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戦禍の大地に咲く百華  作者: 大洲やっとこ
終幕 世界の色。繋ぐ清廊
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真焉 2話 意思の色



 辿り着いた。

 大地の底から影が産まれ続ける場所に。


 近付くにつれて影の数が増えていった。

 それらを薙ぎ払いながら進み続けて、この枯れた世界で唯一生まれてくる影を見る。



 地面から泡のように沸き立ち、私を襲ってくる影。

 おそらく今のこの世界では私こそが異物。たった一つ残った枯れ果てていないもの。

 消し去り、塗りつぶそうと襲ってくる。


 何も持たないままだったら、戦う意味を失っていただろう。

 助けて、と。

 エステノの言葉があったから、助けたいと思ったから。だから戦う。先の見えない灰色の世界を進む意味になっていた。




 影を払い続け、その中心部に。

 山中。

 私が目覚めた場所から、ぐるりと山を回ってきたような位置だと思う。


 高低差の激しい斜面の奥に、影が溢れてくる泉のような場所があった。


 黒い水を称えた広い水溜まり。

 こぽり、ごぽりと。泡が立つそこから影が這い出してきて私を襲う。


 上空の雲が世界を何周も巡り、ぼんやりとした光が明るくなったり暗くなったりを千を千回続けたくらいの時間。

 生まれてくる影と戦い続けた。



 底が見えてくる。

 それに連れて、影ではない形あるものも姿を見せた。



 顔。

 尻、肩、半分だけの手。

 割れた薬指の爪がやけに目立つ。


 黒い水の中にバラバラに沈んでいたもの。

 けれど、それはまだ生きていた。



「だ、め……」


 黒水から半分だけ覗いた顔が嘆きの声を上げる。

 少女の声。


「だめ……しんで、しまう……零れないで……」


 金色の髪が黒水の中に揺蕩う。

 彼女がここに影を集めていたのか。彼女が影を産んでいたのか。

 何の為に。世界を枯れ果てさせてまで何をしようと。


「消えないで……」


 ひどく、悲しそうに。

 寂しさの果てに、自分の体も保てないような有様で何を守ろうとしていたのか。



「ま、る……せな……?」


 私の口から零れた。彼女の名前が。

 知っている。その名を覚えている。


「あ、あぁ……」


 私が誰なのか、見えていなかったのだろう。

 名を呼ぶ声に対して、マルセナは安堵の吐息を漏らした。


「あぁ、そう……でした、わ……」

「……」

「わたくしの世界、を……すく、って……」



 マルセナだったものが霧散すると、残っていた影を生む黒水も掻き消えていった。



  ※   ※   ※ 



 彼女が覆い隠していた下、大地に蓋をするように大きな石板が。

 この下に答えがあるのだろうと、石の蓋を押し開いた。



 地中に続く道と、また溢れ出す多くの影。

 そして、蓋の内側から扉を閉ざしていたような石像。

 女性の像。西の海で見たような巨大なものではないけれど。



 蓋が開き、地の底から這い出ようと湧いてくる影を倒し続けた。

 一体一体が強い。

 今までの影よりも確かな力を持っている。


 この洞窟がどこまで続いているのかわからないが、無限に湧き出すよう。

 女性像を守るように戦い続けた。



 気が付いた。

 女性像の胸元に小さな窪みがある。

 見覚えのある形は、肩に括り付けていた黒布の中の石。


 深緑の石。

 影の攻勢を思い切り押し返して、その窪みに嵌め込んだ。




「――っ!」


 風が吹き抜けた。

 強い力を感じる風が吹き抜け、影をさらに奥へと押しやる。

 完全に消し去るまでではなかったが、時間は出来た。


 女性像が、色を取り戻していくだけの時間は。



「……」

「お待ちしておりました」


 給仕服の胸元に、やや不相応にも映る深緑の宝玉。

 石が、彼女に力と色を与えた。

 恭しく私に頭を下げる姿を見て、胸に名前が浮かび上がる。



「ネネラン……?」

「はい、至逢ネネラン七號。悠久に仕えるネネランでございます」


 よくわからないことを言う。

 目覚めてから初めてまともに会話をする相手だけれど、用意されていた言葉を返すように。



「いつまでもエシュメノ様にお仕えする為、初代ネネランが魔導具の技術の粋を集めて作った立動塑体でございます」


 立動塑体。

 言葉の意味からすれば、ネネランを模して造られた動く義体ということだと思う。


 記憶は曖昧なままだが、そんなものが有り得るのかという疑問が湧きあがる。

 その一方、ネネランならやるかもしれないという妙な納得も浮かぶ。



「人間と清廊族の違い。肉体よりも精神に縛られる魂としての性質を利用して、世界に染みついた記憶より形作った塑体に命力を吹き込むことで、短時間ですが在りし日のように動くことが出来るのです。魔法の動作と近いものですが」


 私の戸惑いを見て取って、説明の言葉を並べた。

 世界に染みついた記憶から作られた体。魔法の仕組みと似ている。


「魔法の方は、物語を語り継ぐ者が消え、失われてしまったようです」

「……そう」

「お久しぶりでございます」


 もう一度、恭しく頭を下げて。



「ルゥナ様」


 私を呼んだ。



  ※   ※   ※ 



 聞きたいことは色々ある。

 しかし、そうしている時間はない。


 押し戻した影が再び数と勢いを増して襲い掛かってきた。


「お手伝いします」

「頼みます」



 動き出したネネランと共に影を駆逐していく。

 強い。

 頼もしい。

 仲間がいるということがこんなに心強いとは、久しく忘れていた。



「エステノが――」

「……はぁ」


 戦いながら、ネネランが溜息を吐くのが聞こえた。

 立動塑体とやらは呼吸を必要としないと思うが、胸中を察して言い直す。


「エシュメノが、助けてと」


 文字は掠れて読めなかったのではない。

 下手で、あと間違っていて、読めなかったのだ。

 それがネネランを嘆息させた。



「アヴィを、助けて。と」

「お察しの通り、アヴィ様はこの奥です」


 ネネランは知っている。このネネラン七號とやらは。

 彼女は先にアヴィと共にここを進み、何かの理由で閉ざしたのだろう。そして命力が尽きて石像となっていた。

 エシュメノは外に出てルゥナに助けを求めた。まだ眠っていたルゥナに。



 世界が枯れ果てる。

 全てが失われてしまう。だから助けて。アヴィを助けて。



 アヴィはこの異変に先に目覚め、ルゥナに黒布を残していった。

 しかし、アヴィとエシュメノが揃っていてさえ対抗出来なかった異変とはどういうことなのか。

 地上にいたマルセナは影を生んでいたのではない。抑え込もうとしていた。

 異変の中、永劫の氷の中にあったはずのマルセナも目覚めたということ。


 ここは、かつての黒涎山だ。



  ※   ※   ※ 



 影を倒しながら地下へと進み続けた。

 辿り着いたのは、地中にしては随分と広い空洞。

 黒い椀を、逆さに被せたような。


 魔神の神殿、とは誰が言ったのだったか。

 黒く塗り固められた半球状の空洞の中にいた。



「あぁ……あぁ、私は……」

「……アヴィ」


 嘆き伏せる彼女がいた。

 アヴィの嘆きが響くたびに、足元から影が生まれてくる。

 彼女の足元には、濁った黒い水が溜まっていた。かつて濁塑滔と呼ばれた、命を食らい続けた粘液。


「あの子が、私を……私がまた、あの子を……人の子を、殺してしまう……」

「アヴィ」

「あの子が……私を殺しにくる……早く、来て……」



 嘆いていた。

 気に病んでいたことは知っている。

 人を滅ぼす際、アヴィは幼子を殺すのを誰かにやらせようとはしなかった。頑なに。


 自分でやらなければいけない。

 誰かに押し付けない。

 そう律していたのは間違いなく心に重いことだったから。



「消えてしまう……全部、消えてしまう……私が……」

「アヴィ、貴女の――」

「お気を付けください、ルゥナ様」


 近付こうとして、ネネランに肩を掴まれた。

 目線で上を指す。

 この聖堂のような黒い空間の天蓋を。



「アヴィ様の傷を抉り、利用している者です」

「……」


 黒い空間の中に濁った(もや)

 言われなければ気が付かなかった。

 アヴィの頭上で、彼女に囁きかけるように、嘲るように嗤う姿。



『僕のものだ』



 不快な嗤い声。

 聞き直す必要もない。忌むべき男。流郭のダァバ。



「お前がアヴィを……」

『僕のものにならない世界なんて必要ないんだ』

「勝手なことを」


 自分が踏み躙ったくせに。

 裏切り、汚した。ダァバ自身の行いがダァバを排除させたのに、思い通りにならない世界だと逆恨みを。


 恨み。

 怨嗟の魂だけで世界にへばりつき、こんな風に世界を枯らした。



『これがいれば……これがあればいくらでも影を生みだせる。全てを滅ぼして、全てを奪ってやる。はは、あはははっ』


 アヴィと、アヴィに寄り添う濁塑滔。

 世界全ての命を奪い、その力でまた影を生みだして滅ぼし続ける。

 世界が枯れ果てるまで。



「最初は小さな異変だったのですが」


 ネネランが戦いながら補足する。


「日に日に増えていった影が命あるものを飲み込んでいきました。エシュメノ様がここに向かう際にアヴィ様が目覚められて」

「アヴィが……」

「共にここまで来たところで、そちらの外道の呪いの言葉がアヴィ様を」

「……」



 アヴィが我を失い、エシュメノは撤退した。

 ネネランはこの洞窟を塞ぐ為に残った。


「アヴィ様の嘆きが近くで眠っていたマルセナ様を呼び起こしたようです。彼女もまた、人間の死に思うところがあったようですから」

「イリアのことですね」

「マルセナ様もゲイル様の性質を帯びていたようです。正気ではありませんでしたが、少しでもここから影が漏れ出さぬよう塞いでくださっていたようです」



 先に目覚めたアヴィは、ゲイルと共にここに来た。

 眠るルゥナに、彼女の大切な黒布を残して。

 エシュメノは手傷を負っていたのだろう。ルゥナの下まで辿り着いたが、目覚めさせることが出来ず力尽きた。


 あの様子からすれば、相当な年月が過ぎている。

 世界の全てが死に絶え、ルゥナだけが残るほどの歳月。


 ネネランが既に生物として清廊族でないのとは別に、ルゥナもアヴィももう清廊族ではないのか。

 あまりに長い年月を濁塑滔の中で眠り、アヴィとルゥナの存在は別の何かとして世界に認識されている。

 だから飲食を必要とせず、時間も関係ない。



「私は……私が、世界を……滅ぼしたの……」

「アヴィ」


 ずっと心に刺さっていた棘が、ダァバの呪いの言葉で耐え切れないほどの痛みになったのだと思う。

 本来のアヴィは、戦いなどに向いた性格ではない。優しく、当たり前の穏やかな日常を過ごすべき女だった。

 彼女の傷を利用して戦わせたというのなら、ダァバだけではない。ルゥナもまた同じ。


「今、助けますから」


 終わらせなければならない。

 自らを責め続けるアヴィ。永劫の悲嘆を。



『世界は終わる』

「終わる……」

『終われば、また始まるんだ。やり直せるんだ』

「やりなおし……また、始まる……また」


 ダァバの甘言。

 愚にもつかない戯言。あるいは己の願望をアヴィに吹き込んで。

 実体も命も失った存在が、見苦しく世界にへばりついて妄言を並べる。




「ルゥナ様、他は私にお任せ下さい」

「ええ」

『相変わらず馬鹿な奴らだね』


 ダァバの嘲笑に続けて、壁から、地面から、これまでとは違った影が姿を現した。

 それぞれ形が違う。鳥のようであったり、剣腕を持つ蟻であったり、狼のようなものも。

 それら全てが、生きていれば伝説と呼ばれるに値するほどの力を持つ敵。


『僕にどれだけ時間があったと思っているんだ』

「く……」


 アヴィに近付くどころではない。

 一対一でも五分という敵を並べられ、嗤われる。

 時間は限りなくあっただろう。影が飲み込んだ中から選りすぐりの強者を抜き出し、手駒とするくらいの時間は。

 エシュメノが後れを取ったのも無理はない。



『はは、あははっ! 僕の勝ちだ。今度こそ僕の――』

「相変わらず」


 ネネランが嘆息した。


「相変わらず、愚かな下衆でございます」

『……負け惜しみを』

「ネネランにどれだけ時間があったと思うのでしょうか。外道とは違い、無為に命を奪えなかっただけで」



 ネネランの懐からいくつかの木板が取り出された。

 それぞれ中央に窪みがあり、複雑な模様と文字が掻き込まれた木板。


「立動塑体の央核です。十分な命力さえあれば、短時間なら外殻も形作れます」

「……みんな、の?」

「ルゥナ様」


 ネネランは、寂しかったのだろう。

 壱角のエシュメノは生きる時間が違うと知り、彼女を残して消えてしまうことが。

 だから自分を残す研究をした。エシュメノを孤独にさせないよう。

 他の仲間たちの記憶も、世界に染みついているのなら。物語を語り継ぐものは失われても、まだルゥナ達の記憶には残っている。ここに形代があるのなら。



「世界に色を、取り戻しましょう」


 その為に歩き回ったのか。

 世界に残った色を拾い集めてきた。ここにある。



「ありがとう、ネネラン」


 集めてきた石が吸い込まれるように木板に嵌め込まれた。



 炎のように赤い石が輝くと、ぐっと拳を握ったミアデの姿が。

 抜け殻から得た紫の石は、その石と同じ色の杖を手にしたセサーカが。


 琥珀色の石が吸い込まれると、弓を手にしたニーレが静かに顔を上げる。

 雪のように白い石からは、隻腕に大薙刀を手にしたウヤルカ。にっと笑った。


 黄土色の石はティアッテの亡骸からだったけれど、メメトハが生まれる。細い金糸の髪が輝く。

 姉妹一対の翔翼馬だったのだろう白と黒が混ざった石から、灰色の娘。トワ。

 命力さえあれば組み合わせに意味はなかったのかもしれない。



「ルゥナ様、周りはお任せください」

「頼みます」

『また僕の邪魔をぉ!』


 他との戦いを仲間に預け、アヴィの下に向かった。



  ※   ※   ※ 


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