第168話 背負う責務
「城壁外で見張りをしていた中隊は報告に来た者を除いて全滅。他、城門での戦闘での死者がおよそ二千です」
「……」
「北から回ったヴェッツィオ師団長が戦死と……」
息が漏れた。苦々しい。
準勇者級の使い手で、その直属の部下も中位の冒険者ほどの精鋭揃いだった。
ヴェッツィオの損失と合わせて痛いところだ。
とはいえ、北の一角からの挟撃で城門を塞ぐ敵を撃退できたのだから、必要な作戦行動だとしか言えない。
「二千、か」
「そのぅ……確認できただけで、ですが」
報告する部下の声が弱まる。
夜襲を仕掛けてきた影陋族を撃退し、備え直しながらの被害報告。
北に逃げたものばかりだと思っていた。
間違いなく北に向かったのだ。敵の半数以上は。
まさか寡兵を分けて、千にも満たない数で五万の兵が入った城塞都市に攻め寄せるなど。
町をあちこち破壊していたのもその工作の為。
こちらの対応を制限し、誘導した。
「負傷者はおよそその倍です。幸い病床には困りませんが」
上司の機嫌を少しでも慰めようというのか、何の解決にもならない言葉につい怒りを含んだ目を向けてしまった。
「も、申し訳ありません」
「……サンソーネ達の状況は?」
「……」
十万の軍の中でも数の限られた勇者級の幹部。
その一人の名に、部下は俯いて沈黙し、ゆっくりと首を振った。
「湾の中を漂う氷塊の中に、船影らしきものがみえると。おそらくその中かと」
「有り得るか!」
ばん、と。卓を叩いた。
「海に浮かぶ船を丸ごと凍らせるだと? 船にも魔法使いはいたのだぞ!」
立ち上がり、苛立ちをぶつける。
「いくら連中が得意な氷雪系だと言っても、複数の魔法使いが抵抗する中で距離を置いた海の上の船を凍らせるなど、そんな馬鹿げた力があるものか!」
距離が離れれば魔法の威力は弱まる。
敵が氷雪の魔法を使うのであれば、こちらは炎熱系の魔法が得意だ。
今までにないことだが、海上で影陋族が人間を襲うのなら氷雪系の魔法は確かに有効だろう。
船を出す際に、全く考えなかったわけではない。
灯台の南側に回り、そこから上陸して敵を迎撃する。残っていた船に少数精鋭を乗せる前に魔法には注意するよう言った。
それが、岸に近付く前に船丸ごと凍り付くなど想定できるものか。
海上で激しい吹雪に見舞われたのなら、勇者といえど満足に立ち回れない。足場が悪すぎる。
まして小型の船で、大型船よりさらに不安定に揺れる。
海側を回ることを影陋族が予想していれば襲撃があるだろうと。
手練れの魔法使いが数名でそれを防ぎ、岸に近付けば一気に上陸して敵を殲滅できるはず。
大した数がいるはずがない。実際にいなかった。
その少数の襲撃でどれだけの被害を出したというのか。
「一人……あ、いえ。一匹だったと」
頭の痛くなるような報告を続ける部下に、溜息を吐いて椅子に座り直した。
「灯台から見張っていた者の報告では、船に向かい魔法を放ったのは一匹の、どうやら影陋族の女だと」
「例の、連中の言う氷乙女とかいう奴なのか?」
「以前から報告にあったそれは大楯と大斧の戦士だとか。魔法を得意とするという話はありませんので」
つまり、と。
「別の、英雄級の力を持つ影陋族かと。魔法に熟達した……大楯の戦士は正門での攻防で多くの被害を出しています」
「英雄級の戦力が二匹もいると言うのか。全く」
少ない数の敵だと見誤った。
侮ったつもりはなかったが、この数の中にそれほどの力を有する戦士が別に存在するとはおもわなかった。
敵にやり込められ、打開策をと焦ったとも言える。
正面から数で押し返せば、少ない数の敵なのだからいずれ押し通せただろう。
どうにか手をと考え、貴重な戦力に被害を広げてしまった。
集団戦闘の中、英雄級の力を有する魔法使いの存在は極めて危険だ。
一対一であれば英雄級の剣士などより与しやすいと言われるが、それはその高みにある戦士だから言えること。
それでも剣士なら、武器の届く範囲にまでの被害で済む。魔法使いは攻撃範囲が広い。
「こちらの魔法使いの抵抗を上回る魔法を、船全てが凍り付くまで続けたというのだな」
「そうなります。おそらくかなり短時間で」
圧倒的な冷気で、まともに対応することも出来ない間に氷に閉ざされた。
サンソーネを始めとした手練れの精鋭が揃っていたのだ。時間があればいくらかは逃れることも出来ただろうに。
「一人、凍死した死体が港に流れ着いています。流れてきて尚、その臓腑まで凍り付いていたのだとか」
おそらく敵の攻撃から逃れようと海に飛び込み死んだのだろうが、海を漂っても融けないと聞けばどれほどの冷気だったのか。
船を使うことは予想できただろう。
そこにこちらの主要な戦力が乗っていたのは偶然だったのか。少数精鋭をと考え悪い手を指してしまった。
地上で戦えば、サンソーネならその敵魔法使いとも十分に戦えたはず。近接戦闘が苦手であれば倒せたかもしれない。
「未確認を含め死者三千。負傷者が五千か」
準勇者、勇者級の二人が含まれる被害を、小さいとは言えないが。
「……明朝、ここを発つ」
敵は逃げた。
追おうとするこちらの足を、やはり吹雪やぬかるみの魔法で牽制して撤退した。影陋族の死体はろくに数えるほどもない。
「北に向かった部隊と合流して影陋族どもの町を落とす。食料ならそこでいくらか調達できよう」
「昨夜の敵と遭遇する可能性は?」
「その時は願ってもない」
立ち上がり、拳を握った。
「見通しがきく地形だ。大した小細工も出来ぬのなら影陋族など恐れるに足りん」
この軍にも、別動隊にも。まだ勇者や準勇者としての力を持つ者は十人を越える。それ以外の強者も、もちろん数も圧倒的。
「小賢しい抵抗など無意味だと、死体にしてわからせてやろう」
身の程知らずの愚かな種族を討滅する。
この戦いに敗北など許されない。カナンラダに入植して以来、イスフィロセがこれだけの数を動員した作戦など例がない。
「奴らに残された道は二つ」
既にイジンカで大きな損害を出しているのだ。今さら戦死者の数を数えて何になる。
「従属するか、死ぬかだ」
イスフィロセに逆らい、泥をかけていった連中だ。
たとえ従うと言ってもいくらかは殺そう。そうでなければ腹の虫が収まらない。
※ ※ ※
「あの兵士どもだけではなく、人間全てを滅ぼす。それだけです」
敵の数の多さに息を飲む戦士たちに、ルゥナは淡々とそう告げた。
先行して町を出た敵軍、これで半数。
町に残った半数は、アヴィやメメトハ達に任せた。
「人間は皆殺しです。他に道はありません」
奴らに帰り道はない。
進む道も満足に見えていないだろうが。
最初に湿地帯を進む敵の波を見た時には、ルゥナとて息を飲んだ。凄まじい数だと。
だが見ている内に気持ちが変化した。
目が届く範囲に収まるものなのだなと思い直して、やれると感じる。
十万とか五万とか言う数は、地平線の彼方まで続くものなのかと想像していたのだ。
そんなことはない。確かに並んで進む姿に脅威を覚えるが、視界が届く中に全体が見えれば手に負えないとは思えない。
これが百万などになれば、それこそ大地を埋め尽くし地平の彼方まで続き、ルゥナ達の戦意を挫いたのだろう。
現実にはそれほどの数になれば食料が追い付かない。現地調達しようとしても、百万もの数を食わせられるだけの食料が自生しているはずもなく。
視界に収まる。手の届く範囲内の敵。
出来るのだと自分に言い聞かせ、他の者にもそう言い含めた。
「大丈夫か、ルゥナ?」
「ありがとう、エシュメノ。問題ありません」
労わる言葉に、何でもないと首を振った。
「エシュメノこそ、疲れていませんか? 何度も襲撃をさせてしまって」
「平気だぞ。あんまり強くない奴ばっかりだったから」
えへへと笑うエシュメノの頭を撫でて、息を吐く。
自分の呼吸の深さで、思った以上に疲労が大きいことを知る。
「でもまだ千もやっつけてない。あいつら全然減らない」
「いいんですよ。そろそろ減っていることに敵も気付くでしょう」
霧の中、湿地帯を進む大軍。
その足が遅くなるのは必然で、深い霧の中で本体からはぐれる部隊も出てくる。
小回りの利くエシュメノなどを中心とした遊撃隊を結成し、本体から離れた部隊を各個殲滅していた。
エシュメノの言う通り、三日間繰り返しても千も倒していない。
まるで減ったような気配がなく、敵の方もはぐれただけなのか違うのか判断に迷ったはず。いい加減、こちらの襲撃だと察しただろうが。
都合よく、濃い霧が。
そんなわけはない。
冬ならばいざ知らず、真夏のこの辺りに深い霧が立ち込めることなど普通はない。
ルゥナの魔法だ。
と言っても珍しい魔法を使っているのではなく、上空に向けて冷たい寒気を何度も何度も送っているだけ。
敵の全体像は把握できて、進路もわかっている。湿地帯全てに霧を発生させる必要はない。そこまでの力となれば英雄でも不可能だ。
人間の進行先を中心に、気温を下げるよう魔法を放った。
冷えた空気が周辺一帯に広がり、湿地の水温より気温が低くなる。そうすれば霧が発生するだろうとアヴィが言って、実際にその通り。
元々湿地帯なのだから湿度は高い。そこに温度差で霧を発生させていた。
幸い季節は夏で、周辺の風は弱く発生した霧を掻き消してしまうこともない。
夜はどうせ人間の視界が悪くなるので、明け方から日暮れまで。
ルゥナだけではなく魔法が使える他の者も総動員してやっていた。
強い氷雪ではなく、冷たい風を作り出す。
範囲があまりに広大で交代で休みながらやっているのだが、さすがにルゥナの負担が大きい。
セサーカが手伝えればと思うのだが、セサーカにはもっと別の役割があった。
幽朧の馨香。
幻の魔法で敵の目からこちらを隠している。彼女以外にはトワくらいしか十分な効果で使える者がいない。
「勝手に深みに嵌まって騒いでる奴もいたぞ」
「人間どもが皆そうしてくれれば手間も減るのですけど」
苦笑して、休むと告げた。
無理をしても仕方がない。既に日は落ちるところで、今日はこれ以上の動きはないだろう。
ルゥナは休息を取り、明日に備えねばならない。
エシュメノも、休憩したらまた警戒に出ると言って離れた。
深夜。
高く透き通るような鳴き声を耳にして、空を見上げる。
上空から人間の足取りを追うこと自体は難しくなかっただろう。人間どもの後方の霧は晴れている。
イジンカへの襲撃部隊にいたはずのウヤルカが、敵軍の足跡を辿り、近くに伏せていたルゥナ達に合流した。
「どんな具合じゃ?」
「作戦通りですが、敵の被害はさほど多くはありません」
誤魔化しても意味がないので、降りてきたウヤルカに素直に首を振る。
「そちらは?」
「まあまあ、ってとこじゃ」
他にも耳がある。ウヤルカは士気を下げないよう楽観的な見立てを言ったのかもしれない。
こちらは敵の足を鈍化させることを主目的にしている。
アヴィ達はあの町に残った敵の戦力低下と誘い出し。
強引に進めれば敵の数に飲まれてしまうのだから、無理をしない所で退く必要があった。
限られた清廊族の戦士たちで、この先も戦いを続けなければならない。
綱渡りの作戦。
一歩間違えてこちらの居場所を敵に把握されたら逃げるしかない。簡単に逃げさせてはくれないだろうが。
「ルゥナ、おんしな」
ウヤルカが覗き込む。
「考えすぎと違うか?」
体調が悪くないかと額に手を当てられた。
少し大きなウヤルカの手。少し硬い感触だけど優しい。
「ここにおる誰も、自分が死なんと思っとる奴はおらん。みんな未来の為っちゅうてわかっとるんよ」
死者に対して心囚われすぎていないか。
責任を感じて背負いすぎなのではないかと、気遣われた。
「いえ……私は」
首を振る。
「大丈夫です」
大きな手で額を覆われるなど子供の頃のようで。思い出してしまう。親を。
「必要なら肉親でも見捨てられる覚悟が出来ましたから」
拒絶と思われたのだろうか。
ウヤルカの手が離れ、わずかな逡巡の後に下ろされた。
「……まあええ、後で」
これ以上、話すことがあるのだろうか。
他の目もある場所では避けようと考えたのだと思う。何か言いたいけれど、言い合いになるのはよくないと。
「町におった敵もこっちに向かってきとる。何もなければここまで二日ってところじゃけぇ」
「こちらの敵も動きますから、合流は三日後という所でしょう。アヴィ達に連絡をお願いします。貴女とユキリンには負担をかけますが」
ウヤルカの移動は夜か雨天の時だけにしている。どこに人間の目があるかわからないので用心の為に。
「ウチが適任なんじゃけぇウチがやる。そんだけじゃ」
しっかりと頷きながら、やはり言いたいことはあったのだろう。
「ルゥナ、おんしが作戦を考えるんはおんしがいっとう得意じゃけぇ任せるんよ」
今度は、握った拳をルゥナの胸に当てた。
「じゃけんども、誰も彼もの死に様を気負いすぎるんはおんしの役目と違う。みんな、己の命にゃ己で納得してやっとるんじゃ」
色々と言いたいことはあったのだろう。
とりあえずそれだけ言って、それからルゥナの伝言を聞いた。
作戦を立てる中で、考えてはいけないがどうしても頭を過ぎることもある。
ユウラがいれば。
彼女の声の魔法があれば、敵の誘導ももっと楽だったろうとか。
そんな思いに、何だか嫌になるのだ。
結局自分はユウラのことも、使える手段の一つとしてしか見ていなかったのではないかとか。
あの時流した涙は嘘ではなかったと思うのに、自分がひどく冷血な性分に思える。
セサーカは、アヴィの為なら何を犠牲にしてもいい心を固めていた。
それを正しいと思う気持ちと逆に、本当にそれだけでいいのかと湧いてくる気持ちは、ルゥナの弱さなのだろうか。
答えてくれる誰かはいなくて、ただ淡々と今出来ることとすべきことだけを並べた。
訊ねたら、ウヤルカは答えてくれたのかもしれない。
※ ※ ※