第139話 狂気乱舞
「何を……」
「……」
トワは、どこまでも罪深い。
「ああ。何を……ああぁぁぁなんで、なんでぇ!」
「……」
「どうして! うあ、あぁぁっ‼」
自分の罪業の深さを責める声に、どうして安らぎを覚えるのだろう。
だってこのままじゃ、どうしたってユウラが救われない。救いがなさすぎる。
トワになんの痛みもないままだなんて、そんなことを許せるものか。誰だろうトワが許さない。
だからニーレ。どうか、トワを許さないで。
「なにをやっているんだトワぁぁ!」
「ニーレ! ルゥナ様ニーレを!」
「やめなさいニーレ! 違うんです!」
ルゥナとミアデが必死に止める。狂乱するニーレを。
「お前が、お前がユウラを殺した! お前がユウラを!」
ユウラの胸に突き立った包丁の柄に、ニーレの怒声が響く。
「私がユウラを殺しました!」
「トワもやめなさい!」
「やめませんルゥナ様、私がユウラを殺しました!」
吐き出す。本当のことを。
「ユウラの願いだったんです、ニーレ!」
「そんなわけがあるか! そんなはずがないんだ!」
死を願うユウラの言葉を受けて。
ユウラが、死ぬ前に少しでも力をトワに残したいと願って。
だから殺した。
違う。そうではない。
「私が、私のせいでユウラは死んだ! 私が殺しました!」
「やめなさいトワ! 誰かトワを止めて!」
「止めないで! 本当のことです、ニーレ。私がユウラを殺した!」
「トワぁ! お前はどうしてユウラを、こんな……お前のせいで、また……」
「そうです!」
「違いますトワ!」
ニーレの怒気が、殺意が。トワの瞳に突き刺さる。
彼女にこんな目で見られるのは初めてだ。
恨みと敵意。この世の理不尽の全てへの憤懣を込めて。
心地いい。
少しだけ救われる。
トワに恨みの言葉を正面からぶつけてくれるニーレのお陰で、ほんの少しは気が晴れる。
許してはならないトワという女の行いが責められることが、トワの心をわずかに和らげてくれた。
「……私を、殺して下さい。ニーレ」
それしかない。
そうしてもらう他に、誰がどうしてトワを許せるのか。
「トワ! 馬鹿を言わないで!」
ルゥナの叱責に首を振り、ルゥナが押さえるニーレの前まで歩いた。
「お前を……」
「私の中に、ほんの少しでもユウラの力が残されたなら。貴女に返します、ニーレ」
これを託されるのは自分ではない。こんなに優しくて切ない気持ちは、トワには重すぎる。潰れてしまう。
「いい加減にしなさい!」
涙を流してルゥナが叫んだ。
「私の力だって、ニーレに」
「ふざけないで!」
怒り心頭に達したのか、ルゥナがニーレを突き飛ばし、トワの頬を張った。
ぱしん、と。
「……」
肌を打つ音の後は、ただ静かに。
「トワさまぁ」
静寂を破り、トワとルゥナの間に割り込む者が。
「トワさま、こいつトワさまをぶった」
「いいんです、オルガーラ」
「おる……?」
やや虚を突かれた表情を見せたルゥナが、頭を振ってニーレに向き直る。
突き飛ばされたニーレは、地面に倒れたまま嗚咽を繰り返していた。
「トワのせいだと責めるなら、貴女は何をしていたと言うのですか。ニーレ」
「わたし、は……」
「苦しむユウラを見ていられずに暴れていた貴女が、どんな顔でトワを責めるつもりですか」
「ルゥナ様、そんなこと……」
ミアデがニーレを庇うように口を挟み、ルゥナに睨まれて口を閉ざす。
言っているルゥナとて決して本意ではないのだろう。それを察して。
「ユウラは……最後まで、仲間の……貴女のことを思って、トワに……誰のせいと言うのなら、私のせいです。貴女のせいで、皆の無力ゆえです」
握り締めたルゥナの拳が震えている。
「誰も……誰というのなら、私の責任です。ニーレ」
責めるなら自分を、と。自分だって泣きながら。
「……私は……わたしはぁ……」
ニーレが、尻もちを着いていたニーレが、前を向く。
這いつくばり、両手と両膝で進む。
のろのろと、ユウラが横たえられた布のすぐ傍まで、泣きながら。
「ゆう、ら……ゆうら、ゆうらぁ……」
名を呼び、先ほどまでトワが握っていた手を握る。
「ごめん、ごめん……私が、馬鹿で……私は、お前が……どうしてユウラが……」
嗚咽と哀惜と。悔恨と謝罪。
「好きだ……私だって、お前が……ユウラ、お前を愛している……愛しているんだ、ユウラ……」
トワが突き立てた包丁を抜き、血に濡れたそれを力なく放り出す。
血の溢れるユウラの体に縋りついて泣いた。
「愛している。愛しているんだ、ユウラ……ユウラ、私の……」
答えはない。
もう答える声は、どこにもない。
ただ一方からだけの、愛の言葉を囁き続ける。
ただ、奇跡と呼べることがあるとするのなら。
トワは見た。
ユウラの体が僅かに光輝いたのを。
胸の傷から零れ落ちた光の玉が、ニーレがその地面に落とした彼女の弓、氷弓皎冽に寄り添うように転がり、そして吸い込まれるのを見た。
「……何が?」
「命石」
いたのか。
気配がなかったので、声を聞くまでトワは気が付かなかった。
すぐ近くで倒れていたアヴィ。手元に落ちている魔術杖を見れば、限界まで魔法を使ったのだとわかる。
「命石が、弓に」
「ユウラが」
トワが最期に刺した為だったのか、そうではないのか。命石がユウラから零れた。
ユウラから零れた命石がニーレの弓に吸い込まれた。ユウラの気持ちを考えれば説明はいらない。
命を失ってもなお、ニーレの傍で、ニーレの助けになりたかったのだと。
※ ※ ※
「ルゥナ様、どがな……あぁ……」
「そんな、ユウラさん……」
どこで何をしていたのかトワは知らない。ウヤルカとネネランが戻り、この有様を見て顔を歪める。
聞くまでもない。血に染まるユウラと慟哭するニーレを見れば。
「……飛行船は駄目でしたか、ウヤルカ」
指揮官としての立場からか、あるいは別の話を求めたのか。
涙を拭いながらのルゥナの質問に、ウヤルカは苦々し気に首を振る。
「すまん」
「いえ、その様子を見れば……すみません、魔法薬を使い切ってしまって」
「ええんよ、それでええじゃけぇ」
ウヤルカの両腕もひどいケガをしていたが、気にするなと首を振った。
この場に薬が残っていたのなら、その方がウヤルカを怒らせただろう。
顔を上げたのは、涙を零すまいとした為だったのかもしれない。
「……ウチはもっかい、あれをやる」
空を見上げ、絞り出すような声で。
「すみません、私の道具は使い切ってしまって……ですが、お手伝いします」
いつも前髪で隠れがちの目を拭い、ネネランが頷いた。
「もう一度……戻ってきているのですか?」
はっと空を見上げるルゥナ。
通り過ぎた空を行くもの。飛行船と今呼んでいた。人間どもの使う船か。
トワもそれを追う。
一度は戦場の空を行き過ぎた飛行船が、左に体を傾けて斜めに進んでいた。
もう一度、上からあの爆裂の魔法を放つために。
風上に過ぎた巨体が、今度は風に乗って戻ってこようと。
「あれは……」
泣き声が止んだ。
先ほど感じたユウラの体温と同じ。まるで温度のない声で。
「私が、殺す」
弓を握り締めて、立ち上がった。
「私が、あいつらを全員殺す」
「ニーレ、今の貴女では」
「止めたら、誰でも殺す」
誰に対して言っているのか。わかっていない。
ユウラの血でべっとりと塗れた顔で、その目が見据えるのは空にある敵の姿だけ。
ぶつけられない怒りを、悲しみを。今ここで思うさまぶつけて構わない敵を睨んだ。
矢が届くとは思えないけれど、それも関係ない。
「ユウラを……ユウラの仇だ。人間どもは全員、最後の一匹まで殺す」
「ニーレ!」
駆け出したニーレ、彼女の鬼気に手を出すのが憚られたのだろう。
誰もがその背を見送り、遅れて動き出す。
「ミアデ、セサーカ。アヴィやエシュメノたちをお願いします」
アヴィは相当な消耗をしているらしく、立っているだけでふらついている。
エシュメノが膝を抱えて座り込んでいるのも、ユウラの死のことだけではなく怪我でもしているのだろう。
まだマシな様子のミアデ達に彼女らを任せて、ルゥナがトワを見た。
その瞳には、困惑と疑念と、けれど安堵の色も浮かぶ。
トワの無事な姿に安堵したと。今この場でそうは言えないけれど。
そういう優しい視線は、今は棘にしかならない。
「トワ」
労わるように、慈しむように。
「つらいことをさせました。私を恨んで構いません」
「……」
違う。
違うのに。
トワが悪いのに。トワがユウラを殺したのは、トワが愚かだったから。
今ここでこんなことをしなければならなくなったのは、他の誰でもなくトワの行いのせいなのに。
トワの暗いやり口で、本当なら冷静に判断できたはずのニーレを歪ませた。
冷静さを欠いたニーレを守る為だったのだろう。ユウラが命を落としたのは。
「……」
「ウヤルカを治癒して下さい。貴女も疲れているかもしれませんが」
「……いえ、平気です」
だってトワは、休んでいたのだもの。役割を半端に終わらせて眠っていたのだもの。
「ルゥナ様、ウチは」
「状況がどうなるかわかりません。飛行船は無理でも、あの妖奴兵の相手は貴女が最適です。まず治癒を受けて下さい」
「……わかった」
戦えると強がろうとしたウヤルカだが、左腕は肉が削げかけているし、右手は血塗れでこれでは武器もまともに握れない。
「ネネラン、ユキリンをお願いします。まだ飛んでもらう必要があるでしょう」
「わかりました」
ユキリンも、普段見ないような口の開き方をして荒い呼吸だった。
トワの目でも明らかなほど消耗している。彼女らが飛行船を落とそうと必死だったのは理解できた。
「私はニーレの援護に……オルガーラ、なのですか?」
「……」
呼びかけられたオルガーラが、ルゥナを睨みつける。
敵意。
先ほど恐慌を鎮める為とはいえトワを叩いたルゥナに、警戒と敵対心を示す。
「オルガーラ、ルゥナ様に従いなさい」
「う? トワさまが言うなら、うん……」
「なにが……いえ、後にしましょう」
「とりあえずこれを」
裸だったオルガーラに、セサーカが死体から剥いだ服を被せた。
「オルガーラ、人間を打ち倒してサジュを取り戻します。手伝って下さい」
着せられた人間の服をやや窮屈そうに、けれどトワが頷くのを見て素直に着せられたオルガーラ。
トワの言葉でなければ素直に聞かない様子だ。
周りの仲間たちも、やや困惑気味にトワとオルガーラを見比べる。
色々なことがあって、トワだってどうすればいいのかわからない。
けれど、ニーレのあの様子では今度は彼女が死にかねない。
ニーレを死なせるわけにはいかない。ユウラがどんな気持ちだったのかを思えば。
使える手駒としては、今はこのオルガーラ以上のものは望みようもないか。
「ルゥナ様たちと共に、人間を皆殺しにしなさい。ニーレを……先に駆けていった弓使いを守りなさい。絶対にです」
「うん、わかったよ。トワさま!」
武器を、と言う間もなく、トワの言葉を受けてニーレの後を追いかけていく。
サイズの合わない服に、素手素足のままだけれど。
それでも今この疲弊した状況では、得難い戦力には違いない。
「トワ」
オルガーラの後を追おうとしたルゥナが、もう一度トワに呼ぶ。
歩きかけて、立ち止った。
その逡巡はきっと、仲間を失ったことで不安を覚えたからなのだろう。戦場で後回しにしようとした感情だけれど、後回しに出来なくて。
「……はい」
「危険な任務と、オルガーラの救出。助かりました」
「……」
褒められて、まるで嬉しくない。
むしろそれは余計にトワの心を苛むだけ。
「貴女が無事で良かった。ありがとう、トワ」
「……」
大好きなルゥナがくれる甘い言葉は、蜜のようなのに、トワを焼くように染みついて。
「……はい」
駆け出すその背中を見送り、もう一度頷いた。
「はい……ルゥナ様」
涙を流す資格などないはずなのに、優しい言葉に心の裂け目を焼かれて、溢れる涙を堪えることが出来なかった。
※ ※ ※




