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戦禍の大地に咲く百華  作者: 大洲やっとこ
第一部 傷に芽吹く火種
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第37話 天翔騎士の娘

マルセナルートが平行して進みます。



 クロエは、天翔騎士の娘として生まれた。

 少し年の離れた兄サフゼンは自慢の兄で、トゴールト最初の天翔騎士である父は自慢の父親だった。


 父が亡くなった時はもちろん悲しかったが、親が子より先に逝くのは自然の倣いとすれば珍しいことではない。

 サフゼンは、年の離れた妹であるクロエに対して、父の代わりのように振舞うことがあった。



 クロエが天翔騎士になることを望んだのは、父や兄に乗せてもらった景色が素晴らしかったからだ。

 本当は駄目なのだけれど。


 誰かを乗せるとなれば、当然領主や地位のある者も乗りたがる。

 現在の領主のピュロケスは、決して横暴なタイプの人間ではなく凡庸な人物だったが、やはり空を駆けてみたいという気持ちはあるだろう。


 翔翼馬に乗るのは天翔騎士のみ。

 そういう決まりを作って、例外は許さないとした。



 だけど、やはり娘には甘いのだ。

 こっそりと乗せてもらった翔翼馬から見たものは、他の何物にも代えられない素晴らしい景色。


 自分も天翔騎士になりたいと言い出したクロエに、父も兄も苦笑を浮かべるしかなかった。

 同じ道を行きたいという幼い娘に、嬉しいのやら困ったのやら。




 三年前、クロエが十五歳の時だった。

 奇跡が起きる。


 牧場で翔翼馬が出産したのは双子の変異種だった。


 漆黒と純白の双子の翔翼馬。

 通常の翔翼馬は茶色の毛並みだ。その色合いの違いの他に、さらにもうひとつ。

 それぞれの頭には、小さな角があった。


 父が亡くなった翌年ということもあり、それは亡き父の魂を宿しているのだと囁かれる。



 純白の翔翼馬は、領主ピュロケスの息子ニカノルに贈られた。

 今もトゴールトの領主の館の裏に繋がれているはずだ。


 漆黒の翔翼馬は、クロエの愛馬となった。

 サフゼンの特別扱いではあったが、それが許される立場なのだからそれでいい。

 本当は純白の方が良かったのだけれど、さすがにそこまで我侭は言えない。


 クロエは天翔騎士として領主の屋敷に勤めるようになった。

 もうしばらくすれば、ニカノルとの婚約も発表されるはずだった。


 その日が訪れることはあるのだろうか。




「ピュロケス様!」


 目の前で切り裂かれる領主。

 たった二人の冒険者ごときが、魔物の襲来と共に屋敷に押し入ってきて。

 そんなことを誰が想像できるのか。


「誇り高い天翔騎士様とやらは、妹の貴女を助けに来て下さるのかしら?」


 嘲笑を浮かべる女――クロエと大して変わらない年頃だと思うのだが、遥かに年上にも感じられる。


 警備の兵士を五人、瞬く間に光弾で撃ち抜いた魔法使い。

 別方向にいた兵士を、こちらも一呼吸の間に切り裂いた短剣使い。


 既に屋敷の警備兵はその多くが殺されていた。彼女らに立ち向かい、逃げることも出来ず。

 どちらも上位の冒険者。上位の中でも一握りの、勇者に手が届くレベルの。


 そんなものがこの町にいたなど聞いていない。

 どうしてこのタイミングで。


(違う。彼女らがこれを仕掛けた)


 だとしても頭がおかしい。だとしたら、頭がおかしいと言った方がいい。


 いくら勇者だとしても、一人二人で軍と戦えるわけではない。

 そういうのは、英雄と呼ばれるさらに上に位置する者だ。

 英雄だとしても、国と戦えるわけではない。トゴールトを襲えば、今度は南の港町マステスからも手配を受ける。


 そもそも二人でトゴールトを支配できるわけでもなし、ここを全滅させることも不可能だ。

 あまりに非道をすれば、今度は隣接するルラバダール王国所領からも手配がかかるだろう。


 エトセン騎士団であればおそらく英雄でも殺す戦力があるはず。勇者級の使い手が数人以上いるという話だ。

 英雄ビムベルクその人もいる。

 それらを敵に回せば、いずれ力尽き死ぬことになる。


 個人レベルで町に襲撃を掛けるなど、頭が狂っているとしか思えない。



 トゴールトの警備を請け負う将軍パシレオスも、年齢は50近いが勇者級の力があるのだ。

 いくらこの二人が強いとはいえ、それを……


「貴女のお兄様が、この町の将軍だったりするのかしら?」


 パシレオスを含めた軍の中心人物は、現在町にいなかった。

 今朝ほど出撃したのだ。領内に不審な集団がいるとかで。


 こんな時に。

 違うのか。この時だから仕掛けてきたと考えた方が自然だ。

 不審な集団というのも合わせて、この二人の企みなのだと。



(ただの狂人ではなく、何か……ルラバダール王国そのものが仕掛けて来たの?)


 隣接する他勢力はそれだけで、他の何かからの襲撃だとはクロエには考えられなかった。




「貴様、ピュロケス様を――」

「いけませんわね」


 魔法使いの女の一言で、短剣使いの女が、喋りかけた男――町の建築関連の責任者だった男の喉を切り裂いた。


「あ、びゅ……」

「ひぃぃつ」


 大量の血を流して倒れた男を見て、他の生きている人たちが後ずさる。

 その様子を見て、魔法使いの少女は軽く頷いた。


「最初に言いましたわ。わたくし、下劣な男とお話をしてはいけないのだと……ねえ、イリア」

「……マルセナに、汚いものは近づけさせない」

「と、彼女が言うものですから」


 そんな理由で、あっさりと。



「だから、一応はお話相手としてこちらのお嬢さんをご指名しているのですけれど、翔翼馬の乗り手の肉親だとは好都合でしたわね」

「マルセナには女神の導きがあるから」


 狂っている。

 この二人は明らかにおかしい。普通の思考をしていない。

 どこかの国が計画を立ててトゴールトを襲ったなどという話ではないのか。



「卑奴隷のくせに……」


 短剣使いの首に巻かれた黒い呪枷。

 白い呪枷ではない。そもそもこの女は影陋族ではないだろう。


 人間でありながら黒い呪枷をつけられる。

 それは本当にどうしようもない罪を犯した者だけだ。

 死罰でさえ生温いと、人間未満の扱いで苦しみの人生を歩ませる為の極刑。



「あんた……」

「っ!」


 クロエは覚悟した。

 短剣使いが剣を腰に収めて、その指をクロエに伸ばす。

 刺し殺すでは飽き足りず、あの手でクロエの髪をむしり、鼻と耳を捥ぎ取り、目を抉ろうとしている。


 殺さずに、苦しめる。

 そういう目だった。



「イリア、怒りませんの」

「……」

「貴女はわたくしの特別。そういうことではいけません?」

「マルセナ……」


 息の詰まるような鬼気が、マルセナという魔法使いの少女の言葉で霧散した。


「……うん」


 まるで恋する乙女のように、頬を赤らめて俯く。


「そちらのお嬢さんも……クロエでしたわね。イリアはわたくしの特別なので、そんな風に仰るのはやめて下さるかしら。でないと……」

「っ……」


 ピュロケス以下、まだ生かされている男たちを一瞥した。

 びくりと震える塊に、つまらなさそうに息を吐いた。



「……この町の有力者ということで使い道があるかもしれないと生かしていますが、彼らが早死にしてしまう、かも」

「やめて!」


 その中にはピュロケスもいるし、ピュロケスの息子でありクロエの婚約者となるニカノルもいる。

 財務管理と治水及び備蓄管理の責任者を務める役人もいるのは、非常事態でピュロケスの近くが一番安全だと思ったからだろう。


 門に魔物が現れ、町の中で連続して爆発が起きている。

 その事態の中にあって、身の安全を確保しつつ自分の職務だという体裁が保てる領主の傍に来た。

 それが間違いだった。



「やめて?」


 短剣使いのイリアの声が冷たい。

 クロエは今更ながらに体が震えた。

 怖い。この女は自分を殺せる力があって、気が向けばすぐにそうするのだと。


 殺すことさえ飽き足りず、なるべく死なないように長く苦しめようとするだろう。

 卑奴隷なのだ。まともな人間でなくて当たり前。



 じわりと、股間が湿った。

 恐怖に耐えかねて、涙の代わりに溢れてしまう。


「や……やめて、ください……」

「あらあら、そうして素直にしていると可愛らしいですわね」

「……」


 マルセナの軽口を聞いたイリアの目がさらに鋭くなり、クロエの心をいっそう冷たくさせる。


 膝に力が入らず、内股気味にへたり込んでしまった。

 少しだけ、失禁した下着が冷たい。




「イリア、あまり怖がらせるのはいけませんわ」

「……ごめんなさい」

「これでは話が進みませんわね。もう一人二人殺してみましょうか」



「待って! 待って下さい……あの、話を……」

「そんなざまで何を」

「いいですわ、イリア」


 へたり込んだままのクロエにイリアは侮蔑の言葉を吐き、マルセナは宥めながらクロエの前に立った。



「……」

「こういうのも、お互いの立場がよくわかるのではなくて?」


 見下ろすマルセナと、見上げるクロエ。


 怖い。

 この二人はまるで別の世界の人間だ。人間ではないかもしれない。

 普通の人間ならどこかにあるはずの良心だとか道徳心だとか、そういったものがまるで感じられない。



「聞きたいことはいくつか……とりあえず、この町の警備兵はどうなっていますの?」

「どう……って」


 マルセナの質問の意味がわからず、クロエは頭が真っ白になってしまう。

 答えなければいけないのに、何を聞かれているのかわからない。


 マルセナはそんなクロエに優しく囁くように言った。

 耳元で。


「大丈夫ですわ」


 こっそりと、優しく響く。


「貴女は可愛いから殺さないであげます」

「……」


 命の保証を。




 クロエは、それを聞いて……頭の中で反芻して、理解して、驚いた。


(あ……)


 じょろぅ、と。


 先ほど必死で我慢したものが、線を越えて溢れ出す。

 座り込んだクロエの尻の下の床に染みが広がっていった。



(私……安心、したら……)


 自分が、この憎むべき敵に命の心配をしなくていいと言われて、安堵したことに驚いた。

 思い知った。

 心の底から恐怖していたことを、思い知らされた。


 敵を、ではない。

 死ぬことを。



 耳元で、他の者には聞こえないように小さく囁いたのは、おそらく本当だからだと思う。


 他の人間は殺す。

 利用価値があるのなら別かもしれないが、特に生かしておく気持ちがない。

 けれど、クロエは可愛いから殺さないであげようと。


 それを聞いて、驚くほど安心してしまったのだ。恥ずべきことに。



「もう一度聞きますわね」


 マルセナが顔を上げて聞き直した。


「この規模の町であれば、もっと戦力があるはずでしょう?」


 わかっていてこんな馬鹿げた真似をしている。


「こんなにあっさり領主を確保出来てしまうなんて、わたくしも不思議ですの」

「あ……」



 違うのか。

 不審な集団を利用して、天翔勇士団やこの町の戦力をおびき出したわけではないのか。

 あれは別口。


 だとすれば、このマルセナとイリアは、これ以上の戦力を相手にしても戦うつもりがあったのかと。



「わたくしも自分の限界を知りたいかと思ったのですけれど、これでは拍子抜けですわ」


 勝つか負けるか、その計算すらせずに。

 やはり狂人だ。


「軍は……軍の主力は、大断崖へ……不審な集団を殲滅、拿捕に向かった……はずです」


 知っている情報を伝える。

 嘘をつくのが怖かった。

 せっかく助かる命を失ってしまいそうで、命惜しさに素直に話す。



「不審な集団……」

 イリアが小さく呻いて、溜息を吐いた。


「なるほど」

 マルセナも何かを考えるように天井に視線を巡らせて、頷いた。


「……嘘、ではないのですね」

「は、い……本当です」


 嘘だと判断されたら、クロエはきっと死んでいたのだろう。



「いつの話ですか?」

「今朝です。今朝……情報は、昨日天翔騎士から……パシレオス将軍が動ける軍を率いて、今朝」


 だから、この町にはあまり戦力が残っていなかった。

 使えるものは将軍と共に出立してしまい、残った兵士や招集に遅れてきた一部の兵士だけ。



「当然、襲撃があったと伝令が走っているのですよね?」

「グワン騎兵の伝令が、パシレオス将軍の元へ走っています」


 答えているうちに、クロエの頭が段々とはっきりしてきた。

 マルセナという魔法使いは、頭のネジは飛んでいるかもしれないが、理性的に話してくれる。

 ただ恐ろしいだけの女ではない。異常ではあっても、クロエの話を冷静に聞いて判断してくれた。



(それに……)


 見ていればわかる。

 圧倒的な力もそうだけれど、怖いのはそれだけではない。

 可憐で、魅力的だと。


 正面から見ているうちに、クロエの瞳からその姿が離せなくなってしまうほど。


(なんて美しい人)


 憎むべき敵のはずの彼女が、命を救ってくれるとなると、クロエの中でまるで別のものに変わっていった。

 だらしなく腰砕けにへたりこみ、あまつさえ失禁してしまったクロエに対して、それを責めるでもなく会話をしてくれる。

 信じてくれる。


「クロエ」

 名前を、呼んでくれた。

 美しい管楽器の音色のような声で。


「はい」

 素直に応じる。



「わたくしにはグワンがどれくらいで戻るのかわかりません。どの程度だと思われます?」


 頼られた。

 美しい命の恩人に頼られた。


「あ……半日ほど先行していましたから、伝令が追い付くのも夜半かと」


 頭の中で、追って行った伝令兵と遠ざかるパシレオスの位置関係を思い浮かべる。

 伝令は特に足の速いグワン騎兵だが、簡単に追いつけるはずもない。


「即座に戻ったとしても明日の夜より後になる……と、思います」

「いいでしょう」



 ふっとマルセナが離れた。

 気が付けば、随分と間近で話していた。

 クロエがその気になれば、身に帯びた護身用の短刀でその喉を裂けたのではないかというほど。


(……飲まれてた)


 完全にマルセナの存在感に飲み込まれて、とてもそんな考えは至らなかったけれど。


 我に返れば、濡れた下半身は冷たいし、背中にもびっしょりと汗を掻いている。

 喉は渇いてからからだった。



「あの男に伝えておく必要はあるかしら」

「……」


 まだ仲間がいるのか。

 考えてみれば、いないと思う方がおかしい。


「イリアは少し休んだ方がいいのではなくて?」

「平気。洞窟探索ならろくに休まず何日ってこともあるから」


 卑奴隷のくせに、一人前の冒険者のような口を叩く。



 ――私のマルセナ様に。


(……違う、違う)


 何を考えていたのか。

 先ほどまでマルセナの存在感に飲まれて思考がめちゃくちゃだったけれど、この二人は敵だ。

 パシレオス将軍や、兄サフゼンが戻ってくればすぐに片付けてくれるはず。



「そう、イリアが平気ならいいのですけれど。わたくし、もう一つ気になることがありまして」


 そう言うと再びマルセナの目がクロエに向いた。


「翔翼馬って、どこにいるのでしょうか?」

「……」

「あら、あら? 答えて下さらないのですか?」


 翔翼馬は、だめだ。

 このトゴールトの宝であり、コクスウェル連合国家の象徴となるべきもの。

 何より、クロエの父が夢の末に獲得し、兄が誇りとするものだ。

 こんな不埒ものに触れさせてはならない。



「……」

「マルセナが聞いているんだけど。そう……」


 イリアがつまらなさそうに視線を向けた。部屋の隅に固まる男たちに。

 どれにしようかな、と。


「牧場が!」


 言うしかない。

 言わなければ、イリアはためらいなく誰かを殺すだろうし、マルセナも止めないだろう。


「牧場が、あるんです」

「……」

「ここから北に半日ほどの所に、翔翼馬を繁殖させる牧場が……」

「最初から言いなさい」


 これは言っても大丈夫だ。

 事実だけれど、その牧場に向かおうとすれば、戻ってくるパシレオス将軍の部隊とぶつかる。

 そうすればこの二人もただでは済まない。


 うまくいけば、大断崖に先行した兄の部隊も戻ってくるだろう。



「北に牧場ですか」

「そこに、翔翼馬がいる。けど、部隊が出払っているから、たぶん仔馬とかだけ……」


 嘘ではない。

 そこにいるのは仔馬や、種付けした雌馬などだけのはず。

 この異常な二人に嘘をつくほどの度胸は、クロエには残っていなかった。



「クロエ、よく教えて下さいましたね」

「は、い……」


 ほっと息を吐いた。

 嘘ではないが、信じてもらえるかどうかはわからなかった。

 マルセナがクロエの頭を撫でて、頬を寄せる。



「ところで、何を隠していらっしゃいますの?」


 頬が触れるほど近くで囁く声。



「あ……」


 唇が震えた。

 凍り付いたクロエに、マルセナは優しく微笑みかける。


 嘘は言っていなかった。

 ただ、言いたくないことがあっただけだったのに。



  ※   ※   ※  



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