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戦禍の大地に咲く百華  作者: 大洲やっとこ
第四部 遺す意志。消えぬ声
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第158話 商家の令嬢



 イオエル・ユーガルテ。

 カナンラダ大陸最大の商家であるミルガーハ家の家令を務める一人で、血筋に連なる傍系でもある。


 齢三十を過ぎたイオエルは、主家の補佐としてそれなりに重要な商談を任される立場になっていた。

 巨大な商家であり、その影響力は下手なカナンラダの地方領主を凌ぐほど。当主が出向くようなことはほとんどない。


 成金の一族と蔑まれることもある。

 それを嫌ってか、ロッザロンド大陸から高貴な血筋の妻を迎えたことも。

 遡れば統一帝の血を引く令嬢を娶り、偉大な血を一族に入れたこともあったのだと。


 イオエル自身にもその血はいくらか流れている。

 その為か、荒事にもそれなりに対処できる力があった。それほど発揮する機会はないが。

 百五十年の歴史の中で、強い血を引く貴族とも血縁を結んできた。



 カナンラダ大陸で莫大な富を築き、それを守る為の力を得るのに金を使う。

 金と力と立ち回り。それら揃えてのミルガーハ一族の隆盛の歴史。

 揺るがぬだけの基礎を築き、ただ心配事といえば内部分裂の方だ。この懸念はどうしようもない。


 ある程度栄えた者が自壊せぬよう、外へと活路を見出すのは自然のこと。

 ロッザロンド大陸から新大陸を求めたように。

 イスフィロセ、アトレ・ケノスの勢力圏である西部から、中央へと。


 やり過ぎたのだろう。栄え過ぎた。

 ルラバダール王国はミルガーハ家を警戒し、その領内での商業活動を制限している。


 国よりも大きな力を持ちかねない商人など警戒されて当然。

 そういう事情からか、ルラバダール側には個人で極端に大きな商会などはなかった。ある程度大きくなれば税やら法やらで削られる。



  ※   ※   ※ 



「エトセン公ワットマ諸令閣下からの御依頼をお受けできるのであれば、当方としては至上の喜び。僥倖に存じます」


 イオエルが頭を下げるのを、ただ素直に受け止めるような相手ではない。

 腹芸。駆け引き。

 既にこの話の主導権はミルガーハ側にあるにしても、一応の礼は示す。


「とはいえ、いささか大きなお話でもあります」

「これだけの額の話。大陸中を探しても取り合える者も少ないでしょう」


 エトセンの財務官がイオエルに言うが、嘘だ。

 少ないのではなく他にいない。少なくとも、単独でまともに対応できる財力がある者はいない。



 桁違いの借金の依頼。

 領内の複数の豪商を相手に頼むか、ミルガーハに頼むか。

 天秤にかけた上で、外に求めた。内側の勢力が強くなりすぎるのを嫌って。


 政治と経済の関係は非常に近く、バランスが難しい。

 偏り過ぎることを怖れ、領内では影響力の少ないミルガーハに借りを作る。別の場所に重しを置いて均衡を保とうと。



「名うての大商人、ミルガーハ家であればこそ可能かと」

「諸令閣下の御役に立つ機会を与えていただき、当家当主ニキアスに代わり御礼を申し上げます」


 どういう意図であれ、きっかけは有難い。

 大きくなりすぎた一族の権勢をどこに進めるか。ロッザロンド大陸には古くからの商売人の繋がりがあって難しい。


 ルラバダールやその東に進む。ミルガーハを規制されるのなら名を変え強引にという考えもあったが、手掛かりを作ってもらえるのなら助かる。


 相手も、そういう事情はわかってのことだろう。

 ミルガーハに悪い話ではない。巨額な貸し付けになるが、採算を取りつつ進路も確保できる。

 時機を見た交渉。エトセンの官僚も愚鈍なばかりでは務まるまい。



 ただ頷くだけでは家令イオエル・ユーガルテとしては情けない。交渉とは言えない。

 相手の弱味に付け入り、最大の利益を得る。

 それも悪くはないのだが、今回はあえて緩ませてもいいという判断もあった。


 地盤の弱い地域に、そこの領主自らが足場を作ってくれるという。

 その足場をより強く広くするために、最初は緩く話を進めることで相手の警戒心を下げる。


 なに、時間はいくらでもある。

 強行ばかりが交渉ではないことを知るのも、ミルガーハが長く商いを積み上げてきた歴史だった。



「ということで、よろしいでしょうか」


 イオエルは、話の向きを変える。


「お嬢様」


 自分の隣に座り、ワットマと正対する少女に。



「アタシはどっちでもいいんだよ、最初っから」

「お嬢様、諸令閣下の前です。どうかいつも通りのお振る舞いをお願いいたします」

「いつも通りってならこうだろうが。バカ」


 ぶ、と。

 ワットマの後ろに立つ騎士が声を漏らした。

 やれやれと言った顔で、ワットマ自身も苦笑を浮かべている。


 不敬な態度だが、慣れているのかどうなのか。金を借りたいと頼む相手だから許しているのかもしれない。



 ミルガーハ家は貴族ではない。商人……の中でも、どちらかと言えば世間では悪辣に呼ばれがちの一族だ。


 貴族家に嫁いだりした者もいるが、本家の評判を繕わずに言うのなら悪徳商人。

 お行儀が良いわけではない。

 それでも一応は教育している。イオエルは貴族相手には相応の態度を取る。


 ただミルガーハ本家筋となれば、他人に頭を下げたり顔色を窺うようなことはほとんどない。

 特にいずれ当主になるだろう有望な子なら、周囲の人間が上級貴族を扱うようにするのだから。



「ハルマニーお嬢様、おやめください」


 恥ずかしい。

 さすがに場を弁えないのは、仕える者として恥ずかしい。

 そうならないよう、道中言い含めてきたつもりなのだけれど。


 聞いちゃいない、ということだったのだろう。

 口喧しい目付のイオエルの言う話など、右から左に。


 当主である少女の祖父は、大きな商談の決定権という役割と共に経験をさせようとしたのだと思う。

 だが、どうも当主の期待には応えられそうにない。



「ニキアス様が見たらなんと仰られるか」

「じい様なら、アタシが自分の言葉で話すって喜ぶだろうぜ」

「……」


 言いそうだ。あれは孫娘に極端に甘い。


 ハルマニー・ミルガーハ。

 ミルガーハの次々世代の当主と目される二人のうちの一人。

 彼女の教育係兼目付として同道しているイオエルは、正直なところ貧乏くじだ。



「スピロ様が……ゾーイ様がお叱りになりますよ」


 ふんと口を結んでいたハルマニーが、やや顔を顰めた。


「母様は関係ないだろ」

「関係あります。私はお嬢様のことをゾーイ様から言付かっておりますから」

「わ、悪かったよ」


 父の名前よりも母の方が効果が高いのは、刷り込みというやつだろう。

 やはり男親は娘に甘い。苦手意識なら母親の方が強い。


「私にではなく、諸令閣下にお願いします」


 自分に謝ってほしいわけではない。取引相手の貴族へ相応の礼議を示してほしいだけだ。



「ああ、その……申し訳ありません。エトセン公……閣下」


 名前を覚えてもいないのか。

 無礼にもほどがある。


 エトセンの財務官はあからさまに顔を顰め、後ろに立つ騎士は体を震わせて隣の女給に抑えるよう小さな手の動きで窘められていた。


「構わぬよ、ハルマニー殿」


 ワットマは寛大だった。

 というより、現状が見えているということなのだろう。

 エトセンの状況にも余裕は少なく、今は影響力の強いミルガーハと関係を悪くするべきではないと。


「エトセンとネードラハの間はあまり道もよくない。遠路での疲れもあるはず。こちらの気遣いが足りなかった」

「寛大なお言葉、主に代わり感謝いたします」


 これ以上喋らせると碌なことにならなそうで、イオエルが言葉を接ぐ。



「これまであまり行き来もなかった間柄だ。文化の違いもあるだろう」


 貧乏くじだ。

 ハルマニーではないもう一人の候補なら、こう酷いことはなかっただろう。


 ニキアス達の考えはわかっている。

 こういう性分のハルマニーを新規開拓事業に出して、もう一方――姉のリュドミラに現在の地盤を継がせる。

 既にそういう算段はついているのだ。


 何があるかわからない。

 ハルマニーは新規開拓の旗頭の予定で、ついでに本家跡取りの予備。

 本家直系に不測の事態がある可能性も考えれば、切り捨てられない事情もある。



「気遣いって言ってもらえるんだったら」

「お嬢様」

「構わぬよ、聞こう」


 何か言い出した暴走少女を遮ろうとしたが、今度はワットマから止められた。

 言いたいことがあるのなら聞こうと。


 余計なことを言わなければいいのだが。

 商売人の才能については期待できないハルマニーが、何か良い恰好をしようと余計なことを。

 余計なことしか言わない気がする。


「そっちの騎士……冒険者、か?」

「あ?」


 ワットマの護衛の騎士に向けて、強い目を向けた。

 冒険者のわけがないのだが、確かに騎士と言われるより雰囲気は近い気がする。


「俺か?」


 呼ばれた男は、虚を突かれたというように首を傾げた。

 ワットマも財務官も、何が始まるのかと興味深そうに見守っている。



「アタシと勝負しろ」

「はぁ?」


 本当に、碌なことにならなかった。

 イオエルの想定していない方向に。




「喧嘩売ってるんだろ。買うぜこの野郎」

「お嬢様!」

「黙ってろイオエル。アタシは貴族じゃねえけど、舐めた真似されて黙ってられるかよ」


 何がそんなに気に障ったのか知らないが、ワットマ直衛の騎士に喧嘩を売るなど予想もしなかった。イオエルが甘いのか。


「私の部下が何か失礼をしたかな?」


 他にも警備はいるが、指名したのはワットマの斜め後ろに立つ男だ。

 立っている姿だけ見ても相当な強者。噂に聞く風貌から照らし合わせて英雄ビムベルクだと思う。


 何に喧嘩を売るつもりだ、この娘は。

 いや、買うのか。売っている様子ではないものを買うとか、大陸一の豪商一族の直系はそういうことも出来るのだろうか。



「アタシらの前に、これ見よがしにそんなもの連れてきて」


 と、示したのは女給。

 男の横に立ち、先ほどからそれぞれに茶を入れたりしていた女。


「呪枷もつけてない奴隷なんて連れて。そりゃあアタシらへの当てつけだろうが」

「あー、いや。わりい……そういうわけじゃねぇんだが」

「嘘つけ!」


 ばん、と卓を叩いて立ち上がるハルマニーに、男は頭を掻きながら困った顔をする。


 卓を壊さなかった。

 ハルマニーの力で本当に怒りによって叩いたのなら壊したはず。

 力加減をしたところを見れば、一応はエトセン公の手前配慮したということ。


 演技か。祖父や両親が時折やるように、怒気を示して交渉を有利に運ぼうと。

 ハルマニーなりに考えて、難癖をつけてみせた。


 考えたというにはあまりにお粗末で、ただイオエルの邪魔をしただけなのだけれど。若年で考えの足りない少女による両親の猿真似というか。



 影陋族の奴隷だ。

 呪枷をつけていない。だが命令には素直に従っているようでもある。

 何も言わずに女給の務めをこなすので、よく見なければそれと気づかなかったかもしれない。


「だったらなんでわざわざ連れてくる? こんな所に」


 ハルマニーの疑念もわからないでもない。やや決めつけが過ぎるにしろ。


「いやな、こっちとしてもあんまり恰好のいい話じゃねえからよ。てき……アトレ・ケノスの商人に金を……協力を頼むってぇのは」


 男が言い繕う言葉は、途中失言を交えながら。

 失言というのならハルマニーも劣ることはない。この勝負の行方はわからない。



「誰でも聞かせられるって話じゃねえ。女官の中にゃ色々あんだろ。そういう繋がりとか」

「知らねえよ」

「ああ、俺も副官から言われただけだ」


 なんだ、似た者同士か。

 見たこともない副官とやらの心中にどこか仲間意識を覚えないでもない。



「んで、こいつならそういう心配はねえからな。それで連れてきたってだけなんだが」

「すまないな、ハルマニー殿。君らは影陋族と関りが深く抵抗が少ないかと。そういう判断もあった」


 ワットマも合わせて他意はないと言う。


 嘘ではないのだろう。

 悪意はなく、情報の流出などをなるべく避ける為に影陋族の奴隷を使った。

 他は、おそらく領主の信頼が厚い部下のみ。


 体裁の悪い交渉をするのだから、出来るだけ秘密裏に。

 どこかからエトセンや近隣の豪商に話が伝われば、蔑ろにされたと怒るか一枚噛ませろと割り込んでくるか。

 面白いことにはならない。



「お嬢様……」


 勘違いの勇み足だ。

 そうわかっても、素直に引き下がれるような性格ではないことも知ってはいるが。


「……うるさい」


 こういう我が侭娘に育ててしまった彼女の祖父には責任を取ってほしい。

 だから跡取り候補として二番手となり、それを察して余計に機嫌が悪いのかも。


「うるさい、勝負だ! 勝負しろ」

「……」


 子供の癇癪だ。

 自分が悪いと認めたくなくて、今まで誰もハルマニーを諫めるような者もいなくて。

 振り上げた拳を下ろせず、癇癪を起している。


 馬鹿々々しい。

 本当に、馬鹿々々しい。これでハルマニーが罰せられるだけなら構わないのだが、イオエルも無事では済むまい。

 交渉が決裂して帰ったとしても、今度は本家から罰せられる。なんという貧乏くじか。




「……受けてやれ」


 救いの手があった。


「ビムベルク」

「はぁ」


 交渉相手から救われる。


 貸しを作りにきたはずなのに、精神的には借りを作ったような気分。

 余計なことを言ってくれた我が侭娘をどうしたものか。



「構いませんがね」

「よぉし、表に出ろ」

「だから表沙汰にしたくねえって言ってるだろ。人の話聞けよ」

「なんだとぉ!?」

「裏の練兵所を使え」


 激昂するハルマニーに、ワットマの声音が少し明るい。

 不利なだけの交渉をするはずが、思わぬ方向に転んだことで気が楽になっているのかもしれない。

 こういう借りを作ると、後の交渉に響くのだとわからないか。わからないからハルマニーなのか。



「ビムベルク」


 やれやれと言う顔の部下に向け、ワットマはやや楽し気に、


「お嬢様に怪我をさせるなよ」


 本当に余計なことを言ってくれて、憤るハルマニーを宥める役のイオエルの苦労をさらに増した。



  ※   ※   ※ 



「……で、何事ですかこれは」

「何事に見えるんだよ?」


 聞き返されて、改めて状況を確認する。


 ――上官が、年若い娘を力づくで手籠めにしている、かな。



「……言うな」

「まだ言ってませんけど」

「言うな」


 眉間を押さえて、頭を弱々しく振るビムベルク。

 英雄のそんな姿を見る機会は少ない。飲み過ぎた翌朝によく見るから、意外と少なくなかった。



「お前、超強いなぁ」


 ビムベルクの胸ほどまでしかない背丈の少女が、ビムベルクの前に倒れたまま呟いた。

 やや陶酔するような声音で、息も荒く。


「アタシをこんなにぶったのは母様くらいだ」

「……」


 犯罪者。

 たぶんそうだ。きっと犯罪者。

 少女を叩いて手籠めにするなんて、犯罪以外に有り得ない。


 相手は影陋族ではない。人間の少女だ。ルラバダールの法ではそういうのは厳罰と定められている。

 英雄だから許されるとかいうのはアトレ・ケノスの文化。

 ここはルラバダール王国領エトセン。法で禁じられている。



「いや、お前もなかなかのもんだぞ。あー、えぇと」

「ハルマニーだ」


 なぜだか、ビムベルク達を挟んで反対側に鏡があるような気がした。

 ツァリセの視線の先に、ツァリセと同じような表情を浮かべた見知らぬ男がいる。年齢も近いように思う。

 気苦労を感じさせる顔のせいで年齢を多く見られそう。


 スーリリャは隅っこの日陰に。

 見れば遠目にワットマ達の姿もあった。観戦していたということなのだろうか。



 ツァリセは他の用事を片付けて、そろそろ話し合いも終わるかと交渉の場に向かったのだが、誰もいなかった。


 聞きつけて練兵場まで来てみれば、なんとも理解しにくい状況。

 たぶんこの少女がミルガーハの当主代理。今の名乗りが嘘でなければ。


 ビムベルクがなかなかのものと評したのは、彼女の戦闘能力だろう。ミルガーハの直系はかなり腕も立つと聞く。

 頭の方は、たぶんツァリセの上司と大差なさそう。良いとか悪いとかではなくて。



「決めたぞ」


 思い込みとか独断とか強い部分も、よく似ている。


「アタシをお前の妻にしろ!」

「……」


 ワットマがにやりと笑ったのが遠目でもわかった。

 隣の財務官は涼しい顔で頷いて、手元の帳面に何やら書き入れる。



「……で、何事ですか? これは」


 金策の話だったと思うのだが。

 中年男が力づくで若い女を得るという話ではなかったはず。


「……教えてくれ」

「知りませんよ」


 上官の犯罪の隠蔽や偽装は副官の仕事だろうか。

 訊ねたら肯定されるかもしれないので言わなかった。



  ※   ※   ※ 


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