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戦禍の大地に咲く百華  作者: 大洲やっとこ
第五部 散る花。咲かぬ花
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第296話 火遊び、氷遊び



 好機も危機どこに転がっているかわからない。

 冒険者をやっていれば、思わぬ事態に行き詰まることだってある。


 イリアも駆け出しの頃には迂闊な失敗をしたものだ。

 損だとしても割り切って手を引いたことも。

 その判断が出来なければ死ぬ。



 勘も悪くないイリアだ。退路を失うほどの危地は経験にない。

 途中からはシフィークも一緒で、あれは勇者と呼ばれながらも意外と慎重な一面もあった。


 闘僧侶ラザムもまた猪突な性格ではなく、そもそも一流以上の冒険者が組んでいるのだから危険極まる状況などそうそう有り得ない。

 伝説の魔物でも相手にするのではければ。



 遭遇しないから伝説の魔物なのだ。

 トゴールトに向かう前に出会った二角鬼馬の異種だったり。

 今、目の前にいる鷹鴟梟(おうしきょう)にしてもそう。


 遭遇すれば死ぬ。

 遠くからその気配を察しただけで逃げるべき。うっかり縄張りに入ったりすれば終わりだ。


 よほどの好条件――伝説の魔物側に重い足枷でもあればともかく、正面からでは英雄でも敵わない。

 あとは人数をかけて、数百の手練れの冒険者や兵士を揃えて対応するか。単独で戦えるのはやはり伝説の統一帝くらい。




 最後に仲間に加わったマルセナが、危険に対しては最も無頓着だったと言うか。

 危険に踏み込むことを躊躇わない。


 そういう性格はトゴールトを襲撃した頃も現れていた。

 危険を察知できないというか、普通の感覚なら踏みいることを忌避しそうな場に、何でもないように進んでしまう。そんなマルセナを守るのがイリアの役目。



 エトセン騎士団と戦った時にも危険は感じた。

 死を覚悟した。

 マルセナと共に死ねるのなら悪くないと思って。


 一緒に逃げようとしたイリアの気持ちを無理やり捻じ曲げて、エトセン騎士団に向かったマルセナ。

 燃える篝火とエトセンの軍隊。

 あの時はそれがマルセナを危険な戦場に向かわせた。


 マルセナは揺れていたのだろう。

 古い記憶が混濁していたようなことも聞いている。

 イリアを大切に想い、イリアだけを切り離そうとしたマルセナ。自分だけでエトセンに復讐をしようと。


 クロエはそれに従い、イリアはそれに逆らい。

 結局はマルセナと離れられない。離れたくない。




 この敵は違う。

 マルセナを殺そうと言うのではない。分も弁えず、妻にするなどと言う。

 マルセナの力が尋常でないことは感じ取っているはず。


 だが、この二体は更にその上を行く。

 イリアでさえ寒気を覚える力を持つ鷹鴟梟。

 そして、マルセナを青ざめさせる不気味な影陋族の男。身のこなしが緩く隙だらけに見えるのは、そう見せているのだとわかる。



 逃げ場がない。

 逃げようとして、逃げ切れる気がしない。

 かと言って戦えるのかと。


 どちらか一体だけなら、マルセナとイリアならどうにか出来ただろう。

 たとえ伝説級の魔物と言っても、今の二人ならば倒しきれなくとも戦えたはず。


 しかし二体同時となれば勝ち目が見えない。敵の手の内も全く読めないとなれば、不利どころではない。

 逃げたいのに、それさえ悪手だとすればどうしたらいいのか。



「手足を捥いでやれば言うことを聞くかな。後で隷従の呪いをかけるのもいい」

「呪術まで……?」

「ああ、心配しなくてもいいよ。止血は出来るし、なんなら痛みも軽くできるかも」


 男の手が蠢いた。

 (いや)らしく、(おぞ)ましく。


 所々、皺の深い老人のような肌と、妙に艶やかな部分。

 血色が悪いのは影陋族だからだろうか。


 手足を捥がれれば、剣も杖も持てない。

 その上で、ただ殺されるより陰惨な仕打ちを。



(影陋族の奴隷のみたいに)



 唇を噛んだ。

 人間が影陋族に強いたことを、マルセナに対してこの男はしようとしている。

 さらに子を孕ませるとまで。


 どうすればいい。

 イリアはどうしたらマルセナを守れるのか。


 身を犠牲にすれば。

 だめだ。そんなことで乗り切れる相手ではないし、マルセナがイリアを見捨てて逃げるわけもない。


 二人で生き残るしかない。

 でなければマルセナが……考えたくもない目に遭う。



 手が足りない。

 どうしようもなく、手が足りない。


 クロエやノエミがいれば違ったのかもしれない。

 ディニとダロスを盾にすれば……いや、魔物としての積み重ねが圧倒的に違う。二つ呼吸をする間に鷹鴟梟に殺される。

 それなら逃げる足に使った方がずっと有効。


 ただ、逃げる為の隙を作れるのか。そして鷹鴟梟から逃げきれるのか。




「イリア」


 考えることは同じこと。

 マルセナが半歩前に出て呼びかける。


「わたくしが時間を稼ぎますから、貴女だけでも逃げて」


 馬鹿なことを。

 お互いに同じ、互いの身だけを案じた馬鹿な考え。


「お願いです。命令ではなく、わたくしの……」

「いやよ」

「命令ですわ」

「……いやなの」


 そんな命令、聞けない。

 今まで聞いた中で一番ひどい、イリアの身を案じる命令。

 頷けるわけがない。



「問答はしません。もし貴女が死んだら」

「マルセナ」

「わたくし、永遠に許しません。イリア」



 杖を向けた。

 大地に降りた影陋族の男と、その後ろで羽ばたく鷹鴟梟に。


「ム」

「いい、見ていなよ。パッシオ」


 男も魔術杖を手にして、殺気立つ鷹鴟梟を軽く制した。

 マルセナを前に、何でもないと言うかのように。

 その態度でこちらを絶望させようとしている。



「マル――」

「始樹の底より」


 マルセナの杖が淡く光を放つ。

 トゴールトで選んだ杖。

 カナンラダ最古の大木の枝から作られたとか、そんな蘊蓄を聞いた覚えがある。



「穿て灼熔の輝槍!」


 ぐるりと、マルセナのかざした杖から円陣を作るように、朱色に輝く十二の槍が――


「だぁばサマ!」

「極冠の叢雲より、降れ玄翁の冽塊」


 敵を焼き貫こうとする灼熱の刃を、黒々とした雹弾で迎え撃つ。

 ぶつかって発生した霧が、突風と共に周囲を飲み込んだ。



「マルセナ!」

「ははっ! すごいすごい、熱量で負けちゃったよ」


 ふざけた男だ。嗤いながら。

 確かにマルセナの熱が勝った。熱風に飲まれながらも、男の生み出した雹弾のいくつかがマルセナに届く。

 霧の中でも正確にイリアが切り払い、マルセナは続けて――



爪紅(つまべに)葯頭(やくとう)より、()ぜよ赤熱の犇刺(ひしざ)し」


 強力な魔法より、速さを選んだ。

 とはいえ、食らえば大岩でも跡形もなく削りとるだろう千本の火針。

 逃げ場のない針の絨毯のようなそれに対して。


「冷厳たる大地より、奔れ永刹の氷獄」


 氷の壁が立ちふさがった。

 分厚く、その冷気は先ほど周囲に振り撒かれた熱気を、一瞬で真冬の夜よりも冷たく凍てつかせる。


「っ!?」


 急激な温度変化。体はともかく目や耳にはかなり痛い。

 鷹鴟梟も瞼を閉じたのが見えた。あれの感覚にも堪えるだろう。

 ダロスとディニも、強烈な魔法のぶつかり合いに離れている。近付けば巻き込まれる。



「今度は僕の勝ちかな?」


 この状況を楽しんでいる。

 というか、遊んでいるのか。

 まるで子供が力比べの遊戯でもしているかのような態度。殺し合いの場で。


 氷の壁が崩れない。

 千本の火針を受けてもまだ残ったまま――


「九天の環涯より」



 その壁が間を作った。時間と空間。

 マルセナが詠唱に集中する間を。


(めぐ)れ!」


「谿峡の境間より、咬薙げ亡空の哭風」


「紅炎の蓮華!」


 マルセナの杖から伸びた紅蓮の大蛇が、敵を消し去ろうと叩きつけられる。

 込められた熱量なら、マルセナが使う中で最も高い。鉄でも瞬時に溶け爛れるほど。



「足りないか。真白き清廊より来たれ絶禍の凍嵐」


 炎蛇の首が弾け飛んだ。

 敵が放った見えない何かで。


 大蛇の血のように飛び散った火の粉。

 極寒の吹雪がその粒を飲み込み、消し去っていく。

 マルセナに匹敵するだけの魔法を軽々と連発するなど。


 氷の壁は、紅蓮の大蛇の余熱で解け落ちた。

 しかし敵はどちらも平然と。寒さを増した大地に立ち、下卑た笑みを浮かべたまま。



「無駄だってわかるかな?」

「……」

「おとなしくするなら、そっちの女の子の命くらい見逃してあげてもいいんだけど」


 魔法使いとして、マルセナの上を行くと見せつけた。

 信じたくないが、確かに今の攻防を見る限りはそれだけの力がある。

 それを明確にした上での交渉。


 おとなしくすれば、イリアは助ける。

 マルセナの肩がぴくりと震える。現実を知り迷いが生じた。諦めるべきかと。




「迷うなら、貴女を殺して私も死ぬ」


 断ち切った。

 イリアも迷いを断ち切る。

 我が侭に。ただ我が侭に自分の望むまま。


「一緒に生きるか、一緒に死ぬか。それだけでいい」

「……そうですわね」


 くすりと、マルセナが笑った。

 我慢して生きるくらいなら、望むように死のう。

 イリアとマルセナはもう、互いだけで十分。互いを失って生きる理由などない。


「それで、イリアがよければ」

「馬鹿なことを。珍しい力と綺麗な顔をしてるから、せっかく僕が愛を注いであげようって言うのに」



 愛などと、どの口で言うのか。汚らわしい。

 ただの我欲。他の何でもない。


 そんなものを愛と呼ぶこの男は、他者のことなど何も考えていないのだろう。ただ自分の思い通りにしたいだけで。




「お前みたいな奴にわからないでしょ。愛なんて」

「アルジ」


 鷹鴟梟が言葉を遮った。

 下がっていろと言われた鷹鴟梟が、その命令を破って。



「けはいガ……ナニカ、ようスガ……?」


 何か違和感を覚えたのか、目を細めて耳を澄ます。

 イリアには感じられなかった。特に何事も。

 先ほどの炎熱と氷雪のぶつかり合いで周囲の空気が大きく乱れている。その中で何か察知するとすれば、鷹鴟梟の感覚はイリアより上だと言うことだろう。


「気のせいじゃないか、パッシ――」



 一応は鷹鴟梟の言葉を聞いた男だが、しかし何もないと言いかけた時。



 ――ぐわん



 ぐわんと、世界が歪んだ。



  ※   ※   ※ 


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