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戦禍の大地に咲く百華  作者: 大洲やっとこ
第四部 遺す意志。消えぬ声
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第200話 盲従の末より先へ



「これが最後の命令ですわ」


 最後の言葉のように。


「ゴディの港から船に乗りなさい」


 嫌だ。

 嫌だ。


「ロッザロンドに渡り好きに生きなさい。お金に困ることもないでしょう」


 好きなことなど、他にない。

 ほしいのはたった一つ。



「……さようなら」


 首に、小さな指が掛けられた。


「イリア」



 ぷつん、と。


 呆気なく。

 断ち切られてしまう。


 イリアと、マルセナの、絆が。



「あ、あ……あぁ……ああぁぁっ……」


 塵となって消える黒い粒を、必死で搔き集めるけれど。

 擦り抜ける。

 零れ落ちる。


 愛するマルセナとの契約の印が。



「だめ、だめ……おねがい、いかないで」


 途絶えた絆を掴もうと。


「……何でも言うことを聞く、と」


 マルセナの背中が遠い。


「呪枷などなくとも何でも聞くと。貴女はそう言いましたわ」

「捨てないで……」


 縋りつこうとするけれど、遠のく。


「ディニは目立ちます。途中で乗り捨てれば、後は好きに生きるでしょう」


 魔物のディニはそうかもしれない。

 だけど、イリアは違う。


 マルセナがいなければ生きていけない。

 命より大事で、イリアが生きる理由そのもの。

 それを失って生きる理由などない。



「もう一度、言いますわ」


 背中を向けたまま。

 どうか違う命令をもらえるように願って。


「ロッザロンドに渡り好きに生きなさい」

「い、いや……」

「勝手に死ぬことは許しませんわ」


 自害すら禁じられて、マルセナのいない絶望の闇を生きろと命じられ。


「何でも言うことを聞く。そう言ったのは貴女でしょう?」

「だ、だけど! それは全部、マルセナと一緒に……」

「わたくし」


 漆黒の翔翼馬ダロスに、騎乗しているクロエの手を取って跨る前に。

 ほんの一瞬だけ、這いつくばって手を伸ばすイリアに目を向けて。


「わたくし、嘘は嫌いですの」

「まる、せ……」

「貴女のことは」


 クロエに抱かれ、イリアに背を向けて。


「嫌いでは、ありませんでしたわ」

「マルセナぁ!」




 雨上がりの大地に額を擦り付けて慟哭する。

 ずっと、ずっと。


 また雨が降り、やんで。

 日が差して、日が暮れて。

 時折、傍に寄り添うディニの気配に首を振って。



 失われた。

 失った。


 イリアの全てが失われて、泣き続けた。

 残っているのは純白の翔翼馬と、無価値な金と、短剣と。

 最後の命令だけ。



「ひゃ、ひゃ」


 もう一つ。

 いつからいたのか。今来たのか。


「われも、もはや役を終えた、と……」


 置き棄てられたもう一つ。


「これ、は……おぬしの分、よな」


 とさりと置かれる革袋。


 地面に引かれる力に負けて、くにゃりと形を変える。

 中身は水ではなさそうだが液状の何かだ。



「……毒、なの?」


 だとすれば、この呪術師にしては気が利く。今のイリアには最も必要なものかもしれない。


「ひゃ!」


 呪術師の嗤い声が、誰もいなくなった空に響いた。


「しかり! しかり」


 その通りだと嗤って否定する。



「ぬしにはまさに、毒……で、あろ」


 違うのだろう。


「万変なる闇は形を持たず、見る者にまた異なる貌を映す」


 すらりと語る時は、呪術の何かの蘊蓄だ。



「まがい物、ゆえ……千の冬を越える、はかなわぬ……が」


 効果に時間制限があるもの。


「知られぬ、が、よい……顔、など」


 見る者に異なる顔を見せる呪術。変装用の。


 どこでイリアの風貌が手配されているとも限らない。

 これを使い、身を隠して船に乗れと。

 金さえ払えば船に乗ることはどうとでもなる。荒事になったとしても今のイリアをどうにか出来るものなどいない。


 この呪術薬で、生きろと。

 なるほど、毒に違いない。最悪の毒だ。



 マルセナの命令に従い、変装してカナンラダを出ろと言う。

 この大陸の乱れは治まらない。

 未来の見えないこんな場所を捨ててロッザロンドへ。


 クロエの見立てで、トゴールトにあった貴金属などを持たされた。

 嵩張らないが、遊んで暮らすのに十分な金銭になるほどの価値。

 イリアの腕もあれば、ロッザロンド大陸でも生きていくのは容易だろう。けれど。


 そこにマルセナはいない。


 喜びのない未来。

 それは絶望でしかない。


 生きろと。そんな命令を残して。

 連れて行ってと訴えるイリアを切り捨てた。



 イリアはまた、切り捨てられた。

 また。


 暗い洞窟の中で勇者シフィークに切り捨てられた。

 不要なものとして。仲間だと思っていたのに。


 そして今、マルセナに捨てられた。

 愛しいマルセナから離れて勝手に生きろと。そんな命令だけを残して。


 生きていけない。

 死ぬことも出来ない。


 マルセナの言うことなら何でも聞く。

 盲目的に彼女を愛し、縋り、従ってきた。なのに。

 マルセナはそんなイリアを不要だと。共に生きることはないと。


 嘘つきは嫌い。

 イリアは嘘など言っていない。マルセナの命令なら呪枷などなくても従う。

 別れることを命じられるなんて思ってもいなかったのだから。



 何度も機会はあったのではないか。

 自分の意思を示す機会なら。呪枷で隷従させていた間も、マルセナはイリアの意思を最初から無視しようとしたことはない。

 自らの目を塞ぎ、考えることを放棄してマルセナに全てを委ねてきた自分の末路。


 馬鹿なイリアの、相応の末路。



「う……うぁ……」

「用は済んだ、ゆえ」


 ガヌーザはイリアにこれを渡す為だけに残っていたのか。

 相当な時間、ここで嘆いていたはずなのに。

 そんな惨めなイリアを眺めて嗤っていたのかもしれない。


「わが、夢……いまだ届かず」


 夢の為に、ガヌーザは進む。

 全てを失ったイリアとは違って、この呪術師にはまだ目的があるのか。


「花よ……互い、のみで……咲く、がよい……夢の世のごとし」


 ぶつぶつと何かを呟くが、イリアの耳には入らない。

 マルセナに捨てられ、泣き伏せるイリアには。



「どこ……」


 訊ねるつもりなどなかった。

 ただ、進むと聞いて、まるで進む道の見えないイリアにはわからなかったのだ。


「どこ、へ……」


 これからどこに行けばいいと言うのか。

 決まっている。マルセナの命令通り港に行きロッザロンドへ渡る。

 それがイリアの進む道だと。



「レカン」


 訊ねたつもりはなかったが、質問に聞こえたのだろう。

 答える義理もなかっただろうが、珍しくはっきりとガヌーザは町の名を告げた。


「前の雇い人、の。用立てた住処……」


 マルセナに出会う前のガヌーザが住んでいた所なのだろう。


「わが女神に、役立つものが……あるやもしれぬ、ゆえ」

「マルセナ、に……」


 捨てて行かれたのに、まだマルセナの為に何かを為そうと。



「焼かれておらねば、よい。が」


 ひゃひゃと、渇いた嗤い声を喉に響かせて。

 イリアを置いて西に向かう背中は、まるで凛々しいという様子ではないくせに。

 なのに、目標を持って進むそれはやけに眩しくて。


 こんな澱んだ呪術師を眩しいだなんて。それだけイリアが煤けているのか。



「……どうして」


 聞きたかった。


「どうしてそこまで、あんた……」

「ひゃ、ひゃっ」


 立ち止り、体を震わせた。

 半身に返ったガヌーザの目がイリアを映す。


「っ……」


 初めて見た。

 ような気がする。ガヌーザの顔を。


 思ったよりも年齢は若い。イリアよりはもちろん上だけれど。

 もっと老齢なものかと思っていた。



「つまらぬ」


 見かけ以上に、若い。幼い。


「……他のものが見る、には……つまらぬこと、よ」


 少年が望むままの未来を望むように。

 澱んだ呪術師には似合わないほど、その欲望は純粋なまま。


「ぬしが……女神に、鞭打たれ小便を漏らすこと……悦ぶように。ひひゃっ」

「……」

「われも、また……愛でる欲はあるゆえ、に」


 愛欲の為に。

 そんなことの為にマルセナに協力していると。


 けれど、自分の欲望の為に進むガヌーザの背中から、イリアは目が離せなかった。

 見えなくなってからもしばらく。



「……そう、ね」


 我欲の為に生きる。

 あの男はそうだ。マルセナに尽くすことで悦びを感じるなどと答えられるより、よほど誠実な返答だっただろう。


「私だって」


 イリアだってそうだ。

 マルセナの為に何かをするのは、マルセナの役に立てることで自分が悦楽を覚えるから。

 我欲に従っているだけ、


 呪枷はない。失われた。

 今はイリアには自由がある。



「嘘は、つかない」


 マルセナに嘘はつかない。


「言う通りにする。何でも言うことを聞く」


 その言葉を嘘にしない。


 だってマルセナは言ってくれたのだから。

 イリアのことを。嫌いではないと。

 打ちひしがれたイリアに対して、あれはマルセナが見せられる最大の愛情表現だったのだと信じる。



「海を渡ってロッザロンドに行く」


 マルセナからもらった命令で、彼女との最後の約束。

 裏切ったりはしない。



「貴女も一緒に……ずっと、一緒に」


 今度こそは。

 強引に、力ずくになってもいい。


「約束を守るから、一緒に生きよう。マルセナ」


 怒られても罵られても、殺されたっていい。

 マルセナと共に生きる未来以外に、イリアが進む道はないのだから。



  ※   ※   ※ 


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