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戦禍の大地に咲く百華  作者: 大洲やっとこ
第一部 傷に芽吹く火種
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第18話 壱角の母娘



 ニアミカルム山脈は、天まで届くほどの偉大な連峰。高く聳えるその姿を称える唄がいくつもある。

 清廊族にとって聖域の一つでもあり、今は外敵を食い止めてくれる天嶮の要害にもなっていた。


 長い歴史の中、その山脈にはいくつかの伝説が伝わる。

 深い地の底に魔神の血族が眠るだとか。

 龍の姿をした大樹があるのだとか。

 人知を超越した魔物が存在するだとか。



 三角鬼馬(ミツコーン)

 山を自在に駆け巡り、嵐を呼ぶと言われる伝説の魔物。


 その名の通り、三本角の馬のような姿をしている。黒い体毛に紫の線が走ったような体は、他では見ない毛並みだった。


壱角(いづの)……)


 左右の二本の角は、右側が捻じれたような紫色で、左側は真っ直ぐな黒色。

 真ん中の一本は白く、あまり大きくはなかった。

 壱角、ということなのか。



「……清廊、族?」


 その背中から声が上がった。

 小さな声が。


「清廊……族……?」


 思わず同じ言葉を返してしまったのも仕方がない。

 ルゥナとて信じられなかったのだ。

 伝説の魔物の背中に少女が乗っているなど。



『そのようだ、エシュメノ』


 三角馬獣の喉当たりから、口を動かしたようでもないのに中性的な声が発せられた。

 言葉がわかる。


『……いや、そうとばかりも言えない』


 視線の先にはマルセナたちがいて、それからアヴィへと続いた。


()()()()()、か』

「ソーシャ?」

『およそ其方(そなた)の同族だ。エシュメノ』



 魔物の感覚で、アヴィやマルセナに普通の生き物以外の何かを感じ取っている。

 ただの清廊族や人間ではない。


「魔物……喋る魔物とは、また」


 身を起こしながら言うマルセナだが、さすがにダメージがあるのかその動きがぎこちない。

 手にしていた魔術杖も、今の衝撃で落としてしまっていた。



「壱角……なのですか」


 三角馬獣の背中に乗る少女の頭にも、小さな角のような突起が見えた。

 額よりやや上に、伸び放題の水色の髪を分けるように一本の白い角が生えている。


『話している時間はなさそうだ。南東から人間の集団が近づいている』

「っ!?」


 派手な戦闘音を聞きつけた人間がいる。近くに。

 こんな場所にいて、戦闘が行われている場所に近付いてくるとなれば、戦う力がない者であるはずがない。



「アヴィ、すぐに……セサーカ、立てますか?」

「は、い……」

「……」


 アヴィは三角鬼馬に目を奪われていたが、ルゥナの言葉を受けて立ち上がる。

 セサーカも何とか無事のようだった。



「く、逃がさな……」

『少し、力を貸そう』


 立ちはだかろうと、近くに落ちていたショートソードを拾い上げたイリアに向き直る三角鬼馬。

 それだけで事は足りた。


 伝説の魔物の威容にイリアが竦むのがわかる。

 実力が確かなイリアだからこそ、この魔物の力を感じ取れた。



「すぐに、ここを離れます」


 ミアデたちが去った方角に走ろうとするルゥナの足元に、冥銀の魔術杖が落ちていた。



  ※   ※   ※ 



 動けなかった。


 自分より頭一つ半ほど大きな馬に見つめられただけで、身動きが取れなかった。

 もっと大きな魔物を相手にしたこともあったが、今更そんなものに怯むようなことはないと思っていたのに。



「あれは無理ですわね」


 一足踏み込んで見せただけでイリアを硬直させた魔物は、影陋族と共に消えていった。

 立ち竦んだままのイリアを慰めるつもりがあったのか、ただ事実を言っただけなのか、マルセナは言いながら落ちていた魔術杖を拾う。


 粗末な木の魔術杖だ。

 安物で、使い古されている。


 マルセナの魔術杖は連中に持っていかれてしまった。

 手に入れたショートソードも、どこにでもありそうな簡素な造りの使い古し。

 ないよりはマシだが。



「わたくしたちも身を隠しましょう」

「……」

「女二人、こんな場所で何もない……そう言えるほど魅力がないわけではないですわ」


 もちろんマルセナはそうだ。

 どういう人間が近づいてきているにせよ、乱れた姿のマルセナを見れば獣欲に衝き動かされ襲い掛かってくることも考えられる。

 イリアの考えとは別に、マルセナの言葉と視線が向いていたのイリアの顔。


「あ……」


 心配してくれたのはイリアのことだ。

 イリアが襲われ、辱められることを心配して。


「……」


 マルセナはそれ以上言葉にせずに歩き出した。

 その後ろを追うイリアの足取りは少し軽い。


 戦いでかなり消耗した所に魔物が放った魔法を受けて、愛用の魔術杖も失った。

 けれど、それとは別に、二人の間を繋ぐ何かが手に入ったのかもしれない。


 イリアは自分の考えに、恥ずかしさと嬉しさの両方に頬が緩むのを耐えられなかった。



  ※   ※   ※  



 甘えは許さない。


 目的を果たすまで、私が甘えたことを言うのは許されない。

 使命を果たしたら、望みを叶える。


 母さんの下に行く。

 それまで、弱音も甘えも許さない。


 けれど私は弱い。

 力を得ても、心が弱い。


 本当は思っているのだ。

 人間を一人残らず滅ぼすなんて、出来っこない。

 知っているから。人間がどれほどしぶとく、どれほど悪しく、それらを根絶することがどれだけ難しいか。


 私だけがどれほど強くなっても、きっと出来ない。

 本当はそう思っている。


 だからやらないとは言えない。

 死ぬまでやって、そうして死ぬ。そう決めた。


 気持ちが弱ることもある。

 甘えたくなることもある。

 私は弱いから。


 一つだけ、許してもらえる。

 彼女だけ、甘えさせてくれる。

 ルゥナだけは別だから。

 ルゥナは特別だから。


 母さんが、私の為に遺してくれた。

 私が独りで寂しくないように。母さんはそう思ってルゥナを生かしてくれたのだから。

 だからルゥナにだけは甘えてもいい。

 他の清廊族は、目的を同じとする仲間だけれど、でも違う。



 ルゥナはすごい。

 私が無理だと思っている人間を滅ぼす使命を、出来ると言う。

 やると言う。

 私の我侭を聞いても、私の勝手な行いにも怒らない。

 ルゥナはすごい。


 私は弱い。

 卑怯で、弱虫で、ひどく歪んでいる。


 過去の記憶が私を歪めたかもしれないし、もともとの性分なのかもしれない。


 仲間が増えることを、悦んでいる。

 皆が私の周りで、暖かい言葉をくれたり、私を慕ってくれる状況に歪んだ悦びを感じている。


 持て囃され、崇められる。

 過去になかったそれらのもたらす感情は、愉悦だ。

 悦楽に溺れた。


 ルゥナはそんな私に拗ねた目を向けるけれど、不満は言わない。

 もっと増やしてもいいと、もっと増やそうと言う。

 そう言う時のルゥナの目は寂しそうで、言った後に唇を噛んで言葉を止めていた。


 そんなルゥナの姿にも悦びを感じてしまう私は、どうかしている。



 ああ、そうか。

 どうかしているのは、とうの昔からだった。


 ルゥナと共に、人間を全て滅ぼしたら、一緒に母さんのところに行こう。

 世界のどこにも母さんはいない。


 どこにも幸せなどないのだから。あの黒い粘液に包まれた日々以外には。



  ※   ※   ※ 




「キス……口づけしても、いい?」


 三角馬獣の背中に乗る少女にアヴィが訊ねる。

 唐突に、ではない。



 ルゥナたちが、先行したミアデたちと合流した頃に、後ろから三角鬼馬が追い付いてきた。

 ソーシャと名乗った。


 背中に乗せられている少女はエシュメノと紹介された。

 他者と話すことが苦手な様子で、会話をする際にはソーシャを介して話している。


 見た目は、斬り揃えることもなく長く伸びた水色の髪に赤い瞳。小さな白い角。

 壱角。

 だから同じ壱角の三角鬼馬と共生しているのだろう。



 後ろを警戒しながら事情をかいつまんで話した。

 彼女らの事情も聞く。


『エシュメノが赤子の時に、山脈の麓にあった清廊族の村が人間に襲われた』


 もう数十年昔のことだという。

 人間の侵略が進み、山脈近くで細々と暮らしていた彼女の村にも魔の手が及んだ。


 村には戦士もいたそうだ。

 山脈には魔物が出る。長い年月、それを狩る仕事をしていた清廊族の戦士は、相応の力を有していた。

 だが数に勝る人間の攻勢に次第に追い込まれ、そうして滅ぼされた。


 多くが死に、生き残った年若い者は人間の戦利品として連れ去られていくのを、ソーシャは山から見ていたのだと言う。



 助ける理由はなかった。

 ソーシャは魔物だ。人間と清廊族の争いに関わる必要がない。


 記憶にある限りの千年の時を破りこの大地に現れた人間という種族。

 貪欲で好戦的ではあるが、少なくとも山でソーシャに勝ることはない。

 放って置いても問題ないかと思いながらも、興味本位でそれらを見ていただけだったと。



 ただその行いは生き物として嫌悪を抱かせる悪徳に満ちており、非道な振る舞いと映った。

 皆殺しにしようかと思った時に。


 清廊族の女が、その背中に矢を受けながら山へと落ち延びてくる。

 ちょうどソーシャがいる辺りに。


 女の腕には小さな赤子が抱えられていて、その手がソーシャを求めるように伸ばされていた。



 壱角。

 まだ言葉も話すことが出来ない赤子のエシュメノは、そうしてソーシャと出会い、庇護されることになった。


 女の命が燃え尽きる前に、涙と共に零した名前。

 エシュメノ、と。

 ソーシャはその時、千年を生きてきて初めて母となった。




『言葉は不自由でも意志は理解できた。幼いうちは柔らかい果実を探すのに手間がかかったものだが』


 ソーシャが言葉を話すようになったのはエシュメノの為。

 元々、この言葉は知っている。清廊族も人間も使うし、古くは魔神と女神から伝わった言葉だ。

 魔物の中でも稀に言葉を話す個体は同じ言語を使う。声帯の造りや地域による訛りでわかりにくいこともあるが。


 風を操ることに長けたソーシャにとって、喉を震わせて言葉を紡ぐことはそれほど難しくなかったのだと言う。

 壱角の共振でも意思疎通は出来るが、エシュメノの将来を考えてなるべく言葉を使っていたらしい。



「キースって、なぁに?」

『口づけのことらしい』

「いつもソーシャとしてるの?」

『そうだ』


 堅い食べ物を食べさせたりする為にしていたそうだが、それが習慣的になってしまった。

 獣の親子であれば、親が噛み砕いた食べ物を与えることは珍しくもない。

 ルゥナから見ても流麗な印象の三角鬼馬だ。親しくしていれば口づけくらいしたくなるかもしれない。



『エシュメノが強くなれるのなら、その方がいい』

「んー、わかった」


 年齢はアヴィやルゥナと変わらないか、もしかしたらもっと上かもしれない。

 だがエシュメノの喋り方は幼い。最初に自分で話さなかったのは、人見知りというか、今までまともに他者と話すことがなかったからなのだろう。


 ひょいっとソーシャから降りるとアヴィの頬に手を掛けた。



「……こんな近くで誰かを見るの初めて」

『生きている者は、な』


 死体なら、見たことがあったと。


「んっ」


 遠慮なくアヴィの唇を奪う。

 あまりに無遠慮で、アヴィでさえ面食らって動けなった。


「ん、む……」


 唇を重ねて数秒、離れたエシュメノがにへーと笑う。



「なんか、ソーシャと違うね」

「そう、かしら」


(至上の口づけなのですから当然です)


 アヴィの唇が他と同じであってたまるか、とルゥナは思うが。

 うーんと考えるような素振りで、くるっと振り返ってルゥナを見る。


「?」

「こっちも」


 一切のためらいもなく近づかれて、ルゥナの足が止まった。

 独特な間の取り方で、対応できない。


 目の前に迫るエシュメノの瞳には、負の感情を一切感じない。ただの興味だけで。



「っ!?」


 思わず目を瞑ったルゥナだったが、鼻先に迫った彼女の息遣いが、それ以上は近付かない。


「……そっちは、だめ」


 アヴィが手を引いて引き留めていた。

 それだけではない。


「だめです」


 いつの間にか近付いたトワが、エシュメノの肩に手を回してルゥナに迫る彼女を制止している。



「だめなの?」

「だめなの」

「だめです」


 そこにルゥナの意志はない。

 いや、意志表示させてもらえるなら、もちろんダメだが。

 ふーんと言ってソーシャの背に跨るエシュメノを見て、忘れていた呼吸を吐いた。



「……ありがとうございます。アヴィ。トワも」


 存在そのものもそうだが、色々と破天荒な子だ。


(けど、得難い戦力になる)


 伝説の魔物と心通わせる清廊族。

 アヴィが万全ではない今、これほど頼りになるものはいない。

 出来るだけ機嫌を損ねないようにしたいところだった。



『珍しい生き物、だな』


 ソーシャ自身のことだろうか?

 疑問に思ったルゥナだったが、ソーシャの目がアヴィを見据えていることに気が付き、頷く。


「アヴィは特別なのです」

濁塑滔(だくそとう)、か』

「知っているのですか?」


 魔物が、人間や清廊族の言い伝えを知っているものなのだろうか。

 まさか魔物が集まる酒場で、魔物たちの神話が語られているわけでもあるまい。


『姉神……其方らは魔神と呼ぶのだったな。その血から生まれる最も深き魔物の一つ』


 ソーシャが語る言葉に、歩を進めながら全員が耳を傾けた。



『濁塑滔は血溜まりの底から生まれるという。全てを食らい、全てを飲み込む。形を持たぬ黒水のごとき深き魔物』


 母さんのことだ。

 黒い粘液状の魔物。


『際立った力は聞かぬが、あらゆる力を自らの体内に溜められるという特異な魔物。だったか』


「なぜそれを?」

『魔物には魔物の……どう表現したものか。知識の源泉のような意識がある。己の内とも言えるし、全く別とも言える』



 知識の泉。

 言われてみれば、魔物の中には生きる為に必要な知識をどうやってか取得しているものがある。

 卵生で子育てをしない生態で、親から伝わるはずがないのに、不思議と己に必要な知恵を得ているものが。


 中には魔法を使ったりする個体もあるし、星の動きに合わせて住む場所や食べ物さえ変えることも。



『姉神の意識の残滓……魔物は等しく姉神の恩寵を得ているのでな。知れるのは、己の分に収まるところまでだが』

「全てを知るというわけではないのですね」


 魔神の恩寵により、魔物として生きる知恵を拾うことが出来るという話か。

 聞いたことはないが、これほど高位の魔物と話をするということ自体が聞いたこともないので、前例がないだけだろう。


 ニアミカルム山脈には人智を超える魔物がいる、と。

 このソーシャがそれだと、改めて認識した。



『濁塑滔が滅びる時、食らった力の多くが受け継がれるというが……』


 ソーシャはアヴィを見て、三本角の頭を振った。

 その動作が魔物らしくないのも、エシュメノとの暮らしが長かったからかもしれない。


『魔物の特性が引き継がれるなど、全く知られていない。姉神でさえ知らぬこと、か』

「アヴィは特別なのです」

「母さんが、特別だったの」


 それまで黙って聞いていたアヴィはそう言うと、首元の黒いマフラーをぎゅうっと握り締める。

 愛しい思い出を抱きしめるように。


『……そうか、母か』


 ソーシャはその言葉に納得したのか、どこか遠くに向けるように呟き、それきり沈黙した。




「ルゥナ様」


 会話が途切れたところで小走りにユウラが駆けてくる。

 耳元で話しかけたのは、皆を不安にさせない為。


「人間が追ってきます。このままだと」


 妊婦、赤子、幼児を連れて荷車を引いているのだ。

 追い付かれないはずがない。


「先ほどの二人ですか?」


 ルゥナの問いかけに、ユウラは半端に首を振る。


「……人数が多いです。十人以上」


 ミアデ、セサーカ、トワも寄ってきて、どうしようかとルゥナの顔を見た。

 少しだけ、その情報は好材料だと思う。

 その人数なら上位の冒険者ということはないはず。兵士や、そういった部隊だ。


「戦えない者を先に進めて、迎え撃ちましょう」


 握っていた冥銀の魔術杖をセサーカに渡しながら頷いた。


 出来たら手伝ってもらえないだろうか、とソーシャの雄姿を見てみたが、背に乗せたエシュメノの欠伸に目を細める姿に口を閉ざす。

 本当に危険になるまでは、まず自分たちで何とかしよう。



 ルゥナの意志を感じたのか、ミアデがにっと笑って拳を作って見せる。


「任せて下さい、ルゥナ様」


 快活なミアデの笑顔は、厳しい状況でもルゥナの心に力を与えてくれるようだった。



  ※   ※   ※ 


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