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戦禍の大地に咲く百華  作者: 大洲やっとこ
第四部 遺す意志。消えぬ声
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第209話 矢筋乱れて



 吹き付ける雨粒と共にトワの姿が目に入った。

 瞳が痛い。

 雨風の勢いのことではなく、心に刺さった棘が痛む。


 ――トワちゃんのことばっかり見て。


 ユウラの声が耳の奥に響いて、胸の奥の傷をざりざりと擦る。



「っ」


 苛立ちと共に弓を引いた。


「死ね!」


 暴風の中でも真っ直ぐに貫く筋は、歪んだニーレの心とはまるで違う。

 まるで違って、まるで導いてくれるように。


 見るべき道の見えないニーレを、こっちだと。そこに進めと。

 氷の矢が示す先には死体が転がる。ニーレの進むべき道標。



 続けざまに三本の矢が人間を貫いた。

 最前線で体を張り暴れるオルガーラ。そんな彼女を支援していたトワ達を、横から襲おうとしていた連中を。


 片目から脳髄まで細い氷の矢に射抜かれ、屍になる兵士ども。

 オルガーラとやり合っている人間数名がかなりの強者で、その隙を突こうとする他の兵士をトワやトワを慕う少女たちが対応している。



 敵の数が多く、地形が悪い。

 かなり開けた場所で広い範囲から人間どもが押し寄せる。

 街道となっている場所以外は決して平坦ではないが、身を隠すような地形でもない。しかし高低差はあり、思わぬ方向から敵が現れる。


 敵にとっては見慣れた場所なのだろう。

 嵐の中でも自分たちの位置がある程度の把握が出来ていて、こちらは逆に土地勘がない。

 町から出て来た敵軍の正面とは別に、不意に横から十数名の小隊が断続的に襲って来た。



 このままでは後ろに回り込まれるかもしれない。

 そういう不安も拭いきれないが。


 幸いなのは、嵐のせいで人間どもの魔法がほとんど有効でないことだ。

 人間どもの数を活かした矢嵐のような攻撃もなかった。この暴風ではまともに狙いもつけられない。ニーレと違って。



「もっと!」


 矢を放つ。

 敵を貫いた矢が、その後ろの兵士の腹にも突き刺さる。


「全部、殺す!」


 回り込まれようが何だろうが関係ない。

 向かってくる人間がいるのなら、全て射殺す。それだけだ。



「だから、ユウラ!」


 嵐の中で叫んだ。


「私に力を貸してくれ!」


 泣いた。


 風を貫き、氷弓皎冽が泣く。

 トワに背を向けて、彼女らの後ろから襲い掛かろうとしてくる兵士どもを射殺す。



 滑稽に映る者もいた。

 暴風の中、身を屈めて近付いてくる人間ども。


 正面とは別角度から、すっかり暗くなった嵐の中で身を小さくしながら、息を潜めて。

 人間どもには見えにくいのだろう。この暗さは。

 だが清廊族は違う。


 狩人が身を潜めて獲物に近付いても、獲物の方は狩人の存在に気付いていると言う。

 自らに危険があるかどうかのところまでは警戒を示さないだけで。

 優れた狩人は、矢が届くかどうか、獲物が逃げるかどうかのギリギリを見極めることがうまいのだとか。


 獣の視点からは、こう見えるのかもしれない。

 ニーレに見えていないと思い込み、息を潜めて接近しようとする滑稽な人間。

 素知らぬ振りで、それらが十分に近付くまでは射ない。



 見ない振りをするのは得意だ。

 ずっと愛欲を抱いていたトワに対して、見ないような素振りをしてきた。

 大切なユウラのことを、見ないで過ごした。


 ニーレの矢が届く場所に全ての人間が入ってくれたら、全て射殺す。

 ニーレの魂全てを氷の矢に変えてでも。


「全部殺すから、力を貸してくれ。ユウラ」


 気づかずぬうちにとうに死地に踏み込んでいた敵兵数名を、一瞥すらせずに射殺した。




「く」


 つい口から舌打ちが漏れる。


 多い。

 殺しても殺しても、暗がりの中から次々に人間の影が湧いてくる。

 雨粒から生まれるように。

 岩の隙間から出てくる虫のように、次から次へと。


 百は過ぎた。

 ニーレの矢がこの戦場で方も打った人間の数。


 射手なのに前線で戦うニーレに、人間どももいい加減気が付いたらしい。

 オルガーラのように声を上げて目立つ者とは別に、崩れぬ清廊族を支えているニーレの存在に。



「お前だな」


 暴風雨の中では、ニーレの索敵範囲も狭まる。

 敵の接近に気付くのが遅れ、気づいた時には間合いが近過ぎた。


「影陋族どもの要は」

「っ!」


 速い。他の人間とは桁が違う。

 だから一瞬で距離を詰められた。


「大した射手だが、これで!」


 凄まじい速さの踏み込みと剣撃。この敵軍の中では一、二を争う強者に間違いない。

 速さだけなら英雄級と並ぶのではないか。



「まだ!」


 弓が泣いた。

 敵の細身の剣を受けて、その曲面で流して。


「死ねない!」

「我が剣を弾くか!」


 この速度で、仮に力も剛力であったのなら、ニーレでは受けきれなかっただろう。

 かろうじてだが受け流すことが出来た。


「やっ!」


 かなり無理な体勢で弓を引き絞ることは出来なかった。けれど撃つ。

 近距離で放たれた矢を切り払う敵剣士。



「ちぃっ」


 後ろに飛び退きながら続けて矢を放つニーレだが、剣士は止まって全てその剣で叩き落とした。


「魔法の矢か。しかしっ!」


 矢がなくとも連射出来るのは皎冽の優れた点ではあるが、続けて放つことでニーレの疲労が目に見えて蓄積する。

 全力疾走を続けるようなものだ。呼吸がきつい。


 ルゥナが仲間の魔法使いに連発させないよう指示するのも、呼吸を整えることで持久力と正確さを保つ為だ。



「いつまでも続くまい!」


 ニーレの呼吸と矢が途切れた間隙に、剣士が再び踏み込んだ。

 射手と剣士。接近戦では分が悪い。


「ニーレさん!」

「寄るな!」


 他の戦士がニーレを助けようとするが拒絶する。


「足手纏いだ!」

「っ……」



 再び超速で一閃する剣に向けて皎冽を叩きつけながら言い捨てた。

 速さは凄まじいが、速さ重視でフェイントがないのが幸いだった。

 ニーレが全力で放つ矢の速度と大差ない。見たことのある速さなら対応できる。


 皎冽は木製ではない。

 遥か昔から伝わる不思議な材質の宝弓だ。敵の剣に斬られる心配もなかった。


「大した腕だが!」


 剣士の姿勢がわずかに沈んだ。

 低い体勢で、剣を溜めて。


「そこ!」


 動きが止まった一瞬に氷の矢が突き刺さる。



「っ!?」


 貫いたのは、残影だけ。


 速さに特化した剣士。

 その踏み込みはニーレの目でさえ追いきれぬほど。


「死ね」


 超速の乱撃。

 一閃よりは速度は落ちて正確さも欠ける。

 けれど肉薄した状態からなら正確さは二の次になっても関係ない。


 初撃を皎冽で防げたのは運が良かっただけだ。

 続いて反対から振り下ろされた二撃目に身を伏せて躱すが、肩口に痛みが走る。


 三撃目は突き。

 頬に触れた刃の冷たさに、いつかの夜のユウラを思い出した。


 続く四撃目は命を断つ袈裟懸け。

 突いた姿勢の後、ニーレの首から斜めに切り落とす。



 その四撃目の前にユウラを思い出した瞬間、頭の中が真っ赤に染まった。

 真っ暗に暗転した。


 思考や痛みが暗闇に染まり、暴力的な意識だけがニーレを飲み込む。

 だから、という理由もない。考えることもなく突っ込んだ。その剣に。


「なに!?」


 ニーレを切り捨てようとした剣の鍔元に突っ込み、鎖骨辺りに刃が埋まるのも構わず。



「ユウラぁぁ!」


 ニーレの痛みなどまるで足りない。ユウラの痛みに比べれば。


 鍔元では斬りにくい。そして肉薄どころか密着した状態では振り切れない。

 もしニーレが体を引いていたら、逃げきれずに斬られていただろう。

 右手で敵の胸倉を引っ掴み、歯を食いしばった。


「き、さまっ!」

「うぐぅぅぁっ!」


 食いしばった歯で、左手にある氷弓皎冽の弦を引き絞る。


 激しいニーレの感情――自分自身への怒りが、唇から皎冽を通じて冷たい氷の矢に変わる。


「ぶぁあぁっ!」


 叫びと共に、滅茶苦茶に口で引いた弦から複数の氷の矢が放たれた。



「ぐ、ぶふ……が……」


 距離のない状態からでは、この剣士も切り払うことは出来なかった。

 喉元から腹に十ほどの矢を突き立てて、血を吐いて倒れる。


「はあ……はぁ、く……」


 強敵だった。明らかにニーレより格上の。

 肩の傷を押さえ、荒い呼吸を繰り返す。



 弓を主武器とするニーレだから敵は距離を詰めた。

 狂気に飲まれたニーレが、距離を空けるのではなく胸倉を掴むような行動に出るとは思いもせず。


 普通の弓矢なら口で矢をつがえることなど出来なかった。魔法の矢だからできただけ。


「はぁ……う、ぐぁ」


 今更ながらに痛みが頭の髄に響く。剣の鍔元だったが骨にまで達している。

 雨の雫とは別に、額に脂汗が浮いてくるのを感じた。



「……ユウラ」


 いつかの夜、ユウラは自らの身に刃を突き立てた。

 それほどの苦痛を抱いて過ごしていたのだとニーレにわかってほしいと。


 わからない。

 どれだけ痛くても、ユウラの苦しみの深さが、ニーレには。



「全部、殺すから」


 ユウラが遺してくれた力で復讐を果たす。

 それしかニーレの進む道はない。他はわからない。


「だから、力を……私に、もっと力を貸してくれ。ユウラ」


 きっと、復讐を果たせば。

 愛するユウラの心が、ニーレにもわかる日が来るのだと願って。



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