第190話 言祝ぐ呪い
「何がおかしいですか?」
涼しい顔というのとも違う。
本当に理解できないというか、理解するつもりがない顔。
「ミアデがおらんかったらおんしが死んどったんじゃぞ!」
「そうでしょうね」
事実だけれども、それがどうしたのかと。
仰向けになっているミアデの近くで言い争うウヤルカとセサーカ。
荒くなっているのはウヤルカだけで、セサーカの方は特に言い返している様子ではないが。
「他に言うことがあるじゃろうが!」
「ありませんよ、ウヤルカ」
伝令がルゥナを呼びに来た理由がわかった。
この両者をどうにかするにはルゥナが必要だったのだろう。
「足ぃ千切れかけてるミアデより先にアヴィを治癒せえっちゅうんはどういうつもりじゃ!」
「言葉通りの意味です。アヴィ様、ですよ。ウヤルカ」
「じゃかましい!」
苛立ちを滲ませたセサーカにウヤルカが怒鳴った。
「やめなさいどちらも!」
ここはまだ戦場で、隣でミアデが脂汗を垂らしながら呻いているというのに。
「何があったのか知りませんが、そんな場合ではないでしょう!」
「……」
一喝して、治癒薬を手にミアデに寄り添う。
「大丈夫ですか、ミアデ?」
「う……ん、ごめん……なさい」
「謝ることはありません。足でしたか」
見れば、とりあえず繋がってはいる。
右の足甲は僅かに膝周りだけが残り、ふくらはぎは真新しい皮が張ったばかりという様子だ。
既に治癒薬で手当てしていたのだろう。そうでなければ失血死していたかもしれない。
だが、足首から先はだらりと、あらぬ方向に力なく垂れ下がったまま。
薬が足りず、ここまでの手当しか出来ていなかった。
「飲めますか?」
「……はい、ごめんなさいルゥナ様」
「謝らなくていいと言いました」
痛みで朦朧としているのだろう。
何度も謝罪の言葉を口にするミアデに、そっと治癒薬を飲ませる。
「……ウヤルカ、セサーカ」
「……」
「敵が近づかぬよう周囲を見ていて下さい。深追いは禁じます」
少なくともウヤルカは冷静ではない。
セサーカの様子もおかしい。
とりあえずミアデが回復するには時間がかかるし、近くで喧嘩をされるのも困る。
「うっくぁぁ……っい、たいぃ……」
傷が治る過程で激痛に震えるミアデの体を抱きしめて、目線でウヤルカたちに去るようにもう一度促した。
まだ言い足りなかっただろうウヤルカは荒々しく背を向け、セサーカも静かに歩いていく。
仲が悪いわけではないはずなのに、どうしたというのか。
セサーカが突っかかっていったわけではないことはわかる。だが、断片的な話を聞けばウヤルカが怒った気持ちも理解出来た。
全てはアヴィの為に。
セサーカはそれを実践していて、ウヤルカはそれが気に入らない。
実際の負傷の程度は知らないが、アヴィの怪我はそこまで緊急を要するものではなくて、ミアデは放置すれば命に関わる大怪我だった。
なのに、アヴィを優先しろと言うセサーカ。
ミアデはセサーカを守って負傷したのに、どうしてそんなに冷たいのかと。
「……っく」
ミアデの目から涙が零れる。
痛みから、だろうか。
そうではないのかもしれない。
セサーカの気持ちがどこに向いてしまっているのかわからなくて、ミアデも不安なのだ。
「……ごめんなさい」
謝罪の言葉は誰に対してか。
それは、ルゥナがミアデに言うべき言葉なのに。
※ ※ ※
勝利した。
敵の大軍を打ち破り、絶望かと思えた敵の切り札も打ち倒した。
兵士どもは死ぬか逃げるか。
町に残った人間どもも殺す。そこに一切の容赦はない。
「ブリスの……息子の仇を!」
武器を手に、襲い掛かってくる町の者もいた。
なかなかの腕だった。人間で言えば上位の冒険者くらいなのだろう。
ユキリンから降りて受けて立った。
「ええ度胸じゃ!」
しかし、今のウヤルカを相手にするには見劣りする。
一撃で武器を砕き、衝撃で痺れた腕を二撃目で斬り落とした。
「おの、れぇ……!」
「息子のとこに送っちゃるわ」
老人の首を刎ねた。
元冒険者か軍の者だったのだろう。
先の戦いの中に息子がいたのだろうが、知ったことではない。
そんな老人、この町にはいくらでもいるだろうし。
負傷したオルガーラだが、治癒薬を飲むと狂ったように町に突っ込んでいった。
大楯と鎌を手に、手あたり次第に破壊と殺戮をしていったらしい。城門から続けて彼女が通った場所がよくわかる。上から見下ろすウヤルカには特に。
敗戦を知った町の人間は逃げ惑い、こちらが手を下すまでもなく混乱の中で死んでいる者も少なくない。
町に残っていた守備隊もいただろうが、最初に突っ込んできたのがオルガーラだったのが彼らの不幸だ。
外の戦場で敗れた彼らに組織だった抵抗はできず、また負けたという事実が恐慌を引き起こした。
ウヤルカを始め、町に入った清廊族から逃げようとだいたい南に逃げていく。
全てを殺すのは無理としても、可能な限りは始末しておかねばならない。
後の憂いにもなるし、こんな連中でも殺せばウヤルカの力になる。
先ほどの戦い、気持ちが怯んだ。
自分が及ばぬ相手であることは間違いなく、無闇にそれに挑むのも愚かではあるけれど。
「ウチは……」
苛立つ。
セサーカにきつく言ったのは、半分は八つ当たりだ。
ウヤルカがもっと強ければ、他の誰かを危険に晒すことなどなかった。
アヴィと模擬戦などもして少しは自信がついてきたというのに。
もっとも、先の戦闘の敵将は異常だった。
アヴィとオルガーラを同時に相手にして戦えるような人間がいるなど、普通ではない。
ユキリンも、異様な気配を発する敵に強い警戒心を示していた。
毒を食って強化していたようだから、自然に存在するようなものではない。
存在してはいけないもの。
だけれど、実際にそれが現れ、敵として立ち塞がった。
またあるかもしれない。
まだいるかもしれない。
足りない。ウヤルカの力はまだ足りない。
どうすればいいのかわからず、思わずセサーカに当たってしまった。
言い訳がましいが、セサーカに関しては八つ当たりばかりではない。
彼女の考え方はやはり異様だ。
アヴィの役に立つ為に真っ直ぐで、真っ直ぐ過ぎて歪さを拭いきれない。
自分の命も一つの道具としてアヴィに捧げようとしている。
百歩譲って、それが自分の命ならまだいい。
他の者にも同じようにあるべきだと見做している節があった。
戦いに勝つ為なら、それも仕方がないのかもしれない。アヴィの力は他に替えられない。
間違っているとは断言できないけれど、セサーカの考えを正しいとは認められない。
何よりも。
セサーカの身を案じて、セサーカの為に身を投げ出したミアデに対して。
どうしてあんな冷淡な態度を取れると言うのか。
ミアデのことも、アヴィの為の道具として使い捨てるかのように。
セサーカにとってミアデは大事な伴侶ではなかったのか。
気持ち悪い。
戦う理由にまるで共感できない。
前からアヴィを強く慕っていることはわかっていたが、どうにも最近はそれが許容できないほどにはみ出しているように思うのだが。
「だらずが!」
罵声を吐きながら人間を切り捨てた。
もっとだ。ウヤルカはもっと強くならなければ。
「……?」
一定方向にずっと進んだからなのだろう。
城壁に囲まれた町の端に着いたところでユキリンと共に地面に降りた。
人間の町を多く知るわけではないが、この町は居住区も城壁の中にあった。
港町イジンカもそうだったけれど、あちらと違いここは四方を城壁で囲っている。
そんな町でも、やはり隅の方は多くの者が立ち寄りたくない場所らしい。
城門からも遠く交通の便も悪い。悪いものの吹き溜まりのよう。
そんな一角に、なぜだか妙に気になる建物があった。
「……この臭い」
毒草の臭いだ。
珍しい草ではないが、口にすると眩暈と幻覚を起こす毒草。
そういえば、先ほどの狂戦士が口にしていた薬とやら。
あれもこの毒草の臭いが混じっていた。血や他の臭いに紛れていたけれど、今思えばそうだ。
「……」
考えていても仕方がない。
その臭いを発するドアを蹴破った。
「……なんじゃね、こりゃあ」
人間の生活習慣は知らない。
知らないけれど。
玄関を開けた先が厨房という造りは一般的ではないだろう。
厨房。
たぶん、そうだ。
多くの台に椀やら瓶やらが並び、食材を切るのか包丁や鋸、鉈が吊るされ、すり鉢らしいものもある。
通気の為の小さな木窓があるだけの薄暗い部屋だが、灯りの問題以上に暗く感じる。
清廊族のウヤルカでさえ、一度二度と瞬きを繰り返して薄暗い室内を見直す必要があった。
「……薬師、かの?」
厨房ではなく、薬師の作業場というのが正しいか。
薬師が鋸や鉈を使うのかは知らないが。
「ふむふむふむ、なんと、なんとも」
「っ!」
気配をまるで感じなかったが、室内に誰かがいた。
「これは噂に聞く雪鱗舞か。ふむふむ、実に、実に厭らしい」
「誰じゃおんしは」
鉤薙刀を突き付け、訊ねてから思う。
訊ねる必要はあっただろうか、と。
「ふむふむふむ、答える必要があるかね? あるものかね?」
ウヤルカの心を読んだわけでもないだろうに、同じ意味の疑念を返した。
後ろめたいことなどないのだが、思わず手が止まってしまう。
「……」
「ふむふむふむふむ、これぞ女神の御導きか」
愉快そうに。
どう考えても敵同士でしかないはずのウヤルカを歓迎するかのように両手を広げて。
「幸いあれ。清廊族の女よ」
虫唾の走るような嗤い声と共に言祝いでみせた。
※ ※ ※