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戦禍の大地に咲く百華  作者: 大洲やっとこ
第一部 傷に芽吹く火種
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第30話 東の果て



「どうしたの?」


 寝台の反対側から問いかけがあった。

 背中を向けて東を見ていた私に。


「どうかした、ティア?」

「……なにか、呼ばれたような気がして」



 背中側に光を感じる。

 比喩的な話ではなくて。いくら後ろから声をかけるのが清廊族の希望だと言っても、輝きを放つわけではない。ああ、彼女は絶防だった。


 夕刻だ。

 夜を通して戦い、昼に寝所に入った。目を覚ましたら夕方だったというだけのこと。

 閉ざした窓の隙間から西日が差し込んできている。



「また勘なの?」

「いけなかったかしら?」

「よくないね。ティアの勘はよく当たるもん」


 そんなことを言いながら、後ろから私の体に手を回した。


「ボクが不安になるじゃないか」

「だからって私の体をまさぐるのはやめなさい」

「不安にさせるティアが悪いんだ」


 適当なことを囁くついでに、首元を強く吸い上げて痕をつけようとする。


「いや、ボクを夢中にさせてるこの体がいけないのかも」

「オルガーラ、私はこういうの恥ずかしいのですが」


 いいじゃん、とやめようとしない彼女に、だめだと身を捩った。

 戦いの時に敵の視線が気になるのだ。

 接吻痕なんかつけていると。


 もっとも、それに目を奪われた敵は即座に命を落としているのだから気にする必要はないかもしれない。



「もう……昨日もあれだけしたのに、元気なんだから」

「ええ、昨日は出来なかったじゃないか」

「あれだけ戦ったでしょう」


 人間どもは懲りないというのか、飽きないというのか。

 どれだけ撃退しても、また攻めてくる。


 ある程度の数を減らすとしばらくは止まるが、気が付けばまた増えて、また侵攻してくる。

 こちらから打って出たいという気持ちもあるけれど、この少数では無理だ。

 敵の有象無象だけならどうにか出来ても、疲弊したところに厄介な強者が出てきたら……



「あのクソ爺もいなかったし、変態女もいなかったからさ。夜通しだとさすがに眠いけど」

「爺って言っても、多分あなたより年下よ。あれは」


 清廊族と人間とは寿命が違う。

 オルガーラは若く美しい。彼女がクソ爺と呼ぶ人間の将は、そういえば初めて戦ってから二十年を過ぎていた。


「知らないよ、人間の年齢なんて」


 (うそぶ)いてまた私の胸に手を這わせようとするオルガーラに、ぺしりと叩いて応じる。


「知っておきなさい。私たちの少ない利点なのだから」


 敵は老いる。

 あの強者が老いて力を失ってくれるのなら、残る強敵は変態女の方だ。


 だが、人間の中からはまた新たな強者が現れるのだろう。

 こちらは、次世代の氷乙女の噂など聞かないのに。


 それどころか、まともに戦える清廊族の戦士が減った。この二十年の間にも。

 私とオルガーラのどちらかが欠ければ、北西部の清廊族も人間に支配されることになってしまうだろう。



「あの男も、自分の老いを感じたら……妥協して、あの女と共闘するかもしれないわ」


 人間の中の突出した実力者二人。

 彼らが英雄と呼ぶ戦力だが、今までそれが手を組んで戦いに臨んだことはない。

 私の言葉を、オルガーラが鼻で笑った。


「ないよ、ないない。あの爺が弱ったから力貸してくれなんて言ったら、あの変態女は喜んで爺を殺すって」

「……そうね」


 強大な力を有した二人だが、いくつか問題がある。

 自分勝手で、傲慢で、横暴。全部似たような性質だが、それを掛け合わせて。

 協調性がなく、気分屋で、お互いをひどく嫌いあっている。

 時にはあちら同士で戦っていてくれるので、清廊族としてはそれが救いだった。



「だぁからさ、ティア」


 めげずに、私の体に密着してくるオルガーラ。

 引き締まった彼女の体は嫌いではない。

 小さな胸も、こちらが構うととても可愛い反応をするところが好きだ。

 お願いやめてと涙目で哀願してくるのを愉しむのも悪くない。


「ボクとしては、氷乙女同士が密接な関係でいることが大切だと思うんだよ。ね、ティア」

「……」

「ごめん、もう我慢できないや」

「最初からそう言いなさい」


 抱きしめて、胸の中でオルガーラの息遣いを感じる。ちょっと息が荒い。興奮しすぎ。


 別に嫌っているわけではない。好いている。

 戦友だからだとか、清廊族の為にとかそういうことではなく、オルガーラのことが好きだ。

 他に対等な関係を結べる相手もいなかったが、そういう事情を抜きにしてもオルガーラに好意を寄せている。



 若々しく凛々しい顔立ちだから。

 顔かと言われればそうだけれど、その顔立ちは好きだ。

 清廊族としては異質というか、真逆なその顔立ち。


 燃えるような紅の髪に、澄んだ黒い瞳。氷乙女(ひのおとめ)という呼称より、火乙女(ひのおとめ)と呼ぶ方が似合うかもしれない。


 鮮烈な美貌。絶防のオルガーラ。

 両親のどちらにも似ていない彼女は、出生の時から異質さを見出され、ほどなく氷乙女と認められたという。



「……んで、何だったの?」

「何が?」

「悪い予感」


 へその辺りで喋られるとくすぐったい。


 何を聞いているのだろうかと考えて、先ほどの東側を眺めていたことだと思い出す。



「ああ、違うわ」

「?」

「悪い予感とか、そうではなくて……」


 もう一度、東側を見た。

 室内だから壁しか見えないのだけれど。


「……なんだか、不思議な感じだったの。こう、胸が高鳴るっていうのかしら」

「本当に?」


 オルガーラと違って、私の胸には柔らかな弾力がある。

 私の胸に耳を当てにやにやとしているオルガーラに、ぽかりと拳を当てた。


「ばか」

「えへへ」


 清廊族の守護者として最前線に立つ氷乙女。

 そんな風に呼ばれるオルガーラとティアッテの安らぎのひと時だった。



  ※   ※   ※  



 二十二騎の天翔騎士が並ぶことなど今までなかった。


 十年ほど前に、トゴールトの領主が代替わりした時の式典で、当時十四騎の天翔騎士を並べたことがある。

 その時、サフゼンもその列に加わった。


 当時の団長は父だ。

 新任の領主は、その天翔勇士団の勇姿に大いに喜んだし、見ていた民衆もコクスウェル本土から来た来賓も目を奪われていた。



 あれから十年。父は死に、引退した者もいる。新たに入団した者も。

 この戦力は千の兵に匹敵する。

 単純な武力としてそうだし、機動力などを考えればさらにそれの数倍の価値があるだろう。



「武装については、今後も検討の余地がありますな」


 サフゼンの横で言うのはトクロイだ。

父の傍仕えとして翔翼馬の世話をしてきた彼は、翔翼馬の特性についてよく知っている。


 偵察部隊が槍を折られた話は聞いた。

 空を飛ぶ為に、重量のある武装はさせられない。細身の槍が主装備になってしまう。


 相手の技量もあっただろうが、武器そのものが頑強ではないのだから折れるのは仕方がない。

 予備は用意していくが、今後の課題ではある。



「全員が魔法を使えればいいのだが」

「それも面白うございますが、そこまでになると本当に町を一つ落とせますかな」


 空を飛翔して魔法を放つ。

 そんな部隊があれば、敵からすればどれほど嫌なものか。


「投石するとしても、やはり重さが問題か」


 結局は重量の問題だ。

 重さで高度が下がれば敵の攻撃が届くかもしれない。利点が失われる。



「火薬……でしたかな」


 トクロイが言うのは、かつて検討したことがある方法だ。

 火をつけると一気に燃える粉。

 そういうものがあるのだが。


「あれは、結局目くらまし程度にしかならなかっただろう。近くで発火して翔翼馬が暴れることもあった」

「役には立ちませなんだ」


 不採用になった案だ。

 言うほどの破壊力はなかったし、扱いも面倒。

 イスフィロセから取り寄せてみて実験したが、無駄に終わった。

 爆裂魔法級の威力があれば、天翔騎士の戦い方に大きく関わっただろうが。



「まあ今後の課題だ。金さえあれば、煌銀製の槍でも全員に持たせてやるんだが」

「はは、それは良いですな」


 軽いわけではないが、非常に硬質な性質の煌銀と呼ばれる素材で槍を作れば、細くとも折れぬものが出来る。


「鎧も全部それでお願いしますよ、団長」


 聞いていた天翔騎士の一人がそんなことを言った。


「それには全員の給金の十年分じゃあ足りないが……そうだな」


 天翔勇士団の門出だ。

 これまでも多少の戦いは経験してきたが、こうした作戦行動など初めてのこと。

 景気のいい出立にしておきたい。

 そういう意識がサフゼンにあったのだろう。


「逃げ出した影陋族の奴隷どもだ。情報ではゼッテスの牧場の貴族向けの高級品だと言う話もある」


 口々にどよめきと感嘆の声を漏らす団員達。

 それを見るサフゼンの口元も緩む。


「捕えれば大した財産だ。多少は戦えるやつもいるという話だが、俺たち天翔勇士団はトゴールト最強……いや、大陸最強だ」

「おお」

「後から来るのろま共に残してやる必要はない。その金で、全員の装備を新調するぞ」

「おおぉ!」


 気勢を上げる部下たちに、サフゼンは自分の槍を掲げた。



「トゴールト天翔勇士団、出陣!」



 いくらか理由はあった。

 敵の戦力だけを考えれば、別に全員で向かう必要はない。

 まして、トゴールト全軍に伝える必要もなかった。

 だが伝えた。


 トゴールト域内全軍出撃。

 そんなことは、カナンラダ入植以降のトゴールトの歴史になかった。


 軍隊というのは、命令を受ければ即座に動けるというものではない。

 事前の計画もなく急に動けるかと言われたら、即応部隊のみ。

 


 先んじて情報を入手したサフゼンは準備をしていたし、場所もトゴールトよりも近くに位置する。

 また、当然のことではあるが、他のトゴールトの兵士たちよりも足が速い。


 先に被害を受けたグワン騎兵部隊。

 普通の馬を使う騎馬兵を含む通常部隊。これが一番数は多い。馬は魔法使いの炎に怯えるので、実際の集団戦闘になった時に騎馬のままということも少ない。

 また、騎乗することは出来ないが戦いに役立つ魔物を使役する獣使隊。



 他の部隊が急いだ所で、どうあっても天翔勇士団より先んずることは出来ない。

 だとすれば、伝えておいた方がいい。


 慌てて準備をしてお零れに与ろうとするかもしれないが、手遅れだ。

 かといって、立場的には新参者になる天翔勇士団だけが情報を独占したとなると、後々面倒かもしれない。


 そういう意図もあり、サフゼンはトゴールトの軍司令部に伝えたのだ。

 グワン騎兵の部隊を殲滅するだけの敵なので、全軍で出た方がいい。

 一刻を争う事態なので天翔勇士団が先行する。



 筋は通した。

 人間社会でやっていくには、こういう立ち回りも必要だ。


 サフゼンの母は名家の出だった。町の上層部ともうまくやっていくことが自分の利益になると知っていた。

 その先に、天翔勇士団のさらなる未来もあるだろうと。



  ※   ※   ※ 



 予備の武器が必要だとして。

 空を行く天翔騎士が、それを持っていくことは出来ない。

 重量の問題なのだから、余計な装備を持つはずがない。


 トカゲというのは、案外と素早い。

 都合よく、荷車を引ける大きさの大トカゲの魔物を使役する者がいた。


 全軍で出撃だと言っているのだから、それも活用してもいいだろう。

 サフゼンの指示により、天翔騎士よりも先んじて荷車を引いて走る姿があった。



 これはサフゼンの気遣いでもあった。

 腹違いで、色々と難しい部分はあるにしても、一応は兄だ。

 何もさせずに他の団員から馬鹿にされ続けているよりは、何かの役に立つことで一定の立場を与えてやりたいと。


 罪悪感からのことでもあったし、死んだ父が気にしていたということもある。



 ラッケルタが引く荷馬車には、その主であるヘリクルと、影陋族の奴隷ネネランも乗っていた。

 数十を超える細身の槍と、二人の男女を引いても、四本足で低く大地を進むラッケルタの速度は落ちなかった。

 軽快な様子ではないが、赤黒い体と尻尾を振りながら力強く進んでいく。



「どうして、私が……」


 荷車に乗るネネランが小さく呻いた。

 給仕の恰好のまま荷車に乗せられた。


 ネネランの服は、あまりにみすぼらしいと不愉快に思う人間もいて、下働きの給仕の服を与えられていた。

 紺色のシャツワンピースに、白いエプロンを着けた姿。


 女給が戦場になる場所に予備の槍を届けに行くなど、冗談のような話だ。



「全員出撃、だと言われた」


 ヘリクルが、他にすることもなかったのか、ネネランの疑問に答える。

 だからお前も乗せたのだと。

 愚鈍な男だ。命令だからと、その内容を自分で考えることはしない。


(全員の中に、私は入っていないと思う)


 どう思った所でネネランがヘリクルに逆らうことは出来ないのだから、仕方がない。



(清廊族が逃げてるっていうけど……)


 ほとんど危険はないのだと。

 牧場から逃げた清廊族を捕える。そんな簡単な任務。


「……」


 逃げてほしい。

 あの空を駆ける兵士から逃げることは難しいかもしれないが、どうか。


(お願いです、魔神様。どうか……)


 ネネランはもう何十年も虐げられてきて、希望などとうに失っているけれど。

 もし同族がこの屈辱の日々から逃れられるというのなら、見せてほしい。

 自分は無理でも、そんな夢物語が叶うこともあるのだと。



  ※   ※   ※ 



 霧。


 滝を見るのは初めてだった。ルゥナだけではなく、皆が。

 高所から落ちる水は、散り散りになり霧のような飛沫として舞うものなのか。


 雄大な景色だった。

 晴れた昼間だったこともある。

 全員が、言葉を失ってその絶景に立ち尽くした。



 ニアミカルム山脈の南の麓を、東に向かって流れていく川。

 途中、山からの流れと合流して大きくなり、また途中で北東と南東に枝分かれして細くなり、その北東沿いの流れに合わせてここまで来た。


 山脈の東の果てになるが、そこから先に大地がない。

 真ん中に亀裂が入っている。

 山脈を南北に割るように、断崖が大陸の東側から伸びていた。


 その山脈の南側の端に、今まで辿ってきた川が流れていく。

 断崖の下に落ちていく。

 断崖から吹き上げる風が、落ちた川の水を霧のように巻き上げて、南から照らす太陽が虹を描き出す。


 春から夏に差し掛かろうという日差しは少し強く、虹は鮮やかだった。




「きれい……」


 ミアデの感想は率直で、否定のしようがない。

 ルゥナも他に言葉が出てこなかった。


「でも、ルゥナ様の方が綺麗ですよ」

「トワ……怒りますよ」


 この風景より自分が綺麗だなんて思うわけがない。



「……」


 エシュメノも無言で目を見開いていた。

 ソーシャをなくしてからずっと感情を押し殺していたが、さすがに心に響くものがあったらしい。


「虹……」


 アヴィが無表情のまま呟く。

 手を伸ばして、霧に映る虹を掴むように指を閉じた。


 話は聞いていた。この川を辿れば滝に出ると。


「ソーシャの話では、ここから――」

「ルゥナ様!」


 ユウラの焦った声が、呆けていた全員の心に緊張を走らせた。


「敵です!」


 晴天の南の空に、鳥にしては大きな黒い影が二十ほど浮かんでいる。

 整然と並ぶそれらは、死を運ぶといわれる魔物のようにも見えた。



  ※   ※   ※ 

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