメノもそれに気づいて、動揺しながら威嚇の声を上げる。

 通常の顎喪蟲よりも十倍近い大きさの魔物なのだから、相応の年数を生きていると考えていい。

 魔物なりの知性を得ているのかもしれない。



「ぐぃぃぞごねぇだぁぁぁ」


 今度は、即座に飛びかかるのではなく、恨みをぶつけるように唸った。

 空気を唸らせ、音を鳴らす。


「にどもぉぉ……にどもぉぐいぞごぉねだぁぁぁ」


 二度、食い損ねた。

 そう言っているのか。


 知性というほどまでではない。だが、普通の魔物以上の思考力はある。

 食欲に支配されているが、こちらの言うことを理解して、それに応じての言葉。



「そ、ソーシャは! お前なんかに食べられない!」

「ぐぅわぜどぉぉ!」


 再度エシュメノに飛びかかる顎喪巨蟲。

 先ほどよりも速い。尻尾を縮めるようにして溜め込んだエネルギーで撃ち出されたその巨体に、エシュメノは思わず身を守った。

 両手の双角を籠手形状にして。



「駄目ですエシュメノ!」


 それでは飲み込まれてしまう。エシュメノの小さな体ごと。

 飲み込まれ、磨り潰されてしまう。



「やああぁ!」


 裂帛の気合と共に、横からアヴィの剣が走った。


「っ!」


 甲高い音が響く。

 折れた。

 アヴィの渾身の力に耐えかねたのか、顎喪巨蟲の外皮に刺さることはなく、剣が折れた。



「ぶうぅぅ!」


 それでも、剣で打たれた衝撃でエシュメノに向かっていた口が地面にぶつかり、硬質な岩を削りながら擦っていく。



「づばああぁぁ!」

 地面に口を擦りながら、巨大な尻尾を振るった。


「うぁっ!」

「アヴィ!」


 折れた剣を手放すかどうか、迷ったのだろう。

 巨体で薙ぎ払われたアヴィが一度地面に跳ねてから、体勢を立て直して着地する。

 が、膝をつく。



「く、ぅ……」


 ソーシャが戦いを避けるよう言った魔物だとすれば、強いのは当然だった。

 堅牢な外皮と強靭な顎、そして見かけによらない素早さと。


 ソーシャもここで遭遇して、襲われたのだろう。

 単独なら、無理に戦う必要はなかった。


 顎喪巨蟲以外にも、まだ屍食鼠も周囲に群がる。

 セサーカやネネラン、トワがそれらの対処をしていて、誰にも余裕がない。

 



「アヴィ、無事ですか?」

「ん……」


 こんなことなら、やはり無理にでも名剣をアヴィに渡しておくべきだった。

 アヴィが鋼鉄の剣で斬れない魔物となれば、ルゥナが名剣を持ってしても斬れないかもしれない。

 せめて動きを止められればと思うが、あの巨体をどうやれば。



 額から血を流し、肘を庇うように抱えて膝をつくアヴィ。

 大丈夫かと聞けば平気だと言うだろうが、そんなわけはない。


「へい、き……」



「おまええぇぇ!」


 エシュメノの左手の黒い短槍が突き刺さった。顎喪巨蟲の左頬のあたりに。


「びょおおぉぉ!」

「アヴィをっアヴィをぉ!」


 頭に血が上ったエシュメノが、もう一撃右手の深紫の短槍を捻じ込む。


 深紫の短槍は、捻じれた螺旋が刻まれている。

 明確な部位があるのかわからないが、頭部あたりに深く突き刺さったそれは、簡単には抜けない。


「びゃああああぁぁ!」


 大きく頭を振り上げた顎喪巨蟲に、槍を掴んだままのエシュメノが共に振り上げられ――


「エシュメノ!」

 叩きつけられた。


 先ほどのアヴィと同様に、槍から手を離せなかったエシュメノは、敵の巨体が振り回されるままに地面に叩きつけられた。



「じゃああ……ぞぉぉじゃああぁぁぁ!」

「う、ぅ……」


 くたりと、地面に転がるエシュメノ。

 右手の短槍は顎喪巨蟲の頭に刺さったまま。左手の短槍は籠手の形で腕に着いている。

 叩きつけられ、意識が朦朧としているのか立ち上がれない。



「ぐぅうぅぅ」


 顎喪巨蟲の丸い口が、倒れたエシュメノにびっしりと生えた牙を剥いて圧し掛かった。

 唇が裏返るようになって牙が反り返り、エシュメノの体を磨り潰さんと。



 アヴィを置いて、ルゥナが駆け出す。

 手にした刃が通じるかどうかはどうでもいい。とにかくエシュメノを助けなければ。


 巨大な魔物は、おそらく長い年月思い描いていただろうソーシャを味わう代わりに、その忘れ形見を食らおうと他のことに目もくれない。


 ぎちゃぎちゃと音を立て、棘のようにびっしりと生えた無数の牙がエシュメノの小さな体を飲み込もうとする。


「エシュメノ様!」


 ルゥナは、間に合わなかった。



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