第167話 無辺の鳥籠
「影陋族ごときが!」
「さっさと他の門を回れ!」
「道が塞がってるんだ馬鹿野郎!」
意味もなく町を壊したわけではない。
要所要所、連絡しにくいよう建物を崩して瓦礫を作った。
回り込めないほどではないが、多くの兵士が移動するには不便になるように。
イジンカの町は人間の拠点としては最前線。相応に守りの備えもされていた。
背後になる西側は海になっている。町の北に切り立った崖が聳え、そこを始点に南に向けて城壁が築かれている。
人間の町でもこうした堅牢な城壁を持つところは多くはない。大都市か、他国との境界か。
急峻な岩壁側は、ごつごつした岩肌の立ち入りにくい地形が海まで続いている。北に道はない。
城壁の南端まで行くと、海との境に巨大な灯台が建っている。
門以外の場所から出入りしようとすれば、普通の者の背丈の三倍近くの高さの壁を飛び越える必要がある。
正門と思われる一カ所を残し、その他の門は瓦礫で塞いだ。
人間はこの二日の間にある程度まで瓦礫を除いていたが、門は開かない。
瓦礫ごしではわからない程度に門扉を歪ませておいた。巨大な鉄の扉が歪めば開かないし、簡単に取り外すことも出来ない。
敵の数は脅威だ。まともに戦って勝てる差ではない。
なら、勝てる数に調整すればいい。
一つの門からであれば出てくる敵の数は限られる。サジュでもそうだったように。
堅牢な城壁が邪魔をしてくれる。
城壁を乗り越えようとする敵もいるが。
「うっ」
「ぐぁ!」
そこは恰好の的だ。
ニーレの氷弓や、他の戦士たちも弓矢や投石で城壁に登った敵を撃つ。
階段も壊してある。登ってくる場所も予想がしやすく、それ以外については上空のウヤルカが監視していた。
それでも溢れてくる分については、メメトハの出番。
「真白き清廊より、来たれ冬の風鳴」
よく使っている絶禍の嵐に比べれば威力は弱い。
とはいえ、メメトハが使えば氷点下の吹雪をかなり広範囲に渡り吹き付けることが出来る。
飛び降りようとした兵士の足元を凍らせ、視界を奪い耳を凍らせる。
バランスを崩して落ちた兵士は、それだけで足や首を折る。悲鳴と呻き声が城壁の下に重なった。
「全て殺さなくともよいのじゃったな」
城壁の反対側に落ちた兵士もいる。
死んだ者もいるだろうし、そうでない者もいるはず。
それでいいとルゥナは言っていた。いずれ殺すにしろ、敵に負傷者が増えるのは好ましいのだと。
死んだ兵士にそれ以上の気遣いはいらないが、負傷した兵士は負担になるという。
見捨ててしまえば士気が下がり、生きている兵士が言うことを聞かなくなる。
足を折る程度の怪我が、死ぬわけでもないが自分ではどうにもならないという加減でちょうどいいのだと。
「よく考えるものじゃのう」
一匹の兵士を動けなくして、他の兵士がそれに手間を取られる。
ただ殺すよりも効率よく足枷となってくれて、こちらとしては都合がいい。
ウヤルカもそれはわかっているのか、時折急下降して城壁に立った人間の肩腕を斬り落としていた。
魔法使いを優先して狙って、戦えない程度の怪我をさせる。
そしてすぐに離脱。
ウヤルカの飛ぶ先を、唸りを上げて槍が貫いた。
「しまっ」
凄まじい速度と威力。
敵の中にも当然強者がいる。飛翔するウヤルカとユキリンを脅威とみて狙われた。
かくんっと、ユキリンが軌道を変えた。
やられたのかと思ったが、そのまま方向を変えて飛び、また角度を変えた。
かろうじて躱したらしい。
英雄級までではなくとも、突出した力を持つ敵。
ただ数だけが脅威なのではない。メメトハやウヤルカが単独で立ち向かうには危険な相手がいる。
アヴィやオルガーラであれば一対一で負けることはないだろうが、その一対一という条件だって敵が許すはずもない。
集団の中に、見分けはつかないが強者が混じる。これも厄介だ。
ウヤルカが距離を取った隙に、十数の兵士が城壁を飛び越えてきた。身のこなしから見てかなりの手練れ。
精鋭部隊なのだろう。
かなり長大な城壁だ。北の崖から灯台までメメトハの足で五千歩(2.5キロ)ほどある。
全てを押さえることは出来ない。漏れてくる敵もいるのは仕方がない。
配置が悪かった。メメトハのいる場所より北で魔法を放つには少し遠い。
南なら良かったのだがと思うが、そこまで敵の動きを操作できるわけでもないのだから仕方がない。
「ぬかったわ!」
「構わぬ! 今の投げ槍に気をつけよ!」
上空から投げられた声に答えながら走った。
メメトハはこの中では三番手だ。
アヴィとオルガーラに続く実力者。彼女らと力の差はあるにしろ、他の戦士たちよりは強い。
オルガーラが戦士たちを率いて門から出てくる敵を倒している以上、他への対処はメメトハがやらねば。
「敵も手練れじゃ、気を付けよ!」
「わかっています!」
メメトハと共に駆けるのは年若い少女たち。
サジュの町で、イバという少女が集めたオルガーラを慕う集団。
歴戦の戦士に比べれば力に劣るので、前線には立たせていなかった。遊軍として状況に応じた戦闘をということにしていたが。
先の戦いの残敵掃討でそれなりに力は得たかもしれないが、敵の精鋭と戦うには不安が残る。
「冷厳たる大地より、渡れ永劫の白霜」
少しでも助けになればと、敵兵の足元に向けて氷の魔法を放った。
広範囲の地面を凍らせる魔法。夏の大地は湿度が高く、思ったより良い具合に氷が広がった。
「うべっ」
続いて城壁から飛び降りて来た兵士が足を滑らせ、勢いよく転んで後頭部を強打する。ついでとしては上出来だ。
「人間どもを殺しなさい!」
「トワ姉様の為に!」
オルガーラを慕って、と聞いているのだが。まあなんでもいい。
「影陋族の小娘どもが!」
「甘くしてりゃつけあがりやがって!」
いつ誰が、清廊族に対して甘くしたというのか。身勝手なことを言う。
清廊族に対して人間が配慮を示したことなど一度もない。断じて。
「無理をするでない! 敵の武器を止めることが第一じゃ!」
敵兵を止めてくれればそれでいい。
格上の敵でも、倒そうとしなければ多少は持ちこたえられる。
「極冠の叢雲より、降れ玄翁の冽塊」
メメトハが高く掲げた杖が、頭上から雹の嵐を放つ。
「ぶっ」
「ごぁ!」
広範囲に渡るようにした為に、一撃ずつの威力は少し弱まった。
イバたちと切り結んでいた敵兵の頭の上を抜け、その後ろの敵を撃つ。
少女らに当てない為に敵の先陣は素通りしてしまったが、後ろの兵士の悲鳴に気が逸れた。
その隙に、少女らの殺意が兵士たちの腹や喉を穿つ。手にした短剣などで倒し、あるいは手傷を負わせる。
「ちくしょうが! こんな奴らに」
「一度退け!」
戦列を保てないと見た敵から、押すことよりも態勢を立て直すよう指示が飛んだ。
敵が後ずさりすると聞いた。だから。
戦い慣れない少女たちが先走るのを止めなければと、メメトハの目線が敵から逸れた。
メメトハは強力な魔法使いだ。こちらがそうするように、人間とて戦いの際に狙う優先度が高い戦力。
そして、城壁を飛び越えてきた敵は精鋭だった。
その中にメメトハにとって脅威となり得る個体が紛れていても不思議はない。
「っ!」
殺意を感じたのは、既に手遅れになってから。
先ほどのメメトハの魔法をいなして、横に跳んでいた敵兵。人間の戦士。
凍っていない足場から、超速の一足でメメトハに向けて斬りかかっていた。
「しま」
振り下ろされる刃を躱せない。
魔術杖を盾にしても、この勢いでは杖ごと真っ二つだ。
それらを頭で理解しながら、気を逸らした自分を悔いる。ぬかった、と。
「ふ」
命のやりとりをするには、気の抜けた息。
と同時に、甲高い金属音が響いた。メメトハの肌に触れる直前で。
「むぅっ!」
訝し気な音を漏らしながら、続けての激しい連撃も金属音に弾かれる。
「貴様!」
「……」
返事はない。
ただ無言で、両手に持った包丁で敵の剣を弾くトワ。
「俺の剣を防ぐとは!」
メメトハを討ち取ろうとした敵だ。相当な強者であったことは間違いない。
その剣撃を弾く銀色の娘に、敵だけでなくメメトハも僅かに目を奪われた。
守りに特化したトワの技術。
前にも見たことはあったが、二本の包丁で攻撃を捌くトワの守備力は極めて高い。なかなか攻撃には移れないが。
「まだこれほどの奴がいるのか!」
「天嶮より下れ、零銀なる垂氷」
呆けている場合ではない。トワが稼いでくれた時間だ。
いつのまに近くにいたのか知らない。イバ達の集団に紛れていたのかもしれないが気づかなかった。
トワを崩せないと見た敵が後ろに跳ぶところに、氷柱の魔法を打ち込む。
敵は油断していない。トワが追ってこないことを見ながら氷柱の数本を切り払い、残りを躱した。
「冷厳たる大地より、奔れ――」
無駄かと思いつつも、出来ればこの強敵は倒しておきたいとさらに詠唱を紡ぐ。
「無辺の伏篭より、泥め唾棄の清澱」
トワが紡いだ。
両手にあった包丁を空に投げ、腰にあった小さな杖を手にして。
包丁を手にしていたトワが追撃の姿勢を見せなかったことと、メメトハの魔法が敵の注意を引いた。
その隙間にトワが紡いだのはメメトハに心当たりのない詠唱。
だがその効果は明白。跳ぼうとした敵の足がずれ込み、体勢が大きく崩れる。
「――奔れ永刹の氷獄!」
唱えたメメトハの言葉に応えて発現する。
地面から立ち上がった氷の塊が、敵の半身を捕らえた。片手片足が氷の塊の中に。
「くそ、がぁっ!」
「糞はおぬしじゃ!」
ぬかるんだ足場に囚われながら半身でも逃れたのは、やはりこの男が強者だったからだろう。
魔法を唱え終わったメメトハが、先ほどの仕返しに飛びかかる。
「大地の肥やしとなるがよいわ!」
「ぐひゅ……」
氷から出ていた顔を、顎から上に思い切り蹴り上げた。
魔法使いとは言ってもメメトハの筋力も決して並どころではない。
男の首はあらぬ角度に曲がり、最後の息を漏らしてからだらりと垂れさがった。
「……ふぅ」
その間に、生き残った敵兵は少し北に離れ、さらに城壁から降りてくる兵士を助けている。
殲滅できなかったが、仕方がない。
「すまぬ、トワ」
命を救われた。
「感謝するぞ」
「いえ、別に」
空から落ちて来た包丁を器用に掴みながら、角度が少しずれたのかその場でくるりと回転しながら。
銀色の髪が、ふわりと。
絵になる女だと思う。本当に。
清廊族にしては非常に珍しい風貌。金髪のメメトハもそうだが、トワは際立っている。
南部の、珍しい血筋の清廊族なのだと思うが。
「貴女に死なれては困りますから」
何でもないように言って、包丁を腰にしまった。
正面切っての戦闘ならメメトハよりいくらか下だけれど、トワの戦い方は独特なもの。ただの力比べで勝てるものではない。
そういえば、メメトハはトワに先日きつい言葉を発してしまった。ヌカサジュでティアッテを見て。
あれからきちんと話せていない。決してメメトハが間違っているとは思わないが、少し決まりが悪い。
「その……先ほどの魔法は、どういうものじゃ?」
体裁の悪さを誤魔化そうと、話題を逸らす。
「泥の魔法のようじゃったが」
魔法に興味を示すことは不自然ではないだろう。
「あれは……そうですね」
トワが考えを巡らせ、ふと口元に笑みが浮かぶ。
「童話ですよ。人間の」
トワは人間の施設で生まれ育った。
人間の童話や神話を耳にしたこともあるだろう。
「女神の檻、だとか」
皮肉気な笑みは、何を蔑んでいるのか。
「この世界は全て女神の鳥籠。女神の吐いた唾が泥となり、哀れな畜生の足も心をも捕らえるのだと」
カナンラダの童話ではないけれど。
女神となれば世界全てに影響を及ぼすか。アヴィの呪いも女神の目が届く限りに効果があったと言うし。
「大地も水を吸って柔らかかったですからね」
「そうじゃな」
清廊族でも詠唱を紡げば女神の力を使うことも出来るのかと。
可能だからといって積極的な気持ちにはなれないが、利用できるのならそれでいい。
トワの力がなければ倒せなかった。
メメトハとトワと、力を合わせて倒せた強敵。名も知らぬが、人間の中で中心的な存在だったはず。
北に離れた敵が、数を増してこちらに再び向かおうとしている。
あれだけの強者がいなければ何とかなりそうだが、まだ壁を越えてくる兵士の姿もある。抑えきれないか。
「南も、動きがあるようです」
「ああ」
メメトハ達は正門より北で戦っている。
南側の城壁はニーレ達が見ているが、それだけでは足りない。敵の数は多く、こちらの印象では無尽蔵に湧いてくるのだから。
「船、か」
港には、使える船があっただろう。
城門の出入りに困窮する人間が、船を使ってこちらの後ろを突こうとするのは当然。数だけなら向こうが多いのだから。
大きな船は既に逃げ出したりしてほとんどなかったが、残っていたものは破壊した。
利用するにもメメトハたちには大型船を扱う知識がない。使えないのだから残す意味はない。
小型の船まで、全て壊して回るのは労力的に無理だった。
「ルゥナ様の言う通りですね」
「全くじゃな」
戦禍に近い村で育ったルゥナは、幼い頃から考えていたのだろう。
どうやったら人間に勝てるか。敵はどう動き、こちらはどうしたらより良い結果を得られるか。
考え続けて、それを実行する力を得て。
生きてきた時間を無駄にしない。過去の経験を未来に繋げている。
「なら今しばらく、あの兵士どもを食い止めるぞ」
「お手伝いします。イバ、貴女達も」
「はい、トワ姉様!」
最初のメメトハの魔法で倒れていた兵士に止めを刺すなどしていた少女隊が、トワの言葉に嬉しそうに返事を返した。
返り血で頬が汚れていて、美しい狂気を感じさせる。
「……」
頼もしいのだけれど。
どこか、トワと関わる何某かに不安を覚えてしまう。
ティアッテのことがあって、メメトハが気にしすぎているだけなのか。
イバを筆頭にした少女たちの戦意は高く、案外と統率も取れているように見える。
トワやオルガーラ以外の命令でも、嬉しそうではなくとも素直に従うのだから。心配はない。
「トワ、妾が合図をしたら先のぬかるみの魔法を頼んでよいか?」
確認してしまったのは、やはり胸中に不安があったからだろう。
「ええ、いつでも言って下さいね」
トワの答えは澱みなく、素直で。
だから妙に不安を覚えるのだ。
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