第27話 えらい?
飛び掛かってきた敵を串刺しにしたらどうなるか。
「……」
血塗れのエシュメノは、その水色の髪を赤く染めて、何一つ感情らしいものを示さずに右手を振るった。
左手は使えない。
今突き刺した敵が刺さったままだ。
右手が抉ったのは、
「た、たす……ぐぇ、で……」
人間の兵士だった。
エシュメノの左手には、黒く滑らかな曲面の短槍がある。
襲ってきた犬型の魔物グワンを貫き、絶命させていた。
「……」
グワンには黒い呪枷があり、その背中には人間が乗っていた。
騎乗していた男は、グワンを殺され地面に落ちた所を抉られた。
エシュメノの右手に、捻じれた螺旋を描く深紫の短槍がある。
それで兵士の眼孔を貫いた。
螺旋の槍は太く、顔の半分ほどを抉りながら砕き、その命を絶つ。
廃村で泣き明かした翌朝、エシュメノは自分の髪を切った。
長く伸び放題だった水色の髪は、今は短く切り揃えられている。適当に切ったエシュメノの髪を、ユウラが切り揃えた。
特に言葉はなかったが、惜別と決意だったのだろう。
彼女の両腕には黒と紫のソーシャの形見が、その姿を変えてエシュメノを守ろうとしていた。
黒い角は左腕に。滑らかな籠手の形で。
深紫の角は右腕に。うねる波のような襞を持ち、手の甲まで覆う籠手の形で。
エシュメノが意識をすると、それらは槍に形状を変化させて、左右の短槍として彼女の武器となる。
守る力と戦う力。両方を兼ね備えたエシュメノだけの武具だ。
ソーシャから受け継いだ双角を手にした彼女は、共に戦う仲間になった。
「全部倒したでしょうか?」
「いや」
セサーカの言葉に首を振ったのはニーレだった。
犬型魔物グワンに騎乗した兵士の小隊は、おそらくこちらの戦力を過小評価したのだろう。
荷車を引き幼児を連れているような集団だ。多少は武装していたところで、魔物を活用している自分たちの敵ではないと。
返り討ちにしたのだが。
「少し手こずってる間に、二匹逃げていった」
十名ほどの連中だったが、それぞれがグワンに騎乗した兵士だ。
ルゥナも多少の戸惑いとやりづらさがあった。その間に逃げられた者がいる。
山林でグワンの足に追い付くのは不可能だろう。
「ごめん、矢が届かなかった」
「気にすることはありません、ニーレ。拾った武器でよくやってくれています」
簡易な木の弓矢だというのに、ニーレの射撃精度は日に日に上達して獲物を仕留めている。
ニーレが射た敵にまだ息があれば、トワの包丁とユウラの手斧で始末する連携も出来ていた。
今以上の成果を望むのは贅沢だ。
もっと上質な弓がほしいが、残念ながら難しい。
弓の場合は当然合わせて矢が必要になる。荷物が増えることになるので、あまり冒険者は使わない。
それなら魔法使いを仲間にするか魔法の習得を目指すだろう。
村の狩猟で使われる弓は今使っているものになる。
軍隊なら、数を揃えて弓部隊を運用する為に用意するものがあるだろうが、今のところ手に入る見通しがない。
「ニーレは昔から堅物なのです」
包丁にべっとりとついた血を、敵が着ていただろう服の布地で拭いながらトワが言った。
それからふと思いついたように、小首を傾げる。
元の顔立ちの造形が非常に整っているので、内面を知らなければその仕種はただただ可愛らしい。
「ルゥナ様も、お堅いですよね?」
「……どうでしょうか」
「そういう方がお好みでしたら、私もそうしますけど」
何をどうするつもりなのか、トワの言うことがルゥナには意味がわからない。
付き合いの長いニーレにはわかるのだろうか。
「トワ……ルゥナ様が困っている」
「ニーレちゃん、はい」
トワを窘めようとしたニーレの横から矢が数本差し出された。
「二本、折れちゃってた」
ユウラだった。無駄話をしている間に、使った矢を回収していてくれた。
「あ、うん。ありがとう、ユウラ」
「えへへ」
笑いながらニーレの矢筒に矢をしまうユウラが、去り際にニーレの尻を触っていった。
「ちょっ、ユウラ」
「ニーレちゃん堅いんだもん」
少し気を抜きすぎではないか、と思わないでもないルゥナだが。
(彼女たちなりに気遣っているのでしょうね)
張りつめすぎた空気を和らげたいと。
視線を別にやって、溜息しか出てこない。
返り血に塗れたエシュメノを、やはり敵から奪った布で拭っているのはアヴィだ。
エシュメノはされるがままの様子。両手の槍は既に籠手形状に変化している。
廃村を出てから七日ほど経った。
その間ずっと、エシュメノは今のような感じで、アヴィが率先して彼女の面倒を見ている。
(私を放って……)
唇を噛む。
そんな僻みを感じている場合ではないと、自分を責めた。
正直なところ、ルゥナはアヴィに依存されていると思っていた。
戦いのことではなく、女として。
伴侶とは少し違うけれど、アヴィに特別に扱われて、たまに独占欲を示されることもあったから。
アヴィはルゥナがいなければ立ち上がれない。
そんな風に思っていた。
そこにエシュメノが入り込んだ。
アヴィと同じ境遇で、目の前で深く傷ついたエシュメノ。
それこそ自分で立つことも出来ない彼女を前に、アヴィはその助けになろうとしている。
もちろん悪いことではない。
アヴィが自立するのはアヴィ自身にとって良いことだろう。
(ただ、私が寂しいだけで)
アヴィに頼ってもらえないことが寂しい。
人間との戦いの最中にそんな自分の卑俗な不満を自覚して、ルゥナは溜息を堪えられなかった。
「この近くにはトゴールトという町があるはずです」
一行の責任者は――アヴィは別として――ルゥナだ。
色恋ですらないことに葛藤している暇はない。私的なことよりも、今は全員の命を預かっている。
「話ではまだ少し遠いはずですが……おそらくこの兵士どもも、部隊を鍛える為に遠出して魔物狩りなどをしていたのでしょう」
今戦った人間どもは、魔物に騎乗する練度もあり普通の兵士よりも手強く感じた。
鍛錬を積み、それなりに戦い慣れている。
東部の人間の町では、魔物を使役する部隊があるという噂を耳にしたことがあった。。
町周辺の魔物は駆除が進んでしまった為に、遠征で経験を積んでいたのか。
魔石などを集めることも出来るし、魔物を狩れば無色のエネルギーも得られる。
そういう部隊は、今回遭遇したものだけではないはず。逃げた敵から報告が届けば増援がくるだろう。
「敵の戦力が集まる前に、アウロワルリスへ向かいましょう」
越えられぬ断崖を越えてしまえば、そこは清廊族の領域だ。
その方策はいまだよくわからないが、ソーシャの言葉が嘘だったとは思わない。
信じて進む。
今できることはそれだけしかない。
雑念を払って道を示すルゥナを、トワの灰色の瞳が映している。その唇から熱い息が漏れて。
恍惚としたトワを不安げに見守るニーレは、気付いていなかった。
自分に向けられている、トワと似た調べの吐息に、気づくことはなかった。
※ ※ ※
エシュメノは強くなった。
だけど全然足りない。
もっと強くならなきゃ、ぜんぜん足りない。
今よりずっと強くならなければ、あいつを殺せない。
ソーシャの仇を討てない。
この力はソーシャがくれた。
角も、ソーシャがくれた。
右と、左と、真ん中にエシュメノの角がある。
三本角。これでエシュメノはソーシャとおんなじだ。
おんなじくらい強くなって、敵を全部殺す。
アヴィは友達だ。
話は聞いてる。アヴィも魔物に育てられて、その魔物を人間に殺された。
エシュメノといっしょで、エシュメノの友達だ。
人間がいると同じことを繰り返すって。
また、誰かが家族を殺される。
誰かの大切なたったひとつを、食べるためでもないのに、殺してしまうんだって。
エシュメノは知っている。
食べるためでもないのに殺すのはいけないって。
ソーシャが教えてくれた。
いっぱい教えてくれたことは全部覚えてる。
エシュメノはかしこいってソーシャが言ってたから、全部覚えてる。
最期のソーシャの言葉も覚えてる。
ソーシャのために生きてって。
わかった。エシュメノはソーシャのために生きる。ソーシャの仇を討つ。
それにはもっと強くならなきゃいけない。
人間を、ぜぇんぶ殺さないといけない。
ん、食べるためじゃないけど……たぶんこれでいい。ソーシャのためだから。
アヴィたちはそのために戦ってる。
じゃあエシュメノとおんなじだ。
エシュメノだけじゃ出来ない。悔しいけど、エシュメノはソーシャより弱いから出来ない。
ルゥナに任せたら出来るってアヴィが言った。
だからエシュメノもルゥナに任せる。一緒に戦って、ソーシャの仇を討つ。
アヴィはエシュメノを抱きしめて眠る。
友達だから仕方がない。
ソーシャもそうだった。寝る時にエシュメノがいないとゆっくり眠れないって言ってた。
一緒に寝てるとアヴィは泣く。
いつも泣く。
だからエシュメノも泣いた。
そうやって泣いて、キースをして、眠る。
アヴィは泣き虫だけど、エシュメノは友達だから許してあげようと思う。
ソーシャが言ってた。
友達が出来たら優しくしてあげなさいって。
ねえソーシャ。
エシュメノ、えらい?
※ ※ ※
天翔騎士は通常三人一組で動くことになっている。
作戦行動中の話だが。
(作戦行動なんて、今までないんだけどね)
数の少ない天翔騎士の中でも少ない女騎士の一人であるガーサは、訓練ではない三人行動にやや緊張していた。
年齢は三十になる。
十代の頃から冒険者をやっていて、実力を認められて天翔騎士に勧誘された。
トゴールトの町は規模が大きい。
町に住む者だけで数万人がいて、周辺の農村なども合わせたトゴールト地域とすれば二十万人近い人間が暮らしている。
ガーサもそんな村の出身だ。
三十年ほど前に捕獲、繁殖に成功したという翔翼馬。それに騎乗する天翔騎士。
それが空を舞う姿は人々を興奮させた。
子供の頃、稀に村の近くを飛ぶ天翔騎士を見て、いつかはと夢見たのはガーサだけではない。
夢が叶った。
候補として勧誘された後、天翔騎士の鍛錬は決して楽ではなかったが、当然のことだろうと苦に思うことはなかった。
宛がわれた仔馬に呪枷をつけた時の感動は言い表せない。
茶色の首に黒い呪枷をつけて、ガーサは本当に天翔騎士となる。
天翔勇士団の慣例として、その日は隊内で祝ってもらえた。
ただ呪枷をつけただけでは一人前の天翔騎士ではない。
生き物なのだから、癖もあれば感情もある。
どんなことが得意で何が苦手か。こちらの意志を誤解なく伝えるのはどうしたらいいか。
ガーサは相棒の翔翼馬と過ごす時間が人生の大半となり、気が付けばもうずっと恋人などいない。
たまに気まぐれに酔った勢いで誰かと関係を持つことはあっても、大抵はそれだけで終わりだ。相手にも妻子がある。
そうしているうちに三十を過ぎて、この世の中では行き遅れだと言われるようになった。
だがガーサは後悔していない。
仕事と添い遂げるという言葉があるように、自分の伴侶はこの翔翼馬だ。
グリズヒートと名付けた愛馬と共に、今回の任務を受けた。
訓練兼哨戒任務に当たっていたグワン騎兵部隊が数日前に接敵、壊滅したと。
敵は影陋族のようだったという報告だが、そんなことはあり得ない。
隣接するレカンの町。そこを所領とするルラバダール王国の何らかの工作かもしれない。
トゴールトで最も足が速く、また最も信頼の厚い天翔勇士団にその確認、対応の任務が回ってくるのは当然のことだと言えた。
「ガーサ、急ぎすぎだ!」
飛行中は聞こえが悪いので、怒鳴り声のような話し方になってしまう。
その声が思いの外近かったことに、ガーサは自分が呆けていたと気がついた。
「悪い、寝ぼけてた」
「緊張してたんじゃないのかよ。可愛げがねえな」
だから男の一人もいないんだ、と先行していた同僚が言う。
余計なお世話だ。お前の下の世話だってしてやったことがあっただろうに。
不満はあったが空の上で怒鳴り合うのは疲れる。
下の茂みに敵が潜んでいるかもしれないのだ。大声でわめき続けるのもよくないだろう。
ガーサは速度を落として先行する二人から距離を空けた。
天翔騎士は空中にいるわけで、多くの場合それはかなり有利になる。
空の上を狙うとすれば、弓か魔法になるだろう。
回避行動のためでもあるし、大量の矢による一斉掃射や範囲魔法で一網打尽になることを考えて、三人一組の行動時には一定以上の距離を空けるようにしていた。
これまでは、村同士の小さな揉め事や、魔物討伐のための任務しかやってきていない。
人間――話によれば影陋族ということだが――の集団相手の作戦行動は、ガーサは初めてだった。
先任の天翔騎士は、以前にルラバダール王国所領との小さな諍いで、人間同士の戦いを経験している者もいる。
今後はそういう事態も増えるかもしれない。
カナンラダ大陸南部は色々な国により分割されて統治されているが、そこに明確な国境線があるわけでもないのだから。
「人間相手となると、やっぱりちょっと緊張するか」
呟いたガーサの言葉が聞こえたのは、騎乗するグリズヒートだけだろう。
ガーサは兵士出身ではなく、冒険者上がりだ。
魔物との戦闘の経験は多いが、人間相手は経験が少ない。
冒険者時代に、若いガーサを襲ってきた冒険者を返り討ちにしたことはあったが。
遠くにうっすらと見えるニアミカルム山脈。その麓から広がる森を見下ろす。
西側から東に流れてくる川は、トゴールト周辺の水源にもなっている。
人間は水がなければ生きていけない。農作物も育たない。
カナンラダ南部は豊かな資源を有しているが、トゴールト地域二十万人の食料を無尽蔵に満たしてくれるわけではなかった。
農村に十分な水がいかなければ、干上がるのはその村だけの問題ではない。
「影陋族、ねぇ」
野生の影陋族などガーサは見たことがなかった。
昔はこの辺りにも生息していたというが、ガーサが生まれた頃にはそれらの集落は全て滅ぼされ、影陋族は奴隷として存在しているくらいのもの。
昔は熱心な影陋族狩りの冒険者もいたというので、集落から逃げた者も多く捕えられたことだろう。
その影陋族が今更、人間を襲う?
グワン騎兵部隊について、ガーサはあまり好きではないが、あれもそれなりの実力を有している。
普通の兵士なら三倍の数がいても蹴散らせるくらいの力はあるはずだ。
それを影陋族が壊滅させたなど信じられるはずもない。悪い冗談だ。
可能性があるとすれば、上位の冒険者かルラバダール王国の精鋭。ルラバダールに限るわけでもないが。
あるいは、かなり危険な魔物がいるか。
報告では荷車を引いた影陋族の難民のようだったというが、偽装だろう。
壊滅したという事実は嘘ではないのだろうから、そういう偽装工作を伴う何者かに違いない。
「油断せずにいくよ、グリズヒート」
『BURURUU』
呆けていた自分を棚に上げて愛馬に声を掛けると、聞きなれた嘶きが返ってきてガーサの緊張を解いてくれた。
※ ※ ※