第257話 裂光に舞う蝶
軽率だったかもしれない。
勝てないのかもしれない。
何もかもを失ったマルセナが、王国騎士団正規軍の一団を相手に。
マルセナは強い。
だがそれも、菫獅子騎士団参謀長とやらの中では想定の範囲内だったらしい。
「九天の環涯より、繚れ紅炎の蓮華」
紅炎の蓮華。
日輪から溢れる大蛇が鞭となって焼き払う大魔法。
かつて太陽が黒く飲み込まれた時。丸く残ったその縁から巨大な燃える蛇が飛び出して、そうして再び太陽が光を取り戻したとか。母が読んでくれた物語。
使えるのは、マルセナの他には母しか知らない。
母から教わった。
マルセナの魔法は母からもらったもの。
大切なそれが防がれる。
「既にそれは見た」
開戦のきっかけとなった襲撃の際に使った。
迎撃の為と、戦いの火を広げる為。
争うことなく町に入れるのならそれもいいと考えていたが、あの状況であれば変わる。
エトセンの守備隊と菫獅子騎士団を衝突させようと。被害を広げるように周囲と城壁を炎の大蛇で薙いだ。
他に使用者のいない大魔法。
だとしても、一度見たのであれば一流の戦士であれば対応することも出来る。
他で見たことがない魔法だったからこそ印象が強かったのか。
「「獄海の渦柱より、呑め光無しの絶嵐!」」
敵の魔法使い三人が放った強烈な竜巻が、マルセナの炎の大蛇を逸らす。
ぶつかり合った魔法の余波で周囲に衝撃が巻き起こった。
激しい暴風と土煙の中。
「祝焦の炎篝より、立て焼尽の赤塔!」
次に紡いだのはありふれた魔法。中級の炎の魔法。
だがマルセナが使えばただの中級魔法ではない。
「離れよ!」
八つの炎の塔がマルセナとクロエを守るように立ち上がり、ついでに騎士を数名飲み込む。
「愚かな、その炎の中では満足に詠唱も――」
「原初の海より――」
関係ない。
舌を焼くほどの熱と焦げた空気の中でも。
朱色の肩掛け。
ノエミとイリアが用立ててくれた、炎熱から身を守る緋朱糸で編まれたショール。
マルセナの口元を覆い、呼吸を楽にしてくれた。
「来たれ始まりの劫炎」
「三つだと!?」
集中していればこれくらい。
上級魔法が一度の詠唱で三つ放たれる。二つくらいなら高位の魔法使いならやるだろうが。
炸裂した爆炎に、防ぎきれず十数名の騎士が吹き飛ばされた。
「続けざまにこれか! まさに災厄級の魔女だ」
「母様を……っ」
視界が熱くなる。熱ではなくて怒りで。
「愚弄しましたわね! お前たちは、また!」
苛立ちが力に変わる。
マルセナの復讐の力に、世界を焼き尽くす炎に。
母を殺したこんな世界は。焼かれて焼かれて真っ黒に煤けてしまえばいい。
枯れ果ててしまえ。こんな世界。
それがマルセナの力の理由で。生きる理由で。
そこに、憧れた鮮やかな蝶がいてはいけない。だから。
「深天の炎輪より」
記録にもほとんど残っていないくらい昔の口伝。
真夜中の空に太陽が現れたと。
「叫べ!」
夜空を眩く染めたそれは三日三晩の間、世界を照らし続けた。
世界全てを焦がすほどの熱量と、遠い空から届く割れるような声。それはまるで世界の終焉を告げるようだったと。
「狂焉の――」
「それほどの大魔法を!」
強い魔法を使うには相応の溜めがいる。マルセナだってそれは変わらない。
その為に先に炎塔を作った。猛火が敵と自分とを遮る。
いくら強力な魔法使いでも、これほど連続で多くの魔法を続けられない。
普通では有り得ない。英雄級と呼ばれる魔法使いでさえ難しいはず。
しかし、魔法使いとの戦いを想定するのであれば当然のことながら。
炎への備えはして当然。
人間の集団の中で最大級の軍備を誇るだろう菫獅子騎士団。その幹部が率いる精鋭中の精鋭ならば。
「突撃ぃ!」
「突貫!」
顔を布状の防具で覆い、大楯を構えて突撃してくる騎士がいた。
マルセナの作った炎塔の中を突き抜けて迷いなく踏み込むそれらは、勇者と呼ぶにふさわしいのかもしれない。
自らの傷を怖れず炎を打ち破る。勇者か、それとも狂者か。
「うおおぉっ!」
「くっ」
唱えきれなかった。
躱したところに更に突撃してきた大楯を、魔術杖を盾に防ぐ。
「砕けよ!」
突っ込んできた勢いで大楯をぶつけられては、木製の魔術杖など――
「っ!?」
砕け散った。
粉々に。
マルセナを守るように。
「な……」
金属、おそらく煌銀と冥銀を重ね合わせた大楯が、砕け散った。
布に隠された騎士の顔が驚愕に染まるのが見えたような気がする。驚いたのはマルセナも同じだが。
勇者、英雄でも砕けないものなどあるのだろうか。
マルセナはこれをトゴールトの高級魔法具の店で買ったが、材質について何か言っていたような記憶もある。
カナンラダ最古の大樹がどうとか。今すぐには思い出せない。
「わたくしと」
「ぶぁ」
杖で殴りつけた。大楯を失い晒されたその頭を潰す。
「母様の! 炎よ!」
「うぁあっ!?」
簡易詠唱でも一人二人を焼くくらいの威力はある。
他に突貫してきていた騎士二人の足元に火球を放ち、その身を炎に包んだ。
打たれた炎で片足が吹き飛び、火だるまになって転がる騎士ども。
「復讐の力を!」
まだ終わっていない。母を苦しめ殺し愚弄し侮辱したこの世界に、もっと。
「「南天の際涯より、悴め無情の氷雹」」
強い魔法に溜めが必要なように、苦手な魔法にも相応に集中が必要になる。
人間には苦手な氷雪系統の魔法。
苦手だが、全く使えないわけではない。十分な威力で紡ぐには時間が必要だったとして、突貫した騎士がその身を犠牲に時を稼げば。
マルセナを守っていた炎の塔が、吹き付ける冷たい氷雨に掻き消された。
これでマルセナと敵を遮るものはなく、次の魔法を紡ぐ時間を敵は許してはくれない。
「ここまでだ、魔女!」
踏み込んだ男は指揮官、参謀長クィンテーロ。
勇者を超える動き。彼もまた英雄級の戦士。
「くぅっ!」
剣を防いだ魔術杖は、やはり折れない。
だが力負けする。下から弾かれた剣撃でマルセナの体が大きく開いた。
「喉を」
殺さないと言っていた。子供を産ませるのだと。
その為に最初の一撃は殺すつもりではなく、次の一撃はマルセナの喉を潰そうと。
白く美しい首を、剣の腹で打つ。
それでマルセナは魔法を使えなくなり、呼吸も満足に出来なければ逃げることも適わない。
「っ――」
強烈な衝撃音と共に、砕け散った。
マルセナを守ろうとした、短剣が。
「なにっ!?」
「これ、ちょっと気に入ってたんだけど」
続けて振られた短剣を躱してクィンテーロが後ろに跳んだ。
「マルセナの為なら、何も惜しくない」
「……あ、あぁ」
片手に残った柄を投げ捨て、微笑んだ。
「助けに来たよ、マルセナ」
彼女の戦う姿は舞い踊るようで。
そんな蝶に憧れて、仲間になったのだ。西の港町で。
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