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戦禍の大地に咲く百華  作者: 大洲やっとこ
第五部 散る花。咲かぬ花
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第285話 望む全てと阻むもの



「こんな所で時間を……」


 焦る。

 運悪く、東門を出ようとしたところに敵が来た。

 かなりの行軍速度で、これもまた相当な精兵。


 無視して進めば追撃を受けることになる。

 エトセンの町にも残っている戦士たちがいて、それだけではなく解放したばかりの同胞も。


 放っては置けない。易々と町に入れるわけには。

 すぐに片付けてしまえばと思ったが、思った以上に強かった。

 英雄級、勇者級が率いた練度の高い精兵の大軍。戦っている間にも増えていく。



 結局、城壁を盾に守勢に回るしかなかった。

 まともに戦っても勝算が五分というところ。捨て置ける相手ではない。


「ダァバが……」

「落ち着くのじゃ、ルゥナ」


 メメトハに叱責を受けた。

 夜も更け、敵の攻勢も一時緩んだところで。

 かなり急いで港町からここまで駆けてきたらしい。人間どもも疲労は少なくない。



「ダァバを討つのは必ずじゃ。だが今ここでこの町を人間どもに奪われては、こちらが分断される」

「……わかっています」


「トワの為だけに――」

「わかっています‼」


 強く怒鳴り返してしまった。

 メメトハの言葉が正しくて、



「あ、あの……」


 張りつめた空気の中、恐る恐ると言った声がかけられた。

 見れば、まだ首の傷痕が新しい清廊族の女性。


「……お疲れなのではないかと」

「……」


 手には、湯気を立てる椀が。

 解放した同胞で、戦えないながらルゥナ達の手伝いをしようと町に残された食材で炊き出しを。



「……すみません」


 これもまた、ルゥナが救い出したかった何か。

 人間の虜囚となり、悲嘆と絶望に暮れる清廊族を解放する。

 トワだけの為に捨ててしまっていいと、言っていいはずもない。


「ありがとう」

「いえ」


 椀を受け取り、一口啜った。



「すみません、メメトハ」

「構わぬ」


 ダァバを討ちたいのはメメトハも同じ。むしろそれに関してはルゥナ以上に強く思っているはず。

 しかし、ダァバを討つのは全ての清廊族の未来の為だ。

 奪われたトワだけの為に、多くの同胞を見捨てるわけにはいかない。



「言っていたであろう。奴自身が、炎ならばと」

「……」


 濁塑滔の力を得た清廊族の体。

 斬撃、打撃は意味がない。氷雪の魔法にも強い。

 それでも炎の魔法ならば有効だと、ダァバが言っていた。


「ラッケルタとネネランを軸として、それとこの――」

「ラーナタレア、でしたか」


 双対の魔術杖。

 メメトハとルゥナが手にする小振りな二つ。


「……女神の遺物なのですね」

「らしいの」



 敵から奪った武器で、必死に戦っていて気にしていなかった。

 しかし不定形の体を得たダァバにも苦痛を与えたのだから、何かあると。


 異常な強度、紡ぐ魔法の力強さ。

 冷静に考えてみれば答えは絞られる。


「人間に恩寵を授けたという」

「だく……不定形の魔物にも有効なわけじゃな」


 母さんの最期を思い出す。

 先ほどのことではなく、黒涎山で初めてアヴィと出会った時のことを。



 泉から光る水を注いで、母さんは死んだ。

 最後の想いだけを小さな石に残して。


 黒涎山の洞窟の底。

 泉の遥か上にわずかな亀裂があって、月明かりが漏れていた。

 長い年月、月明かりを溜めた清らかな泉に生息するという植物。神洙草。


 女神の涙とも言われる。

 あれもまた女神の遺物か。



「……」


 神洙草があれば、ダァバを倒すのに有効かもしれない。

 倒す手立てはある。最初に見た瞬間は無敵のように思える能力だったけれど。


 トワを……トワを見捨ててでも、時間を作れば。

 ダァバを倒す手段はきっと用意できる。簡単ではなくても、きっと。

 ヌカサジュの魔物レジッサだって何か知っているかもしれない。


 気持ちばかりが焦るのは、トワのことを想うからだ。

 ルゥナの私的な感情。

 清廊族全体のことではない。



「私は……」

「……」

「アウロワルリスで、私を庇って落ちるトワを助けられなかった。いえ」


 告解する。

 自らの罪を。


「私は……アヴィを裏切ってトワに惹かれる気持ちを隠したくて。手を伸ばさなかった」

「ルゥナよ」

「本当です。私は自分の罪悪感を誤魔化したかった」



 メメトハだって聞かされても困るだろう。

 先ほど椀をくれた女性も、困ったようにメメトハとルゥナを見比べたまま。


「今日だって私は……自分を誤魔化す為にダァバを追うと」

「トワの為じゃろう」

「私の為です」



 少し食べ物を口にして落ち着いたから。

 理屈に合わない自分の行動を、過ちを、メメトハに聞いてもらった。


「責めぬよ」

「……」

「妾がダァバを憎悪するのも大して変わらぬ。己の罪の意識からじゃ」


 血縁かもしれないダァバが清廊族を裏切り、今の悲劇をもたらした。

 メメトハの憎悪の強さは自責の念から。

 責任感の強いメメトハと、身勝手なルゥナは違う。




「私のは……ただの」

「――ただの、なんですか?」


 伏せかけた顔を上げると、ルゥナを睨みつける少女が。

 強い瞳でルゥナを責める。


「ただの? トワ姉様のことを必ず取り戻すんじゃないんですか?」

「イバ……」

「貴女は……っ!」


 ぐいと胸倉を掴まれ、椀を落とす。

 憎しみと悲しみとを混ぜこぜにした表情でルゥナを責めるイバ。



「トワ姉様は貴女を愛していました! 何がどうだろうと貴女のことばかりを」

「……」

「それを、ただの? 言うに事欠いて貴女は!」

「やめぬかイバ」


 見かねたメメトハが引き剥がす。

 イバの力はさほど強くはない。ルゥナ達と比べればという意味で、実際には熟練の戦士にも匹敵するけれど。



「好きなんじゃないんですか!? 必ず助けるって言ったでしょう、貴女が!」

「……」

「勝手なことを言うなら、最後までそれを貫きなさいよ! なんで……どうして、こんな」


 情けない。

 年若いイバに返す言葉もない。


 トワとの密かな関係に甘えておきながら、いったい自分はどうしたいのか。

 助けなければと言ったのも、アウロワルリスから落ちるトワに手を伸ばした振りをした時と同じ。

 自分に言い訳をする為だけ。


 情けない。

 悔しい。

 イバの方がずっと真っ直ぐにトワを好いている。



 自分の胸中の疚しさに負けて、ただ好きだという気持ちを真っ直ぐに言えない。

 ウヤルカならきっと、堂々と胸を張って言って退けたのだろう。


 ここにいない仲間を思い、唇を噛んだ。




「ルゥナ」

「……アヴィ」


 騒ぎが聞こえたのだろう。城門近くにいたはずのアヴィが歩いてきた。

 怒られるのか。

 それとも、浮気者と罵られ、捨てられるのか。


 仕方がない。それもこれも全てルゥナの行いの結果なのだから。

 その挙句にトワも失うなど、本当に。



「諦めることなんてない」


「……?」



 アヴィは責めなかった。

 表情が薄いのはいつものことだけれど、少し優しく、でも困ったような色を浮かべている。


「貴女が望むことを諦めることなんてないの」

「……ですが」

「諦めては駄目」



 望みを諦めてはいけない。

 幸せになる努力を捨ててはいけない。


「ここの人間は倒す。ダァバも倒してトワも助ける」

「……」

「それで解決するのなら、そうする。全部やるの」

「アヴィの言う通りじゃ」


 単純な話。

 言う通りだ。空の彼方に飛び去り、手が届かなくなってしまったと。

 諦め、手を伸ばすことをやめてしまったら本当に届かなくなってしまう。



 アウロワルリスでは、ウヤルカが助けてくれた。

 ここにウヤルカはいない。けれど、仲間はいる。アヴィがいて、皆がいる。

 ルゥナが俯いたままでいいわけがない。


「全部……そう、ですね」


 誰に詫びるにしても、何を望むにしても。

 皆が揃ったところで堂々と言わなければいけない。メメトハにこっそり赦しを求めるなど、恥知らずな。



「すみません、アヴィ。イバにも」

「……」

「私が呆けていました。下らないことを」


 まだ強くルゥナを睨むイバに向けて頷いた。

 彼女は正しい。

 トワを必ず取り戻すと、そう言ったルゥナの言葉もまた、己の正直な気持ち。

 恥じるべきはそこではない。


「本当に情けない。膝を抱えて愚にもつかないことを」

「……」

「人間は倒す。ダァバも倒す。トワを助け出す」


 出来ないと決めつけて勝手に諦めた。

 イバの言う通り身勝手なことを。勝手を言うなら貫き通せと。



「ありがとう、イバ」

「……」

「貴女は本当にトワを……愛してくれているのですね」

「当り前です」


 ぎゅっと拳を握り、負けないと意思を示す。


「トワ姉様が好きです。誰にも負けない」


 嬉しい。

 奇妙なことのような気もするけれど、嬉しい。



「アヴィ」

「うん」


 向き直る。

 アヴィに真っ直ぐに。


「愛しています」

「……」

「誰にも負けない。一番好きです。同じくらいトワのことも愛しています」

「知ってるわ」


 アヴィも頷き返した。

 言ってしまえば、口にしてしまえばそれだけのこと。

 罪悪感など必要ない。恥じる必要などない。



「貴女の大切なものを守る。取り返す」

「力を貸して下さい」


 アヴィの表情が優しく緩んだ。

 もう一度頷き、聞いていたメメトハ達も続く。


「私たちも出来ることを」

「ええ、お願いします」


 ルゥナが落とした椀を拾った清廊族の女も、表情を和らげて答えた。


 長く人間に囚われていたはず。

 辛く苦しい日々を過ごした彼女が、未来の為に戦うルゥナ達を見て微笑みを。

 その笑顔も、ルゥナが守りたかったものだ。見捨てたいなどと思ったことはない。



「全てを、取り戻します」

「そうね」


 奪われてきた全ての望みをこの手に。

 その為に戦ってきた。もうこれ以上、一つとて取りこぼすものか。


「安心しろというのも酷じゃが、ダァバはすぐにトワを殺したりはせんじゃろう」


 メメトハの言葉は希望的観測というわけではない。



「ただ殺すのなら連れ去る理由もない。トワの血に興味があるはずじゃ」

「そうですね」


 トワの血、トワの力。

 あれもまた少し異質なものがある。ユウラと異母姉妹だと知ったのは後のことだけれど。


 異質な力。アヴィが与えてくれた恩寵ともまた違う。

 ダァバが関心を持ったのは間違いない。だからトワを連れ去った。

 簡単に殺しはしないはず。


 場合によっては、あの子は美しい。

 ダァバが己の子を産ませようと身籠らせることも考えられる。

 (おぞ)ましい。



「――」



 たとえダァバに何をされたとしても、それでトワを愛する気持ちが損なわれたりしない。

 傷つけられたのなら、それを癒すのも自分でありたい。

 ルゥナだけではなくイバも、きっとオルガーラやニーレも同じ気持ちのはず。


 ここで諦めるようでは、それすらできない。

 今すべきことは、一刻も早く新たな敵を倒し、ダァバを追うこと。

 まずは外にいる敵軍を――




「っ!?」


 異様な気配を感じた。



 町の火の手もほぼ収まった。

 敵軍の攻勢も一時止み、少し肌寒いほどの空気が張る夜の静けさ。


 凛とした空気の中、異様な気配が。咆哮が。

 遠すぎて本当に微かにだけれど耳の奥を響かせ、肌に走った震えがぞわりと背筋を強張らせた。



「な……に……?」

「なんじゃ、この……」


 ルゥナだけではない。メメトハもアヴィも、戦う力などない清廊族の女もまた。

 体を震わせて顔を向けた。


 西に。

 南西に。



 山を一つ切り崩して作った町だ。あまりに広い。

 夜の闇の中、いくら清廊族が夜目が利くと言っても何が見えるわけでもない。


 しかし確かに異常な気配を感じた。

 全員がそうなのだから気のせいではない。何か悪いことが。



「た、大変だ! だれかぁ!」


 全ての清廊族が東門にいるわけでもない。

 町にはまだ人間の残党もいたし、囚われている清廊族もいれば怪我をした者も。

 動ける同胞には見張りや町の状況の確認を頼んでいた。


 南から駆けてくる同胞。

 取り乱して、やはり尋常な様子ではない。



「敵が……敵が、西側に……南西から!」

「別動隊じゃと」


 まだ甘く見ていた。

 人間の数の多さを見誤ったのか。


 決定的な差。致命的な弱み。

 どれだけ力を増しても少数では出来ることに限りがある。

 最初からそれに苦しめられてきた。今もまた。


 二手に分けるか。しかし敵が二手だけとは限らない。

 ルゥナが動かせる戦力では広大な町を守りきるには足りず、放っておけば挟撃される。



「ここまできて……」


 歯を噛み鳴らすルゥナの腹を、腹の底から震わすように。

 エトセンの町全域を、これまでにない激震が貫いた。



  ※   ※   ※ 


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