第182話 若き勇者
強い。
まさかこれだけの戦士がいるとは、などとは思わないが。
豪傑ムストーグ・キュスタが敗れたというのだから、むしろこれくらいはいて当然。
ケビンはまだ二十にもならないが、ヘズ周辺では傑出した冒険者として名が響いている。
古くは大魔法使いピエラット。
やや前の時代で言えば百拳のゾーイ。
そしてつい先ごろまでなら若き勇者シフィークが、この周辺では有名だった。
若き勇者と呼ばれたシフィークよりも、ケビンはまだ若くして勇者と呼ばれるようになった。
だからヘズの人々は、真なる若き勇者ケビンと呼ぶ。
シフィークはアトレ・ケノスの出身ではない。ルラバダールの生まれなので、ケビンの方が真に勇者に相応しいとかそういう期待も込められて。
それでも比較される。
シフィークは全盛期の数年をこの周辺で活躍して、それからイジンカに向かった。まだ彼の活躍を記憶している者は多い。
ケビンとすれば面白くはないが、自分が英雄級と認められるまでになればシフィークの活躍さえ霞むだろう。
ヘズ周辺の御意見番のような立場のピエラット爺さんでも届かなかった頂に。
活躍の機会が訪れたことを喜んだ。
あの豪傑ムストーグを殺した影陋族がヘズを襲うと。
さすがに戦争は畑違いだ。集団での戦闘というのは探検とはわけが違う。
たとえケビンでも一万の敵と戦い続けることは出来ない。仮に百を殺しても、他から逃げたら世間では逃亡者ケビンと呼ばれるだろう。
名に傷がつく。
いくらなんでも異常な事態だと思ったが、近くの村には母も兄夫婦も住んでいるし、親しい者も少なくない。
軍が本気で戦うというのなら協力して、自分の活躍をなるべく多くに見せつけてやろうと。
ピエラットから言われた。正面はやめておけと。
なんでもピエラットの知り合いの呪術師が、軍からの命令で禁忌の術を使うのだとか。
忌まわしい呪術の中でも、さらに禁じ手。
怖いもの見たさもないではなかったが、ピエラットの経験からの言葉だ。そこは素直に従った。
冒険者連中を集めた遊軍として、敵の横腹を叩く。
ケビンとしてもこちらの方が性に合っている気がして、危険も少なく活躍がわかりやすそうだと考えたのだが。
「ちょっと、強すぎですよ!」
「ソーシャは最強!」
さっき聞いた名前と違うような気がするが、愛称か家名なのかもしれない。
影陋族に家名ってあったんだったか。ケビンは蛮族の習慣に詳しくないけれど。
凄まじい連撃。
ケビンだから捌けるものの、そこらの兵士では相手にならないだろう。
中位程度の冒険者で一撃か二撃、上位の冒険者でも十合も打ち合っている間に死にそうだ。
「ケビン!」
「近寄らないでいいです!」
顔馴染みの冒険者の声に応える。
「ムストーグをやったのも多分こいつです!」
知らないけれど、言ってみる。
見ている冒険者にも自分より格上だとわかるだろうが、英雄を倒したかまではわからない。
「最強の影陋族です!」
この少女がそう言ったのだから、そういうことでいいのではないか。
「ソーシャは!」
ケビンが斬りつけた剣を、強く振り払われた。
「清廊族じゃない!」
「はあ?」
何を言っているんだろうか。
影陋族ではない、と言うのならわからないでもないけれど、清廊族ではないと。
戦いの最中で、言葉と頭が噛み合っていないのかもしれない。
「角があるからですかね」
「うるさい!」
思わず考えてしまった。
見る限り、あまり頭は良さそうではない。
蛮族なのだから仕方がないか。
力は相当なものがあるにしても、あまり周囲が見えている性質ではない。
仲間と離れてケビンを倒そうと。
そのせいでケビンもまた味方と少し離れてしまっているが、これはこれで都合がいい。
ヘズ周辺はケビンの育った場所だ。
川沿いに北上したこの辺りもよく知っている。
森と呼べるほどの樹木の群生地はもっと北の滝の上くらい。
多少の木々が残る場所はここにもある。
木陰になり、夏場にこの辺りを歩く者が休憩に使う林。
ずっと昔は木々も多かったらしいが、町を作る為にこの周辺の木々はほとんどなくなった。
ここにだけ木が残っているのは、今はもう失われたカナンラダ最大の大樹があった名残だと言われている。
とてつもない大樹で、ちょっとした村を飲み込むほどの直径だったとか。
内部は空洞になっていて、魔物の巣になっていたとか言うのだが。
どこまで本当なのかケビンは知らない。
大樹は数十年前に焼き払われ、その跡地に芽吹いた木が今のこの小さな林。色々と悪い噂もあり、この林の木は伐採されていなかった。
名も知らないこの木も、時を経れば伝説の大樹のようになるのかもしれない。
考えが逸れた。
この林は休憩場になっているのと同時に弱い魔物が発生する。
ケビンも幼い頃、ここで魔物退治の訓練をしたことがある。
ソーシャと名乗る角突きの少女と戦いながら林に踏み込んだ。
思ったより強い。
そう感じたのは事実だが、勝てないほどではない。
勝てないほどではないが、やはり強い。
少し守勢に回りながら敵を観察して、ケビンに迫る実力だと認めた。
ケビンは冒険者だ。
勝てるかもしれないという見込みで戦うのは駆けだしの半端もの。
勝てないかもしれないという見通しで逃げ出すのは、成功を手に出来ない半端もの。
実力的に伯仲する相手だとしても、知恵や手段を講じて勝つのが一流だ。
駆けだしの頃に有頂天になりそうだったケビンに向けて、ピエラットが諭した言葉だが。苦言をとして覚えている。
ケビンの鼻っ柱を折りながらも、そんなピエラットにでも勝てるよう対策すればいいのだと言われた。
単純な自分の力だけを頼みにするのではない。
利用できるものは利用して確実な勝利を掴む。
力に溢れる者ほど、往々にして己の腕のみを頼りに進み躓くものだ。それでは二流止まり。
生きて、勝つ。これが出来て一流。
ケビンが若くして勇者と呼ばれるだけに成長できたのは、他の助言を受け入れる度量があったからだ。
ピエラットらの助言を素直に聞き入れ、前の自分を上回る。
今回も同じ。
自分と実力の近い敵を相手にするのなら、相応の考えを。
「いい槍、ですねっ!」
躱して、弾いて。
ケビンが持つ剣も決して悪くないのだが、刃を合わせれば明らかにわかるほど違う。
「君を殺して、もらいましょう、かっ!」
「ばぁか!」
ケビンの挑発に対して、ソーシャは即座に罵声を返した。
見かけ以上に中身が幼い。
「バカだ! このっ、人間のばかっ!」
幼稚な罵声と共に、けれど突き出される槍の鋭さに可愛げなど全くない。
ニアミカルム山脈に生息する大きなカマキリの魔物を思い出す。
視認できない速度で鎌を伸ばして、一瞬で肉を切り裂く。あれよりもまだ早い。
大きいと言ってもあれは膝位までの体高で、普通の人間でも首を斬られたりしなければ叩き潰したり出来る範疇だが。
攻撃速度はそれと同等で、その破壊力は岩をも貫くほど。
そんなものが左右から繰り出されて、ケビンでなければまともにやり合っていられない。
普通なら視認できないが、ケビンの目は追い付く。
自分の体もそれに合わせて動く。
ケビンと同等の速度で戦える個体など珍しい。守勢に回らず仕留めようとすれば大怪我をするかもしれない。
もったいない。
これだけの力があるのに、倒してもケビンの力が増えるわけではない。
影陋族が本当に魔物だったなら、これを殺せばまた一歩上にいけるのに。
まあ今回はこの槍を戦利品とすることで良しとしよう。
この娘も中々可愛いものだが、それに気を取られて自分が死んでしまっては意味もない。
この林のことは知っている。
ケビンは知っていて、このソーシャとやらは知らない。
草や落ち葉に隠れているが、かつてあったと言われる大木の為にあちこちに溝がある。
穴というか、おそらくかつては根が這っていた場所が。
中心部に開いた大穴は燃えた大樹の残骸が埋めたというけれど、その後に土中で腐った根の部分が空洞になり、地表に近い場所だけ溝として残った。
根とは言うが、根だけでも普通の木の幹なみの太さはあったようだ。
ケビンが踏み越えたその溝を、次の踏み込みで娘が踏む。伸びた草がその窪みを隠しているから気付くまい。
ほぼ実力が伯仲する戦いでその隙は致命的だ。
実際、自分もここに出入りしていた時に嵌まったことがあるからこその作戦。環境の利用。
ああ、それならば。
せっかくだからこの娘は生かして捕えようか。
物好きが高値で買うかもしれない。
溝で足を滑らせたところで顎に膝を叩き込み、ふらつきながら逃げようとするその右腕を叩き切る。
そして足もどちらか切って、失血死しないよう焼いても生きているようなら。
影陋族の若い女戦士だと言えば高値で売れるだろうし、ケビンの名を売る為にもこの娘を晒しものにした方が都合がいいかも。
どうせ殺しても無色のエネルギーになるわけでもない。
敵の足が、溝に突っ込まれた。
周囲に伸びていた草と共にずるりと。
予定通り。
沈む女の顎に膝をと思ったが、思った以上に勢いよく突っ込んで沈みすぎだ。仕方ない爪先を叩きこむか。
と、わずかにバランスを変えた。
敵は罠に嵌まった。
思惑通りに進んだはずなのだが、思った以上に低い。
慌てて……そう、慌てて蹴りを放つが、擦り抜けた。
「なっ!?」
「ばぁか」
草むらに隠れていた溝に片足を突っ込みながら、ぎりぎりまで体を低くした小娘の頭は地表すれすれ辺りに。
顎を狙ったケビンの蹴りを、冷静に下に避けた。
予想と違ったという段階でケビンがすべきことは、仕切り直すべきだった。
勝った後のことが頭を過ぎり、予想外のことに焦った末での行動。
ケビンは若い。若き勇者と呼ばれるのだから当然若い。
地面に飲み込まれるように一気に沈んだソーシャの槍が、蹴りを放った姿勢のケビンに向いた。
足場が低くなっていることを承知で、思い切り踏み込んで体を沈ませて。
「しまっ」
蹴りの姿勢を変えた時に重心を強引にずらしている。
片足で後ろに跳ぼうとするが。
「りゃあっ!」
螺旋の筋が、後ろに跳んだケビンの体の上を走った。
下から突き上げ、ちょうど股間から腹を滑るように撫でる。
「てぇっ!」
鋭い痛みを感じながらも、次の一歩で大きく距離を空けた。
初めて入ったはずの林の地形を、一目で看破されるとは思わなかった。
「く、痛い……です、ねぇ」
紫の槍が掠めた。鋭い痛みと共に、破れたズボンが左右にはらりとはだける。
涼しい。夏だというのに。
股間を屋外で晒すことは少ないので、風が吹き抜ければ涼しいものか。
刺すような痛みを感じながら、腰に提げた治癒薬を飲もうと手を伸ばした。
飲むより、直接患部にふりかけた方がいいのかもしれない。とはいえ股間とは、なんて無様な。
新たな勇者ケビン伝説の始まりとしては、あまりに恰好が悪い。
「ん?」
目が離せない。槍を突き上げた空中から、地上に戻ってきた敵に。
だが治癒薬が手に当たらない。
腹辺りを斬られたせいで、腰帯に提げていた薬の瓶や予備のナイフなどが垂れ下がっている。
舌打ちを堪えながら、大急ぎでしゃがんで瓶を取ろうとしたが、
「う、ぐぁっ!?」
激痛が走った。
しゃがもうとして、股間からの激痛に声が漏れる。
「ってぇ、こんな……血がぁ!」
掠めただけ。
体の表面を撫でただけだったのに。
下半身は大量の血でドロドロになっていた。
流した血だまりの中に、ぼとりと落ちる。
ケビンの……?
「く、っそぉ!」
許さない。
絶対に許さない。
痛みを無視してしゃがんで薬を取ろうとしたが、ケビンの片足に垂れ下がっていた瓶は屈んだせいで余計に逃げて、手につかなかった。
「エシュメノは言った」
声は、ケビンが治癒薬を拾うのを待ってくれはしなかった。
「ばかだから死ぬんだ、お前は」
地形を利用するのが自分だけではなかったとか。
判断を間違えて。
体に提げた薬瓶は、自分が屈んだらもっと逃げるだろうこともわからない。
馬鹿だから。
だから死ぬのだと。
黒い滑らかな槍が、屈んだ姿勢のケビンの頭を貫く前に、一つだけわかった。
そうだ、この娘の名前は。
エシュメノ、だった。
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