表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
戦禍の大地に咲く百華  作者: 大洲やっとこ
第五部 散る花。咲かぬ花
343/364

第335話 巡る再会



「トワ! 待ちなさい!」


 待ってと手を伸ばしたのに、噛みつかれ振りほどかれた。

 追おうとした膝が折れる。足が続かず、倒れてしまう。


 体が重い。

 眩暈から立ち直ったものの、思い切り駆けようとしてまた視界が大きく揺れた。

 トワが呪いを放った時、崩れる杖と共に力が抜けるような感覚もあった。



「トワ……っ」


 土を掴む。

 倒れ込み、土を握り歯を食いしばるが、トワの足音はもう聞こえないほど遠い。



「私は……こんな、こと……」

「……あの子を、どうか」


 クジャのヤヤニル。地面に俯せのまま涙を流していた。

 トワとユウラの父親で、大長老パニケヤの子。

 謝罪に動いたのも死力を振り絞ってだったのだろう。ルゥナ以上に動く力はない。



「めめと、は……」

「……すまぬ」


 ふらふらと立ち上がると、唾を地面に吐き棄ててから覚束ない足取りで歩いてくる。

 呪術の効果は、翳る瞳孔と共に消え去ったのかどうか。

 呪いが消えていたとしてもメメトハの疲労も尋常ではない。



「……」


 どうにもならない。

 これでは。




 ――待つんだ、イバ!


 ルゥナ達のいる場所よりやや左手側から聞こえた声。

 駆けていく姿が、木々の隙間からちらりと見えた。


「ニーレ……」


 呼ぼうとしたが、向こうから気が付いた。

 荒野に潰れるルゥナ達に一瞬迷う様子を見せ、駆けてくる。



「ルゥナ様、無事か?」

「どうにか……ですが、トワが」


 ニーレがはっと視線を向けたのは、知るはずのないトワの駆けて行った方角。


「それでイバは……ルゥナ様、私は追う」

「お願い、します。あの子を……助けて」

「ああ」



 事情を話している時間はない。

 時間があったとしても話すわけにはいかない。ただ今はトワを止めてほしい。


 脱力しているルゥナ達を置いていくかどうか迷ったが、トワを追うと言う。

 それでいい。

 トワのことで誰かに頼めるとしたら、ニーレが一番信頼できる。


「トワを助けるのは、ユウラの願いだ」

「……ええ」




 ニーレの背を見送り、息を吐いた。

 今はこれで、自分もすぐに向かいたいけれどこの体では。


「……助けて、とな」

「……」

「あやつが妾に何をしたか、見ておったはずじゃ」

「メメトハ」


 当然のこと。

 メメトハの怒りは当然すぎて、目を合わせることも出来ない。


「妾はサジュでも言ったはずじゃ、ルゥナよ」

「……」

「忘れたか?」



 サジュで、ティアッテを混じりものにした時。

 メメトハはトワをひどく叱った。それを庇うルゥナのことも。

 あの時とは違う。もっとずっと悪くて、言い訳のしようもない。


「……伯父の今際の願いに感謝するがよい」


 メメトハも息を吐いた。


「生きて戻るのであれば、殺しはせぬ」

「……」

「して、おぬしは?」



 どう落とし前をつけるのかと。

 トワは裏切り者ではないと庇い、しかしトワは最悪の形でそれを裏切った。

 その挙句にルゥナは、呪いを利用して隠蔽しようと提案した。


「場を逃れる為の言い訳であった、と」

「……違います」

「違わぬわ、うつけ」


 はっ、と。

 もう一度吐き棄てられた。



「……メメトハ?」

「ああ、妾でも言ったじゃろう。あの場で他にあのバカ娘を宥める口上など思い浮かばぬわ」

「いえ……いえ、いけません。メメトハ、私は貴女を」

「やかましいわ!」


 一喝された。

 ルゥナの謝罪や言い訳など聞くつもりはない、と。



「妾がそう言うのじゃ。パニケヤの孫、メディザの子。クジャのメメトハがそう言うのじゃ」

「……」


 甘い。

 甘やかそうと、厳しい言葉を、どこまでも優しい目で。


「血迷い道を誤った娘のひとつやふたつ、許してやらぬほど狭い器量だと思うたか。見くびるでないわ」

「……すみません」

「あれを連れ戻し、謝らせる。それがおぬしのすべきことじゃ。ルゥナ」



 クジャのメメトハ。

 彼女のことをまだルゥナは見誤っていた。


 もっと正しく揺るぎないものだと思っていたのに。

 こんなに緩く、甘く。

 優しい。


「まあ……妾もいまさら、おぬしに去られても困る」

「……はい」


 照れ隠しのように付け足した言葉に、目尻を拭って頷いた。

 狂い、道を誤ったトワを許す。

 だから連れて戻れと言ってくれた。




「メメトハ!」

「婆様か!」


 ニーレの来た方角から物音がしたかと思えば、今度はパニケヤが。

 森を走ってきたせいで、肩や袖は枝で擦り切れぼろぼろだ。髪もひどく乱れている。

 けれど、間に合った。



「大長老、彼が」

「ヤヤニル‼」


 駆け寄った。

 倒れた男。壮年から初老に差し掛かる男。ルゥナ達からすれば親世代の。

 パニケヤからすれば、子供。



「な、んと……母上……」

「メメトハ、力を貸して下さい」

「……わかったのじゃ」


 ヤヤニルの体を抱えたパニケヤが自分の杖を握ると、すぐ傍でメメトハもまた杖を構え目を閉じた。

 そのメメトハとて体力の限界だと思うのだけれど。



「柳宿の星が隠れ」

「薄白き忘れ霜より」


 パニケヤに続けてメメトハが紡ぐ。


「「昇れ」」


 ルゥナは知らない。クジャの歌。

 冬の最後の忌日が過ぎた後、大地に残った霜の下から芽吹く命の歌。


「「常節(とこふし)胞恩(ほうおん)



 冷たい雪の下で春を待ち、霜を破り立ち上がる植物がある。

 たくさんの節を持つ筆のような、小さな植物。

 小さいが、冬の終わりにいつも芽吹くそれは、世界が冷たい死から再び目覚めることを表すかのように。

 世界に命の温もりを再び与えてくれる。そんな言い伝え。



「これは……」



 暖かい。

 色も形もないけれど、パニケヤとメメトハが連唱した魔法が与えてくれるのは、命の温もり。


 死にかけていたヤヤニルに向けて。

 近くにいたルゥナにも。



「……く」


 メメトハが膝を着くと、その温もりが途絶えた。

 パニケヤの為に共に唱えたけれど、体がついていかない。


「すまぬ、婆様……妾が」

「いや……メディザの子よ」


 メメトハの謝罪にヤヤニルが呻いた。


「もう、平気だ……生き恥を……晒す、が」

「ヤヤニル……」



 パニケヤが名前を呼び、息子を抱く。

 氷巫女の魔法。死にかけた男を呼び戻すほどの力。


「母上。この不肖の息子を……」

「……」


 母と息子。長い年月を越えてようやく再開したと言うのに、互いの間には苦い沈黙が流れる。

 暮れた荒れ地で、傷つき倒れていたヤヤニルを抱くパニケヤ。

 互いにぼろぼろで。

 長すぎる年月がかけるべき言葉を見失わせたまま。



「そのようなこと、言うものではありません」


 見ていられない。

 謝るヤヤニルのことも、言葉のないパニケヤのことも。

 ルゥナが口出しすることではないかもしれないが。


「もう会えぬ親子も、多くいるのです」

「それも、この私が力足りぬゆえの……」

「あなた独りで成し得たことなどありません」


 責任を感じるのはわかる。

 氷巫女パニケヤの子として戦い、人間に囚われたのだろう。

 とうに死んだものと思っていた息子をようやく見つけたパニケヤだが、ヤヤニルは己の命を恥じている。



「トワが……ユウラが、助けてくれました。私たちを」

「……」

「あなたの子が、清廊族を解放する為に共に戦ってくれました。あの子たちがいなければ、今の私たちはありません」


 そこまで聞いて初めて、ヤヤニルは疑問に思ったようだ。

 流されるまま、突発的な戦闘でダァバと戦っていたけれど、ここに清廊族のルゥナたちがいることを。

 そして、パニケヤの姿があることを。



「クジャのヤヤニル。あなたの子らが道を作ってくれたのです。私たちに、人間から清廊族を解放する為の道を」

「なん、と……」

「恥じるべきは人間どもです。あなたではない。そしてあなたは」


 ルゥナにはもう届かないものを。

 ヤヤニルには届くことを、してほしい。


「母君に、忠孝を尽くしなさい。あなたにはまだ、それが出来るのですから」

「ルゥナ……」


 パニケヤの目から涙が零れた。

 清廊族を苦しめてきた災厄については、もう多くが片付いた。

 後は親子の問題だ。



「……ルゥナの言う通りじゃ、伯父上。婆様よ」


 メメトハがへたりこんだまま言って、ルゥナに向けて手を振った。

 今ほどの魔法の影響で、ルゥナはもう立って歩けるほどには回復している。


「行けるのなら、行け。妾も少し休んだら追う」

「わかりました。メメトハ」



 こうして繋ぐことが出来た絆については嬉しく思う。

 ルゥナには別にすべきことがある。もうひとつ、結び直さなければならないものがあるから。



「トワを、助けます。必ず」


 途切れさせてはいけない。

 これ以上、トワに過ちを積み重ねさせてはいけない。


 ルゥナの手で止める。

 もう一度繋ぐ。


 トワは短剣を拾っていった。

 あれで何をするつもりなのか。走って行った方角を考えれば――



「アヴィ」


 どちらも失えない。

 もう何も、ルゥナの手から零さない。


「みんな、全てを」


 取り戻す。

 その為に戦ってきたのだから。



  ※   ※   ※ 



 倒れたニーレ。

 それを介抱するイバ。


 そして、立ち塞がる――



「いけませんよ、ルゥナ様」



 いけません、とは。

 咎めているのか。

 行くことは出来ないと言っているのか。

 それともふざけている……わけではないのだろう。


「……セサーカ」



 杖を向ける姿は静かに、穏やかに。

 月明かりの下で微笑みを浮かべながらルゥナに諭した。



「どきなさい、その先にトワが――」

「アヴィ様が居られます」


 くい、と。

 杖が僅かに上げられた。



「やはり貴女は間違っています。ルゥナ様」

「セサーカ、何を……」

「アヴィ様が一番。アヴィ様だけが絶対」


 当たり前のことを言うように繰り返してみせた。

 ルゥナに向けて、道を示す姉のような態度で。



「やはり貴女はアヴィ様に相応しくない」

「……」

「なんでも欲しがる貴女は、アヴィ様の隣に並ぶのに相応しくありません。ルゥナ様」


 では誰なら?

 自分なら、相応しいと。

 自分こそがアヴィの隣に寄り添うべきだと言いたいのか。



「どきなさい、セサーカ」


 もう一度。

 ルゥナも杖を握り締めセサーカに向けた。

 力は……万全ではない。セサーカを制することが出来るのか、わからない。


 アヴィだって、連戦の後だ。

 トワが何食わぬ顔で近付けば、その背中からでも容易に――



「セサーカ、今は一刻の猶予もありません」

「それはトワの為、ですか?」

「両方です!」


 だから、と。

 セサーカの目が語る。

 ルゥナは、アヴィに相応しくないと。



「何でも欲しがる貴女は、アヴィ様に相応しくない」

「セサーカ、いい加減に」

「ルゥナ様」


 そっと首を振った。

 月明かりの下、そよいだ風がセサーカの髪を靡かせ、森の木々をざわめかせる。


 それが静まるのを待ってから、軽く首を横に傾けた。



「貴女には何も守れない」



  ※   ※   ※ 


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
script?guid=on
― 新着の感想 ―
[一言] トワ√アビィ√の分岐点だ!セーブしとかなきゃ
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ