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戦禍の大地に咲く百華  作者: 大洲やっとこ
第四部 遺す意志。消えぬ声
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第229話 敗戦の将、形なきものに悄悄と縋る



 確かに言った。口にした。

 聞こえていたはずもないのに、ほぼ正確に言い当てるウヤルカの直感が恐ろしい。

 なんなのだ、あの嗅覚というか何というか。


 まさか呪術薬の効果……そんなわけはないと思うが。

 甘かった。

 口にするのではなかった。胸を好きにしていいなどと。


 だいたいトワは何を考えているのか。普通に考えれば黙っているか否定すればいいだろうに。

 ルゥナの体をウヤルカがいいようにして平気なのか。

 いや、トワが悪いわけではない。普通と少し感性がズレているのも知っているけれど。



 アヴィのいる部屋に戻るまで頭の中を悶々とした思考が回り、時に顔を覆い。

 確かに言った。

 無事に戻ってきてくれて嬉しい。無事でいてくれるならと言った記憶もあり、その時の気持ちは嘘ではない。

 浅はかなことを。



「……」


 静かに部屋に入った。

 セサーカが座り、景色に見惚れるかのように眠るアヴィを見上げている。


 見上げている。


 眠るアヴィを、腰かけたセサーカが。

 両手両足を台座に縛られ、身動きを取れないアヴィを。



 サジュの町でオルガーラが捕らわれていた台座。

 氷乙女の力でも揺るがぬ拘束具。

 両手両足を広げ、力が入らぬよう体のあちこちを固定されて。


「ウヤルカは会話が出来ました。心配はなさそうです」

「そうですか」


 セサーカは振り向きもしない。その瞳にアヴィを映したまま。

 興味がない。関心がない。


「……」

「……それは良かったですね」


 感情の色は感じないが、常套句でも言葉を継ぎ足す程度の配慮はあったらしい。

 少しばかり安心する。



「……っ」


 アヴィの瞼がぴくりと動いた。

 ウヤルカの名前に反応したのか。

 意識が戻ってきたというのなら良い兆候なのかもしれない。


 かっと目を見開いた。

 同時にルゥナが覆いかぶさる。


「UAaaaaaa!」

「大丈夫ですアヴィ、アヴィ」

「アヴィ様、心配いりませんから」


 セサーカと共に、動けないのに暴れようとするアヴィを抱きしめる。

 拘束具にくくりつけられたアヴィの顔を、踏み台に乗って胸で包む。


 セサーカはアヴィの手を抱いている。昨日その爪がセサーカの胸に食い込み裂いたのに、躊躇わずに。


「私がいますから……アヴィ様、私が……」


 今日はセサーカの手の甲にアヴィの爪が突き刺さる。抉る。

 そして、力が弱まった。



「う……あ、あぁ……」


 だらりと。弱まるというより全ての力が抜け落ちるように。


 口を半開きに、目も虚ろなまま。


「……アヴィ」


 呼びかけにも反応しない。けれど生きている。



「……」


 目を覚ますと暴れ出す。

 町に入る前に一度目があった。


 休憩を取ろうとしていたところでセサーカが悲鳴を上げ、狂乱するアヴィをエシュメノとオルガーラ、ルゥナで押さえつけた。

 また余計な怪我もさせてしまった。



 戦士が時に錯乱することは例がある。

 夢で何かを見たりして、戦場から離れても急に暴れたりすることが。

 アヴィがそうなるとは予想していなかったが、その時は皆が近くにいて助かった。


 町に戻ると、サジュから支援に駆け付けた清廊族が運んで来た物品の中に拘束具があった。

 サジュを襲った敵が使っていた拘束具。

 オルガーラでも壊せなかったというのだからこれなら押さえておけるだろう。



 胸が苦しい。

 アヴィにこんなことをするなんて。

 でも放って置いたら皆が危険だしアヴィも傷つく。

 錯乱の様子から、ただ事ではないとは思われた。


 エシュメノが気が付く。

 この町の兵士が持っていた忌まわしい薬。それと同じ匂いがアヴィからすると。

 ウヤルカからも似たようなものが。


 間違いないだろう。

 あの薬を手に入れたアヴィとウヤルカがそれを使った。

 使わなければならないほど追い詰めたのはルゥナの失策。



 匂い、なのだと思う。母さんの。

 アヴィはルゥナが抱きしめていると落ち着いて、また眠る。

 母さんの匂いが一番強いのはルゥナのはず。だからルゥナが抱きしめて宥めるしかない。


「アヴィ様、水を」


 半開きの口にセサーカが水差しの先端を向けた。


「少しでも構いませんから飲んで下さい」

「あー」


 喉は渇くのだろう。

 口元からこぼしながらも、注がれた水を飲み下す。

 こんな状態で何日も。



 ウヤルカがどうなるか、わからなかった。

 エシュメノの勘に頼れば、ただ穏やかに眠っているようだと言う。実際にそう見えた。


 アヴィと同じように拘束するにはウヤルカの状態はひどすぎる。出来るだけ安静にしておかなければ。

 万一の為に皆で交代で見張りながら。


 オルガーラにはだいぶ文句を言われた。トワと一緒に見張りなら文句を言わないくせに。

 根拠もなく放っておいて平気だと言うオルガーラ。結果的には彼女が正しかったということになる。



 ウヤルカが目を覚まし、痛みに顔を歪ませながらも笑ってくれて、気が抜けた。

 この上でウヤルカまで錯乱していたらどうしたらいいのか。

 抱えていた不安から解放されて泣いてしまった。


 ウヤルカが無事でよかった。正気で良かった。

 だとすればアヴィも戻るかもしれない。

 そんな淡い期待もあったが、ルゥナの思うようには運ばない。



「う……か、あ……」


 声にならない音を漏らして呻きながら、しばらくするとまた眠る。

 セサーカと共に宥め、抱きしめ、何かしら口にさせたり体を拭いたり。


「……」

「少しずつですが」


 眠るアヴィの髪を指で優しく梳きながら、


「アヴィ様が乱れる時間が短くなっています」

「そのようですね」


 目覚めた時の発作が短くなってきている気がしていた。

 セサーカもそう思ったのならルゥナの気のせいではないのだろう。

 薬の効果が薄れてきているのか。



 時間はかかっても回復してくれるのなら。

 どれくらい時間が必要なのだろうか。他に例のない事態で想像もつかないけれど。


「次は私が宥めます」

「セサーカ、気持ちはわかりますが」

「私がします」

「……」


 心の底からアヴィを想うセサーカの瞳がルゥナを映す。

 揺るがない。


「……私がいない時でもアヴィを安んじられるのなら助かります」


 責めるような視線に圧された。


「もう少し落ち着くようであれば、お願いします」

「……わかりました」


 常にアヴィの傍にいられるわけでもない。ルゥナにせよセサーカにしても。

 役割を任せられる相手は必要だ。



「アヴィは貴女を傷つけたくないはずですから」


 固かったセサーカの瞳が少しだけ揺れた。


「ですから、貴女も少し休みなさい。セサーカ」

「……はい」



 発作の後、アヴィはしばらく眠るはず。

 セサーカも疲労は少なくない。誰も休息は必要だ。


「少し食事を摂ります」

「ええ」


 飲まず食わずで看病してセサーカが倒れては意味がない。

 そう判断する程度の冷静さを取り戻したのは、やはりウヤルカのことが良い方向に運んだ結果。

 いざ必要な時の為に休息をとる。セサーカは頷いて部屋を出て行った。




「……アヴィ」


 力を失い眠る彼女に願う。


「誰も……母さんも、貴女にこんな風に傷ついてほしくないんですよ」


 己の心身を削って戦うアヴィに助けてもらったけれど、こんなことを望む仲間はいない。



「どうすれば……私は、どうしたら……」


 眠るアヴィの耳に揺れる黒い石。

 ソーシャが作ってくれた耳飾り。ソーシャの涙と、母さんが遺した黒い石と。


 アヴィの心に届かないだろうか。

 母さんの本当の気持ちは。

 言葉を交わしたわけではないけれど、濁塑滔の残した意志については他の伝説の魔物からも聞いている。


 慈しみ、労わる気持ち。

 こんなに傷つきながら戦う娘を見たいはずがない。


「ソーシャ……母さん、どうか」



 不安は尽きない。

 アヴィは本当に元のように戻れるのか。

 回復出来ないのなら、北部に連れて帰りルゥナがずっと見ていたっていい。


「一緒に、ずっと眠り続けたって……」


 アヴィと共に眠り、共に夢を見る。永遠に。

 そういう未来もルゥナにとっては幸せなのかもしれない。



 けれど、それでは戦いはどうなるのか。

 今だっていつ人間の追撃があるかわからない状況だ。

 西部の国も壊滅的な被害を与えたが、全滅しているわけではない。

 復讐の為、数を揃えて攻めてくるかもしれない。


 南部中央から東部にかけては人間の勢力下だ。

 まだこの大陸にどれだけの敵がいるか。

 ここだけではない。人間の本拠は別の大陸で、清廊族の反攻に対して援軍が派遣されるのも当然予想している。海の向こうだからすぐではないにしても。


 遠いことではなく近くで悪い情報として、このヘズの町から東にいった大都市に大軍が集まっているという報告もあった。

 これだけ攻め込んだのだから、敵が対応策を取らないと考える方がおかしい。



 先の戦いで勝利していたら。

 仮定の話だが、まだ戦える望みはあった。

 大軍といっても兵士の数が多いだけなら、敵の攻勢を凌いで打ち破れたと思う。


 しかし現実に敗北を喫し、戦力は半減。その結果でも運が良かったと。

 負傷者も多く満足に戦える状態ではない。

 アヴィやウヤルカを筆頭に、動かすことも難しい重傷者も多い。逃げることもままならない。


 時間が必要だ。

 西から、南から、東から。

 人間の手が伸びてくるのを警戒しながら、今は少しでも皆を回復させる。

 間に合わないのなら、誰かを犠牲にしてでもアヴィを逃がさなければ。



「……どうすれば」


 アヴィのことも、仲間たちのことも。

 手立てがない。時間が必要で、その時間がどれほど与えられるのか。


「せめて今は体を休めるしか」


 戦い続けてきた。

 皆、疲れ切っている。敗戦の後ということもある。


 セサーカに休息を取れと言った。

 他のみなにも、出来る限り休んでもらう。


「これが最後……いえ、そうならないように」


 口から零れそうになった言葉を飲み込み、首を振った。



 幸い、すぐにここに迫る敵の姿はない。

 偵察部隊も交代で休息させる。

 食料の備蓄は、清廊族より遥かに多かった人間の蓄えがあった。遠慮はいらない。元は清廊族が手にすべき恵みだ。


 よく食べ、よく眠る。

 思い悩んでも答えはなく、今の状況で選べることはそれくらいしかなかった。



 だけど。


「……贅沢、ですね」


 奴隷として、あるいは貧しい土地に追い立てられ生活していた身からすれば、こんなことでも贅沢な話だ。


 敗戦に気落ちしている仲間たちを元気づける材料になるだろうか。

 もう少しアヴィが落ち着いたら、彼女にも食事は必要だ。

 食べやすいものを。

 とりあえずは飲めるよう汁物にして。


 あの洞窟で暮らしていた頃のアヴィは、母さんとどういう食生活だったのだろうか。

 母さんはアヴィに柔らかい肉を譲ってくれたと話していた。


 もしかしたら今のルゥナと同じように、アヴィの食事について思い悩んだこともあったのかもしれない。

 何でも食べる粘液状の魔物なのに、アヴィの食生活に。



「母さん……」


 耳飾りに願う。


「アヴィを、助けて下さい」


 何かに願い事なんて、久しくした覚えがなかったけれど。



 ああ、と。理解する。

 これは違う。アヴィを助けてほしいのではない。


 ――私を、助けて下さい。


 敗戦で弱気になっているのだ。ルゥナもまた。

 自分でどうにもならない事態に対して、誰か助けてと縋りたいのだと自覚する。

 今まではアヴィが助けてくれた。



 助けてほしい。

 救ってほしい。

 ほとんど関りのなかったゲル状の魔物にそう願うのは厚かましいかもしれない。


 だけど、どうしようもないほどルゥナも追い込まれていて。

 死んだ魔物にだって縋りたい。

 わずかな時間だったけれど、ルゥナが目にした母さんの姿はアヴィの母として十分すぎるほど強かった。


 母さんならきっと助けてくれる。

 祈りや願いで何かが叶うわけではないとわかっていても。


 負け戦に誰より心を弱らせたのはルゥナで、縋る何かがないとルゥナも気をおかしくしてしまいそうだった。



  ※   ※   ※ 


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