第1話 特別な彼女 (挿絵)
理由はいくつかある。
一つは、獲物を狩ることで非力だった少女たちに力をつけさせること。
また一つは、生き物を殺すことへの抵抗感をなくすこと。
力の弱い幼子だろうが人間という種族に容赦をしてはならないと、その訓練だったとも言える。
別の理由として、今まで虐げられ続けてきて恐怖を刷り込まれている人間という種族に対して、戦う意志を持たせるため。
荒療治であることは認めるが、時間の猶予があるわけでもない。
アヴィとルゥナが最初の村を襲撃、殲滅してから二十日ほど経過している。
そろそろ、人間が何かしらの対策を打ってくるだろうと予想された。
この故郷の大地から全ての人間を排除する。
旧大陸から渡ってきて、長く平和だったこの土地を奪い、清廊族を蹂躙する人間どもを絶滅させる。
その目的を果たす為に失敗は許されない。
アヴィだけがその力を有していて、その意志を実行できる。
清廊族と人間どもの戦いはこれからだ。
その為にアヴィは戦うし、ルゥナはそれを助ける。
勝利を掴むためには、まだまだ戦力が必要なのはわかっていた。
滅ぼした村の中の一部屋で眠るアヴィを見つめる。
黒い髪に赤い瞳。
これは清廊族の一般的な特徴だが、もちろん個体差もある。
違う特徴の者もいるが、アヴィとルゥナはどちらもその標準の範囲内。それでも若干の違いはあった。
アヴィの髪は黒く艶やかで真っ直ぐに伸びていて、瞳の色は血のような深い赤色。
ルゥナの髪は、細く柔らかく、伸びた毛先が少し丸まってしまう癖のある髪だ。瞳の色もアヴィより薄くくすんでいるように見える。
出会ったのも二十日ほど前。暗い洞窟の中で。
冒険者パーティの奴隷となって、夜目が利く雑用係として働かされていたルゥナ。
洞窟の奥底で、伝説の魔物とひっそりと共生していたアヴィ。
ルゥナから奴隷の首輪を外してくれたのは、その伝説の魔物だった。
そして、その伝説の魔物は死んだ。
冒険者の一人の必殺の雷撃を受け、最後はアヴィの手によってその命を終えた。
魔物は最期にアヴィに力を残して死んだ。
母、だと言っていた。
生物的な母なのではなくて、関係性が母子だったのだとはわかっている。
言葉も喋らない魔物が何をと思う者もいるだろうが、最後の時を見届けたルゥナは理解していた。
どんな生き物同士であろうと、確かな絆がそこにあったのだと。
洞窟を出て、人間の村を襲った。
全ての人間に復讐をしようと誓い、実行した。
いくらかやってみて、足りない部分を理解する。力はともかく、手が足りない。
多くの敵を相手にして、その全てを処理しようというのであれば、圧倒的に手が不足する。
逃げられた人間は襲撃のことを他の人間に話すだろうし、何かしら対応もしてくるはずだ。
それに、生き延びればまた増える。
根絶やしにしなければならないが、結局手が足りない。
だから仲間を増やそうと。
アヴィは何となく自分の特性を理解していたようで、自分の体液を分け与えれば清廊族に恩寵を授けられると言った。
それは……ルゥナで確認していたからなのかもしれないが。
(私だけが特別だったらよかったのに)
他の清廊族でも同じことができる。
既にいくつかの村々を滅ぼして、数百の敵を処理した。
ルゥナの力は既に普通の人間の数倍以上になっている。アヴィにはまだまだ及ばないが、役には立てているはず。
思わず溜息が漏れた。
堂々巡りにしかならない思考で、どう考えたところで答えは同じだ。
アヴィの望み通り、人間をこの世界から消し去る。
清廊族と自然のままの世界に返す為に戦わなければならない。
その為の戦力であり、仲間だ。
ルゥナの好き嫌いで考えるのは合理的ではない。
(嘘でも、言ってくれたから)
特別だ、と。
他の子と口づけをしたその唇で、ルゥナは特別だと言ってくれた。
それ以上を望むのは贅沢が過ぎる。
アヴィが母を亡くした責任の一端は自分にあるのだから。
「……ん?」
眠るアヴィが声を漏らす。
比類ない強さを誇る彼女だが、案外と眠りは深い。
眠っている間は不用心というか、かなり油断しているように思う。
最近まで奴隷生活をしていたルゥナは眠りが浅い。少しの物音でも目が覚めてしまう。
一緒にいることで眠るアヴィを守ることも出来るのなら、それも嬉しい。
「ん、ルゥナ……?」
寄り添って眠るのはアヴィの癖だ。
柔らかいものに触れていないと不安なのだと、最初の頃に言っていた。
こういうアヴィの一面はルゥナしか知らない。
そう思えば優越感もあるし、安堵する気持ちもある。
「すみません、起こしてしまいましたか?」
「ん、ぅん……」
もう一度、ルゥナの肌に顔を押し当てて眠る。
外では寒気がするような酷薄さを見せる彼女だが、眠るときは甘えん坊の子供のようだ。
こんな彼女を傷つけようなどと、魔物でも思わないのではないか。
人間でもなければ。
卑劣で残虐な人間という種族は、清廊族の……アヴィの敵だ。
(私が、貴女を守るから)
そう心に決めて、共に眠るのだった。
※ ※ ※
集落が襲われた。
新大陸――カナンラダ大陸開拓の大陸南部地域に位置するレカンと呼ばれる都市に、この十日ほどで何度も入ってきた報告だ。
人間が西大陸――ロッザロンド大陸からこのカナンラダ大陸を発見して渡ってきたのが百五十年前ほど。
一定の住み分けが出来てしまっていたロッザロンドと違い、新大陸は誰のものでもなかった。
手つかずの土地に豊かな資源。
北方に行くと寒冷地で居住に適さないが、南方はそこそこ住みやすい気候で、多くの人間が海を渡った。
夢を抱いて。
金銀宝石といった資源もある。
未知の魔物もいる。
また、都合の良い労働力になる生き物もいた。
人間の言葉を解し、似たような容姿で、長い寿命で人間に仕える種族が。
強欲な者、荒くれもの、あるいはロッザロンドで食い詰めたようなはみ出し者。
ただ単に夢と希望を願う浅はかな若者も多かった。
彼らは新大陸に渡り、人間の町を作り、その活動範囲を広げていく。
最もうまくやったのは、畜産業の成功者であるミルガーハという男。
ミルガーハはカナンラダに住んでいた種族を捕え、影陋族と名付けた。
影陋族は人間ではない。そう喧伝した。
人間ではないので、奴隷の呪枷を施して良い。
当時の現地領事にそういう法を作らせて、影陋族の養殖場を作った。
そして、その影陋族を優先的に本土に出荷する権利を得て、カナンラダ大陸一番の大富豪の地位を築いていく。
百五十年の間、西部、南部の影陋族は人間の支配を受け、残りは極寒の北部と断崖絶壁に隔てられた東部に細々と暮らしているだけになっているはずだった。
「影陋族の娘が、村の男どもを皆殺しに?」
レカンの酒場でその噂を聞いた冒険者のマーダンは、何を馬鹿なことをと聞き返した。
「おいおい、最近南部じゃそういう怪談話でも流行ってんのか?」
鼻で笑い飛ばして、酒を呷る。昼間から。
普段はもっと東側にあるトゴールトという町を拠点にしているマーダンだが、今はレカンに来ている。
カナンラダ大陸で最近名を上げている若い冒険者の噂を聞いた。
この町から少し離れた黒涎山という魔境に向かったということで、少し興味が湧いたのだ。
もし成果があるようなら、俺も黒涎山に入ってみるか、と。
マーダンは主に珍しい魔物を狩ることを目的とした冒険者だった。
行ったことがない場所で何か見たことがない魔物がいるかもしれない。
とはいえ、何もわからない魔境に足を踏み込むほどの無謀さは持ち合わせていない。
有名な若造が先に調査をしてくれたら、その上で黒涎山に入ってみようかと思っていたのだが。
(当てが外れたな)
だから昼間から酒を飲んでいる。
二十日ほど前に黒涎山は崩れ落ち、そこに向かっていた若い冒険者たちの消息はわからないのだと。
せっかくここまで来たのが無駄足だったにしても、このまま帰るのも面白くない、と。
他に何か稼ぎ口でもないかと酒場で話を聞いていたところで、何だか妙な話が出てきた。
「本当なんだって」
「誰がそんな話を?」
「その村から逃げてきた男が……」
「皆殺しにされたんじゃねえのか。法螺話だな」
バカバカしい、と笑うマーダンに、話していた男がさらに言い募る。
「調査隊が出るんだ。募集している」
嘘ではないと主張するように。
作り話というのではなく、何かしらの根拠があって、町として対応を検討しているのだと。
それを聞いて、マーダンも少し態度を改めた。
「あぁ、調査隊ねぇ……真偽がわからねえから調査するって話だろ」
否定的に言いながらも、多少は考え直しているのだ。
何かしらの調査が必要な事態が起きていると。
影陋族の若い女が村人を皆殺しというのは眉唾だとしても、何か普通ではない事態がある。
無駄足ついでに、その調査隊とやらの募集を見てみるくらいは良いのではないかと、そう思った。
影陋族のことはマーダンも知っている。女神の恩寵の薄い種族で、魔物退治をしてもあまり強くならない連中だ。
普通の人間と同等程度の力はあるが、魔物退治を専門とする冒険者と比べたらかなり劣る。
人間の熟練の冒険者でも、村を一つ滅ぼすなど難しいだろう。
村にだって男手があり、さすがに百人以上の人間を相手に戦えるほどの体力は冒険者にもない。
一部の、勇者英雄とまで呼ばれる強者でなければ。
影陋族などに出来るかと言われれば、やはり眉唾だが。
「まあいいさ。そんな恐ろしい何かがいるってんなら、俺もその調査に参加するぜ」
このレカンの町まで足を運んだついでだ。
酒代程度の稼ぎにはなるだろう。
マーダンはそんな軽い気持ちで、近隣集落の調査に参加することにした。
※ ※ ※