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戦禍の大地に咲く百華  作者: 大洲やっとこ
第一部 傷に芽吹く火種
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第22話 同族の遠い言葉



 数刻の休憩を挟んで、また進む。


 東の断崖アウロワルリスを越えられる。

 ソーシャの言葉が本当なら、西に向かうより遥かに安全に清廊族の領域へと抜けられることになる。

 その道は、苦難の続く中で一筋の希望となった。



 聞いてみたが、実際の場所でなければよくわからない内容だった。

 ソーシャとて人間や清廊族の足でそこを歩くことを前提として知っているわけではない。


 三角鬼馬としての自分なら進めるという道ももちろんあるそうだが、そうではなくて二本足のルゥナ達でも進めるだろう道があると。

 荷車はさすがに無理だと言われたが、それは山越えでも同じ状況だっただろう。




『……それは母御か』


 目を覚まして歩くアヴィが、いつもは黒布に包み込んでいる母の形見の小石を手にしているのを見て、ソーシャが訊ねた。


「うん……」

「見た目では黒い石にしか見えないのですが……アヴィ、怒らないで下さい」


 ルゥナの呟きにアヴィの視線が刺さった。

 表情はわかりにくいが、唇が少し結ばれている。怒っている。


「怒ってない」

「別に母さんを悪く言っているわけではないのですから。ただ、見る限りは……」


 石にしか見えないし、粘液状の魔物だった母さんにそういう部位があったとは思えない。

 なのに、魔物のソーシャにはそれが母さんだと見てわかった。なぜなのだろうと。



『濁塑滔にそういう欠片が遺されるという話はない』


 少し考える様子を見せてから、おそらく件の知識の泉を思い浮かべたのだろうが、それに相当する例は見つからなかった。

 アヴィの手の中の黒い小石を見つめるソーシャの瞳は、馬の魔物なのだが、優しい瞳をしているような気がする。


『魔物が滅ぶ際に、牙や爪にその思いが残ることがある。其方らにも伝わっているはずだが……』

「一部の魔物の素材に、見た目以上の鋭さや強靭さが見られるという話ですね」


 魔物の思いという言葉は初耳だが、牙や爪などの一部に特異な性質が現れることがあるというのは聞いたことがあった。

 ルゥナが生まれた村で戦っていた時に、一部の清廊族の戦士がそういう武器を使っていたのも知っている。


 シフィークの奴隷をしていた頃にも、彼が使っていた珍しい剣(・・・・)や、イリアが持つ二本の短剣は、やはりそういう性質を帯びていた。

 魔石の使い道の一つでもある。



 力の弱い魔石は、大体が町などで燃料代わりに使われる。

 光や熱を生み出したり、風を生み出したり、水路を流したり。そういう使い道だ。

 もちろん専用の設備や道具を介してになるので、今のルゥナ達に使い道はないが。

 上質な魔石の用途は違う。


 上質な魔石は、他の鉱石などと合わせて魔具の作成に充てられる。

 金属と融合させて特殊な効果のある冥銀などの素材とするなど。

 また、魔物の素材と金属とを掛け合わせる時の間を取り持つ触媒としたり。

 そうやって魔具を作成するのだが、これも専用の設備や職人が必要だった。


 そうして魔具を作る際に、使った魔物の素材によって思わぬ力を発揮するものが生まれる。


 どれほど使っても劣化することのない剣。

 身に着けた者に少し先の危難を伝える指輪。

 狙ったものを必ず捕える投げ槍。

 旋風で矢を防ぐ盾や、着ていると傷が治っていく鎧など。


 それらは大抵、素材となった魔物の性質を反映しやすいという話だった。

 だがとても希少な現象で、狙ってできるものでもない。



『私にもはっきりとはわからぬが、それはそういう魔物の思いが込められた品だ』

「母さんが……」


 アヴィに力の託して滅びた母が、もう一つ残したもの。

 小石にしか見えないはずなのに、ソーシャにはその気配が感じられた。


『守りたかったのだろう。其方を』

「……」


 アヴィの表情が和らぐ。

 思い出が、アヴィに微笑みを浮かべさせた。



『……少し、よいだろうか』


 ソーシャが顔を寄せて、アヴィの手元の小石を覗き込んだ。


「うん」


 そっと差し出したアヴィの掌に、ころんと転がる二つの黒い小石。


 その上に、雫が落ちた。

 ソーシャの瞳から零れた雫が。


「?」

『……おそらく、こういう形が良いのではないかと思ってな』


 小石の先に落ちたソーシャの雫は、その小石を包み込み、その先に留め具のような引っ掛かりを作る。

 二つの装具。


「いやりんぐ……?」

『其方の母も、いつも其方に身に着けていてほしいだろう。余計なことかもしれぬが』


 ソーシャは顔を離して、アヴィから離れた。

 手に残ったそれを見つめるアヴィ。


「……ありが、とう」


 同じ異種族の子を育てる母だから、手を出してしまったのか。


『……余計なことだったかもしれぬ』

「ううん、嬉しい。きっと母さんも喜ぶから」


 アヴィは目を閉じてその装具を胸に抱きしめ、それから耳につけた。


 着けてみれば、ただの黒い小石でしかなかったそれが、世界で他にない宝石のようにアヴィを飾る。

 縁取るような濃い紫色の箇所は、今のソーシャの落とした雫で出来ているのか。



「どう……かしら?」


 アヴィが、少しだけ自信なさげに、上目でルゥナに訊ねた。


(いえ、その仕種が最高に可愛いと思いますが……)


 息を飲むルゥナ。

 後ろから覗き込んでいた面々も、同じように言葉を失う。


「……とっても、似合っていますよ。アヴィ」

「本当に?」

「本当です」



 珍しく、他の者がいる前で、にへらっと緩んだ顔で笑った。


 アヴィの、おそらく本来のアヴィの笑顔。

 復讐に囚われ冷徹な顔を張り付ける前の、本当の。


「すっごい綺麗ですよ、アヴィ様」

「本当、とても素敵です」


 アヴィの姿に言葉を失っていた皆がそれぞれにその姿を称えると、照れたのかいつもの無表情を作ろうとして、失敗して俯いている。

 またその仕種が愛らしい。



「いいなぁ。エシュメノも欲しい」

『そのうち機会があれば、な』


 ねだる我が子に答える魔物の様子が、どこか苦笑をしているように見えた。


 そういえば、エシュメノが着ているのは、そこらで拾ったのだろうと思われる粗末な布だ。

 なのに、それらを結わえている個所は、綺麗な紫色の糸のように見える。

 それもソーシャの手によるものなのか。



 連戦の上に敵に追われている焦燥の中で、少しでも心が安らぐひと時だった。

 仲間たちに覗き込まれるのに照れて逃げたアヴィが、振り返ってもう一度囁く。


「ありがとう、ソーシャ」

『……気まぐれだ』


 伝説の魔物も照れるようだった。



  ※   ※   ※  



 結局、どういう手段を取ろうと追い付かれたのだろうと思う。

 進みやすい平坦な川沿いを進むにしても、別の場所を進んだとしても。

 まさか川の中を進んで追いかけてくるとは思わなかったが。


 水飛沫を上げて迫ってくるそれに気が付き、ニーレ達に荷車の非戦闘員を任せて進ませた。

 少し開けた場所でその追手を待つと、敵も少し距離を置いたところで止まった。



 三人と、ロープでぐるぐる巻きにされたシフィーク。

 適当な木を二本、その体の両側に結わえられて、水に浮かされているだけだ。顔も満足に動かせずこちらを見ることもない。


(目が合わなければ)


 とりあえず、そこに存在するだけなら、気になるけれど先ほどのような恐怖までは感じない。

 まるで動けそうな状態ではないのだが。



 アヴィは、わかっていない。

 元々シフィークの顔を暗がりでしか見ていないし、今のシフィークは当時とは別人のような有様だ。縄で体の大半が見えないこともあり、それが誰なのかわかっていない。


(今は、伝えない方がいいでしょう)


 母の仇だと気付けば、平静ではいられないだろう。

 逃げられる状態でもないので、ここで言うべきではないとルゥナは判断した。




「あー、ちょっと待て。話がしたい」


 男の肩には、清廊族の女が乗せられている。

 川を進む際に濡れないようにと気遣いを。


(清廊族が、人間などに……)


「人間と話すことなどありません」

「いや、まあそうかもしれんが……一応な。俺はビムベルク。人間の中じゃ英雄ってやつで有名なんだが、知らねえか?」


「……」


 名前など知らない。

 けれど、その名乗りは無視できない。

 勇者シフィークを捕えているのだ。それに匹敵するか上回る戦力だとすれば、今の状態で戦えるのか。


「お前らの味方だなんて言うつもりはねえが、うちのな。スーリリャが、どうしても話がしたいってよ。わかってると思うが清廊族だ」

「……」


 シフィーク以外の三人が川から上がり、女が下ろされる。

 黒と灰色の間くらいの髪に、茜色の瞳をしている女。


 清廊族だと言われればそうだろう。見た目だけでなく、何となく雰囲気というか、匂いが違う。

 人間ではない。



「あの、私スーリリャです。貴女がリーダーの方ですか?」

「スーリリャ、近づきすぎるな」


 歩み寄ろうとした彼女を、ビムベルクと名乗った男が肩を掴んで止めた。

 迂闊な行動をする女だと思う。


 そうだ。彼女が人間側の立場だというのなら、それに応じた距離がある。


「……人間と話すことなどありません。貴女も清廊族だと言うのならわかるはずです」


 誰がリーダーか、と。

 探ろうと、情報を聞き出そうとしている。

 スーリリャがどのような演技をしても、後ろの男どもは耳を、目を、油断なく配っているのがわかった。



「ですが……聞きましょう」


 スーリリャはルゥナに向かって話しかけている。

 ルゥナが代表だと思われているのなら、それでもいい。アヴィが狙われる可能性が減るのだから。

 休息を挟んである程度回復しているが、英雄と戦えるかと言われたら、わからない。

 話を聞くだけならいいだろう。



「良かった。ええと、私はスーリリャです」

「……」


 先ほども聞いた名乗りだ。こちらの答えを待っているのだろうが、名乗る必要はない。

 無言のまま続きを促す。


「あの……そう、ですね。私も清廊族です。貴女たちと同じ」

「違います」


 人間と手を取って歩む者と同じと言われては不愉快だ。


 思わず反論してしまったルゥナだったが、見ればミアデもセサーカも同じ顔をしていた。

 アヴィは相変わらず感情を殺した表情で、ルゥナの隣に立つ。


「ええ、違うわ」


 お前など同族ではない、と。



「その、それは……だから、人間にも色々な考えの人がいて、ビムベルク閣下は違うんです」

「……」


 自分の主人は素晴らしい人だ、と主張したいのだろうか。

 それとも、素晴らしい主人に買われた自分は幸せだとでも。

 幸せだ、とでも?


 言ったら、それを言ったらルゥナは耐えられるだろうか。殺意を。


 呪枷もない。着ている服も、人間の中でもかなり上等な縫製の部類だ。

 肌に生傷も見当たらないし、肌艶などからしても健康的な食生活をしているのだろうと思う。



「貴女達の境遇はわかります。でも……」

「わかるって? はっ」


 ミアデが口を挟んだ。


「何がわかるって言うのさ。あんたなんかに」


 そんなぬくぬくした服を着て、甘ったるいことを。



「私たちは襤褸雑巾と同じ服を着て、人間の欲望のままに虐げられ、大した意味もなく叩かれ傷つけられてきました。そんな生活をしたことが?」

「それは……ない、ですけど」


 セサーカの冷たい言葉に口籠るスーリリャ。


「では、わかるなどと言わないことですね。厭らしいですよ、貴女の言い方は……卑劣で、不愉快です」


 同族であることを盾に、わかりもしないことをわかると。

 わかるはずがないのだ。ミアデやセサーカがどれほどの月日を、苦渋と苦痛と屈辱に塗れて生きてきたのかなど。


「……ごめんなさい。貴女の言う通りです」

「言いたいことはなんですか?」


 話が長引けば長引くだけ険悪になるだけだと、ルゥナが続きを促した。



 別に打ち解けたいわけではないだろう。

 話の前振りとしてそう言ったのだが、言い方が迂闊でこちらの神経を逆撫でするだけだ。


「時間稼ぎ……ならもう結構です。別動隊でも伏せているというのなら、こちらも」

「違います! そんなんじゃ」

「上辺の言葉を並べられるだけで、信じるに値しない。私はそう思っていますが」


 スーリリャは開きかけた口を閉じて、一度言葉を飲み込んだ。

 信用できないと言われて、自分の言葉を噛み締める。


「……すみません、そうですね」

「……」

「戦いを、やめてほしいんです」


 後ろで聞いていたソーシャとエシュメノ以外の四人の口から、同時に溜息が漏れた。

 甘ったるい、寝ぼけたことを。


「……」

「人間と戦っても何にもなりません。ただ戦いが続くだけで、たくさんの人が傷つきます」

「……」

「貴女達だけではなくて、他の……西部の戦いだって。こうして清廊族が人を殺したりすれば、もっとひどくなってしまいます」

「……」

「人間にも色々な考え方があるんです。ビムベルク閣下のように、清廊族だからって虐げたりしない。そういう人も」

「……」

「今すぐではなくても、少しずつ良くしていけるはずなんです。人間と清廊族の関係を、これから……」



「殺す」



 我慢の限界に達したのか、ミアデの手が震えていた。


「それ以上喋ったら、殺す」

「ええ、そうしましょう」


 セサーカも頷いて、魔術杖を上げた。


 ビムベルクが一歩前に出ると、ソーシャが背中からエシュメノを下ろした。

 前回は戦いの中から一歩引いていたソーシャだが、今度は手伝ってくれる気があるのか。


(……それだけ、この英雄が脅威ということですね)



「だから、こんな戦いでは何も……」

「私の気持ちもこの子たちと同じですが」


 英雄と名乗ったビムベルクの力量がわからない。

 確かに聞くに堪えない不愉快な言い分で、まるで現実の見えていない吐き気を催す甘ったるい言葉だが、短絡的に戦いを選ぶことも不安だ。



「私たちが戦わないと言ったとして、人間は……そちらはどうするのですか?」

「……」

「他の人間は、また襲ってくるでしょう。それに抗うこともやめろと?」

「……閣下」


 困ったようなスーリリャの隣で、ビムベルクは首を横に振った。


「そうは言わねえ」


「あなたがた……いえ、ビムベルクと言いましたか。お前は私たちをこのまま見逃せるのですか?」


 他の者はとりあえずどうでもいい。

 この英雄とやらは、この場では剣を抜くのか、抜かないのか。


「そりゃあ……そういうわけには、いかねえんじゃねえか?」


 なぜか自分ではなく、後ろにいた青年に判断を仰いだ。

 若く見えるが、あちらの方が立場が上なのだろうか。


「見つけられなかったってことなら、見逃したことにはならないと思いますよ」


 後ろの青年が、少しだけ物分かりのよさそうな言葉を返す。

 この場は収める気持ちがなくはない。

 本心かどうかはわからないが、そういう姿勢を見せた。


「できりゃあ、まとめてこっちの捕虜になってもらえれば助かるんだが……悪いようにはしねえ」

「それこそ、信ずるに値するものが何一つありません」

「だわな」

「閣下は嘘なんか言いません!」


 声を荒げたスーリリャに、ミアデが拳を向ける。


「お前は喋るな。本当に、本当に……人間より胸糞悪いやつ」

「う……」


 清廊族だからと交渉を買って出たのかもしれないが、完全に逆効果だった。

 スーリリャにはわかっていない。彼女は何も知らず、何も見えていない。

 虐げられたものの感情は、そうされたことがない者にはわからない。

 知ったような口を叩かれるのが、何よりも腹に据えかねる。



「わかるって言うなら同じ目に遭ってから言いなよ。豚のような男に、汚物みたいな連中に、毎日犯されて嬲られて、それに逆らえない生活をしてからさ」

「……」


 ミアデの言葉に、スーリリャは口を噤んで俯いた。


 幸せな場所からは見えなかったのだろう。

 言葉が通じる相手としか話したことがない。

 呪枷を嵌められ、意志を奪われた奴隷の心など、普通に暮らしてきた彼女にはわからなかった。


 話せばわかる。そんな幻想を抱いて。

 もうそんな地点はとうの昔に通り過ぎたのに。



「……まあ、こっちも悪かった。それくらいにしてやってくれや」


 英雄が謝罪した。

 彼はそれなりにわかっている。こんな話が通る筋合いかどうか、見えている。

 となれば、相応の考えもあるはず。


「……決裂、ですか」


 ルゥナとアヴィの手が剣の柄を握る。


「いや、待て待て。いきなり殺し合おうっていうんじゃ、俺もこいつに面目が立たねえ」


 意外なことに、本当に彼はスーリリャの心情を思いやっているようだ。


(確かに……こういう人間もいる、と)


 だから許せるわけではないが、全てが同じ考えではないことはルゥナにもわかる。

 清廊族にも色々な考えがあるように、人間もそれぞれだ。



「見逃すつもりはある。お前らがこのまま逃げるのを追うのはやめたっていい」

「そうですか」


 本当に、戦うつもりではなく、話し合うために追ってきたのだと言うのか。

 このスーリリャとかいう頭の中身がお幸せな女の為に、夢物語のようなお話を。



「だが、条件もある」

「……」

「そいつは……その壱角だけは、こっちに預けてくれねえか?」


 条件は、エシュメノだった。

 緊張した面持ちなのは、この交渉だけは本気だからなのだろう。


 言葉にした瞬間、びりりとした空気がソーシャから発せられた。

 当然だ。

 エシュメノを人間に引き渡せなどと言われて、親代わりであるソーシャが頷くはずもない。


「まあ……ちょっと待て、一応だが見せておくぜ」


 ゆっくりと剣を抜くビムベルク。

 やはりこうなってしまうか。


 彼は、横を向いて川の方に剣を構えた。


「ぬぅっ!」


 上段から一閃。

 いや、上段に構えた所も、振り抜いた瞬間も、ルゥナの目にはほとんど見えなかった。

 ただ大きく川が断ち割られて、水飛沫と共に地面に深く亀裂が入った結果を見て理解する。



「……」


 裂かれた大地に、巻き上げられた水飛沫と、上流からの水が流れ込む。

 縄を岩に括り付けられ川に浮かんでいたシフィークも、突如出来た急流に引っ張られ、もごもごと泡を吹きながら溺れかけていた。


「なん、て……」


 跳ね上がった水飛沫が、雨のようにルゥナたちにも降り注いだ。


「俺は戦いたくねえ。お前らを殺したいわけじゃねえ」

「……」

「その娘を渡してもらったら、それだけでいい。絶対に悪いようにはしねえ、約束する」


 自分の力を示してみせて、剣を収めて再度の要求。

 これで聞き分けてくれないかという。


 英雄の交渉の札は、自分が戦わないこと。

 こちらは、エシュメノを引き渡せと。

 まだ仲間とも言い切れない彼女を、安全を約束した上で引き渡せば、英雄との戦いを回避できる。



『……其方らはいい。私がエシュメノを守るだけだ』


 ルゥナの考えを察したのか、ソーシャは単騎で戦うと言う。

 今の一撃でさえ英雄の本気ではないだろう。

 あんなものと戦うことが可能かどうか。

 少なくともソーシャが怖気づいた様子はない。


(アヴィの本来の力があれば……)


 ないものを考えても仕方がないのはわかっているが、やはり口惜しい。


「ルゥナ」


 アヴィが、それまで黙って話を聞いていたアヴィが、ルゥナの肩に触れた。


「あの子は……エシュメノは、私。だから」


 口づけをされた。

 アヴィの唇が、詫びるようにルゥナの唇に軽く触れる。


 見捨てられない。

 同じ境遇のエシュメノを見捨てて進むことは出来ない。


 そんな彼女の気持ちは、聞くまでもなく知っていた。



「ええ、アヴィ。わかっています」


 アヴィの気持ちはルゥナの気持ちだ。違うことなどない。

 少しの時間でも、エシュメノとソーシャの関係には心打たれるものもある。

 見捨てる考えなど全くなかった。


「ミアデ、セサーカ」


 手招きする。

 呼ばれた両者が、ビムベルクの方を気にしながらルゥナの元に来る。


「アヴィの唇をいただきなさい」


 少しだけ物欲しそうな顔をしていたので、彼女らにも分け与える。


「いいんですか?」

「やった」


 二人にも、接吻(キス)を。

 受けたミアデとセサーカが照れたように微笑み合って、続けて二人でキスを交わした。



 様子を見ていたビムベルクだったが、深く溜息を吐いて頭を掻く。

 こちらの気持ちを察したのだろう。


「やれやれ……やっぱり、こうなっちまうか」


 スーリリャを後ろにやって、待機していた青年に預けた。


「人間は」


 剣を抜きながらルゥナが言うと、アヴィが続ける。


「皆殺し」


 既にそう決めているのだから。



『そうしよう』


 ソーシャの三本角が淡く光ると、それが戦いの幕開けだった。



  ※   ※   ※ 

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