第306話 呪術小戦
大した男だ。
心からそう思う。ダァバでさえ。
清廊族の男に強者がいないでもないが、せいぜいが勇者級止まり。
防戦気味とはいえ、英雄級さえ圧倒する今のパッシオの相手になるような男がいるとは。ダァバを驚かせる。
昔の自分に比肩するのではないか。
「大した奴だね、ほんとに」
戦うその男の姿を目にして、珍しく素直に驚嘆と称賛の息が漏れた。
おそらく清廊族最強の男。
それを奴隷にしてダァバに向かってくるとは、ガヌーザを見誤っていたか。
ガヌーザはあまり物事に執着する性質ではない。
勝ち負けなどに拘ることがなく、ただ自分の興味の向くままに生きるタイプの男だと見ていた。
「それで、お前はどうするんだい?」
「かんしゃをいう……いわね、ば、と」
わざわざ師と呼び掛けてきたのはそんな理由なのか。
白々しい。
そんな殊勝な男ではない。拾った頃からそうだったが。
「よも、や……わが望みにつづ、く……みちがあろうとは」
「ここで潰えるだろうけど、お前の望みはなんだい?」
訊ねてみる。
戯れに、ではない。慎重にもなる。
ダァバにとって最も警戒すべき相手が目の前にいるのだから。
警戒すべき物――翳る瞳孔を手にして。
捻じれた枯れ木のような杖。ぐるりとうねる先端の中心には、赤黒い宝珠のような、しかし液状のような。
赤黒いそれが記憶にあるより輝いて見えるのは、ガヌーザがそれを使いこなしているからか。杖の方がガヌーザを選んだとでも。
ガヌーザ。
名前は、なんだったか。拾った頃に見かけた手配書か何かから着けたのだと思う。
何も持たない。名前すら失った幼児だった。
枯れ果てた草むらで死んだように倒れていたところをダァバが見つけた。
もう三十数年前になる。
ぶつぶつと口の中で転がしていた言葉が耳に入った。
嘆き、怨嗟の言葉を呟いているのかと思った。
しかし違う。
救われぬ世界に対する女神への愛の言葉を繰り返していた。
死の淵を彷徨っていたからなのか、それがひどく呪術の真髄に近く。
興味を抱いた。だから拾った。
拾ってみて確信する。
呪術師の才というより、呪術に愛された人間だと。
不世出の呪術師。
学ぶとか極めるなどという必要はない。
ガヌーザこそが呪術そのもの。
妬ましく思った。
恐ろしく思った。
殺そうとして、その気配を察したのかガヌーザが消えた。
いつもそうするように、ぬるりと抜け出して。後にカナンラダに渡ったと知る。
蔵に放置していた翳る瞳孔が失くなっていたことに気付いたのも後のこと。
使い道がないとみて、ただ捨てるのも惜しく置いていた女神の遺物。
その頃には女神の軸椎を手にしていて、あまり重視もしていなかった。
ダァバは強い。
英雄級を超える身体能力と、やはり英雄級を超える魔法を扱う。
その上で呪術も修めた。道具を失い今は使えないが。
さらに飽き足りず、慢心せず、この世界で自分だけの技術まで。
絶対的な力を手にしたはず。
そのダァバでも警戒させられるのは、呪術の才だけならガヌーザの方が上回るからだ。
呪術は直接戦闘に使うには不向きだが、ガヌーザはそれすら使いこなす。
野心や拘りのない男だと思っていたそれが、戦う手駒を用意してダァバを待ち構えていた。
警戒せざるを得ない。目的を聞いてみたい。
「僕を裏切ってまで叶えたかったお前の望みって、どんなことなのさ?」
「ひ、ひゃ……うらぎりとは、はて……さて」
腹を立てても仕方がない。こういう男だ。
「もとよ、り……師も我も異なる、もの。うらぎるほどちかく、なし」
「まあそうか」
納得させられてしまった。
元々、信頼関係があったわけではない。親愛の気持ちなども。
ダァバがガヌーザを殺そうと考えたことも、ガヌーザがダァバの不用品を持ち出し逃げたことも、裏切りと呼ぶに値しない。
そう。昔からガヌーザは、こんなようでいながら真実を言い当てる。
呪術師は誰もが言葉を選ばない性格だが、その中でも特に面白い男だった。
「花を――」
真っ直ぐにガヌーザの目を見たのは久しぶりだ。
初めてだったかもしれない。
「花がみだれ、咲く……庭を」
「昔からそんなことを言っていたね」
「花は……花だけで咲けばよい。我が女神はそれを叶えよう、と」
要領を得ない。
ガヌーザは紛れもなく狂人で、嘘ではないのだろう。
頭がイカれていて行動原理が理解できないだけだ。
「よくわからないけど、その為なら死んでもいいってことかい?」
「ひ、ひゃ……まさに、まさにその為、ゆえ」
さも愉快そうな返答。
やはり虚偽ではない。ダァバを前にして死を覚悟しているというか、受け入れているのか。
理解は出来ないが、死ぬつもりだと言うのならそれでいい。
「じゃあさっさと死んで、それを返してもらうよ」
何かしら勝つ算段でもあるのかと思ったが、ただの開き直りだったらしい。
これ以上の問答は不要だ。
「ひゃ!」
飛行船で武具を変えた。今ダァバが手にしている魔術杖も名品だ。
名は知らないが、これも奪ってきたルラバダールの宝物。
先日は拳に嵌める形の魔術杖を使っていたが、あれでは敵に近付き過ぎる。便利かと思ってみたけれど予測不能な事態も起こり得ると思い知らされた。
杖ならば敵との距離を保つことも出来る。
この魔術杖でも、ダァバの力で殴りつければ勇者だろうと死ぬ。
「へえ」
反応が良かった。ダァバの一撃を翳る瞳孔で受け止め、ぶつかる力に任せて後ろに滑る。
「逃げ足だけはっ!」
「ひひゃ」
今度は上から叩きつけた杖だが、蠅のようにぬるりと抜けて離れていく。
糠に釘、暖簾に腕押しという言葉を思い出した。
「戦い慣れたみたいだけど」
「女神、よりたまわり」
この地でどれだけの経験を積んだのか、昔より強い。
呪術はもとより英雄級だったとして、肉弾戦のレベルも上がっている。面倒な。
「でも」
毒を持つ生き物のようなものだ。
警戒に値するが、ダァバに勝るわけではない。毒を使わせなければいい。
「甘く見過ぎだよ」
ダァバの目には見えている。
つかみどころのないガヌーザの動きだが、飛べるわけでもない。
あくまで地面の上を滑るだけ。
「極冠の叢雲より、降れ玄翁の冽塊」
空から降り注ぐ大粒の雹の塊。
特に一粒ずつを大きく、人間の頭ほどの大きさで。
「ひゃ、は!」
ぶつかれば潰れる。
ずるりとその攻撃範囲から横に抜けるガヌーザだが――
「潰れていろ、ガヌーザ」
ダァバも跳んでいた。
魔法を放つと同時に跳躍し、自分が放った雹塊を蹴った。
「は!」
空から、雹の勢いも合わせて叩きつけた。
抜け出したガヌーザの頭上にダァバの魔術杖を。
「ぬぁ」
避け切れない。
翳る瞳孔で受け止めるが、頭上から地面に向けての衝撃を逃がすことは出来ない。
身体能力では確実にダァバが上回る。
受けたガヌーザの体が大きく沈み込み、翳る瞳孔の赤黒い宝珠が砕けるように散った。
「は?」
散った?
いかにダァバの魔術杖が名品だとはいえ、女神の遺物が。
赤黒い、宝珠にも見える液状のような部分。まさに女神――姉神の瞳のようなそれが。
燻る輝きのようなものを放ちながら散り、その小さな粒が叩きつけたダァバの顔に――
「ぐああぁぁぁぁっ!?」
じゅうっと。
焼けた。
「や、やけっ――」
「ひゃ!」
「灼爛かぁ!」
転がる。
不意打ちを食らったダァバが転がる地面を、翳る瞳孔の尻先が貫く。
ダァバを刺し貫こうとするそれを、無様に転がりながら避けた。
「ここに残って、おったもの、で」
「ち、っくっちょうがぁ!」
やけに赤いと思ったのだ。記憶にあるよりも。
赤い部位に偽装して溜めておいたそれを、カウンターでダァバの顔に浴びせた。
まんまと嵌まってしまった。無敵に近いこの体も炎熱には強くない。
「くそったれめ!」
落ち着け。落ち着け。
ダァバを狙うガヌーザの攻撃を転がりながら言い聞かせる。
幸いだ。大した量ではない。
ダァバを焼き尽くすほどではなかった。残っていたというと、灼爛の本体は消滅したのだろう。
幸いだ。泥まみれになって最悪に無様だが、幸いだ。
雨が続いていたおかげで大地は濡れている。
ダァバが放っていた氷雪魔法で地面は冷え切っている。
泥にまみれて、顔中で泥を啜るように転がりながら。
焼けた熱が急速に冷めていった。
「この、僕に!」
魔術杖を振った。
地面すれすれでガヌーザの足を払うように振り抜くが、避けられた。
その隙に飛び上がる。
「運のない奴だよ、お前は!」
「顳顬を緊める不磨の負圧は、聢と見ゆる女神の懊悩」
「!?」
吐き気がするほどの不快感。
頭をぎりぎりと締め付ける重い圧力に眩暈がする。
顳顬――蟀谷を絶えず締める痛みが姉神を永く苦しめたとか言う。
偏頭痛だ。呪術師として卓絶したガヌーザが使えば、偏頭痛でも人を殺せるほど。
重いなどというレベルではない。目の奥から脳髄までを鉄棒で掻き回しながら締め付けるような激痛。
突然にそんなものに襲われればダァバでもふらつく。次から次へと、よくもまあ有効な手を打てるものだ。
偏頭痛の魔法――呪術か。呪術として再現した者など聞いたことも想像したこともない。
信じがたい手段を用いる呪術師。
「本当に……不愉快な奴だよお前は!」
頭が痛い。眩暈がする。
苛立ちが振り切れた。
一気に決着をつけようと、ガヌーザの気配だけは感じた。
方向は定まらないが。
どうでもいい。
誰も彼も死ねばいい。頭を締め付ける痛みは生きとし生けるもの全てを呪うほどの不快感。
思い切り魔術杖を薙ぎ払った。
「ぶ」
手応えはあった。
ダァバの見境なしの全力だ。全方向に猛烈な衝撃波を打ち出して近付こうとしたガヌーザを吹き飛ばした。
「もういい!」」
不愉快な。
全て死に絶えればいい。この町の連中も何もかも。
頭痛に悩む者がそんな風に考える気持ちが今になって理解できた。
「刻白の根息より、失せよ晦の寂果て」
ガヌーザも、どれほどの力を持っていても人間には違いない。
世界すら凍らせる絶対の低温下で生きていられるわけがない。
ダァバが紡いだのは世界を氷に閉ざす魔法。大気すら凍らせ、レカンの町の西門周辺を白く輝く氷で覆い尽くした。
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