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戦禍の大地に咲く百華  作者: 大洲やっとこ
第一部 傷に芽吹く火種
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第15話 逃げる者と追う者と



「ルゥナ様! これで十匹です!」


 銀色の髪と頬を泥と返り血で汚しながら、実に誇らしげに振り返るトワ。

 その手に握られた包丁もだが、肘の辺りまで血みどろになっていた。


 元の肌が雪のように白いせいで、赤黒い血が妙に艶めかしく映る。

 少し疲れたのか手の甲で頬を拭うと、余計に血の跡がトワの顔に広がった。



「ええ、見ていましたから」


 トワが仕留めたのは巨大な鼠の魔物だ。巨大とはいえ、ルゥナの膝よりも少し大きい程度だが。

 この辺りには多いらしい。


 ニーレの弓は、三回に一度ほど当たる。

 下手なのではない。素早く小さな魔物に当てているのだから、彼女は弓を使うのに向いているのだろう。


 矢に限りがあるので、外した矢も含めて回収しているが、傷んだ矢の代わりは移動しながら木を削って作っていた。

 矢羽根をつけたりは出来ない。粗製の矢では命中率も落ちてしまうだろうが、今は仕方がない。



「私はまだ五匹だよぅ」

「いえ、ユウラも頑張っていますよ」


 トワと比較して落ち込むユウラに慰めるような言葉をかけた。

 ユウラは最初の一匹目に少し手間がかかった。

 生き物を殺すということへの抵抗感。


 弓と違って、彼女が持つ手斧では命を奪う感触が直接伝わってしまう。

 最初から何の抵抗もないように包丁を突き立てるトワの方が珍しい。



「ルゥナ様、私も頑張っています」


 ユウラにだけ優しい言葉をかけたことが不満だったのか、トワがルゥナの前に速足できて口を尖らせた。


「そうですね。トワは本当に素晴らしい戦士になれそうです」

「本当ですか?」

「嘘のつもりはありませんが」


 少し危ういとも思っているけれど。


 魔物相手とはいえ、血塗れになって笑うトワを見て、同行している他の清廊族の表情が硬くなっていた。

 共に戦うと言ってみたものの、こんな風になれるとは思えない。断られて良かった、というように。


 トワは純粋だ。ルゥナの言葉に従って褒められたくてこうしている。

 呪枷なしで主人に従っていたことも原因になっているのか、主と定めたルゥナの意に沿って魔物を殺すことに躊躇いがない。



「ですがトワ、言ったでしょう。出来れば食料に出来るよう首を刎ねるか心臓を突くように、と」

「すみません、ルゥナ様。つい気が動転してしまって……」


 気分が高揚して、の間違いだと思う。

 包丁で滅多刺しにされた大鼠の体はひどく損壊していた。



 森の中には当然魔物がいる。

 強い個体もいれば弱い個体も。


 道を進んでいるわけではないので、茂みや木々が邪魔になり、そこにも魔物が潜んでいることがあった。

 先導するミアデとセサーカが邪魔な茂みなどを切り払い、荷車が通れる道を開いていく。



「天嶮より下れ零銀の垂氷」


 セサーカの魔法が生み出し掌ほどの氷柱が、ルゥナより頭二つほど大きな体躯をした大熊の喉に突き刺さった。

 あれはさすがにまだトワ達には相手に出来ない。


(氷柱、大きくなっていましたね)


 彼女らも成長している。森を進んで三日ほど経つが、魔物を倒すことでも力は増していくことが改めて確認出来た。

 ルゥナやアヴィはなるべく手を出さないようにして、彼女らの成長を見守ると同時に、他の清廊族の安全に気を配っていた。




「アヴィ、もう一度」


 皆が通り過ぎた後に出来た道に、アヴィが力を込めた手刀を振り払う。


 本来の力ではないとはいえ、相変わらずその力は強大だ。

 森に出来た獣道が深く抉られ、そこにあった土やらが飛び散った。


 落とし穴。

 夜なら気付かないかもしれない。


 追手がかかったとして、少しでも相手の戦力を削れるように。また落とし穴を警戒して時間を稼げるように。


 わざと斜め下に向かって掘るようにしている。

 落とし穴に気が付いた人間の兵士がそこで足を止めたとして、その下が空洞になっていたら重量で崩れることもあるだろう。


 致命傷にはならなくても、嫌がらせになるだけでもいい。怪我をしてくれたらそれもいい。


 追手は来ないかもしれない。だがそれを期待するのは愚かなこと。

 進む足の遅い行程に、ルゥナが油断することはなかった。



  ※   ※   ※  



 四人目の獣がいた。

 崩れる山から逃れた四人目の獣がいた。


 涎を垂らし、胸を掻きむしりながら走るそれの目は充血しすぎたせいか黒く染まっていた。


「ずふぇえええっうっ、ずひぇぇええっ」


 激しく呼吸を繰り返し、のたうち回り、どれほどの時間をその獣が過ごしたのかはわからない。


 四人目、と言った。

 それは以前は人間だったが、既に理性も思考力も失った獣の様相に成り果てている。


 山から落ち延び、のたうち回りながらそれは命を繋いでいた。

 草を土ごとくらい、水溜まりに顔を突っ込み、目に付いた魔物に食らいついて。


 かつてラザムと呼ばれた男は、自分がそうであったことも忘れて、生きる為だけに荒れる獣に成り果てていた。


 黒涎山に勇者シフィークと共に入った闘僧侶の男だったことなど、今はもう誰もわかるまい。



  ※   ※   ※ 



「どぅわっ、ぶ、ぶっ」

「だ、大丈夫ですか閣下!?」


 大地に飲み込まれた上司のことは心配していない。

 心配するのは自分のことだ。

 機嫌を悪くした上司の八つ当たりを受けるのではないか、と。



「くっそ、う、ぎゃあぁつなんじゃこりゃ!」


 と、心配しないでもいられない悲鳴なのか悪態なのかが上がった。

 英雄ビムベルクが悲鳴を。


「くっそ、このくそ! ああっ、ツァリセ! なんとかしやがれ!」

「どうしたんです?」

「ちっくしょう、ブラックウーズだ! くそ、このっ! いででで、溶ける溶けるっ! ツァリセ、焼き払え!」


 上司も一緒でいいだろうか。

 まあいいか、別に死にはしないだろう。


 ツァリセが炎の魔法を放つ前に、泥と粘液に塗れたビムベルクが穴から這い出してきたことを、安堵すればいいのか残念に思えばいいのか。




「くっそ、これで四度目だぞ」


 土と粘液を払い、火傷したように腫れている手をふうふう吹いているビムベルクが悪態をついた。

 四度目なのは知っている。ずっと見ているのだから。


「よくもまあ四度も落ちられますよね」

「ちょっ、ツァリセ様……」


 窘めるように言いかけたスーリリャだったが、耐え切れずにくすくすと笑い声を漏らした。

 ツァリセとすれば本当に感心しているだけだ。ビムベルクの間抜けさに。



「くそが……この落とし穴考えたやつぁとことん性格わりいぞ」

「非常に有用ですね。足止めと嫌がらせ……ブラックウーズは、ただ集まってきただけでしょうが」


 森の中で視界が悪い。

 木の葉やらに紛れた落とし穴に気付くのは遅れるし、足を止めたところで地面が崩れるなど。


 英雄たるビムベルクが負傷するほどではないが、少なくとも遅滞させることは出来るし、精神的にも削られる。


 落ちた後しばらくはツァリセに先導するように命ずるのだが、そのうち勝手に前に行くので放っておいた。

 まあ死にはしない。スーリリャが落ちた場合には危険があるかもしれないので、落ちるならビムベルクが適任だろう。


 別に落ちなくてもいいのだが、どうも性格上敵の罠には全部引っ掛からないと気が済まないようだ。



「この落とし穴も、もう五日以上……十日くらい経っていますかね。もう無理ですよ、隊長」


 諦めて帰ると言ってくれないだろうか。

 いくら本部に事件の調査に行くと連絡したとはいえ、許可を得たわけではないのだから。


(いやぁ、本部の人たちからしたら隊長が戻らない方が気が楽かも)


 結局、押し付けられるのはツァリセなのだ。

 英雄の副官という立場には苦労が多い。

 泥まみれの体を振って泥を跳ね飛ばす上司の嫌がらせに、ツァリセはスーリリャと共に逃げた。


「お前らも汚れろ!」

「ちっちゃいですよ、男が。英雄のくせに」

「ひゃあっ」


 やっていることは子守りのような気がする。




「牧場に行ったのも手遅れでしたし、かなり先行されていますから。簡単に追い付けないですよ」

「あの兵士さんたちはいいんですか? 川の反対側を行っちゃいましたけど」

「どうしようもないですね。連絡手段もありません」



 牧場が襲われる可能性を考えたビムベルクだったが、即座に牧場を目指す――とはならなかった。場所がわからない。

 牧場はあまり無関係な人間を入れたがらないのだから、場所を公にしていない。


 わかっているゼッテスの屋敷を訪れたツァリセ達だったが、タイミングが悪かった。

 ビムベルクからすると、最高のタイミングだったということになるが。


 牧場が襲われた。

 ゼッテスは殺され、影陋族は逃げ出した。

 そんな報告が飛び込んでくる。



 レカン周辺はルラバダール王国所属領であり、王国の治安維持を担う責任はエトセン騎士団にある。

 大義名分を得たビムベルクはすぐさま人を雇い、レカンの詰め所から騎士団本部に報告を走らせた。


 治安維持の為、これより緊急任務に入る、とか。

 ゼッテスの家からも要請があって、レカンの兵士たちや雇われ冒険者も犯人を追うことになったのだが。



「相手は赤ん坊までいるって話だ。追い付けないわけがねえ」

「こっちにも婦女子がいるんですよ。一人で追えばいいじゃないですか」

「お前、スーリリャに何するつもりだ」


 上司に性犯罪者予備軍みたいな扱いをされた。



「そんな、大丈夫ですよ。ツァリセ様なら」

「あのな、こういう澄ました顔してる奴が実は一番エロエロなんだ。僕の鼻毛抜いて下さいとか要求されっぞ」


 何かもっと違う方向でも誤解がある気がする。

 女の子に鼻毛を抜かせて喜ぶ性癖なんてないだろうに。



「……」

「いや、僕の鼻を見つめなくていいですから。……抜きたい、ですか?」

「滅相もない! 遠慮します」


 遠慮とかそうでは……だからそうではなくて。

 脱線した話を戻す。


「いずれ追い付くかもしれませんが、どこまで追うつもりなんです? 山に入る準備なんかしてませんよ」

「そりゃあ、なぁ……」


 さすがにビムベルクも山に入ってまでの捜索は考えていない。

 町から出た追撃部隊は見当違いの方角に進んでいったので、彼らが追い付くこともないだろう。


「別に俺はゼッテスの野郎の仇討だとかは考えてねえんだが、これ以上騒ぎがでかくなると、なぁ」



 影陋族が人間を襲い牧場の奴隷を解放したとなれば、その影響がどう出ていくか。

 スーリリャの表情は冴えない。


 他の影陋族への風当たりが強くなることも懸念されるし、北西部での戦いが激化することも考えられた。

 そうなる前に解決を図ることで、影陋族と人間との対立を少しでも抑えようと考えているだろう。



「……追っている方角は、こっちで正しいというわけですね」


 とりあえず現状の中でも良い点を挙げてみる。

 複数の足跡や荷車の轍もあった。

 落とし穴があるのも追手を気にしてのことだ。追跡はこれで間違っていない。


「閣下、私のことなら気にせずに……別に、平気ですから」


 ちらりとツァリセに視線を落としてから、首を振る。


「スーリリャ、お前……」


 悲壮な覚悟を感じ取ったのか、ビムベルクも息を飲んだ。


「いやいや、大丈夫だからね。何を気にしているのかわからないけど、本当に危険はないから」


 なぜかツァリセがスーリリャに如何わしいことをする前提で話が進んでいる。

 ツァリセも成人男子としてそれなりに性欲はあるけれど、英雄のお気に入りに手を出すほどの命知らずでも飢えた野獣でもない。


 むしろビムベルクがいない間なら全力でスーリリャを守らないと、掠り傷でもつけたらどれほど酷い目に遭うか。


 

「……仕方ねえ。ちょいと強引だが、我慢してくれや」

「え、きゃっ!?」


 可愛らしい悲鳴を上げて抱き上げられる少女と、にやっと笑う英雄。


「お前だって、こんなこと早く終わらせてぇんだろ」

「閣下……」


 森の中で、ほわんとした雰囲気を作って見つめ合う二人。


 女性一人を抱えて森を走るなど正気ではないと思うが、それを言うなら最初から正気ではないのだった。


 どうも、やはりツァリセの仕事は増えそうだ。

 面倒くさい。


 これで功績でも上げたら、ビムベルクの副官ではなくて、五番隊の隊長の椅子でも空けてもらえないだろうか。

 そういう約束でももらえたらやる気も出るだろうに、色々考えてみてもそんな未来はありそうになかった。



 ツァリセの葛藤など他所に、二人の気持ちは固まったようだ。


「しっかり掴まってろ。よぉし、行くぞツァリセ」

「はいっ」

「駄目です」


 駆けだそうとするビムベルクに、いつものことながらストップをかけた。


「なんだぁ? 今更雨だなんだとかはどうでもいいぞ」

「あのですねぇ、さっきまでは別にどうでも良かったので言いませんでしたけど」


 ちょいちょいと足元を指差す。

 ビムベルク一人で先行する分には構わないのだが事情が変わった。


「スーリリャまで落とし穴に落ちるのは、良くないでしょう」


 お姫様抱っこしたスーリリャごと穴に落ちるのは危険だし、泥まみれになったら可哀そうだ。



「……なんでさっきまでは言わなかったんだ?」

「さあ、僕が先導しますからついてきてください」


 些細なことを気にしていたら、敵はどんどん逃げてしまうのだから。



  ※   ※   ※ 


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