第251話 願いの火
エトセンの町に戦火が広がる。
城壁での攻防は昼を過ぎる頃には支えきれなくなり、ついに壁に攻城櫓が取り付いた。
そこから溢れ出す兵と、続けて取り付く梯子など。
上空から見ていれば、それは川の堰を越えて溢れる水のようだっただろう。
流れ込んだ菫獅子騎士団指揮下の軍が門を守る守備隊を飲み込み、城門を開く。
東の大門、続けて他の小さな通用門も。
町に入り込んだ傭兵からだったのか、火の手が上がる。
あるいはそれは、町の中にいたならず者が混乱に乗じて略奪を始めたのか。
菫獅子騎士団としては町に火など放ちたくない。だが取り締まるのは後だ。
「民間人は構うな! 目指すは中央!」
「我々はルラバダール王国軍である! 道を開けよ! お前たちの町の火事を消せ!」
雨が少ない季節だ。火の広がりが早い。
焼野原になった町など手に入れても意味がないというのに。
入り混じる傭兵なのか冒険者なのか、それらが元々味方だったのか敵だったのか見分けている余裕はない。
冒険者は、こうなってしまえば今さら菫獅子騎士団に盾突こうという意識はなく、自儘に勝手なことをしているようだが。
東の城壁は南西ほど強固ではない。
町を守ろうと名乗りを上げたスバンクという老兵と菫獅子将官の衝突で一部が崩れている。通用門の脇。
崩れた瓦礫の中にスバンクの死体は埋もれた。
混乱した住民がそこから逃げ出す。
中には町の主要人物もいるかもしれないが、混乱の中では確認も出来ない。
仮にエトセン公ワットマがこれで逃げ出しているのなら、領主たるに相応しくないと喧伝すればいい。
後ろ暗いことがあり、菫獅子騎士団の調査を拒み攻撃してきた。
そして町を逃げ出した。他の証拠は後で作る。
行政府にいるのなら、捕らえて処刑だ。
王国への反逆者として住民に見せしめとする。
菫獅子騎士団がやるだろうことは、集まった傭兵もおおよそ理解していた。
「こんな町」
混乱する町にさらに怨嗟と嘆きを振り撒く。
「滅びてしまえばいい」
それで復讐が果たされるのなら、マルセナの気が済むのなら。
「原初の海より来たれ始まりの劫炎」
焼き払う。
爆炎が市街地に広がり、さらに悲鳴と火災が広がった。
「ふふっ、あははっ!」
愉しそうに。
炎に照らされたマルセナの頬が緩む。
「こんな町、全部滅びてしまえばよいのですわ」
「おぬしら、何をやっているかわかっておるのか」
燃え広がろうとした家屋を、凄まじい旋風が掻き消した。
建物ごと粉微塵にして消化する。
「たわけが。戦に酔ってかような狼藉を」
「マルセナ様、お下がりください」
「どなたかしら?」
尋常な相手ではない。エトセンの町にいた強者だろう。
かなり老齢で決して大柄ではないが、手にしている槍で今の旋風を巻き起こしたというのなら油断は出来ない。
「……薄気味の悪い、なんじゃ貴様らは」
鼻から眉間の皺を深くして、伸ばして、また深く。
目を凝らしてマルセナ達を見定めようとする。
「妙な気配……かような非道三昧をしておきながら、この気配の薄さ」
ガヌーザの呪術の効果はまだ続いている。弱まってはいるが、まだ無効ではない。
「耄碌しているのではありませんの?」
わかっていて嘲るマルセナ。
復讐の日だからか、今日はやけに機嫌がいい。
「だまらっしゃい。老いたとはいえこのモデスト」
槍を一つ払った。
凄まじい突風が抜けるのを、クロエは手にしている剣で斬り裂いた。
「このモデスト、エトセン騎士団の一番槍。一のモデスト、二の濡牙槍とまで呼ばれたもの」
エトセン騎士団が所持する女神の糸切り歯と言われる巨大な槍。
その濡牙槍と並び称されるほどの老人。
「……影剣、ブラスヘレヴじゃと?」
突風を切り裂いたクロエの剣を見て唸った。
「光剣トゥルトクスと対を為す名剣。かつてエトセンの……」
改めて、老戦士がクロエとマルセナを見た。
大きく見開いた目で。
「……おぬしらは、何者じゃ?」
先ほどの突風で、残っていた呪術薬が吹き飛んだのか。
今度ははっきりとクロエとマルセナの姿を捉える。
「マル――」
「ちょうどいいですわね、腐るほど年を経たお前ならご存じかしら」
随分と毒を持った言葉で応じた。
「アン・ボウダ」
「っ!」
一歩下がる。
「知っているのでしょう? 忘れたとは言わせませんわ」
「有り得ぬ……アン様が、そのような……」
「そのような? どのような?」
再びマルセナが杖を向けた。
始樹の枝から作られたという愛用している杖を、そこらの建物に。
「炎よ」
放たれた火球が町にまた火を放つ。
「ねえ、モデストとやら。アン・ボウダがエトセンに戻りましたわ」
「あ……」
「何のために、だと思いますの?」
小刻みに首を振る老人モデストは、先ほどまでの強さを感じない。
ただ怯える小兵の爺。
槍を握る手も震え、年相応に見えた。
「ふ、ふくしゅ……う……」
「正解です、ふふっ」
「あ、あれは違うのです! わしらとて本意では……ミルガーハと、先々代が……」
「どうでもいですわね、あぁ」
火の手が広がる中、マルセナが感嘆の息を漏らす。
「あぁ、あぁっ! なんて日でしょうクロエ!」
熱い吐息。発情した獣のような。
「わたくしの復讐の意味を知る者がここにいる! 素晴らしいですわ‼」
「おめでとうございます、マルセナ様」
他に何と言えばいいのか。クロエにはわからない。
「なぜ……ま、まさか……あの時の……っ!?」
モデストの目が見開かれ、同時に近くの家が焼け崩れた。
マルセナの瞳に映る炎も煌々と、彼女の胸中の熱と同じように。
「死ぬべきでしょう? エトセンの民は」
「お、お許しを……わしらはただ……あの時はどうするにも、ただ……命じられただけで」
「冥府で詫びなさい」
マルセナが杖を向けた。
「母様に。決して許しませんけれど」
「ひ、ひぃぃっっ!」
おそらく老人は、長く抱え込んでいたのだと思う。何かの後悔や罪悪感を。
隠居して忘れかけたところに、この戦乱と炎と共に戻って来た。
アン・ボウダという彼の中に巣食う暗いものが。
本来なら相当な強者だったはず。
だが、怯え竦み、平静を失っていれば本来の力など発揮できない。
もしかしたらあまりに強い衝撃で、老人なりに頭が呆けてしまった可能性もあった。
それでも槍を握り締め突進しようとしたのは、エトセン騎士団の強者としての矜持だったのか。
ただ怖れに耐え兼ねて闇雲だったという方が正しい。
「爪紅の葯頭より、爆ぜよ赤熱の犇刺し」
真っ赤な花を咲かす植物で、溜め込んだ無数の棘の種を弾き飛ばすもの。刺さると焼けたような跡が残る。
マルセナが使ったのは、爆発的な力を発揮する魔法ではない。
炎の千本針。灼熱した棘が敵を撃つ魔法。
上位の魔法使いが使えば牛の数倍ある魔物でも一撃で殺す。それがマルセナの力ともなれば。
モデストの視点からは、灼熱の針がびっしりと生えた巨大な壁が叩きつけられたようなものだったろう。
「ぶ、ひゃ……ば……も、もうじ、わけ……」
誰に対する謝罪だったのか。
避けられなかったのか、最後は自ら飛び込んだようにも見えたが。
「あはぁっ! あははっ、母様やりました! わたくし母様の仇を――」
「ここだ!」
右上から漏れた声。
エトセンは敵地。
わかっていたはずなのに。
敵の方がこの地の地理に詳しく、路地も死角も把握していると。
目を奪われていた。
恍惚と笑うマルセナ。赤く照らされるその姿に。
「ここに居ったか」
もう一人。
敵はエトセンだけではないと。
町を守る兵士も、外の騎士団も。どちらもマルセナにとっては敵だと知っていたはずだったのに。
「マルセナ様!」
大切な愛する主を守る為の剣。
それは一本しかなくて。
「うああぁぁぁっ‼」
「っ!?」
「儂の剣を!?」
右上と、左後ろから襲って来た絶望的な力に対して、よく動けたと思う。
クロエは自分を褒めたい。やり遂げたと。
菫色の外套から放たれた大剣は、本来ならクロエが受け止められるような力ではなかったはず。
だけど、箍の外れた頭がそれを弾き返す。地響きと共に。
次の瞬間には、上から打ち下ろしてきた大剣を打ち払っていた。
高笑いするマルセナを殺そうとした男の剣を防ぎ、
「らぁぁっ!」
貫いた。
その腹を。
「ぐ、ぶっ……」
「――」
二度は出来ない。
二度と出来ない。
クロエの生涯で最高の武勲。
最後の誉れ。
「まるせ、な……」
「……クロエ?」
二本の大剣を防いだけれど、最後の一本は。
上から叩き下ろしてきた大剣の主は、エトセンの守り手ボルド・ガドラン。二刀の剣士。
クロエの胸に深く、ボルドの左の短剣が突き刺さったまま。
「……クロエ」
※ ※ ※
そんな目で見ないで下さい、マルセナ様。
諦めようと思っているのに。
貴女の心の一番優しいところにいるのは私じゃない。
そこにいる人が邪魔で、邪魔で。大嫌いで。
だけどそれは貴女が一番大切にしているから、だから私は諦めようと。
許されるのなら、私こそが黒い首輪で貴女を縛りたかった。
私だけを愛してと命じて、貴女から自由を奪いたい。
ひどい裏切り。こんなもの愛とは呼べない。
貴女はとても優しいから。
時折、私にも蜜をくれる。ノエミにもそうしていた。
けれど貴女は、貴女が本当に欲するものは違う。
それは、私じゃなくて。
「ひとつだけ……おねがい、です」
こんな戦火の中じゃなくて、貴女にはもっと優しい場所で。
「いき……て……しあ……わ……」
※ ※ ※