第154話 強がりと慈しみ
「わかってる」
強がっているのだろうか。
そういう風に見えてしまうのは、ネネランが彼女を子供扱いしているせいなのか。
体型はなんだけれど、清廊族とすれば既に婚姻していても不思議のない年齢ではあるはず。
凹凸の少ない体の曲線と子供っぽい言動が幼く見せているだけ。
そんな外見とは無関係に、彼女がどれだけ魅力的なのかはネネランが一番よく知っている。
「ですけど、エシュメノ様」
「わかってるってば」
ネネランの言葉に反発するように強く遮られた。
拒絶。
ネネランの気持ちはいつもすげなく返されてしまうけれど。
ただ心配で、ただ愛おしい。
長い絶望の日々の中、心の片隅でずっと想っていた夢物語の彼女……当時は彼と思っていたのは別として。
伸ばしかけた手を引いたネネランを気遣うように、ルゥナが瞳だけで頷く。
「ネネランが心配するのは当然です、エシュメノ」
むう、と唇を尖らせるエシュメノを諭すように。そういう顔のエシュメノも、ネネランにとっては最高に可愛い。
「本当にわかっていますか? その……」
ルゥナもどう説明したものか言葉を迷わせ、エシュメノが再度反発するように鼻を鳴らす。
「わかってるって言ってる」
ぐっと、籠手で包まれた両手を握って唸るように答えた。
それからその両腕を、慈しみを感じさせる雰囲気をもって自分の体に当てた。
右手を胸に、左手を腹に。自分の体を、まるで卵を温める母鳥のように抱きしめて。
「エシュメノはアヴィの子供を産むんだ」
「……」
ルゥナの瞳から温度が消える。
正直、怖い。ネネランの下腹が凍るよう。
「そういうことだって、ちゃんとわかってる」
「……エシュメノ」
「エシュメノはいいお母さんになるんだ。それで、ソーシャのことを赤ん坊にもいっぱい教えてあげる」
赤ん坊のうちは、きっと教えても覚えられないと思うのだけれど。
ああ、だけど疑いはない。エシュメノはきっと良い母になるだろう。
子供と共によく笑い、よく泣く。そんな光景が目に浮かぶ。
その隣にはいつもネネランが……
「エシュメノ。子供はおそらく……」
諦めたように息を吐きながらルゥナが現実に帰ってきた。
冷たい視線を止めて、無知なエシュメノに教えておこうと――
「出来るわ」
ルゥナの言葉の尻に、肯定の言葉が継ぎ足される。
「……? っ!?」
言われたことを頭の中で何度か繰り返し、それを理解してから。
ぎょっと、ルゥナが振り返った。
「たぶん、出来ると思う」
やや視線を宙に漂わせてから、確信めいた頷きを返すアヴィ。
彼女は魔物の……濁塑滔と呼ばれる粘液状の魔物の性質を受け継いでいるということだ。
濁塑滔はおそらく雌雄の区別がない。もしかして本当に?
「あ、アヴィ……私の時はそんなこと」
「……聞かれなかった」
ルゥナの声音が動揺に震え、詰め寄る彼女に少し後ろずさりながらアヴィが答えた。
彼女らは既に済ませている、ということだ。
聞いてはいたけれど、改めて実感するとネネランの頬も下腹も熱くなる。
できれば自分もエシュメノと……そう思う気持ちは抑えきれそうにない。
「そ……その話は、また後で」
わざとらしい咳払いをしてからエシュメノに向き直るルゥナ。
「エシュメノ、子供を授かるのはもっと後です。最初は違います」
「そうなのか?」
「愛の積み上げには時間がかかります。ええ、すぐには無理です」
嘘つき。
「そういうことです」
「じゃあ、いっぱいしないと子供できない?」
「……」
「エシュメノは大丈夫だぞ。アヴィ、心配しなくても」
嘘をつくからそうなるのだ。
いや、ルゥナの気持ちはネネランにもわかるけれど、軽はずみな嘘でエシュメノを誤魔化そうとした罰だろう。
「私が先です」
「……」
どうなんだろうか。本当に。
普段の判断は信頼できるのに、今日は色々と惑乱している。
「じゃあエシュメノはルゥナの次?」
「そうなりますね」
酷い。
エシュメノの純血を奪おうとしておきながらこの嘘つき。
ネネランの胸中にルゥナに対する反意の炎が灯りかける。こんな女を許していいのだろうか。
ルゥナにとってはアヴィの肌を誰かに許すことに抵抗があるだろうが、逆の立場ならどれだけ酷いことを言っていると思うのか。
許されるなら、ネネランがここできっぱり突き放してやりたい。
「とにかく、そういうわけです。エシュメノ」
「わかってる。今日はアヴィと一緒に寝たらいいって」
どういうわけなんだか。
エシュメノはルゥナの言葉を疑わないが、ネネランは違う。こうした嘘の積み重ねは悪い関係を生むのではないか。だとしても自業自得だ。
ルゥナはやや疲れたように頭を振りながら頷いて、
「貴女とアヴィだけでは心配ですから、ネネランも一緒です」
なんて素晴らしい女性なのだろう。さすが我らの指揮者。
一生ついていこうと思う。ネネランは一生ルゥナの指示に従って生きていきたい。
やはりルゥナの指示は的確で正しい。ネネランは彼女を疑ったことは一度もない。
「えぇ……」
「ネネラン、お願いしても……貴女にこんなことをお願いしていいのか、私は」
「いえいえいえ、ありがとうございます。お任せくださいありがとうございます」
――御馳走さまです。ご相伴に与ります。
ネネランの勢いにやや引き気味の姿勢になりながら、もう一度お願いしますと言われた。
何度でも、お願いされよう。
ネネランには、過去の汚辱の記憶がある。
自分が今更エシュメノと愛し愛されるような、そんな場所にいられると思ったことはない。
ただ傍にいて、エシュメノの安全と幸せを守りたい。それが一番の望み。
一番ではない。
これは妥協だ。本当は、エシュメノを独占して愛でたい。抱きしめたい。
可愛いエシュメノに触れて、舐めて、舐め回したい。
エシュメノの服を洗濯しているだけでどれだけ興奮してしまうか、エシュメノは知らないだろう。
知られたら、洗濯をさせてもらえないかもしれないくらい。
諦めていた。
自分の手には収まらないから、一歩離れていてもいいと。
アヴィの為にエシュメノを捧げる。
そう言われた時に、もちろん腹も立ったけれど納得してしまう気持ちもあった。
仕方ないと。
ルゥナが、エシュメノより先にネネランにこの話をしてきたのは、ルゥナなりの葛藤もあったのだと思う。
仲間をこのように扱っていいのか。許されるのか。
純朴なエシュメノは、アヴィの為と言えば何でも頷いてしまうだろう。だからネネランに相談した。
卑怯だとも思う。
ネネランに言われても何の決定権もない。ただルゥナが、自分だけで決めたわけじゃないと言い訳をするためではないか。
だけど、必要なことだともわかるし、気を遣われているのもわかった。
アヴィにかけられた呪いを解き力を取り戻す。
それは清廊族皆の為にもなる。エシュメノの為にも。
頷くしかなくて、頷かないネネランにルゥナは謝った。
答えなくていい。
自分が無理やりにでもエシュメノを頷かせるから、と。
だから、恨まれても仕方ない。そう言って。
結局、エシュメノが否と言うはずもなかった。
間髪入れずというか二つ返事でいいよと。
あまりにあっさりしすぎて、しつこく確認してしまったわけだが。
――エシュメノはアヴィの子供を産むんだ。
まあ、わかっていたということだろう。エシュメノなりに正しく。
ちゃんと理解した上で受け入れるのだから、それ以上をネネランが言うべき資格はない。
だけど、ネネランの中で整理しきれない気持ちもある。
どうしようもない。
ネネランはエシュメノが好きで、大好きなのだから。
伴侶のようにというのも少し違う。少し年の離れた可愛い妹のように。
ルゥナは、ちゃんとわかってくれていた。
ネネランの気持ちを汲んで、組んでくれる。
出来る限り誰も傷つかないように。
エシュメノがアヴィを好いていることはわかっている。
だからネネランもその気持ちを否定はしない。
ただ、傍にいられるのなら。
叶わないと思っていた願いを、少し違った形だけれど、ルゥナが叶えてくれた。
「お任せください、ルゥナ様。エシュメノ様」
「うぅ……」
上目遣いで警戒するように。
「……」
そのくせ、小さな手がネネランの裾を掴んだ。強く。
なんだ。
やっぱりエシュメノは強がっていて、ちょっとだけ怖かったのか。
「大丈夫です、エシュメノ様」
ネネランはいつでも、いつまでも。エシュメノの傍にいるのだから。
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