第20話 再会する冒険者達
「深天の炎輪より、叫べ狂焉の裂光」
聞いたことのない詠唱が響くのと同時に、ツァリセは落ちた。
ビムベルクが剣を振るって大きく抉った地面の穴にスーリリャと共に落ちたと思えば、その頭上を光と衝撃が貫いていくのを感じる。
激しい振動に目を瞑り、肩を小さくする。
素人のスーリリャと騎士団所属のツァリセが同じ行動というのも情けないが、他にどうしようもない。
「どんな阿呆だ!」
隣にずり落ちながら泥まみれで毒づくビムベルク。
これほどの威力の魔法、エトセン騎士団でも使える人間は二人しか思い浮かばない。
通り過ぎてきた現場でも見た痕跡からして、もし同じ人物が一日の間に続けざまにこんなことをしているなら、規格外の存在だ。
大地も震えるほどの衝撃。
衝撃波の時間は短かった。ビムベルクは剣を手に飛び出して、ツァリセはスーリリャの手を引いて這い上がる。
周囲の木々は、幹こそ残っているのものの多くの枝が折れ、辺りに積もっていた落ち葉なども消し飛んでいた。
緑の森から、急に枯れ木の荒野に様変わりしたようだ。
「こんな魔法……」
「さすがに、連続はない……と思いたいですが」
ツァリセの希望が通るのなら、二度とない方がいい。
衝撃の通り抜けた方向と逆に、この魔法を放った魔法使いがいる。
当然、そちらに目を向けたツァリセは、自分の頭を疑った。
「これで……」
肩で息をしながら呆れたように言う少女の手には、駆け出しの魔法使いが使いそうな木の魔術杖が。安物――と言っても魔術杖自体安くはないけれど。
見る限り、彼女の向ける魔術杖の先端あたりから、ツァリセたちがいた方向に向かって強い衝撃が吹き抜けている。
この魔法を使った本人に間違いはない。
衝撃波は、杖の向けられた方向に強く放たれていたようだが、反対側にも余波が及んでいた。
そこらに倒れる少女たち。
見えるうちの数名はツァリセが見る限り影陋族の特徴だったので、彼女らが牧場から逃げた奴隷なのだと思われる。
情報では、ゼッテスの牧場には影陋族らしくない外見特徴の者もいたというから、ちらりと見ただけでは判別が難しい。
ツァリセが目を疑い、自分の頭がおかしくなったかと思わされたのはそちらではない。
今の衝撃波を放った杖の先、間近にいただろう少女。
まともに魔法を至近距離でくらったと思われる影陋族の少女が、立っている。
死んでいるのでも、倒れているのでもない。
立っている。
右手は、黒い布で顔を覆うように庇いながら。
左手には、小さな筒が握り締めて。
「簡術杖……?」
よく見れば近くに男の死体も転がっている。一人や二人ではない。
冒険者のようには見えなかった。だとすれば、どこかの兵士か。
牧場からの追手が、迂回ルートか何かでここに辿り着いたのかもしれない。
兵士の中には簡単な魔法が使える者もいる。
小さな火を出したり、簡単な擦り傷程度なら治せたりするような。
そういった者が使う簡易な携帯用の魔術杖を、影陋族の少女が握り締めて、立っていた。
「これを……耐えますの?」
「……死ぬのは、お前」
言い返す影陋族だが、それが可能な様子にも見えない。
手にした簡術杖が砕け散り、手から零れた。
「耐え……いいえ、わたくしは……」
おそらく最上位級の魔法を初心者用の杖で放った魔法使いの少女も異常だが、それを至近距離で簡術杖などで対抗したのだとすれば、この影陋族は何者だ。
(集落を、全滅させた……?)
情報は正しかった。
それだけの力を有した影陋族の存在を確認する。
「……本当に、どんな馬鹿野郎かと思えば」
ビムベルクも言葉を失っていた。
争っていた者たちは、およそもう力が残っている様子ではない。
どこから取り押さえればいいのかと見渡した時だった。
「!」
黒い影が舞い降りる。
『恐ろしい者が迫っている』
「……喋りやがった、だと」
力を使い果たして立ち尽くす少女たちの間に降りたのは、三本の角を有した魔物だった。
言葉を話すということは、それが高位の魔物であるという証左だ。
歴史上、そんな魔物の目撃例は少ない。
その魔物が恐ろしい何かが近づいていると察知した。
英雄ビムベルクの存在に気づき、それを――
『来るぞ!』
その声と共に、彼女らがいた場所の地面が大きく抉られ、森の破壊跡をさらに大きく広げた。
※ ※ ※
直撃ではなかったのに、余波だけでまとめて薙ぎ倒された。
いくつかの幸いは、戦っていたイリアもその衝撃に打たれていたことと、先行した非戦闘員たちの向かった方向とは逆、後方に魔法が放たれたこと。
詠唱の声はマルセナだった。
異常な肉体強化をした状態で、さらに隠し玉と思える必殺の魔法。
ルゥナたちがいた方向に向けられていなかったのだとすれば、それと相対していたアヴィは……
「これで……まだ、耐えますの?」
「……死ぬのは、お前」
無事だ。
立っているし、喋っている。
手にしているのは、先ほどの兵士どもから回収した簡易の魔術杖。
あんなものでも役に立った。
マルセナが手にしていたのが、本来の彼女愛用の魔術杖だったとしたら、耐えられなかったかもしれない。
アヴィの口元を覆っているマフラーは、非常に高い剛性と柔軟性を兼ね備えている。あれもアヴィを助けたのか。
「本当に、どんな馬鹿野郎かと思えば……」
男の声に気付くのが遅れたのは、状況から考えれば仕方がなかった。
また人間だ。
剣を手にしている。
痛む体を無理やり起こして、新しい敵に備えなければ。
他の仲間も同じように身を起こしていた。少し離れた場所に飛ばされたイリアも、頭を振りながら立ち上がった。
(あれは……清廊族……?)
新たに現れた男の後ろに見えるのは、別の若い人間の男と、手を取り合う清廊族の女。
今の魔法から庇ったせいか、泥まみれになっているが。
『恐ろしい者が迫っている』
それまで静観していたはずのソーシャがアヴィの元に舞い降りた。
エシュメノもその背中にいる。
恐ろしい者。
新たに現れた人間どもと、なぜかそれと親し気な様子の清廊族の女。
『来るぞ』
動けそうにないアヴィの後ろ首のマフラーを噛んで、ソーシャが飛ぶ。
一瞬後に、それまでアヴィとマルセナがいた辺りに、土砂の柱が上がった。
上から叩きつけるような猛烈な一撃が、森の大地に大きく穴をあけて。
「くそ女ぁぁぁぁっ!」
その目は怒りに染まり、着ている服も襤褸切れ未満の布になっている。
それは紛れもなく――
「シフィーク!」
「殺す! 殺す! 僕がぁころすぅ!」
襲い掛かってきたのは、かつての勇者シフィークとはまるで異なる、本人に違いなかった。
「な、なんだぁ?」
先に現れた男はまた別口だったらしい。突如現れたシフィークの乱入に、戸惑いの声を上げている。
その後ろの青年も、清廊族の女と共に状況に圧倒されていた。
(こんな時に、最悪だ)
殺意と憤怒でまともではないが、勇者と呼ばれるだけの力は脅威だ。
それがアヴィを狙って追って来た。
「マァルセナァァァ!」
「本当に最低な男ですわね」
眼中になかった。
まだマルセナの肉体強化は有効だったのか、今のシフィークの一撃を飛びずさって避けて、苦々しく吐き捨てた。
(マルセナを? ……ああ)
洞窟内でシフィークとマルセナは仲間割れをしていた。
二人の争いのために、黒涎山の洞窟が損壊したのを見ている。
崩落した黒涎山の地下から這い出してきて、自分を裏切ったマルセナへの復讐に駆られたのか。
どういう嗅覚なのか、魔法の痕跡を追って辿り着いたのかはわからない。
だが、今ここで戦っているマルセナを見つけて襲い掛かってきた。
(たすか、った?)
と考えていいのか。
少なくとも今のシフィークの目的はマルセナだ。こちらのことは――
「っ!」
竦んだ。
マルセナを追うシフィークの目にルゥナが映った瞬間、身が竦んだ。
恐怖と、屈辱と、絶対的な何かを感じて。
「ルゥナ様……?」
腿に熱い温度を感じる。
体に力が入らない。
怖くて、震えて、下腹から抜けていった。
頭が真っ白になり、視界が揺れた。
「逃げ、ましょう。ルゥナ様」
手を引かれる。
引いているのはトワか。
それにも逆らえない。
「ま、待って下さい!」
声が、右から左へと抜ける。
呼びかけたのは誰だ。
途中で現れた清廊族の女か。
人間と……人間の男などと手を取っていた、あの。
「こんな争い、やめて下さい! もっと別の道が……」
違う。
あれは清廊族ではない。
清廊族らしく見えるだけの、人間の手先だ。
だがそんなことを考える余裕も今のルゥナにはなかった。
足を汚水で汚したまま、トワやミアデに引かれるままにその場から離れるだけ。
アヴィのことさえ頭から抜けていたが、既にソーシャが連れてその場から離れている。
一瞬だけ見えたシフィークの目が、ただ怖かった。
※ ※ ※
勇者シフィークが強いことくらい知っている。
こんな男に、若さゆえの気の迷いとはいえ、身を任せていたことを思うと吐き気がする思いだ。
「マルセナ、下がって!」
「そうさせていただきたい所ですけど」
転がっていた兵士の死体から小さな盾を拾い、マルセナに襲い掛かるシフィークの攻撃を受け止める。
「ぐぅぅっ」
「どけぇ!」
拳を受け止め、その直後の蹴撃をひらりと躱す。
猛烈な風圧が吹き抜けていった。
「炎よ!」
マルセナの放った二つの火球を、右と左の拳で打ち払われる。
いくら簡易詠唱とはいえ一流の魔法使いの火球なのに、素手で。
赤く焼けた肌に痛みを感じたのか、一度足を止めてマルセナを睨む。
「よくもこんな……僕を、僕をぉ!」
「シフィーク! やめなさい!」
「黙れぇ!」
聞こえてはいる。
マルセナへの怒りで我を忘れているようだが、イリアの言葉が聞こえないわけではない。
「イリアじゃないか」
突然、その顔が平静に戻った。
いつものように、かつてのように、若くして勇者と呼ばれるようになった人の良い青年のような表情。
「ああ、イリア。無事だったんだね」
「……」
どうすべきなのか。
本当に何事もなかったかのように、町の宿で目覚めておはようと挨拶でもするような調子で。
襤褸切れの服に糞尿の臭いまで染みつかせて、顔も泥と擦り傷で汚しながら、何事もなかったように。
歪み。
この青年は、歪んでいる。どうしようもなく。
「ちょうどよかった、イリア」
「……なに?」
脅威度の高い相手だ。少しでもマルセナが呼吸を整えられるなら。
気持ちの悪い相手と会話をすることも厭わない。
「あの女はもういらない」
同じパーティで冒険者をしていた頃の話だ。
若き勇者シフィークに近寄ろうとする女は少なくなかった。
シフィークも若い男だ。適度な発散のためにそれらを利用する。
長くは続かない。シフィークが飽きたり利用価値がなくなればそこまでのこと。
素直に去る者はよかった。
不満を言う者もいたが、勇者と呼ばれる男との差を感じて、イリアがそれを伝えて、去っていく者がほとんど。
稀にいるのだ。
勇者にとって不都合なことを吹聴するなど、どこの種かもわからぬものを勇者の子がお腹にとか言い出す者が。
イリアがそれを処理することは、さほど難しくなかった。
状況の見えていない女だ。死体が見つからないように処理することも容易い。
勇者のパーティに不穏当な噂が立つのはイリアにも不利益だったし、当時はイリアもまた状況が見えていなかった。
シフィークにとって都合の良い女として、そんなことをしていた。
今思えば、本当に吐き気を覚えるほど愚かな過去。
「僕が処分する。手伝ってくれ」
「……」
手が震える。
屈辱と怒りで手が震える。
臆面もなくそんなことを言うこの男は、洞窟で魔物に囚われたイリアを、魔物ごと斬り捨てようとしたのだ。切り捨てたのだ。
「処分されるのは……」
手にしたショートソードの柄を、痛いほど握り締めて震えを止めた。
腹に力を込めて、友人に話しかけるような調子で、歪みに満ちた澄ました笑顔を浮かべるシフィークに笑顔を返す。
「あんたよ!」
「っ!」
イリアは強襲斥候だ。
勇者のパーティの一員として働く冒険者として、若くとも相応の力量を有していた。
総合的な戦闘力で勇者シフィークには及ばなくとも、敏捷性であれば匹敵する。
イリアの剣が咄嗟に防御姿勢を取ったシフィークの腕を切り裂いた。
「……こ、の……イィリアァァァァァッッ!」
シフィークの顔が、それらしく憤怒と狂乱に歪んだ表情に戻る。
腕の傷は深くはないが、それでもいい。
「マルセナはあんたなんかに渡さない! 殺させない!」
「そうですわね」
腕の傷も構わずに襲い掛かってくるシフィークから、ひょいっとイリアの体が後ろに運ばれた。
マルセナの肉体強化はまだ続いている。
時間が短い、というのはちょっとしたブラフだった。
四半刻ほど続く。
それを長いとみるか短いとみるかは別として、ごく短時間というわけではない。
「どいつもっこいつもっ! このクソ女どもがぁ!」
マルセナに抱かれて逃げるイリアは、この状況をつい悦んでしまう。
愛する人に抱かれての逃亡。
こんなに嬉しいものだとは知らなかった。
「逃げられると思うな!」
追いかけてくるシフィーク。
マルセナの胸に抱かれる感触を惜しみつつ、イリアも降りて一緒に走る。
だが、マルセナの体力も限界に近い。肉体強化の制限時間も迫っていた。
(このままじゃ……)
勇者の方に時間制限はない。
怪我をしようが全裸になろうが、狂ったようにマルセナを追い、殺すだろう。
(……私が、盾に)
そうするより他にない。
マルセナに抱かれた至福の時の代償だと思えば、それで……
「はしゃぎすぎだぜ、坊主」
イリア達を追う狂気の勇者の横に、その男はいつの間にか立っていた。
いつの間に追いすがったのか、いくら戦闘中だったとはいえイリアがその気配に気づかないことなど有り得ない。
一瞬だった。
その男が近くに存在していたのは認識していた。その場所からシフィークの隣までの移動が、瞬きをするような一足のみ。
「少し眠っとけや」
イリアの視界の端で、膝が入るのが見えた。
シフィークの脇腹にめり込み、その体を歪ませて、近くにあった木の幹に叩きつけた。
「行きますわよ」
マルセナは振り返らなかった。
声をかけてくれたのは、イリアと二人で進むという意志があるから。
なんて幸せなのだろうか。
(マルセナと二人で……)
「うんっ」
イリアが振り返る理由もなかった。
※ ※ ※