第34話 トゴールトの華
「お兄様がいらっしゃるのですか」
「兄が、貴女なんかすぐに成敗します。覚悟なさい」
「あらまあ、怖いこと」
涙目で睨む少女に、全くそんなことは思ってもいないだろう顔で言って見せるマルセナ。
腹立たし気な様子の少女。
それを見るイリアはなお腹立たしい。
「生意気な口を」
「イリア、構いませんの」
マルセナは咎めない。むしろ、この反抗的な少女の態度を愉しんでいる。
「……」
愉しむのは、私だけにしてほしいのに。
途中の村でもそうだった。
マルセナは傍若無人な王のように、村にある有用なものを奪い、村で一番良い家の主を殺して、その娘を愉しんだ。
イリアの見ている前で、長々と。
(あんなに可愛がってもらって……)
その娘の受け止め方とイリアの感想とが同じかどうかはわからないが。
呪術師もその間に悪事を働いていたようではあるが、イリアには関係ない。
見かけによらず精力的な男だと思うくらいで。
おそらく気に入ったのだろう村の小娘に、呪枷とは違う、赤い首輪をつけて連れていた。
それの効力は、このトゴールトに来てわかったが。
「兄は天翔騎士のリーダーです。魔法使いの一人や二人……」
「そうそう、面白い話ですわね。翔翼馬を扱う兵士なのだとか」
この屋敷を襲った時に二体倒した。
確かに、上空からの鋭い突きは、馬体の重量もあってかなりの威力と速度だったと思う。
上位の冒険者でも油断できる相手ではない。
だが、油断をしなければ対応できるという意味で、イリアは上位の冒険者だった。
ましてマルセナも一緒だ。空を飛ぶという利点もマルセナの魔法の前にはあまり意味がない。
その兵士は即死させたが、生き残った一体の翔翼馬は逃げて行ってしまった。
珍しいので捕えてみたかったのだが。
黒い呪枷は、主を失ったら意味を失う。
そこで錯乱するものもいるし、呆けるものもいる。なぜだかそれまでとあまり変わらないものも。
あの翔翼馬は、呪枷の効力を失ったことで、本来の野生の魔物のように帰っていったのだろう。
「わたくしも空は飛べないものですから。一度、上からの景色というものを見てみたいと思うのです」
上空から見下ろす誰かがいるのだとすれば、イリアはマルセナこそが相応しいと思う。
幸い、他にも同じような部隊がいるという。
マルセナがそう望むのであれば、次はうまく捕えたいものだ。
主の方を捕えてしまえば、馬の方も大人しくさせられるだろう。
「誇り高い天翔騎士が、お前など……」
「あんた、口の利き方知らないの? 今の立場わかってないのかしら」
イリアの声が冷たく響いた。
苛立ち紛れに短剣を振るう。
「うっぐあぁぁ……!」
「ピュロケス様!」
膝の上あたりを斬っただけだ。まだ死にはしない。
生意気な口を叩く少女ではなく、別の男に刃を突き立てた。
このトゴールトの領主だというので、とりあえず生かしてある。
町の中央に位置する領主の屋敷、そこに集まっていた町の有力者と思しきものを捕えている。
トゴールトの町は大混乱に陥っていた。
突如、街中で連続して放たれたマルセナの上位魔法。
上位魔法を使うだけの魔法使いなら、この町にも十名程度はいたのではないかと思う。
十分な威力で三発以上を連続で、となれば他にいなかっただろうが。
既にトゴールトの町は、日常を失っていた。
※ ※ ※
時は数刻前に戻る。
トゴールトに到着してから、途中の村で入手した金品でまず身なりを整えた。
村で奪った服もあったが、イリアの趣味ではなかったし、マルセナの美しさも損なわれる。
(ううん、マルセナは何を着ていても可愛いけれど)
村で一緒に湯浴みをしたイリアは知っている。着ていない方がさらに美しいと。
過去の冒険の最中もそういう機会はあったのに、自分は何を見ていたのかと悔やんだ。
とにかく、あまりみすぼらしい恰好をさせていられない。
外見を整え、次に冒険者ギルドに顔を出した。
ギルドとは言っても、町ごとにそれぞれ違う。繋がりはあるものの、そこまで密接な関係にはない。
紹介状などで別の町に行った時も便宜を図ってもらうことも出来るが、離れた町の細かいことまでわかるわけではない。
ただ単に、魔物の討伐などの依頼や素材の買い取り、加工、販売などの仲介を一括して行っている組織だ。
運営ノウハウはギルド全体で共有するし、他の町のギルドからの依頼で、地域ごとの不足する物資や必要な情報のやり取りはしているという。
町ごとに存在する商業組合。それらを町や国を越えて相互協力するのが冒険者ギルドの役割だった。
商いの繋がりなのに冒険者ギルドと呼ばれているのは、介在する人間の多くが冒険者なので。
身なりを整え、ギルドに顔を出したのは理由がある。
マルセナの魔術杖。
拾った魔術杖は初心者用で、マルセナの力が存分に発揮できない。
この町で手に入る最高級の魔術杖を欲しいと言っても、貧相な見かけでは相手にしてもらえないだろうと。
だから、まず身なりを整えた。
ギルドから紹介された武具を取り扱う店は、さすがに十万人規模の町だけあり良品があった。
「これは、どうかしら?」
その中でマルセナが手にしたのは、つるりとした曲面の白い杖で、先端部分は黄金に縁どられた紅玉がはめ込まれている魔術杖。
「さすがはお目が高い。こちらは炎極鳥の魔石とカナンラダ最古と言われる巨木の枝を合わせた逸品です。ただの木ではなく、燐光銀の素材を融合させていて、お値段の方はお安くはありませんが……」
最高の魔術杖と言われて見せられた中から、マルセナの選んだものについて店主が長々と語る。
イリアにはよくわからない蘊蓄だが、マルセナは満足したようだった。
それを手にして、イリアに向けて微笑んだ。
「どう、かしら?」
「……うん、すごくきれい」
「もう、イリアったら」
普通の仲間のように――イリアの首周りはスカーフで隠していたので――イリアの的外れな感想に笑う。
呪枷をつけてからも、こうしたマルセナの態度はあまり変わりがない。
たまに、言葉の端で命令のような言い方になってしまうとイリアには逆らえないが、気が付くとすぐに取り消す。
ひどい扱いをしない。むしろ同じ冒険者パーティだった頃より気を遣われているようにさえ思う。
くすくすと笑ってから、店主の目を気にして恥じらうように耳打ちを。
「そういうのは、また後で。ですわね」
(マルセナは……私を、どうしたいんだろう)
そういう疑問も浮かぶのだが、今のような言葉には体が熱くなってしまう。
「じゃあ、これをいただこうかしら」
内股気味にもじもじとしているイリアをよそに、マルセナが嗤った。
「はい、それでは……」
お代金を、という所だったのだろう。
高級品を扱うということもあって店には警備もいた。中位程度の冒険者が二人。
そうでなくとも、これだけの規模の町で騒ぎがあれば、町の治安維持の部隊も出てくる。
いくら上位の冒険者とはいえ、町で騒ぎを起こして指名手配となれば生きていけない。
店主の頭にそういう常識があったことを責めるつもりはない。
相手が悪かっただけで。
「原初の海より来たれ始まりの劫炎」
マルセナが彼に支払った代価は、少し手厚すぎたかもしれなかった。
※ ※ ※
町の中心街で起きた爆発。
それが連続して、冒険者ギルドも爆破され炎上して。
パニックの中、イリアとマルセナは特に何も疑われることもなく領主の館の前まで来た。
ここが領主の館だと知っていたわけではないが、町の中心で一番大きな建物だったし、慌てた様子の兵士が出入りしている。
ここまで来る途中、マルセナは思い出したように劫炎の魔法をあちこちに振り撒き、それを見咎めた人間はイリアが仕留めた。
魔術杖のついでに入手した二振りの短剣の使い心地を確かめて頷く。
予備として、背中にもう二本差している。高級な武具だが、代金の心配がないのだから遠慮する必要はない。
混乱の町の中を、女二人が平然と歩いていたとして、それが爆破の犯人だとは現場を見ていない人間にはわかるはずがなかった。
「うん……どうも、違いますわね」
領主の館の前まで来て、マルセナが魔術杖を見てそう呟く。
兵士などが慌ただしく町へ駆けて行くのを見送った。
「魔物だ! 西門と南門から!」
報告なのかもしれないが、そんな風に叫びながら走り回っては町の混乱を深めるだけだろう。
慌てて走り去っていく兵士たち。
爆炎についても、魔物の仕業と思い込んでしまったのか。
この非常時に領主の館の警護が誰もいない。屋内にはいるのかもしれないが、周囲には誰もいなくなってしまった。
「これが、あいつの……」
「役に立つ男ですわね」
ガヌーザの仕業であることは明白だ。
町で爆発が起きたら手下を送り込むと。
赤い呪枷を嵌めた小娘を見ながら言っていたので、これも何らかの呪術なのだろう。
「マルセナ、それ合わなかった?」
いまだ何か引っ掛かりを覚えるように、新しい魔術杖を眺めるマルセナに訊ねる。
「ううん、そうではなくて」
イリアの質問にもう一度杖を見つめてから、振り上げた。
「九天の環涯より、繚れ紅炎の蓮華」
マルセナが振るった杖の先から、紅蓮の炎の渦が巨大な蛇のような姿で立ち上がった。
「な……」
そのまま、大きすぎる炎の鞭のように伸びて、領主の屋敷に叩きつけられる。
小さくはない領主の館の四分の一ほどが消し炭になった。
叩き潰され、黒炭となり。
残った建物の端も、風でがさりと崩れる。
「……こういう感じ、ですか」
「い、今の……」
イリアは初めて見る。
肉体強化をした時に使った猛烈な閃光の魔法までではないが、先ほどまで使っていた魔法の倍の威力はあったように思う。
それに指向性がある。無差別に周囲に爆炎を散らすのではなく、巨大な炎の奔流を指定した方向へと。
「わたくしも初めて、でしたわ」
上手に出来たでしょうと、無邪気な笑顔を浮かべた。
「杖を見ていたら、何となく……かつて太陽から放たれた炎の蛇が、地上の悪しき者どもを薙ぎ払ったとかいうお話を思い出しまして」
「……そういう、ものなの?」
「時折、あるそうですわ。不意に使ったことのない魔法の一節が浮かぶことが」
そう言われればイリアも聞いたことがある。魔法の詠唱は物語であり、世界に染みついた言い伝えなどを形としている。
今広く使われている魔法の詠唱は、過去に偉大な魔法使いが諳んじた一節が始まりだったのだとか。
力のある魔法使いは、時にそうした新しい魔法をどこからか紡ぎ出すのだとか。
(そう。マルセナなら出来て当然)
天才魔法使い。現在、人類でおそらく最も偉大な魔法使いであるマルセナなら。
「この杖、わたくしと相性が良いみたいですわ」
「マルセナが、すごいの。とても偉大な……」
私の愛しい人。
「あらあら、そんな物欲しそうな顔をなさらないで」
手を伸ばしかけたイリアに、するりとマルセナが入り込み、首のスカーフを外した。
露わになる黒い呪枷。
「……」
思わず隠すイリア。手で覆って隠せるものでもないし、今は周囲に誰もいないけれど。
「恥ずかしい、かしら?」
「……マルセナのものだって証になるなら、恥ずかしくない」
「どこまで本気なのか、わかりませんわね」
苦笑交じりに、イリアの首筋をマルセナの指先が撫でていく。
「あ、ぅ……マルセナ……」
「本当に、さかりのついたけだもの、ですわね」
「……ごめんなさい」
マルセナに触れられるだけで、イリアは嬉しくなってしまう。
こんな時にでも。
「貴様ら! ここで何をしている!?」
さすがに見咎められた。
甘いひと時はお終い。歯向かう者を処理するのが先決だ。
「あら、まあ」
マルセナの口から上ったのは、感嘆の響き。
イリアもまた、声の聞こえた方を見て驚いた。
上空からこちらを見下ろす男は、気性が荒いと言われる翔翼馬に騎乗してその羽ばたきで滞空している。
「何を、とおっしゃられても……何と言いましょうか」
「ピュロケス様のお屋敷に、こんな……痴れ者が!」
そう言って、槍を手に猛然と空を滑り落ちてきた。
見ていたのなら、問答する前に攻撃してくるべきだったとイリアは思う。
不意を打てばこちらの対応も遅れ、手傷を負わすこともうまくやれば仕留めることも出来ただろう。
その兵士が、兵士ではなく冒険者だったのなら、そうしたはず。
兵士は原則として命令に従って行動する。
冒険者は、他人の命令ではなく自分の直感で判断することがほとんどだ。
町を襲う非常事態。不測の事態に混乱していたこともあるだろう。
それにしても鋭い突撃だった。中々の戦士。マルセナを抱いて躱す。
「ちっ!」
数歩、地面を蹴ってまた駆け上がる翔翼馬の兵士。
それを見送ることもなく、イリアは再度マルセナを抱きしめたまま踊る。
「くそっ」
別の一体がいた。
さすがに彼らも馬鹿ではないらしい。
片方が引き付けて、別の者が続けて襲う。
空中に注意を払うということは普段はさほどしないし、それが背後からとなれば視界に収まらない。
だが、羽ばたきの音は二つあった。
完全に揃っていれば紛れたかもしれないが、イリアは一流の冒険者であり、鋭敏な感覚を有している。
「ふふっ、お姫様の気分ですわね」
抱かれて踊るマルセナの感想は間違いではない。マルセナはこの世界で最上の令嬢なのだから。
「トゴールトに魔物を使う部隊がいるとは聞いていましたが、これはまた」
喋っている間にも、他から駆け付けてくる兵士もいる。
普通に武装しただけの者もいるし、何かしら魔物を連れている者もいた。
門の方で起きた魔物騒ぎに向かった者も多いのだろう。数はそれほど多くはいないが。
「可愛い女の子でないのなら、殺して構いませんわよね」
「ふざけた奴らめ! ひっ捕らえろ!」
集まってきた中では上席になるらしい男の指示だったが、それはどうなのだろうか。
数で勝るから、殺さないで捕らえられると思ったのか。
あるいはマルセナの可憐さに情欲を滾らせ、殺すのが惜しいと思ったのか。
「では、皆殺しということで」
「わかったわ」
勇者シフィークと共に戦ってきた日々は、今はあまり面白い過去だとは言えない。
だけど、常人の域を超越した彼の戦いを見て、その戦いに参加してきた経験は生きている。
常識と言う箍を外してしまえば、こんな連中は凶悪な魔物と戦うことよりも遥かに容易い。
「呪枷、ね」
連れている魔物には、イリアと同じ色の呪枷が巻かれている。
特に境遇を重ねることはない。この魔物どもは否応なく人間に従わされているだけだ。
「……信頼もなく奴隷を使うのが危険だって、教えてあげる」
主が死ねば、その魔物どもがどうなるのか。
彼らは本当にそのリスクを承知で使っていたのだろうか。
その首に巻かれている黒い呪枷は、同じように見えても、やはりイリアの首にある特別なそれとは意味が違う。
無感情な瞳で襲ってくる魔物を見ながら、自分とマルセナの間に確かな絆を感じられたような気がした。
※ ※ ※