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戦禍の大地に咲く百華  作者: 大洲やっとこ
第四部 遺す意志。消えぬ声
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第223話 敗地に降る氷雨



「うがぁぁ!」

「こいつ、まだこんな力が!」

「無理をするな!」


 オルガーラが振るった鎌が群がる敵を打ち返す。

 敵の方は交代で、オルガーラを仕留めようとはしていない。代わる代わる順番に、オルガーラの足止めをしているだけ。


 腕に自信のある数名でオルガーラを押さえるという作戦。

 似たような作戦はこちらもやってきた。人間がそうしない理由がない。



「もう無理だ、ルゥナ様」


 告げる。

 全体を見渡すニーレだから、認めたくないだろうルゥナに告げる。


「ここまでだ」

「ですが……」

「このままじゃ全滅する」


 戦線を崩壊させた飛竜騎士は、救援に現れたウヤルカとの戦いでニーレの射程から消えた。

 ウヤルカの様子がおかしかったようにも見えたが、よく見ているほどの余裕はない。


 それまでの数度の攻撃でこちらの前線は崩れ、混戦となってしまった。

 持ち直そうとルゥナもニーレもオルガーラも奮戦したが、人間の数が多すぎる。

 倒しても倒しても湧いてくる。



「ネネランとラッケルタの傷もひどい。エシュメノの体力も限界なんてとっくに過ぎている」

「……わかります。けれど」


 さらに迫る敵にルゥナが落ちていた剣を投げ、ニーレが矢を放った。


「――っ」


 矢をつがえ放つまでに時間がかかる。

 ニーレの限界も近い。



「撤退しようにも、このままでは」

「風も収まってきた。敵に弓兵が増えるかもしれないし、他にも飛竜がいるようだと――」

「ルゥナ、やっと見つけたのじゃ」


 その声に、はっと瞳に力を戻して振り返るルゥナ。


「メメトハ、無事で――」


 戦況を変えられる、と。

 強い力を持つ仲間が別行動から戻ったと、思わず期待した彼女を責められない。


「あ……アヴィ!」

「気を失っているだけです」


 ぐったりとしたアヴィを抱くセサーカが、駆け寄ろうとするルゥナから遠ざけるように体をよじった。



「アヴィ様は私が。貴女は貴女の役割を果たして下さい」

「セサーカ……」


 逡巡するルゥナに、セサーカが譲る様子はない。

 セサーカの口元にも血の流れた跡が。


「ティアッテまで……ミアデ、無事ですか?」

「あたしは平気。だけど」


 ミアデが首を振る。抱いているティアッテの体は、既に力なく。

 こちらの戦況以上に、彼女らはつらい戦いを越えてきた。



「負傷も軽くはない。トワは……おらぬ、か?」


 普段ならルゥナの近くにいそうなトワの姿がない。

 メメトハが言い淀んだのは、最悪の可能性を考えたのだろうが。


「トワは私を庇って昏倒して、後方に。貴女達も……」

「ルゥナ様」

「そうですね、ニーレ。貴女の言う通りです」


 このアヴィ達の姿を見ては、ルゥナも飲み込むしかない。


「……撤退しましょう」


 敗戦だと。



 逆転の手などない。

 都合よく何かの助けなどあるわけもない。


 ここは敵の拠点。

 人間はさらに増援があるだろう。

 飛竜騎士は数騎いると聞いているが、今までに出てきたのは一騎のみ。

 風が収まり、夜が明ければさらに不利になることは明白。


 撤退する。

 言葉にすることも簡単ではない。


 これまで勝利を重ねてきた。敗北は許されず、それが皆の士気を支えた。

 それらが崩れる不安もある。

 若年のルゥナの指示を皆が聞いてくれていたのは、勝利という事実があったからだ。



 そうした懸念とは別に、もっと差し迫った問題も。


「敵は私が食い止めます」


 撤退すると言っても、ただ逃げ出すわけではない。

 敵の追撃を断ち、皆の退路を出来る限り安全にしなければ。


 混乱した逃走劇では被害が増える。

 方向を見失い、人間に討たれたり囚われたりする者も出てくるだろう。

 守り役が必要だ。


「あたしが」

「ミアデはティアッテを、連れて帰ってあげて下さい」

「しかしルゥナよ」

「メメトハ……」


 首を振り、メメトハを見つめる。


「……頼みます」

「馬鹿を言うでない」

「メメトハ、貴女がいれば」

「間違ってるよ、ルゥナ様」


 責任を感じているのだろう。敗戦の。

 殿を務め、敗戦の責任を取ろうというルゥナの気持ちはわからないでもないが。

 けれど、間違っている。



「負けていないんだ、私らは」

「ニーレ……?」

「私らの負けは、アヴィ様とルゥナ様。あんたらを失うことなんだからさ」


 元よりこの戦い、勝利などずっと先にしかない。

 人間を滅ぼし、この大地を清廊族の手に取り戻す。

 そこに至るまで戦い続けるしかない。そして、その原動力になるのはアヴィであり、指揮を執るルゥナだ。


 ウヤルカは自身を投げ出して戦っていた。

 彼女もまた、自らの役割を果たそうと。

 ならば次はニーレが。



「ここで死ぬのは、あんたの役目じゃない」


 氷弓を握り締める。

 冷たい弓なのに、どこか温かさを伝えてくれる。


「私が食い止める」

「うだあぁ!」


 ニーレが視線を向けた方向でオルガーラが声を上げ、人間の体が二つ飛んでいった。



「行け」

「ですがニーレ」

「迷うな! わかってるはずなんだ。だから、迷うな」


 問答している時間はない。

 ルゥナにだってわかっているはず。今選べる道で、何が正解なのか。


「死ねと命じるのはつらいかもしれない。けどそれがあんたの役割なんだ」


 ルゥナの優しさは、嫌いではない。

 最初から彼女は厳しい振りをしながら、中身はただの優しい少女に過ぎなかった。

 優しくて甘い。

 だから判断できないのだとすれば、今ここでその甘さを断ち切る。


「あんたの、役目なんだよ」

「……」


 背中で感じる息を飲む気配。

 わかっている。ルゥナが望んでこんなことを命じられるわけがないと。



「メメトハ……ミアデとセサーカを護衛しながら皆と撤退を」

「……あぁ」

「オルガーラ!」


 纏わりつく敵を吹き飛ばし、さらに敵とぶつかっているオルガーラに向けて。


「ニーレと共にしばらく敵を防いだら戻って下さい!」

「あー?」

「トワを守る為です! お願いします!」

「わかってるよそんなのぉ!」


 本当にわかっているのかどうか、咆哮を上げてまた敵にぶつかる。

 オルガーラの大楯に、敵兵の顔が潰されるのが見えた。



「ニーレ」


 振り向きはしない。


「……頼みます」

「あぁ」

「お願いですから」


 それでも言葉を重ねたのは、やはりルゥナが甘いからだろう。


「……生きて、戻って下さい」


 それを責めるつもりもない。握る弓の温かさが増した気がした。



「清廊族の戦士たち!」


 声を上げる。


「ここでの戦いは十分です! 私に続きなさい!」


 旗頭が先導しなければ判断できない者も少なくない。

 まして混乱した戦場の中。


 ルゥナの号令に従い、戦士たちが敵兵を牽制しながら北へ向かう。

 人間の波が、数を減らした清廊族をこの機に飲み込もうと押し寄せてきた。



  ※   ※   ※ 



 撃つ。

 オルガーラが敵を押し返し、ニーレが撃つ。

 ニーレ達だけではない。皆の撤退を支援しようと戦う戦士も少なくない。


「嬢ちゃんたちを死なせて帰れるか」

「オルガーラ、必ず清廊族を守ってくれ」

「ここは俺らが引き受ける! メメトハ様を……俺の命はメディザ様にもらったんだ」


 戦士たちにもそれぞれの思いがあり、戦う理由がある。

 オルガーラの消耗は激しく、押し寄せてくる人間を吹き飛ばすほどの勢いがない。


 手助けがいらないと言えるほどの余裕はなかった。

 死地に臨む戦士たちにその場を任せ、本隊を追う敵を掃討していく。



 消耗が激しいのはニーレも同じ。

 矢の強さ、精度。どちらもいつも以上に神経を張り巡らせなければならない。

 撃てなくなるまであとどの程度か。


 人間の町から離れると、多少は起伏のある丘陵と木々も増えていった。

 身を隠せるほどではないが。




「ニーレさん、ですか」

「確か、イバ……だったか」


 逃げ遅れたのか、小さな林に数名の清廊族の少女がいた。

 トワが気絶した際、彼女を守って下がったはずの少女たち。


「人間の別動隊に回り込まれて……」

「なに?」


 前線が混乱している間に後ろに回り込まれていたのか。

 人間の拠点に近い場所で戦っていたのだから、そういうことも有り得る。


「トワは?」

「トワ姉様は大丈夫です。先に進んだ本隊に預けました」

「そう、か」


 イバを中心としたこのサジュの少女らは、トワに心酔している。

 オルガーラと共にトワの役に立ちたいと。


「横に回った敵はなんとか。まだ他にもいるかもしれません」

「本隊の方ならメメトハもルゥナ様もいる。多少の敵部隊なら問題ない」


 ニーレ達は追撃部隊を少しでも遅らせるよう戦っている。

 少数の別動隊が相手なら問題ないだろうが、大軍に追われてはどうにもならない。最悪全滅だ。



「それなら君らも早く行け」


 今も迫ってくる敵部隊の気配がある。

 決死の覚悟で残った戦士たちだけでは食い止められない。

 ほどなくニーレ達も飲み込まれるだろう。


「私たちが食い止める」

「さっさと行けってば、イバ」

「オルガーラさん……いえ」


 イバが首を振った。笑って。



「……私が、ここで食い止めますから」

「は、お前の力じゃ――」

「残ります」


 イバが、足を差した。


「もう……動けないので」

「イバだけを残したりはしません」


 足が折れているイバと、彼女を支える仲間たち。



 ああ、と。

 牧場を逃げ出して、アウロワルリスを越えようとしていた時を思い出す。

 あの時の仲間たちの目に似ている。


 ユウラがいて、トワとの関係も今のような歪さではなくて。

 皆で手を取り合って進もうと。

 死ぬとしても、仲間と共に。仲間の為に。


 彼女らの瞳に迷いはない。

 眩しい。

 まだ夜は深く闇の中なのに、ニーレの目には痛い。心の奥に刺さる。



「……バカじゃないか。担いでいけばいいじゃん」

「私たちが時間を稼いで、トワ姉様の役に立てるなら」

「そういうのはボクの役目なの! イバのじゃない!」

「勝手を言わないで下さい!」


 担いでいけば足が鈍る。

 それでむざむざ敵に討たれるくらいなら、ここで敵と向き合い少しでも時間を稼ごうと。

 トワの逃げた方に向かえば、敵を誘導するようなものだ。イバ達を追った敵は、さらに勢いを増して本隊を追うだろう。


 ここに留まり、死ぬまで敵を討つ。

 その方が時間が稼げると考えたのは間違いでもない。



「……ユウラ」


 言い争いをしている場合ではない。

 敵は既に近く、怒号も聞こえてきた。


 いつの間にか風も穏やかになり、雨も止んでいる。

 これで夜が明ければ完全に不利だ。あのタイミングで撤退を決断して良かった。

 しかし、追撃で壊滅的な被害を受けては意味がない。

 ましてアヴィやルゥナを討たれてしまっては、再起の希望すら失われる。



「……力を、貸してくれ」


 氷弓を握り締めた。


 何度も願った。

 答えることのないユウラに、力を貸してくれと。

 弱いニーレに、敵を討つ力を願ってきた。


 今こそ、その力が必要な時。

 迫る人間どもを討ち滅ぼす力があれば、皆を守れるのに。



 ――皆を守れる、のに。


「……」


 そうだった。

 ユウラは、敵を滅ぼす力なんて持っていなかった。


 彼女が持っていたのはもっと大切で、優しい力。

 大切な仲間を守りたいという暖かな力だった。


 なのに。

 何を見ていたのか。

 何を見てきたのか。


 愚かなニーレ。盲のニーレ。

 何より大事なユウラの本当の姿から目を逸らして、ただ自分の望みを彼女に押し付けて。

 叶うわけがない。



「……馬鹿な、私に」


 弓を握る。

 人間どもの大軍が迫る南に向けて。


「最後の力を」


 ユウラの力ではない。

 せめて最後くらいは、ユウラのように皆を守る為に力を尽くそう。

 想いを込めて引き絞る。



「清廊族を守るのはボクの役目だって言ってるじゃん」

「ニーレさん」


 オルガーラが肩に、イバがそっと背中に手を当てた。


 狙いがずれる。気が散る。

 そんな文句を言う気にもならない。この敵の気配なら狙いなどいらないだろう。

 ただ、力の限り、想いを乗せて氷弓皎冽を引き絞るだけ。



「……歌ってくれ、鳴皎冽」


 ――キュイィィィッ!


 曇天の夜空に、輝きが降り注いだ。

 数百の銀の筋が。



「――っっ!?」


 美しい鳥の鳴き声のような響きと共に、流星のごとき光の雨が空を貫く。

 敵を撃ち抜く。



「な……ん……?」



「うわあぁぁっ!」

「奇襲! 影陋族の待ち伏せだ!」

「魔法部隊か! 下がれ! 下がれと言っている‼」


 混乱したのは、ニーレだけでなく敵軍も。

 突如として空を埋め尽くした無数の氷の矢に、押し寄せてきた大軍が慌てて停止、転進を指示するが。


 群れとして走り出したものが急に止まるのは難しい。

 ニーレの放った矢に貫かれる者と、止まろうとして後ろから来る味方に潰される者と。



「う、はぁっ」

「あぅ……い、いまの、は……」


 後ろで倒れ込むイバと、膝を着くオルガーラ。


「……共感の、魔法」


 ニーレの背中から、イバとオルガーラの力が氷弓皎冽に流れ込んだ。



「力を貸せ、って言った……じゃん」

「……」


 オルガーラに言ったつもりはなかったのだけれど。



 ニーレの独白を聞いたオルガーラとイバが、ニーレの背を支えるように手を添えた。

 それを通じて皎冽が、ニーレの力を大きく超える矢を放った。

 サジュで飛行船を落とした時のように。あの時はメメトハの助けもあったのだけれど。



「ユウラの……」


 ユウラの歌は皆に力を与えてくれた。

 彼女の声は、皆の心を繋げてくれた。


「そう……なのか」


 混乱している敵兵の声は、まだ多い。

 そんな喧噪が、どこか遠くのことのように耳に入らない。


「私が、力を借りなきゃいけなかったのは、ユウラじゃなくて……」


 倒れたイバを下ろした彼女の仲間たちが、ニーレを見つめて頷く。

 そして、手をニーレの背中に沿えた。



「……そうか、ユウラ」


 ニーレはまだ間違えていた。思い違いをしていた。

 再び弓を構える。


「お前は、最初からずっと力を貸してくれていたんだ。私が見ていなかっただけで」


 背中から流れ込む力は、それはユウラの力ではないけれど。


「私が見て、力を借りなきゃいけなかったのは……」


 ずっと目を背けてきた。ユウラではない者に心を置いてはいけないと決めつけて。



「今、守りたい……仲間だったんだ」


 ユウラを裏切りたくなくて、彼女の気持ちをずっと裏切っていた。


「それが、ユウラ……お前の為に出来る、私の――」



 再び空を走った流星群が、ネードラハ軍の追撃の足を止めた。

 殺意ではない。守るための力。


 それはニーレが本当に守りたいものではなかったのかもしれないけれど、きっとそれはニーレが本当に守りたいものだったのだろう。



  ※   ※   ※ 


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