第193話 騎士たちの患い
「ふざけんじゃねえぞ!」
普段から乱暴な喋り口調ではあるが、ビムベルクが怒声を発することなど滅多にない。
戦場でもないのに、本気の怒り。
「だいたいおかしいだろうが!」
理解できないと。
ビムベルクの理解力の問題ではない。
ツァリセだって問い質したいところだ。
「春先だぞ! 援軍の要請出してから今の間で来れるわけがねえ!」
ツァリセもそう言った。有り得ないことだと。
ロッザロンド大陸とカナンラダの間は船旅で三十日以上かかる。順風だとして。
「十や百じゃねえ正騎士団が、どうやって港に着くってんだ!」
「英雄とはいえ冒険者上がりにはわからんだろう」
挑発しているつもりではないのだろうが、そうとしか聞こえない。
「栄光あるルラバダール王国四騎士団筆頭、菫獅子騎士団は果断迅速において他に勝るものなし。光河騎士団やこのエトセンの田舎騎士とはわけが違うのだ」
「なにぃ」
「やめよ、ビムベルク」
喧嘩を始めそうなビムベルクを見かねて領主ワットマが諫めた。
「……」
「礼儀知らずが」
わざわざ口に出すこともないだろうに。
ルラバダール本国ではこういう文化なのだろうか。
ツァリセは行ったことがないから知らない。
舌打ちするビムベルクだが、実際に礼儀は知らないのだから言われる筋合いがなくもない。
使者に対しての態度としては失格だし、この使者だっておそらく貴族の係累だ。
エトセン最強のビムベルクだから相手も遠慮はしているものの、不敬だとかで投獄されてしまう可能性もあった。
ボルドのように。
「エトセン公よりの要請を受けて遥々海を越えてきた我らに、何か含むところでもあるのかと疑わざるを得ん」
「……」
「駄目です、隊長」
相手の挑発に乗せられやすい上官だが、今はまずい。
強く息を吐き、口を紡ぐビムベルク。
とりあえず使者の方は少し気が晴れたのか、侮蔑の表情を浮かべてビムベルクから目を離す。
どうしてこうなったのか。
カナンラダ大陸の各地域はどこも、ロッザロンド大陸本国の領土に過ぎない。
エトセンもルラバダール王国領であり、エトセン公と呼ばれるワットマ・ロザロ・クルスも王国の臣下である。
公と呼ばれるが大公家とかそういうわけではなく、この場合はカナンラダ大陸におけるルラバダール王国指導者という意味合いになる。実際の爵位では侯爵だ。
王家と血縁がないわけでもないらしいが。
ルラバダール王国には四つの大騎士団があった。
最大のものは、先ほど名前の出た光河騎士団。
ルラバダール王国本軍になる。全員が精鋭というわけではないが戦力とすれば最大だ。
光が太陽、河はそのまま河川を意味して、ルラバダールの豊穣を意味するのだとか。
暗喩として、黄金と流れる血の意味合いもあり、戦いの末に得た豊かさのこともあると言われる。
橋楼騎士団。
こちらは国境警備が主な役割で、アトレ・ケノス共和国との間の巨大な吊り橋から名付けられたのだとか。
一番実戦の多い騎士団でもある。
逆に、禊萩守騎士団。
禊萩というのは王宮庭園をぐるりと囲む樹木で、またルラバダール各地に群生し食べられる実をつける。
王宮を守る任務と、また国民が食べ物を得るのは王のおかげだと示しているのだとか。
一番人数が少なく実戦出動も近年ない。
最後に、菫獅子騎士団。
ルラバダール王国中興の英雄ラドバーグ侯爵家が代々団長を務める軍団。
ラドバーグ侯爵が戦場に立つ時、鮮やかなすみれ色の直垂を纏うということでその名の由来になった。
これらの騎士団の名前にもひと悶着ある。
昔は第一騎士団、第二騎士団と呼ばれていたらしいのだが、それでは二番手三番手のようだと異議が上がった。
すったもんだの末に国王から新たな名称を授けるということで、ただ貴族間の軋轢もあってこれがなかなか決まらない。
やれ赤はどこぞの旗印だとか、金と白は王家の紋章だとか、竜はアトレ・ケノス共和国の象徴だし羊では弱そうだとか何だとか。
実に六年後に正式名称が決まるまで、それぞれ代表の貴族が好き勝手な名前を名乗っていたという。
二百年以上昔の話だが、当時の国王や政務官の苦労を想像すると、ツァリセは何となく共感を覚えないでもない。
話を戻そう。菫獅子騎士団のラドバーグ侯爵だ。
本国でも有力貴族であるその侯爵当人が、まさに疾風のような速さでカナンラダ大陸に渡ったのだと。
有り得ない。
確かに救援要請は出した。
カナンラダの情勢が不穏で、エトセンの戦力に不安がある。
ワットマの判断が間違っていたなどとは思わないけれど、それにしても早すぎる。
ラドバーグ侯爵単独で、というのならかろうじて理解できなくもない。
それもおかしいが、物理的に可能だという意味では。
こちらからの船便がロッザロンド大陸に到着して、すぐに支度をして出航したのなら時間的な疑問はない。
妥当なところと言っても問題ないだろう。
けれど、軍を動かしている。
確かにラドバーグ侯爵は菫獅子騎士団の団長を務めるが、かと言って一軍を勝手な判断で海を渡らせるなど許されるはずがない。
場合によっては反逆罪だ。
そういう手続き的な問題と、もっと当たり前に、準備期間がなさすぎる。
十人やそこらの旅支度ではない。数千を超える人員を、話を聞いてじゃあ明日と出来るわけがない。
船の手配だって出来ないだろう。
大型船だとしても数百まで。超大型船なら千を乗せられるとしても、そんな船団を一朝一夕に用意するのも不可能。
船旅の保存食や水だっている。
有り得ない。
ビムベルクが言う通り、あらゆる意味で有り得ないのだ。こんなことは。
「偉大なる侯爵閣下は」
使者は得意げに顎を突き出した。
「昨年のうちから予見されていた」
昨年のうちに。
予兆はあった。ツァリセも知っている。
黒涎山が崩れ、レカンの町近くに特異な影陋族が現れて。
牧場を一つ潰して東に消え去った。
そしてトゴールトの異変。
だとしても、こんな報告は本国に送っていない。
ボルドが定期報告か何かに書いたかもしれないが、今の事態を予見できるような情報ではなかったはずだ。
「閣下に所縁ある者から報せがあった。レカンの町の大商人にも被害があったのだとか」
奴隷商のゼッテスだ。
あそこから情報が渡った。だとしても、それだけで侯爵が騎士団を動かすとは思えないが。
所縁ある者というのは、侯爵の側近がゼッテスの近くにいたのか。
「異常な事態を予見された閣下は、国王陛下にカナンラダ大陸への遠征を進言され、備えていたのだ」
「それで……」
海を渡る準備をしていた、と。
「そこに来て、エトセン公からの救援要請となればこれは一大事と見るのが道理」
「……なるほど」
「火急の場合は騎士団長には陛下の裁可を待たず判断する権利がある。ワットマ様の母君とラドバーグ侯爵家とは縁も深い。国務卿やら財務卿の話がまとまるのを待っていてエトセンに何かあればラドバーグ家の恥と、侯爵はそう仰られて海を渡ったのだ」
話の筋はわかった。
侯爵にそこまでの判断をさせた側近は、よほど信頼が厚かったのだろう。
カナンラダで異常事態があり、今後の状況が不透明だと報告を届けた。
ルラバダール国内では、近年は軍縮傾向だ。
アトレ・ケノス共和国が合併した後はかなり国境線が落ち着き、軍事費の負担を減らそうと。
各騎士団とすれば、それぞれの権限が損なわれる予想もあった。
だから新たな戦場がほしい。
国に必要な騎士団勢力だと示す為に。
ここでお互いの思惑が対立する。
カナンラダ大陸への遠征の役割を自分たちが受けたいと。
どこの騎士団の長も、辺境の侯爵であるワットマよりも序列は上になる。こちらに進出して自分たちの足場を築きたいという意図もあった。
色々な理由をつけてお互いに足を引っ張り合い、戦力を率いて海を渡るなど当分は無理だろうと思われていたのに。
救援要請の使者を見つけた菫獅子騎士団が先んじた。
「ラドバーグ閣下の御厚意、痛み入る」
「なんの。閣下も母君に幼い頃によくしていただいたということで、ワットマ様は弟のようなものだと」
時系列から考えて、ワットマの母がルラバダール本国にいた頃の現ラドバーグ侯爵は赤ん坊だったはずで覚えているはずもないが。
まあこの辺は貴族的なやりとりだ。
縁がある、理由があるとして自分の行動を正当化するだけの。
「しかし」
ワットマが使者に対して言葉を続けた。
「ボルド・ガドランは実直な男だ。決して不実なことをするような」
「その辺り、私にはわかりませんが」
この場にいないエトセン騎士団長について、使者の男は空とぼけたことを言う。
これに対してビムベルクは怒っていたのだけれど。
「明らかな異常事態に対しての報告漏れ。意図的なものがないのなら良いのです」
「昨年の報告に記載はあったと」
「些末なことのように書かれていましてな。それが偽装と捉えられても仕方ありますまい」
問題を隠す為に虚偽の報告をしたのではないかと。
「反逆罪とは穏やかではありませんが」
「……」
「ラドバーグ侯爵には下位の軍属への捜査権があります。もちろん、ガドラン殿に何もなければ今まで通り軍務をしていただければ結構。なに、形式的なものですよ」
ぎゅいっと。
謁見室の空気が震えた。
ビムベルクが拳を握っただけだが、よほど使者の態度が気に入らなかったのだろう。破夜蛙の爆声のように空気が割れて音のない音を響かせた。
「っ……」
引き攣った顔でビムベルクに視線を向ける使者と、やれやれと頭を振るワットマ。
正直、びくっと震えた使者の姿にツァリセも気分は良かった。上司を褒めてやるわけにはいかないが、褒めてやりたい。
「とりあえず、ラドバーグ侯がいらしてから話すとしましょう」
「……そうですな」
ワットマに促された使者が退出する前にビムベルクを一度強く睨んで、速足で去っていく。
「……すんません」
「いや」
一応は悪かったと思っているらしいビムベルクの言葉に、ワットマが苦笑した。
「よくやった」
ワットマもツァリセと同じ気分だったらしい。他の側近や警備兵も笑っている。
上司の上司から褒められたビムベルクは、肩を落として首を横に振った。
緩い雰囲気。
こういう部分は確かに、辺境の田舎者と言われるのも仕方がないか。
無論、ツァリセもこうした緩い空気の方が気楽なので不満はないけれど。
ロッザロンド大陸からの援軍。
今は長い船旅の疲れもあり、到着した港町ゴディに滞在しているというが。
これが助けとなるのか、そうではないのか。
彼らは味方と呼べるのだろうか。
ボルト・ガドランは謹慎を命じられ、ツァリセ達には相談できる相手がいない。
これもラドバーグ侯爵の手の内か。
この町にも既にラドバーグの手の者が入っていると見た方がいい。
迂闊に動けば、今度はそれを理由にツァリセなども捕縛。
カナンラダにおける軍権を自らに集中させようとか、そういった。
こうなってしまうと、考えてしまうのだ。
こんな厄介な味方よりも、他に手を結ぶべき相手はいたのではないか。
敵国の飛竜騎士。
エトセンの疲弊もあったとはいえ、彼の申し出を断ったことが正しかったのかと。
その時に判断できなかったツァリセが、今になって口にするのは卑怯だけれど。
進路を間違えた。
どうしようもなく、そんな気がした。
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