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戦禍の大地に咲く百華  作者: 大洲やっとこ
第一部 傷に芽吹く火種
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第31話 空襲



 南の空に、黒い影が見える。今はまだ豆粒ほどだが。

 鳥にしては大きい。先日も遭遇した翔翼馬に騎乗した兵士だろう。


(地形は……)


 あまりよくない。

 針のような葉をつけた樹木が多少生えているくらいで、見晴らしがいい。

 逃げ隠れるには不向きだ。


 断崖を渡ってしまえればどうにかなっただろうが、まだその道がわかっていない。

 間の距離は三丁(約330m)ほど。全力のアヴィなら飛び越えられるかもしれないが、そこからどうしろというのか。


 割れ目を挟んだ崖の北側は、南から渡ることを拒むように高く切り立っている。ごつごつした岩肌に、ところどころ草木が生えているのが見える。

 こちら側は、山脈の終端が川で削られたのかやはり崖のようになっていて、滝から東には緩やかな丘陵が地平線まで続いていた。おそらく東の海まで。

 崖の下は、霧で見えにくいが打ち付ける波の音がある。海水が渦を巻いているはず。




「あの木々の近くに! 荷車はこの先は使えません。横倒しにして戦えない者はその陰に!」


 針のような葉をつける木がいくらかまとまって生えているところがあった。

 空を飛ぶ敵の障害物になる。

 その幹を利用しつつ、この先に運ぶことが出来ない荷車も防護壁として非戦闘員を庇った。



「ルゥナ様……」


 声を掛けたのは、身重の女性だ。

 その後ろには清廊族の男女もいる。その表情を見れば彼らの気持ちはわかった。


「いざとなれば、どうか貴女方だけでも……」

「子供たちを連れていっていただければ助かります。我々のことは気にしないで下さい」


 そのつもりだ。

 ルゥナの中にはそういう選択肢もある。

 守りたいという気持ちもあるが、最終的に選ぶのであれば、アヴィが生き延びることを選ぶ。



「……アヴィを、信じて下さい」


 どう答えたものか迷ってそう言ってから、頭を振る。


「仮に、あなたたちを犠牲にしても、きっと……必ず、人間どもをこの地から消し去ってくれます」


 あの翔翼馬部隊……天翔騎士と名乗っていた。あれが一陣だろう。

 一騎でも侮れない実力があった。

 それが二十を超え、今度は偵察ではなく戦いに来ている。

 その後続のことも考えれば、とても楽観できる状況ではなかった。



「ルゥナ……」


 彼らの決意に唇を噛むルゥナの後ろから、アヴィが声を掛けた。


「あ……ん、んっ!?」


 振り向いた時には、アヴィの顔は目の前に迫っていて、驚いて目を閉じることもできない。


 強く、熱情を感じる口づけ。



「……ん、ぁ……」


 それが離れて、抱擁を受ける。


「大丈夫、だから」


 心配するなと。


「……アヴィ」



 こんな時なのに、ルゥナの心に罪悪感と嫉妬が湧き上がる。

 罪悪感はトワのこと。それを正当化したくて嫉妬の苛立ちが。


「ずっと、私のこと、放っておいたじゃないですか……」


 そんな場合ではないのに、つい恨み言を口にしてしまった。


「っ……」


 言ってから、自分が何を言ったのかと口を噤んだ。


 エシュメノと行動を共にするようになってから十数日。

 その間、もちろん事情はわかっているけれど、アヴィはルゥナに何もしてくれなかった。

 何もではないかもしれない。


 だけど、でも、だって。


 それまではいつも一緒に眠り、毎日キスをしていたのに。

 全部なくなって。

 だから、つい、トワに……

 私が悪いんじゃない。


 そんな馬鹿なことを言っている場合じゃないことくらい、ルゥナにはわかっているはずだったが。



「ルゥナ、ごめんなさい」

「……」

「怒られて……お話、するのが……怖かった」


 何を、と考えかけて、思い出した。

 ソーシャの最期の時だ。

 あの時、混乱するアヴィを叱りつけて、それきりだった。


 アヴィの精神は幼い。

 叱ったルゥナを恐れて、それを避ける為に過剰にエシュメノに寄っていたのだと。


(ああ、私……)


 状況が厳しいことを察して、今ここで仲直りをしたかったのか。

 ルゥナはアヴィの行いに嫉妬して責める気持ちばかりだったのに、アヴィはそうではなくて。



(私……なんて、馬鹿な……)


 幼稚なのは自分だ。

 アヴィの気持ちを考えずに、ただ自分が欲しいと。足りないとばかり妬み、拗ねていただけで。


「……アヴィ、ごめんなさい。私が……私が、間違っていました」

「ううん、違う。ルゥナが叱ったのが正しい」


 そうではない。

 その話ではなくて、確かに今していたのはその話だったけれど、ルゥナが謝りたいのは別のこと。


 勝手に拗ねて、自分を慕っているトワに安易に温もりを求めた。

 アヴィに歩み寄ろうともせずに。


 そんなルゥナの罪を知らずに、アヴィは歩み寄ってくれる。

 自分から、ルゥナの心を慰めようと踏み出してくれた。

 罪悪感で潰れそうだ。


「ルゥナ。私を、捨てないで」


 違う。


「……アヴィ、やめてください」


 そんなことを言われたら、本当に圧し潰されてしまう。

 真っ直ぐなアヴィの瞳に涙が堪えられない。


「私が……私が、馬鹿だったんです」

「そんなこと」

「後できちんと話します。だから、許してくれますか?」


 卑怯だと思う。

 先に許しを願うなんて。

 許してくれるなら素直に話すなんて、子供のような言い分。



「……ん、わかったわ」


 頷くに決まっている。


「ありがとうございます、アヴィ」


 それでも少しだけ救われる。

 話すと決めれば、心が軽くなった。


「……私には、貴女だけです」


 特別なのは貴女だけだと。

 どの口で言うのか。その卑劣な口で、もう一度アヴィに口づけた。




 話している間に、敵の影が大きくなってくる。

 他の部隊はまだ見えない。


「ユウラ、他は?」

「いえ……見当たりません。あ、一体だけ地面から……馬車? みたいなのが、遅れて来てます」


 輜重ということだろうか。


 気を取り直して、まだ頬に残っていた涙を拭う。

 皆が、ルゥナに視線を集めた。

 気恥しい。戦いの前に駄々をこねてしまったようで。


「……あの天翔騎士の滑空からの突きはかなりの速さです。槍だけではなく蹄や体当たりにも注意を。重量があります」

「はい、ルゥナ様」


 セサーカが杖を構えかけて、それをアヴィに渡した。


「他の敵が来る前に、あれらを片付けてしまいます。エシュメノ、今度は遠慮しなくていいですから」

「うん、エシュメノがいるから、ルゥナは安心していい」


 ルゥナは嫉妬心からわだかまる気持ちを抱いていたのだが、エシュメノはそんなことは全くないようだった。

 あまり表情は変わらなかったが、ルゥナに対して気遣う言葉をかけてくれる。


 やはり、エシュメノとアヴィは似ているのだ。

 どちらも他者と関わることが少なかったから、捻じ曲がったような感情がなく、素直な気持ちが言葉になる。


 そういうアヴィとの共通点も、ルゥナは僻んでいたのかもしれない。

 改めて見れば、真っ直ぐな良い子でしかないのに。



「ニーレは木々を盾にして弓で支援を。ユウラ、トワと共に戦えない者を庇ってくれますか?」

「はい、やります。拾ってきた武器とかは投げちゃってもいいですよね?」

「構いません。敵を皆に近付けないように。ミアデ、セサーカ」


 呼ばれた二人が、ルゥナに笑顔を見せた。

 エシュメノと同じく、心配しなくていいと言うように。


「……判断は任せます。頼りにしています」

「あ……はいっ」

「お任せください」


 この中ではもっとも戦いの経験を積んでいる。力量とは別に、その判断を信じた。



「……では、アヴィ。お願いします」


 敵は十分に近付いた。

 先陣の五人は突撃の姿勢で槍を構えて加速している。今更止まれないだろう。

 その鼻面に先制攻撃だ。


「真白き清廊より、来たれ絶禍の凍嵐」


 今まで見た中でもっとも強烈な吹雪が、鋭い氷雪を伴って空から襲い掛かってくる人間どもに降り注いだ。



  ※   ※   ※  



「なんだ、この魔法は!?」


 前衛の五人が猛烈な吹雪に巻き込まれ、視界を失い方向を変え、何もいない場所に着地する。

 状況が見えず、慌てて再び飛び立とうと数歩大地を蹴った。


 杖を渡された長い黒髪の女。

 サフゼンが報告を受けたものとは違う。もう少し短い髪の剣士が戦力だと聞いていたが。



「ええい、あの女だ! あの魔法使いをやれ!」


 サフゼンの指示で、五騎ずつが左右に展開して襲う。

 大した戦力はないかと正面から向かってしまい、手ひどい反撃を受けた。

 だが、致命傷ではない。


 氷雪の魔法は猛烈だったが、翔翼馬はもともと空を飛ぶ魔物だ。上空で冷たい雨風に晒されることもある。

 急な魔法で視界を失い、多少はダメージを負っているとしても、致命傷ではない。



「っ!」


 地面に降りた天翔騎士の一人が、再び駆け上がる前に馬上から消えるのが見える。

 その腕も、血を散らしながら地面に落ちた。


「あれが剣士か!」


 最初の魔法使いよりは短い髪の女が、天翔騎士の腕を斬り落としていた。

 敵の主戦力に間違いない。



「あの二匹をやるぞ! 続け!」


 優先攻撃目標を定めて、サフゼンを含めた残り五騎で再び突撃する。

 槍を構え、滑空からの突進。


 他に二騎。

 男女の魔法使いの天翔騎士だった

 その二人は影陋族の上空に展開している。


「祝焦の炎篝より、立て焼尽の赤塔」


 上空から放たれる炎熱の塊が二つ。

 皆殺しにするつもりではない。影陋族の連中が盾としている荷車近くに着弾した。



「わあぁぁっ!」

「真白き清廊より、来たれ冬の風鳴」


 広がった炎に対して、先ほどとは違う声で詠唱があった。


(魔法使いはもう一人いるのか)


 サフゼンの心中に苛立ちが募るが、それは後だ。

 まずは最初の魔法使いを――


「剣だと!?」


 治まってきた吹雪の向こうに立つのは、剣を構える長い黒髪の女だった。先ほど氷雪の魔法を唱えた女が。


 かなり強力な魔法を放っておいて、サフゼン達の仕切り直した攻撃に対して引くどころか、剣を手に突っ込んでくる。



「バカが!」


 そんなに何でも出来るような奴がいてたまるかと毒づいたが、言いながら目を疑った。

 踏み込む速度が尋常ではない。一流の剣士などのレベルだ。

 本当に魔法使いではないのか。あるいは魔法を放ったのと似た容姿の別人か。


 サフゼンと並んで突進した四人のうち、両脇の二人は滑空をやめて脇に逸れている。

 五人が一人の対象に同時に攻撃ができるわけではない。横並びにしているのは逃げ道を防ぐためだった。

 突いた後は再び大地を蹴って上昇する為、あまりに密集しすぎるとお互いが衝突してしまう。


 サフゼンを中心に、左右の天翔騎士が敵の逃げる余地を消すように槍を突き、中心のサフゼンが敵を突く。

 位置関係によっては役割を変えるような攻撃だったのだが。



「っ!」


 サフゼンの左に避けた。

 いくら速いとはいえ、上からの視点のサフゼンには見えているのだから、当然そこに向けて槍を突いた。


「ふっ!」


 風を裂くような息と共に、サフゼンの穂先が宙に舞う。


 斬られた。

 長年、翔翼馬を駆り鍛錬や魔物を狩ってきたサフゼンの突きは決して遅くはない。

 人馬一体の攻撃は、上位の冒険者でさえ簡単に捌けるはずがない一撃だ。

 突いた槍を斬ったところへの蹄も躱され、逆に――


「うわぁぁぁっ!」

『BYURAAAAAA』


 左にいた天翔騎士と翔翼馬が悲鳴と共に大地に激突した。


「なっ!?」


 女は走り抜けている。


 サフゼンの槍を斬ったあと。

 左にいた天翔騎士の槍が顔に迫るのを、目に突き刺さる直前に片手で掴み、返す刃で翔翼馬の右足を斬って、わずかな隙間を走り抜けた。


 とてつもない反射神経と運動能力だ。

 部下を一騎落とされたものの、サフゼンは既に上空に駆けあがっていた。



「なんだ、と……」


 斬られた己の槍を見つめ、声が震える。


(グワン騎兵隊を……)


 この女なら可能かもしれない。一部隊を殲滅することが。

 今の攻防で、槍を斬られたのは幸いだったか。

 逆だったなら、今大地で痙攣している男と翔翼馬は、サフゼンの方だったかもしれないのだから。



「きゃあぁっ!」

「セサーカ! 下がって!」


 はっと見れば、他から攻撃を仕掛けた部下たちが、反撃しようとする影陋族の女どもを大地に転がしていた。

 翔翼馬の攻撃を避けようと転がった魔法使いらしい女を、次に迫る天翔騎士から庇うように立つ薄着の少女。


 突き出された槍に対して廻し蹴りを。

 槍の柄とまとめて翔翼馬の首に蹴りが入るが、翔翼馬の突進は重量もあり、弾き飛ばされたのは少女の方だ。


 串刺しにされなかっただけ大したものだろう。

 突進の進行方向は変えられ、倒れた魔法使いには攻撃は届かなかったが。



(この長い髪の女だけが異常だ)


 どれほどの強敵かと気持ちが萎縮しそうになったが、全員がそうではない。

 多少は戦えるとはいえ、常識の範囲内に収まる。

 いや、影陋族の性質から考えれば非常識なのだが、中位の冒険者パーティといった程度。



「その長い髪の女だ! そいつに注意しろ!」


 全員に向けて叫びながら、どれなのかを示すように手に残っていた槍の柄を投げつける。

 斬り落とされた柄の断面は鋭かったが、女に刺さる前に切り払われた。


「魔法使いは上からその女を! 他は前後から一匹ずつ狙え!」


 危険な女に近付くことはない。遠距離から倒せればそれでも良いし、出来なくとも牽制している間に他を片付ける。

 こちらは上空から間断なく攻撃を続ければ、すぐに落ちていくだろう。



「ちっ、替えの槍を」


 指示は出した。とりあえず手持ちの武器がない。

 まさか自分まであっさりと槍を斬られるとは思っていなかった。


「団長! 下がってください!」


 代わりに前に出る部下に前線を任せ、すぐに替えの槍がほしいのだが。

 戦闘を恐れてか、後方で留まっている異母兄を確認して、苦い思いで口元を歪めながら空を駆けた。



  ※   ※   ※ 


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